カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先日所用があり、美ヶ原温泉へ出掛けました。
温泉の在る里山辺の地の山際に立つ、「御母家(おぼけ)の薬師堂」。料理旅館で知られる金宇館の横に在ります。その金宇館は改装を終え、昨年二年振りに営業を再開したばかり。コロナ禍の影響は勿論あるでしょうが、以前娘たちのために予約しようと思ったら、何ヶ月先まで予約で一杯でした。喜ばしい限り。以前は会食も可能で父の法事の会席を二度お願いして大好評だったのですが、改装後は残念乍ら宿泊客のみとのこと。是非、またいつか泊まってみたいものです。

 さて、この小さな薬師堂は御母家の姫薬師と呼ばれています。薬師堂の裏は里山になっていて、御母家の地に残された太田水穂の歌には、
 『この宿の 繁松山に きてこもる 雲きりの動き ひと日見あかね 』 
と詠われている通り、嘗ては赤松に覆われた山が拡がり、以前は停め山として松茸も採れたのだそうですが、今は赤茶けた山肌で松山の見る影もありませんでした。
“見る影”どころか、禿山の様な無残な姿を晒している様は、むしろ異様にしか思えませんでした。我が家からは、東山の浅間温泉から美ケ原温泉方面は遠景のため、松枯れていることは色で認識出来るのですが、その被害状況は現場に行ってみないと分からず、まさかこれ程酷いとは想像以上だったのです。

 松くい虫被害は、「マツノザイセンチュウ」という体長1ミリメートルにも満たない線虫が松の樹体内に入ることで引き起こされます。その線虫を松から松へ運ぶのが「マツノマダラカミキリ」というカミキリ虫です。
平成16年度の新聞記事からの抜粋ですが、
『長野県内のマツクイムシによる松枯れ被害が林野庁の調査で全国最悪となった。温暖化などで被害は標高の高い地域にも広がり、特に近年は松本地域で急拡大。枯れて放置された松が倒れ、道路などに影響を及ぼしたり、土砂災害につながったりする危険性も高まっており、県は対策を強めている。
林野庁などによると、県内では1981年度に被害が初確認され、徐々に増加。2013年度に過去最大の約7万9900立方メートルに達した。最新の15年度まとめでは、ほぼ横ばいの約7万7700立方メートルと、前年に最悪だった鹿児島県を上回って全国1位になった。』
とのこと。
 ヘリコプターによる薬剤の空中散布は、健康被害を懸念して中止を求める裁判を起こすなどの一部の市民団体からの反対もあり、新市長もその効果がハッキリ確認されるまでは中止し、樹幹への薬剤注入への切り替えに歩方法を変更していますが、それで急速な被害拡大に間に合うのか、歯止めが掛けられるのか、議会と揉めているのが現状です。松茸の産地である上田市の塩田平や松本市の旧志賀村から岡田に至るエリアなど、夏でも山容が緑ではなく無残な茶色です。
我々が子供の頃は、ヘリによる田んぼへの消毒剤散布が当たり前の様に行われていましたが、公害病の様な健康被害が我々に発生しているのでしょうか?疑うべきは何でも反対も分からぬではありませんが、では代替手段はあるのか?
緑の一本も無い、全ての松が立ち枯れ赤茶けたしまった山肌を目の当たりにすると、その余りの酷さに、猶予の無い、待った無しの対応が必要だと痛感させられます。
お孫さんを連れらえて散歩をされていたお近所のお婆さんのお話に依れば、
 「昔は一面の松山で良い松茸も採れたんですよ。松くい虫ですっかり枯れてしまいましたが、市で伐採して植樹もしてくれたので、いつかまた木が育てば緑の山になるでしょう。」
とのこと。

 しかし、市内の岡田や四賀地区でも同様ですが、それは枯れた松山にクヌギやナラなどの広葉樹を植えているのです。従って、常盤色”と云われる様に“不老長寿”や目出度さの象徴である松の緑が復活する訳ではないのです。
赤松や黒松に代表される、日本の松林は三保の松原や気比の松原だけではなく、寺社仏閣や城跡なども含めて日本の代表的な景観を形成している植栽です。
コロナ禍のワクチンではありませんが、そうした身近な景観が消えていくことの無い様に、松くい虫の被害を食い止める方法は何か無いのか?
赤茶けた禿山を見て、松くい虫被害の拡大する松本に住む市民の一人として、そう痛感せざるを得ませんでした。