カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年も一年間、本ブログ「三代目の雑記帳」をご愛読賜り、誠にありがとうございました。

 このブログも丸12年になりました。
アクセス数も年を追うごとに増えて、9年前に年間15万件を数えました。しかし、ネタ切れと隔日での掲載に疲れ、それまでの隔日から二日おきのペースでの掲載とさせていただいた7年前には一時的に減ったものの、それでも12万件とほぼ毎月1万件というアクセスをいただき、その後は漸増して昨年は最高の33万件を越えるアクセスを頂きました。しかし、今年はコロナ禍で非日常的な状態が続いていることからネタ切れとなったため、回数を減らしてほぼ三日おきにさせていただきましたが、それでも26万件を超えるアクセスをいただきました。
このページを借りて謹んで御礼申し上げます。ありがとうございました。

 さて、今年は先述の様にコロナ禍の一年間でした。
そのため、今年は山小屋泊でと考えていた登山も、密を避けての日帰りで、いつもの美ヶ原へ春と秋の二回、そして少し遠出して山中湖畔の石割山へ登って富士の眺望を楽しんだだけでした。来年こそ・・・。
代わりに、美ヶ原のレンゲツツジや霧ヶ峰のニッコウキスゲ、そして阿寺渓谷の“阿寺ブルー”を楽しむことが出来ました。
また、昔の仲間と定期的に集まって、“激論”と美味しい料理とお酒を楽しむ「会」も、残念ながら今年は開けませんでした。

 縁あって我が家に来て丸一年が過ぎた保護犬コユキと、そのお陰で獣医の先生も驚く程に元気になったナナ。すっかり慣れて、時々チョッカイをしながら部屋の中を走り回るコユキと、我関せずのナナ。
そんな二匹を連れてのドライブ旅行も、箱根や山中湖など、ドッグヴィラ滞在での倹約旅行ですが、ワンコたちと一緒に何回か楽しむことが出来ました。
コユキは二度目の寒い信州の冬を迎え、薪ストーブの暖かさに気付いて、昔のチロルの様に、時々薪ストーブの周りの大理石の上で暖まっています。そんなコユキに刺激されたのか、今まで12年間近付くことも無かったナナもストーブの前に来て二匹一緒に暖を取る様になりました。今シーズンは雪も多そうで寒い冬ですが、そんな二匹にこちらも何だかほっこり癒されています。
そして、空き家になった母屋の片付け。“漸く”での行動ではありましたが、ギリギリ年末まで来て何とかではありますが、それこそ“カタを付ける”ことが出来ました。
(今年最後の写真は、片付けでの最後の荷物を軽トラに積んで、20数回目の山越えでクリーンセンターへ行った日。それまで日本海側の大雪で雪雲に覆われていた北アルプスですが、この日はまるで片付け終了を祝福してくれるかの様に、快晴の中で久し振りの雄姿を見せてくれた常念と、薪ストーブの前でほっこりと二匹でくつろいでいるナナとコユキです)
 年の節目にあたり、また今年も色々反省をしつつ、「ヨーシ、来年はもうチョット頑張るゾー!」と、また心のギヤを入れ替えるべく新たな年を迎えたいと思います。こうして、切り替えを出来るのが、きっと人間の(ずるくも)良いところだと思います。
それにしても、普通に人に会って飲んだり喋ったり、生の演奏会に行ったり落語会に行ってマスクをせずに大声で笑ったり、そして子供たちが帰省して来たり、旅行にも行ったり・・・。
来年は何としてもそんな“当たり前のこと”が当たり前に出来る、そんな極々“普通の年”になって欲しいとつくづく思います。

 来る2021年「は」、若しくは「も」、或いは「こそ」、皆さまにおかれましてもどうぞ良い年をお迎えください。

                       カネヤマ果樹園一同+ナナ&コユキ💛

 ほぼ2ヶ月近く掛かって、漸く母屋の片付けが終了しました。
世間で云う“ゴミ屋敷”程ではなかったにしても、明治生まれの祖父母や昭和初期に生まれ戦中戦後の厳しい時代を生きて来た父母はモノを捨てられない時代の人たちで、それは或る意味止むを得なかったと思います。
しかし、時代が変わっていく中で、断捨離や終活という言葉が生まれたように、出来れば自分の手で少しは整理をしておいて欲しかった・・・というのが正直な感想でした。
ですので、自分たちは子供たちや孫子の世代に決して迷惑を掛けることなく、断捨離や終活として早めに自分たち自身が判断し自分たちの“手”で絶対に整理しなければいけない・・・というのが今回の母屋の片付けで感じ、自分たちの肝に銘じた教訓でした。

 片付けをしてみて感じたこと。それは、勿論片付けをするのは自分たちなのですが、コロナ禍の中でエッセンシャルワーカーという言葉がもてはやされましたが、普段は余り気にしていなかった定期的にゴミの回収をしている業者の皆さんや地場のクリーンセンター(焼却場)の存在の有難さでした。
そして、無料で黙々と段ボール箱や古新聞を自分たちで運んでくださった障碍者の福祉施設の皆さん。商売とは言え、非情に感じの良かった片付け業者や産廃処理業者の皆さん。所謂3Kと言われる業種なのいかもしれませんが、本当に頭が下がりました。

 古本やリサイクルショップ、古物商など、不用品買い取りを生業とする方々。モノが溢れた時代には必要な存在ですが、引き取ってもらう側は過度の期待は禁物。むしろ、欲しい人が身近にいたら、商売ではなく、そういう人たちにタダでも良いから使ってもらった方が後で遥かに気持ちが良いと感じました。

 因みに、今回、母屋の片付けに掛かった費用。
先ずは、町会のゴミステーションへの可燃ゴミや破砕埋め立て、資源ゴミは無料です。
それ以外の可燃ゴミや粗大ごみのクリーンセンターへの持ち込みは2万5千円。資源ゴミのリサイクルセンターへは5千円。20数往復の合計です。
段ボール箱や古新聞を回収していただいた福祉施設は無料で、お礼のお菓子代のみ。古くなった缶詰など、自分たちでは処分出来ないモノをまとめて(最後にそれぞれもう1回ずつ追加した分を含め)お願いした片付け業者に5万円と産廃業者への持ち込みが4万4千円。
一方リサイクルショップや古物商への売り上げは3万8千円。
従って、差し引きの△8万6千円が、今回の片付けの経費となります(軽トラのガソリン代は別途)。
これがもし都会だったら、自分で持ち込むのは無理でしょうから業者にお願いして処分をするとなると、その何倍もの費用が掛かったかもしれません。従って、軽トラの荷台に不用品や粗大ゴミを満載し、クリーンセンターとリサイクルセンターへの二十数往復。肉体的には大変でしたが、コスト的にはお陰さまで大変助かりました。

 それにしても、今回分かったこと。それは・・・、
 『 不用品やゴミの量は 家の大きさに比例する 』
・・・ということでした。
家に納戸や押し入れやクローゼットがたくさんあって助かる!ということは、当然ですが、その反面それに収まるだけの容量のモノをストックしているということです。仕舞う場所の容量が少なければ、そこに収まるモノの量も減るのが道理。ですので、仕舞える場所があること、その容量に安心せず、使う頻度で要不要を本来は判断すべきなのでしょう。しかし、“言うは易し”・・・。

 しかし、子供や孫子に同じ思いを決してさせぬために、意を決して自らの手で捨てることが何よりも肝要・・・と悟った次第。
従って、今回の自省をふまえ、母屋のみならず自分たちの“断捨離”もこれを機会に少しずつ継続中・・・以上、締めに代えて。

 ゴミステーションに出したり、クリーンセンターへ持ち込んだり、また古物商に引き取ってもらったり、施設の方にも手伝っていただいたり・・・。
色々な対応で片付けを進めては来ましたが、最後自分たちではどうしようもないモノ・・・それは、忘れ去られていた古い漬物桶や缶詰、何やらの液体の入った瓶や化粧品、そしてまだ中身の入っているスプレー缶。
そうした類は中身をキレイにしないと雑瓶や金属類として資源ゴミに出す訳にもいきませんし、捨てるにも捨てられず・・・。

 そこで、最後の手段として、“何でも回収します”という片付け業者にお願いすることにしました。
複数の業者にコンタクトして事前に見積もっていただき、その中から値段だけではなく、対応が信頼出来そうな業者の方に奥さまがお願いしました。
当日、二トン車で来ていただき、中身を持って来られた容器に捨てながら、瓶などを空にして分別していきます。スプレー缶などは持って帰って処分する様です。途中、一杯になったのか、3回に分けてトラックで運び出しながら、3時間程掛かって漸く終了しました。
ずっとチェックしていた訳ではありませんが、コツコツと一生懸命誠実に対応していただきました。その後もう一度お願いして、費用は税込みで53000円でした。
しかし、自分たちではどうしようもなかったので、全部まとめて対応いただき本当に助かりました。

 さらには、倉庫に残っていた古い肥料類など。
昔、田んぼをやっていた頃の肥料類や土壌改良剤など。その後、父は私の海外赴任中に稲作は辞めて農協(JA)に貸し出したので、以来米は作っていません。
その当時の肥料や土壌改良剤。20㎏の袋が、色々な種類で使い掛けも含め40袋程。家庭菜園くらいなら、クリーンセンターでも受け付けてくれるかもしれませんが、さすがにこの量だと産廃扱いになりますので、勝手に捨てたりクリーンセンターへ持ち込むことも出来ません。専門の産廃業者に依頼するしかありません。
そこで、地元の業者を検索し連絡したところ、2社が見積に来てくださり、両者とも対応可能とのこと。運搬してもらうと当然ですが配車費用が上乗せされて値段も高くなりますし、年末故に混んでいて日も指定できないとのことから、自分で軽トラに積んで運び込むことにしました。そのため、自宅から近い方の業者さんにお願いすることにしました。
この際ですので、他の産廃扱いになりそうな不要な農業資材も併せて、結果3回運んだのですが、20㎏の袋を40近く軽トラに積むのは結構しんどくて、一日がかりになってしまいました。
業者さんの事務所では、クリーンセンター同様に重量を測った上で、持ち込んだモノを指定のパレットに積み下ろしします。
費用は多少大雑把な部分もあるのか、見積もりより少なく(勿論配車費用は掛かりません)、税込み3万円ちょうどで済みました。後日、もう一度オイルやペンキなどの液体をまとめて持ち込み、〆て産廃の合計が44000円でした。
因みに、その業者さんは一般の家庭ゴミの回収業もやっておられ、20台近く回収車もお持ちで、時間によっては事務所に戻っておられた回収車のドライバーの皆さんが、手が空いておられると、次々と集まってきて手伝ってくれます。
皆さん、気さくで明るくて・・・。しかも、誠に失礼ながら、見掛けからは意外な程に皆さん礼儀正しいのです。
最後に軽トラの荷台のゴミまで掃いてくれて、恐縮して遠慮したのですが、「イイです、イイです!」と・・・。
会社の指導かもしれませんが、今風の若い方々も皆さん清々しい程で気持ち良く、実に感心しました。

 今回の片付けで本当にありがたかったのは、中央図書館近くの障害者支援の福祉施設の皆さんでした。
地区の資源ゴミ回収は月一回なので、いつでも持ち込み可能なその施設に、これまでも時々溜まったアルミ缶や新聞・雑誌、一升瓶などを持って行っていました。

 今回、たまたま行った時に居合わせたスタッフの方にお聞きしたところ、段ボールや古新聞などの紙類がたくさんあるなら車で家まで取りに来てくださるとのこと。しかも、通常段ボールや古新聞は、纏めて荷造り用の紐で括って束にして持ち込むのですが、何もせずそのままで構わないとのこと。
そこで是非とお願いしたところ、二度に亘り大きなワンボックスカーで来てくださいました。しかも一度では運び切れず、二度に亘り施設の障害者の方も含めて、毎回3人で黙々と作業されてバンの荷台に積み込んで行かれました。
勿論、資源ゴミとして施設の売り上げにはなるのですが、こちらからすれば、自分で運んだり括ったりする必要も無く、しかも市のリサイクルセンターへ持ち込めば有料ですが、タダで持って行ってもらえるのですから本当に大助かりでした。

 そこで、今回のお礼にと、施設の皆さんで食べていただく様に、ホンの心ばかりですが、お菓子をお礼に差し入れさせていただきました。先方は随分恐縮されていましたが、
 「イヤイヤ、本当に助かりましたから。どうもありがとうございました。」

 我が家は、一度私が中学3年の時に茅葺の家と土蔵を取り壊し、畑の中に新築して引っ越して来ていますので、その際に古いモノ(今でいう骨董品の類)は処分してしまっています。
例えば、今では松本民芸と言われる様な古いタンスを、古道具屋が新しいタンスに変えてくれたと喜んでいたのを思い出します(今となっては、どちらに本来価値があったのかは「鑑定団」を持ち出さずとも一目瞭然ですが)。

 そのため、今の母屋に大事に保管されていた大量の不用品の中には、単なるゴミが殆どですが、中には頂き物や冠婚葬祭の引き出物など、昔は親戚だけでなく同姓や集落の隣組などでのそうした機会が頻繁にあったでしょうから、そうした引き出物で頂いたタオルや毛布、敷布や布団カバーといった類の未使用品がそのまま山の様に保管されていたりします。
勿論、可燃ゴミで廃棄することも可能ですが、未使用品を捨てるのは勿体ないので、そうしたモノはリサイクルショップで買い取ってもらうことにしました。
しかし、まぁ、捨てるよりは罪悪感は少ないとはいえ、
 「えっ、そんなに安いんですか??」
値段は種類に余り関係なく、どれも微々たる金額です。たくさん持ち込んでもせいぜい数千円になれば良い方で、場合によっては百円玉数個という時もありました。しかも、コロナ禍のせいか、値段が付かないモノは以前はどの店も引き取って処分してくれたのだそうですが、今は持ち帰らなければいけない店舗が殆ど。しかし、捨てるよりはイイか・・・と自身を納得させるしかありません。

 もっと、ヒドかったのは古物商とか古道具屋さんでした。
鑑定団の様に、とにかく古いモノほど価値があるということだと思うのですが、最初は殆ど良いモノが無い、時代が若い、興味が無いというような感じなのですが、
 「じゃあ、タダでも良いので持って行ってもらえれば助かります・・・。」
すると、待ってました!とばかり、それまでは値段が付かない、時代が新しくて価値が無いと言っていたのに、まるで掌を返すが如く、おもむろにアレもコレもと何でもかんでもまとめて車に運び込みんでいきます。えっ。それって全く価値が無いって言ってたモノじゃない!というモノが殆どではありませんか・・・。当方はそれを見て、当然ではありますが・・・、
 「えっ、えっ、えーーーっ・・・!!」
きっと、売り主の「・・・だったら(邪魔なので)タダでもイイから・・・」という言葉を待つのが常套手段なのかもしれませんが、それにしても、まるでハイエナの様ではありませんか・・・。結果、軽トラックに荷台に満載して・・。しも、思い茶箪笥を一緒に手伝って運んであげた当方のお人好しぶり・・・。市内の骨董屋さん二軒とも同じでしたので、それがこの業界の常識なのでしょうか。最初は23000円。次は15000円、〆て38000円也。
まぁ、クリーンセンターに持ち込めば重さで料金が掛かるので、無料で引き取ってもらえれば助かるモノも確かに含まれていたのかもしれませんが、店頭に並べる時は一体如何程の値札を付けるのか、十倍か、百倍か・・・、いやタダだったら∞倍か・・・。
そんな彼等の“ハイエナ商法”に些か興味を感じた次第です。勿論、些少でも買って売れなければ当然ですが死蔵在庫になってしまいますので、少しでも安く仕入れるために彼等も必死なのでしょう。しかし、そんな死肉を漁る様な商売をしていて継続性はあるのでしょうか?・・・などと、どうでもイイのですが、彼らの商売の将来性、発展性まで思いを馳せてしまいます。買い取りは家の整理や片付け時の一過性の商売で、客は一ゲンさんだからそんな商売でも構わないのでしょうね。
現代は「猫の茶碗」に登場する茶店の店主の様な人たちばっかりで、「井戸の茶碗」に出て来る正直清兵衛さんや千代田卜斎も高木佐久左衛門の様な人たちは今の世の中には居ないのでしょうかね・・・。

 それにしても、古物商恐るべし・・・。

 前話の各地区のゴミステーションでは無料で(と言っても各戸町会費を払っていますし、市指定のゴミ袋も購入しないといけないので、或る意味当然なのかもしれませんが)ゴミ回収してもらえるのは本当に有難いことです。
しかし、回収してもらえる分は良いのですが、粗大ゴミは通常のゴミステーションには出せませんし、出す場合、例えばカーペットは小さく裁断して通常のゴミ袋に入れる必要があります。
そのため、量にもよりますが、そうした類のゴミがたくさんあると通常の回収ステーションでは無理なので、その場合は(業者に頼むか)自身で市のクリーンセンター(ゴミ焼却場)へ持ち込む必要があります。また金属や小型家電などの資源ゴミも、地区の月一回の回収では片付けに時間が掛かり過ぎて難しい場合はリサイクルセンターへ持ち込んだ方が早く処分出来ます。但し、家電類でもリサイクル券が必要となったTVや冷蔵庫などの家電製品と、産廃扱いとなるモノは専門業者に持ち込まないといけません。

 松本市の場合は、市内島内の平瀬(奈良井川と梓川の合流する「川中島」の内側。父の生まれた家もここにあり、私メ自身にとっても幼い頃からの馴染みの場所)にあるクリーンセンターとリサイクルセンターがそうした施設(松本広域として山形村との共同施設)です。
因みに温水プールなどのある子供たちに人気の「ラーラ松本」は、そのクリーンセンターで焼却する際のエネルギーを熱源に利用したレジャー施設です。
クリーンセンターへ持ち込まないといけないのは、例えば布団類。座布団も数枚ならいざ知らず、(自宅での葬式用に用意されていた)百枚となるとまとめて処分しないと無理。またポリバケツなどのプラ製品も同様です。カマド時代の鍋窯やヤカンは金属として資源ゴミですし、ベッドの木枠や家具類は粗大ゴミ。
以前は回収されていた布類は、TVでも報道されたように、コロナ禍により最大の輸出先であったマレーシアの輸入業務がストップ。そのため、(輸出再開までは)出来るだけ出さない様にというアナウンスが松本でもありました。
しかし、今回クリーンセンターへ相談したら、大量にあった布類(衣服や、きもの、端切れ等)もリサイクルセンターで受け付けていただける由。そして、荒巻やブリなどが入っていた様な発泡スチロールの箱が大小20箱くらいもあり、事情をお話したら「大量の場合は業者だと看做されてしまうと産廃になるが、そういうことなら」と、家庭の一般ゴミとしてまとめて可燃ゴミで受け付けてくれました。
また、クリーンセンターは一階が布団などの粗大ごみのリサイクル、二階が可燃ゴミなのですが、どちらかの方に持って行くべきがたった一つだけ残った様な場合は、「イイよ、そっちに回しておくからそこに置いてって!」と言ってくださったり、またリサイクルセンターでは、小型家電や金属類、布類など、係員の方々が一緒に卸すのを手伝ってくださったり・・・。
恐らく、こうした施設で働く職員の方々の仕事は所謂3K業務なのかもしれませんが、受付の女性から始まって現場で作業されている方々まで、些か大げさに聞こえるかもしれませんが、皆さん本当に感動する程に親切で感謝の言葉が口から自然と出て来ました。
平日でも、結構クリーンセンターへ家庭ゴミを持ち込む車が予想以上に多く、時には受付に順番待ちの車が10台近く並ぶことも。やはり、持ち込まれるのは回収所に出せないような家具などの粗大ゴミが多いようです。
 「今コロナ禍で家にいるからサ、みんな家の片付けをしてるんだヨネ!」
ナルホドでありました。

 因みにクリーンセンターへの道のりは、新橋経由で国道19号線を行くルート(新橋までは昔島内事業所に勤務していた時の通勤ルート。所謂「常念通り」)もありますが、我が家からは城山々系を山田方面への急坂を登って下り、松本トンネルから平瀬地区へ下って来る道に合流するルートの方が近道ですし、軽トラに満載してゆっくり走るには市街地よりも交通量が少なくて好都合。因みに、このルートは大昔「養老坂」と言って、塩の道方面への古道であり、下岡田地区の通称「塩倉」と言う地区は、越後から塩の道を運ばれて来た塩が、平瀬からその坂を超えた岡田に留め置かれるための塩の倉があったことに由来しています。
また平瀬地区にはこの辺りを治めていた犬飼氏の一族で、戦国時代の信濃の守護となった小笠原氏の家臣平瀬氏の居城だった山城の平瀬城跡もあり、梓川と奈良井川に挟まれた平瀬地区は、安曇野から山を超えて松本への下るルートを眼下に監視するための要衝の地だったことが分かります。
この「養老坂」は江戸時代まで使われ、その後も、例えば乗り物酔いのために車に乗れない明治生まれの祖母が平瀬にある親戚宅に行くために歩いて超えて行った道でもあります。今ではそれがどのルートだったのか不確かですが、江戸時代どころか、昭和30年代頃までは普通にそうした人々が歩いて超えていた道でした。
 下岡田からは、その「養老坂」を超えると突然目の前がぱぁっと開け、北アルプスの峰々が眼前に飛び込んで来ます。常念や有明山どころか、空気が澄んでいれば遠く白馬方面まで見渡せます。
今回、ゴミを軽トラの荷台に一杯に積んで二十数往復も運んだ中で、それは決してワクワクするような仕事ではなく、むしろ溜息をつきながらの仕事ではあっても、目の前に拡がる北アルプスの雄大な峰々を眺めると、溜息が歓声に変わり、頑張ろうという意欲が湧いて来ます。その意味で、この絶景に何度癒されまた励まされたか知れません。
「北アルプスがある(見える)幸せ」を感じた“ゴミ片付けの一ヶ月”でした。

 松本市の一般家庭から出るゴミ回収は、我が家の在る地区では月曜日が容器包装用プラスティック(容プラ)で火曜と金曜が可燃ゴミ。また月一で月曜日の容プラと一緒に破砕と埋め立てゴミ。また資源物は、各組毎の回収ステーションではなく、決められた地区一ヶ所にペットボトルや雑瓶、紙類やアルミ缶、乾電池や蛍光灯、小型家電や金属類などに分別し、同じく月一でそれぞれの回収日が設定されています。
そのため、母屋の片付けをしていく中で、保管するモノ、新品でリサイクルショップなどに売れるもの、資源ゴミ、可燃ゴミなどにそれぞれ分別し、上記回収日程に合わせて決められた回収場所に出していきます。

 一番多いのは可燃ゴミです。容プラ、破砕・埋め立て、可燃で市から指定された記名済みのゴミ袋でないと回収されませんので、スーパーやドラッグストアで事前に購入。
それにしても、部屋や廊下が次から次へと可燃ゴミの袋で埋まっていきます。
我が家近くの回収ステーションは、皆さん朝早くから出されるのですが、回収場所が満杯になっては他に出される方の迷惑になるので、自宅の可燃ゴミはいつも通り早めに出しても、母屋のゴミは邪魔にならぬようにゴミ収集車の来る時間帯の直前くらいにまとめて出すようにしました。
そこで週二回、毎回軽トラの荷台に一杯の可燃のゴミ袋を積んでは回収場所へ。それを週二で4週間繰り返して漸く全部終了しました。
また、容プラは少なかったのですが、破砕や埋め立ては結構な量で、それぞれ専用の袋に入れて指定日にステーションへ。
資源物として、雑瓶とペットボトルは月二回出せますが、蛍光灯やスプレー缶、小型家電は月一。また金属類や紙類なども月一回の回収ですので、忘れずに指定日に持ち込みました。

 最初の頃軽トラに一杯のゴミを降ろしていると、通りがかったご近所のAさんが、独りで大丈夫ですからという声を振り払って手伝ってくれました。
 「言ってくれれば、また手伝いますヨ!」
 「いえ、トンデモナイ。でも、ありがとうございました!」
ご迷惑をお掛けしたかもしれないご近所の方々も勿論、仕事とはいえ、ほぼ一ヶ月間に亘っていつもの何倍ものゴミを回収して行ってくださった回収車の皆さん。ご苦労をお掛けし本当に申し訳ありませんでした。ありがとうございました。

 大量の食器類や、何ヶ所もある押し入れに積まれた座布団の山・・・etc。母屋とは別の物置小屋も食器類や古新聞などが山の様に積まれています。
溢れ返ったモノと足の踏み場も無い様な物置に、最初は溜息しか出ませんでした。

 しかし、それでは何も進展が無いので、先ずは自身や妹の子供時代から、我々の結婚後の同居時代や海外赴任中も含めて、自分たちと子供たちの本、本、本・・・。
殆どは、子供部屋を含めて幾つかの本棚に収められていますが、他にも海外赴任中に捨てられなかったのか、引っ越し時の段ボール箱にそのまま詰められたままのモノも何箱かありました。
例えば、子供たちが読んだ日本語と英語の絵本。また、当時のシンガポールのTV局の英語放送(中国語やマレー語の番組は分からないので)は宗主国であるイギリスのBBCなどの番組が中心で、当時のイメージとしては現在のNHK-Eテレの様な真面目な番組ばかりでしたので、そこで勢い(Airで送られて来る週刊誌や新聞などよりも安い)船便で来る文庫本を中心に、紀伊国屋で買っては読み漁った文庫本など、日本にいた時以上に読んだ本、本、本。海外だからこそ溜まった文庫本の山など。
結果、不要と判断した本類は、ミカン箱やリンゴ箱大の段ボール箱にして30箱弱にもなりました。勿論、中には学生時代の法律雑誌やオーディオ雑誌やFM関係の週刊誌など、現在の情報としては古すぎて全く価値の無さそうなモノも多く、そうしたモノは梱包用の紐で縛って資源ゴミとして供出。
しかしそれ以外のモノは、例えば専門書やハードカバーもあって、捨てるのに忍び難く、価値の在りそうなもの(娘たちが使った辞書やTOFLや就活の適性検査の参考書の類も含めて)だけを本専門のリサイクルショップに段ボール箱にして6箱持ち込みましたが、結果、買取価格はコーヒー代にもなりませんでした。その買取価格を聞いて、正直、唖然として声も出ませんでした。
売る時はきっと十倍位で売るのでしょうが(例えば、書店で買った600円の文庫本を10円で買いとったら、再販時は100円位で・・・?)、それにしても・・・。
そこで、もしそんなに安く買い叩かれるのだったら、広く(世間で)読みたい人に読んでもらった方が本としても嬉しいだろうし、現オーナーとしても余程ありがたい!、と市の図書館に寄贈することにしました。

 電話で問い合わせると、所蔵との兼ね合いで何冊も所蔵している本は不要だったりすることもあり、そうした本が不要の場合は処分したり、また年何回か実施している古くなった閲覧後の本をフリーマーケット式に希望する市民に引き取ってもらうこともしており、そうした活用がされることもあり得ることを理解した上で、全て任せてもらえるなら是非寄贈いただきたいとのこと。当方とすれば当然OKです。所蔵して閲覧されても、何冊も既に所蔵があるので、希望者にタダで差し上げるにしても、要するに読みたい人に読んでもらえるのですから、本も第二、第三の“本生”としては(只可燃ゴミで燃やされるよりも)遥かに有意義な筈です。
そんな前提で、きっと図書館司書の方々も理解し歓迎してくださる筈!・・・という認識(≒リサイクルショップよりも使命感が強い筈)で、二度に亘り全部で15箱位事前に連絡した上で持ち込みました。

 図書館スタッフも、全員が(本に愛着を持つ)司書の方々ばかりではないかもしれません。単なる事務スタッフなのかもしれません。もしそうであるとすれば、或る意味極当然なのですが・・・、・・・。
要するに、その「種明かし」的に云えば・・・、受け付けてくださった若いスタッフの方からは、少なくとも“Thanks”とか“Welcome”という様な、日本語的に云えば“ありがとうございます”という反応が全く感じられなかったのです。 
もしかすると、パートやアルバイトの皆さんにすれば、大量に持ち込まれた“善意”の本など、自分たちにとっては、ただ単に(予定もされていなかったその日の)余計な仕事を増やしただけの(ある意味、自身にとっては)人迷惑だったのではないか?・・・・。
勿論、善意の市民にそうした反応を頂かせること自体が、Civil Servantたる公僕として本来は失格なのかもしれません。
しかし、この大量の本を前にすると、いくらCivil Servantであっても止むを得ないだろうと思うのです。
ただ、本来は“知の源泉”足るべき本(書物)がそうした扱いをされている事実に、個人的には何も出来ないのですが、でも!・・・・ナンか変ではないのでしょうか?!
(・・・と、出来れば信じたい・・・)