カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 我が家の冬の楽しみは薪ストーブです。
薪ストーブは暖房器具ですので、“楽しみ”と言うのは少し違和感があるかもしれません。暖房器具としては、電気やガスを使いませんので、災害時でも使うことが出来ますし、環境面でいえば最近話題の所謂再生可能エネルギーでもありますので、近年ではエコ暖房として注目されてもいます。また燃料として木材を使うということは(ペレットでも良いのですが)、松枯れ対策を含め(良く乾燥させれば針葉樹も薪として使用可能)里山再生にも繋がっていきます。そんな意味で、薪ストーブは古くて新しい暖房機器でもあります。

 薪ストーブの効能。勿論、先ずは暖房です。化石燃料と違い、嫌な匂いがしません。薪を燃やすので煙は煙突で屋外に廃棄されますが、今の薪ストーブは二次燃焼させるクリーンバーン燃焼方式のストーブが多く、殆ど(ちゃんと乾いた薪を燃焼させれば、意外な程)煙は出ません。しかも遠赤外線効果によるやわらかな暖かさ。本体からだけでなく、(室内の)煙突からも放熱されています。そして、暖炉もそうですが、薪が燃える時の炎には、寄せる波やせせらぎの瀬音、雨音などと同じ「1/fゆらぎ」による癒し効果があると云われています。

 そして更なる効果は、その遠赤外線効果を活かしての調理器具として・・・です。シチューやスープなど、コトコト煮込むには最適で、薪ストーブ専用の調理器具も市販されています。
我が家はそうではなく、専ら奥さまの“焼き芋製造機”としての薪ストーブです。そして焼き芋はそのまま食べるのではなく、5年ほど前から陰干しをして、干し芋として楽しまれています。

 干し芋(芋干し)は茨城県が主産地ですが、奥さまに由れば、次女が成田に住んでいた時に成田山新勝寺の参道にあった、名物の落花生と並んで売られていた“干し芋”が柔らかくて甘くて忘れられないとのこと。
その後、次女が羽田に移った以降は成田で購入出来なくなったことから、我が家の冬の“風物詩”である薪ストーブで作る焼き芋を使って、“干し芋”を作ることになったものです。そして、それ以降は“焼き芋”は全て“干し芋”になっています。“干し芋”に限りませんが、天日で干すことで(ビタミンが形成され)甘味も増すそうですが、焼き芋ではイマイチ美味しくなかった芋も、干したことで“見違えるように”甘く美味しくなるとのこと。実際にしっかり乾燥したモノは、昔懐かしい“芋干し”そのものの味と食感です。
大概の女性は好きなのかもしれませんが、焼き芋でも干し芋でも、買うと高い。干し芋は100gで400円前後します。サツマイモは、今年は不作なのか高くて一本150円以上していますし、太くて立派な芋は余り店頭では今年は見掛けません。
昔は、どの家でも(農家では?)干し芋は自家製でした。我が家でも祖母が自前のサツマイモを蒸して、蒸し芋を切って竹のざるにたくさん並べて天日に干して、干し芋を作っていました。ですので、子供の頃の冬のおやつは芋干しばかり(そういえば、お餅をさいころ状に切って、囲炉裏の大きな鍋で煎った「あられ」もお祖母ちゃんの自家製でした)で、食傷気味。そのため、干し芋は何となく“貧しい農家”(悪く云えば“貧乏百姓”)の象徴の様な気がして、正直、子供心には余り好きではありませんでした。
しかし、今では干し芋は買えば高い!(それだけ作るのに自動化が出来ず、手作業で手が掛かるということでしょう)。まさに高級食品です。
 そんな昔の(或いは今でも売られている)干し芋は蒸し芋から作られていますが、我が家では薪ストーブを使って焼き芋から作ります。
先ずはその焼き芋を作るのですが、ストーブの薪が熾火になってきてから、アルミホイルで包んだサツマイモをその中に並べて朝までじっくりと焼き上げます。火が強いと焦げて炭になってしまうとか。最近スーパーとかの店頭で売られているサツマイモは「紅はるか」が多く(安納芋も売られていますが)、「紅はるか」は割としっとり系で「紅あずま」はホクホク系。
朝アルミホイルを剥ぐと、「紅はるか」はねっとりと蜜が付いていることが多いのですが、焼き芋には「栗よりうまい十三里」と云われる様にほくほくしている方が良いと思いますが、干し芋にはむしろしっとりしていた方が向いていると思います。
 時代が変わり、祖母に代わって家内が作る、そんな干し芋。
娘たちにも大好評で、せっせと手作りをして、この時期に上京する時の手土産として持参したり、ご近所やお友達にもお裾分けをしたり・・・。
ドライネットのスペースにもよりますが、薪ストーブが焚かれている期間の干し芋作りが我が家のベランダでは、冬の風物詩になっています。

 先日所用があり、美ヶ原温泉へ出掛けました。
温泉の在る里山辺の地の山際に立つ、「御母家(おぼけ)の薬師堂」。料理旅館で知られる金宇館の横に在ります。その金宇館は改装を終え、昨年二年振りに営業を再開したばかり。コロナ禍の影響は勿論あるでしょうが、以前娘たちのために予約しようと思ったら、何ヶ月先まで予約で一杯でした。喜ばしい限り。以前は会食も可能で父の法事の会席を二度お願いして大好評だったのですが、改装後は残念乍ら宿泊客のみとのこと。是非、またいつか泊まってみたいものです。

 さて、この小さな薬師堂は御母家の姫薬師と呼ばれています。薬師堂の裏は里山になっていて、御母家の地に残された太田水穂の歌には、
 『この宿の 繁松山に きてこもる 雲きりの動き ひと日見あかね 』 
と詠われている通り、嘗ては赤松に覆われた山が拡がり、以前は停め山として松茸も採れたのだそうですが、今は赤茶けた山肌で松山の見る影もありませんでした。
“見る影”どころか、禿山の様な無残な姿を晒している様は、むしろ異様にしか思えませんでした。我が家からは、東山の浅間温泉から美ケ原温泉方面は遠景のため、松枯れていることは色で認識出来るのですが、その被害状況は現場に行ってみないと分からず、まさかこれ程酷いとは想像以上だったのです。

 松くい虫被害は、「マツノザイセンチュウ」という体長1ミリメートルにも満たない線虫が松の樹体内に入ることで引き起こされます。その線虫を松から松へ運ぶのが「マツノマダラカミキリ」というカミキリ虫です。
平成16年度の新聞記事からの抜粋ですが、
『長野県内のマツクイムシによる松枯れ被害が林野庁の調査で全国最悪となった。温暖化などで被害は標高の高い地域にも広がり、特に近年は松本地域で急拡大。枯れて放置された松が倒れ、道路などに影響を及ぼしたり、土砂災害につながったりする危険性も高まっており、県は対策を強めている。
林野庁などによると、県内では1981年度に被害が初確認され、徐々に増加。2013年度に過去最大の約7万9900立方メートルに達した。最新の15年度まとめでは、ほぼ横ばいの約7万7700立方メートルと、前年に最悪だった鹿児島県を上回って全国1位になった。』
とのこと。
 ヘリコプターによる薬剤の空中散布は、健康被害を懸念して中止を求める裁判を起こすなどの一部の市民団体からの反対もあり、新市長もその効果がハッキリ確認されるまでは中止し、樹幹への薬剤注入への切り替えに歩方法を変更していますが、それで急速な被害拡大に間に合うのか、歯止めが掛けられるのか、議会と揉めているのが現状です。松茸の産地である上田市の塩田平や松本市の旧志賀村から岡田に至るエリアなど、夏でも山容が緑ではなく無残な茶色です。
我々が子供の頃は、ヘリによる田んぼへの消毒剤散布が当たり前の様に行われていましたが、公害病の様な健康被害が我々に発生しているのでしょうか?疑うべきは何でも反対も分からぬではありませんが、では代替手段はあるのか?
緑の一本も無い、全ての松が立ち枯れ赤茶けたしまった山肌を目の当たりにすると、その余りの酷さに、猶予の無い、待った無しの対応が必要だと痛感させられます。
お孫さんを連れらえて散歩をされていたお近所のお婆さんのお話に依れば、
 「昔は一面の松山で良い松茸も採れたんですよ。松くい虫ですっかり枯れてしまいましたが、市で伐採して植樹もしてくれたので、いつかまた木が育てば緑の山になるでしょう。」
とのこと。

 しかし、市内の岡田や四賀地区でも同様ですが、それは枯れた松山にクヌギやナラなどの広葉樹を植えているのです。従って、常盤色”と云われる様に“不老長寿”や目出度さの象徴である松の緑が復活する訳ではないのです。
赤松や黒松に代表される、日本の松林は三保の松原や気比の松原だけではなく、寺社仏閣や城跡なども含めて日本の代表的な景観を形成している植栽です。
コロナ禍のワクチンではありませんが、そうした身近な景観が消えていくことの無い様に、松くい虫の被害を食い止める方法は何か無いのか?
赤茶けた禿山を見て、松くい虫被害の拡大する松本に住む市民の一人として、そう痛感せざるを得ませんでした。

 今年もプロ野球のキャンプが始まって、南から球春が近付いてきています。今年はセンバツが開かれるとイイのですが・・・。
さて、一昨年ジャイアンツの原監督がコーチ陣に元木大介氏と宮本和知を迎え入れた時に、大物OB連から反対の声が上がりました。曰く、
 「他にOBに人材が居ない訳じゃなし、そんなタレントの連中にコーチが務まるものか!」
確かに二人はプロ野球界からの引退後、野球の解説よりも、どちらかというと野球とは関係ないバラエティー番組などに出演するなどタレント業をしてきましたし、元木大介氏に至っては事業(ラーメン屋経営)に失敗し、バラエティー番組でも所謂“おバカタレント”として扱われていました。
そんな経緯があって、二人に対しての先述のOBからの発言に繋がります。

 しかし、個人的には少なくとも賛成でした。コーチとしての実力は私メが素人故全く分かりませんが、少なくともTV画面から感じたのは、それまでの巨人は勝ってもベンチが暗過ぎて、元気が無い、覇気が感じられない。負ければ余計暗くなる・・・の悪循環。そんなベンチに、二人の明るさは少なくともプラスに作用する、少しはベンチも明るく元気になる筈・・・と思えたからです。
それはキャンプのノックを見た時から的中しました。特に元木コーチはとにかく明るい。毒舌含め、選手へ愛情一杯の叱咤激励。見違える様でした。そして、その明るさは公式戦になっても変わりませんでした。
そしてそんな功績を認められて、昨年から元木さんはヘッドコーチに就任しました。

 コーチ就任時もそうですが、元木さんのHC就任も意外性を以て報じられましたが、長嶋監督が“クセ者”と呼んだ現役時代に隠し玉を2回成功させていることからも明らかな様に、選手としての試合状況の観察眼が人一倍優れていた筈です(因みに、彼は上宮高校時代に2年生で出場したセンバツでも隠し玉を成功させていますが、試合後卑怯なプレーだと抗議電話が殺到した由)。
引退後球界から全くオファーも無く、殆どバラエティータレント(しかもどちらかというと“おバカタレント”扱い)として活動していた元木氏を、「アイツは野球を良く知っているから」と彼の能力を買ってU=12日本代表チームの監督に抜擢して球界復帰への道筋を付けてくれたのが、今は亡き星野仙一さんだったのだそうです。
そして、彼が子供たちを指導する中で一番徹底したのは声を出すこと。そして、結果見事に世界大会で優勝。代表チームには彼自身の長男も選手に選ばれていて、「監督の子供だから(選ばれた)」と必ず言われるのでどの選手よりも厳しく指導したそうですが、大会では見事MVPに選ばれたとか。

 そして今年、桑田真澄氏が15年振りに現場に復帰し、初の投手コーチに就任。
キャンプ中に打撃投手として投げるためか、選手たちの練習終了後に投球練習をする姿に、18番を背負ったエース当時と全く変わらないピッチングフォームを久し振りに目の当たりにして(しかも結構速い)、懐かしさで暫し見惚れていました。
理論派で大リーグ経験などもありながら今まで声が掛からなかったのは、ドンに嫌われたとか。しかし、生え抜きのスター選手だったOBを指導者として活用しないのは球界としても実に勿体無い気がします。
今季キャンプで初めて臨時コーチを務めている同じPL出身の“ミスター・ドラゴンズ”立浪氏も然りですが、その意味で是非実績を残してほしいと思います。
そういう意味では、“ミスター・タイガース”掛布さんも名誉職の飼い殺しみたいな感じですし、監督としても実績も上げた岡田彰布さんも煩がられたのか、その後声が掛からず・・・。特に優勝から随分遠ざかっている阪神なんて、生え抜きOBの岡田さんに再登板を依頼すればイイのに、実に勿体無い(昨年、高橋遥人投手が巨人戦に14奪三振で初完投した“脱力ピッチング”を、岡田さんがTV解説で試合序盤に真っ先に看破していた慧眼に感服しました)。

 コロナ禍の中、ただ家の中に閉じこもっているとストレスが溜まりますので、人が繰り出すであろう週末を避け、天候を見ながら、出来るだけ平日に時折ウォーキングをしています。

 今年は北陸や東北北海道を中心に、大雪を降らせた寒波の襲来等、例年よりも寒い冬ですが、冬には冬の、若しくは冬ならではの楽しみがあります。
しかもそれは、“住めば都”で日本全国どこでもそうかもしれませんが、松本には冬の松本でしか楽しめない風景に出会うことがあります。
そんな、信州松本の“偶然の出会い”をご紹介します。

 先ずは、定番の松本城。 “白鷺城”の真っ白な姫路城とは対照的な、熊本城、岡山城などと同様の黒い城。岡山城と松本城は“烏城”と称されますが、特に松本城は現存する天守閣で唯一毎年黒漆を塗り直しており、その黒漆と白い漆喰の壁とのモノトーンの対比が実に印象的に感じます。
その対比は夜ライトアップされると更に際立つのですが、更に印象的なのが、雪の松本城です。昨年の1月程の降雪ではありませんでしたが、今年1月18日の朝うっすらと2㎝程積もった日に松本城の近くに行く用事があったついでに、お城に寄って撮影した写真です(参考までに、第1519話でご紹介した昨年1月28日の写真も掲載しておきます。因みに、この日の積雪は10㎝でした)。
 次は、こちらも定番の冬の北アルプスです。
これは、1月21日に、久し振りに快晴だったので、城山公園からアルプス公園までの城山遊歩道を歩いてみました。その間は僅か1㎞たらずですが、我が家から先ずは深志高校の下まで下り、そこから城山まで登り、城山公園からは登山道の様な遊歩道で鳥居山を経てアルプス公園まで更に上り、アルプス公園からは我が家へ下るという5㎞程のコース。勝手に、“城山トレイル”と呼んでいます。
城山公園からの遊歩道は結構な急坂もあるのですが、途中はクヌギやナラの広葉樹林で、冬の遊歩道は落ち葉の絨毯でフカフカとしています。そして鳥居山の辺りに来ると急に視界が開け、天気が良い日は北アルプスの絶景が飛び込んで来ます。逆に言えば、北アルプスが見えない天気が悪い日は歩いていてもこの遊歩道の魅力は半減してしまいます。
我が家からは北アルプスは城山々系に遮られて見えないので、城山遊歩道やアルプス公園へ歩く時は、市のH/Pにあるライブカメラ(市役所の屋上からの太鼓門越しに松本城と北アルプスを眺望)で北アルプスが見えるかどうか事前に確認してから行くようにしています(見えない日は行かない)。
快晴のこの日も絶景の北アルプスが白馬方面までクッキリと眼前に拡がっていました。そこで、いつもの様に鳥居山辺りにある東屋で暫し休憩です。
 さて、最後は雪の日の朝の我が家の周辺から。
1月24日の朝、5㎝程の積雪で、水墨画の様な風景が拡がっていました。湿った雪で、午後にはすっかり溶けてしまいました。
長野県は南北に長いので、白馬や飯山の北部は日本海の影響を受けて雪がたくさん降りますが、北アルプスが遮ってくれる中部地方は日本海側の影響を殆ど受けず、むしろ太平洋側が崩れる春先(2月~3月頃)に“カミ雪”(注)と呼ばれる湿った雪が降ることがあるのですが、温暖化の影響か、最近では1月でもたまに降ることがあります。
 冬は、冬ならではの景観があり、楽しみもある。
寒い冬ですが、そう思わないと只々寒いだけになってしまいますが、寒い日々の中でそう思って気を付けて見れば、そんな冬でしか味わえないモノも見つかるかもしれません。

 寒い日の中で、日々そう思いながらも・・・春よ来い!
【注記】
ここでいう「カミ」は「神」や「紙」ではなく、「上」。これは、太平洋側に低気圧があって関東地方の天気が崩れる場合に中信の松本や南信に諏訪などに雪が降ることが多いため、鉄道や道路の「上り」「下り」と同じで、関東地方の天候に影響されての降雪を意味して、上京する場合などと同様に「上」の字を使っていると考えられます。

 今回母屋の片付けをした際、昔の木のリンゴ箱が50箱程あり、そのままでは産廃扱いで、市のクリーンセンター(ゴミ焼却場)にも持ち込めないので、バラシて板材として薪代わりに薪ストーブで燃やすことにしました。
どのリンゴ農家でも、今はプラスチックのコンテナを使っていますが、昔は木箱でした。組み立て用のカット済みの板材(赤松が多かったようです)を買ってきて、自分で組み立て、それぞれの屋号を墨で印刷したとか。
一箱に釘が30~40本も使われていて、壊して釘を抜くだけでも一苦労。少なくとも50年以上は経っているでしょうから、釘も錆びていて簡単には抜けません。何とか釘を抜き、丸鋸で適当な長さに板材を切り、鉈で5~10㎝幅に割って薪にしました。結果、リンゴ箱で10数箱一杯になりました(その箱も空き箱になればまた壊して、結果全部の箱を板材にします)。
そのため、いつもより長時間薪ストーブを焚くことが出来ます。

 北陸や東北など今年は大雪ですし、一時期は諏訪湖が3シーズンぶりの全面結氷し御神渡の出現が期待されたなど(その後緩んで氷が融けて波が立ち、結局今年も「明けの湖」の宣言がされましたが)、今シーズンは寒い冬です。

 保護犬コユキが我が家に来て、二度目の冬。
総じて、知らない人間に対する警戒感は基本的には変わりませんが、家族だけの時は安心して、先住犬のナナが我関せずなのを良いことに我が物顔で暮らしています。時には、嬉しいと興奮して家の中を元気に飛び回る様になりました。コユキにすれば今まで生きてきて初めて安住の地を見つけ、「ビクビクしなくてもイイんだ!」と漸く気付けたのでしょう。そんなコユキが不憫で、何をしてもつい甘やかしてしまいます。
 一方のナナも、時には“我関せず”で居られずに、そんな好奇心旺盛なコユキの行動に影響されることもあります。
例えば、薪ストーブの防火用に床と壁にある大理石。夏、この上がヒンヤリとして気持ちの良いことに気が付いたコユキを見て、今までそこに居るのを見たことが無かったナナも、一緒に寝転がっている様になりました。
そして信州での二度目の冬にも慣れたのか、赤々と炎が燃えていても、コユキが昨年は殆ど近付かなかった薪ストーブの前に来て、時には大理石の上に寝転んで暖を取る様になりました。
 そんな暖かな薪ストーブの前に陣取ったコユキを見て、冬も同様に、ナナも時々前に来て暖を取る様になりました。人間同様にワンコも年を取ると寒がりになるのかもしれませんが、チロルは薪ストーブの傍が大好きで近づいたり離れたりしていましたが、一緒にいたナナは炎が怖かったのか、或いは先住犬で自分より大型のチロルに遠慮したのか、ナナはこれまで13年間の一度も薪ストーブの前で暖を取ることが無かったのに・・・です。
自分が先住犬になったからかもしれませんし、同じ小型犬同士で遠慮が無くなったのかもしれませんが、そんな彼等(彼女等)の何気ない日常の行動を見ていると面白いと感ずることもしばしば。そして、そんな彼らの行動に癒される毎日です。

 年末年始に行われたサッカーやバレーなどの高校スポーツ、或いは大学ラグビーなどのアマチュアスポーツの中で、一番感動したのは今年のラグビーの大学選手権でした。二連覇が予想された早稲田と、 正に“三度目の正直”で、3度目の決勝の舞台での初優勝を目指す天理。
えんじと黒のジャージの闘い。準決勝で、片や帝京に勝った名門早稲田と明治を粉砕して3度目の決勝に挑む天理。結果は天理が下馬評をはねのけて、連覇を狙った早稲田を55-28と攻守に圧倒。見事、同志社以来36年振りという関西勢2校目の優勝を飾りました。

 そして試合後の優勝インタビューでの、天理大松岡大和主将の涙の絶叫インタビュー。第一声の「ありがとうございまーす!!」の大声での絶叫だけかと思いきや、更に「めっちゃくちゃ、嬉しいでーす!!」に続いて、途中、今までの苦しかった過程を想い、その時に支えてくれた大学や応援してくれた地元天理の人たちへの感謝を口にする中で頬を何筋もの涙が伝わり、時折言葉に詰まりながらも、そんな自身の“弱さ”を吹き飛ばして自らを奮い立たせるかの様に、大声で絶叫、絶叫、また絶叫・・・。
今時、これ程までに純朴な若者がまだいるのかと感動し、胸を打たれました。いつしか、こちらの頬にも涙が伝わっていました。

 思えば、昨夏の全国ニュースで流れた「天理大ラグビー部でコロナクラスター発生」の報道。部員170名が寮生活をしているラグビー部で62名が陽性となり、その結果誹謗中傷の声がネット上で広がり、ラグビー部員以外の天理大の学生がアルバイトを拒否されたり、教育実習の受け入れが中止へと追いやられたりしたという報道がありました。
部内でのクラスター発生は、集団の中での感染対策の不備として批判されても止むを得なかったと思いますが、全く接触も無かった無関係の学生までもが、バイトや、ましてや未来ある子供たちを育てる教育現場である筈の地方の教育委員会までもが天理大生の教育実習受け入れを拒否したというのは、余りに行き過ぎだろうと憤りを感じました。

 そんなコロナ禍の中での、クラスター“発生元”となったラグビー部が初の日本一。当事者故に誰にもぶつけられなかったであろうその悔しさと男の意地を以て、与えられた最高の場で最高の結果を出した天理大ラグビー部。
きっと、ラグビーの神様は、その後の彼らの反省と頑張りを見ていたのでしょう。天の配剤とはいえ、対戦相手となった早稲田の“荒ぶる魂”ではありませんが、魂が揺さぶられるような感動的な天理大ラグビー部の優勝と、そんな思いを腹の底から振り絞るかのような、松岡キャプテンの涙の絶叫インタビューでした。
 「イイなぁ~。まだこんな純朴な若者がいるんだなぁ・・・。コロナ禍の世の中、そんなに捨てたモンじゃないなぁ~・・・。」

 今回は富山経由で北陸道に乗ったので、以前奥様が和倉温泉へのバスツアーに同じルートで行った時に、やはりランチで寄った店だという地元富山の回転寿司「番や」でランチにすることにしました。
「番や」は富山IC手前の国道41号線沿いにある結構大きな店舗で、駐車場も広くて大きな看板が目立つのですぐに分かりました。少なくとも、国道41号線で富山県に入ってからICに乗るまでのルート上に回転寿司はこの「番や」だけで、他にはありませんでした。

 松本のお寿司屋さんで最近行っているのは、握りのネタの豊富さで、富山に本拠を置く「氷見きときと寿司」です。富山湾は“天然の生けす”と呼ばれる程の日本でも有数の漁場なので、富山のお寿司は地場の回転寿司でも美味しいとの評判です。海無し県の信州からわざわざ食べに行く程ですので、どこで食べても美味しいのかもしれません。次女は結婚前の航空会社に勤務していた時に、社員割引で同じアライアンスグループの航空会社であれば国内便も安く乗れるので、同僚とわざわざ富山空港へ飛んで空港内のお寿司屋さんでお寿司だけを食べて帰って来たこともあったとか(次女が成田空港勤務の時に何度か行った「江戸ッ子寿司」が、銚子のイワシの美味しさに感動した身としては個人的には番人気だったのですが)。
県外まで進出している同じ北陸の所謂“グルメ系”回転寿司では、「氷見きときと寿司」の他にも、次女の住む横浜での「金沢まいもん寿司」もあり、「根室花まる」など北海道のグルメ系回転寿司同様に都会でも人気店になっています。
この「番や」は「きときと寿司」の様に県外には進出しておらず、今回私メは初めて入った富山の寿司店でしたが、とにかく驚いたのはランチ限定メニューのコスパの高さでした。

 ランチメニューの中から我々が選んだのは、「番やランチ」11貫(860円)と「満腹ランチ」15貫(1000円)。勿論ネタはそれぞれの値段に見合ったネタを使っているにしても、少なくとも海無し県の人間にとっては、いくらランチでのサービスメニューだとしても、そのコスパの良さは信じられませんでした。しかもセルフとはいえ味噌汁も無料。もし地元にあったら、限定20食というワンコインの「びっくりランチ」を食べに毎日通ってもてもイイ位です。確かに、カッパ巻きや握りにゲソや卵も使われてはいるものの、8貫と細牧1本で驚きの500円!
しかもただの“安かろう”の店ではなくて、場所柄我々の様な観光客での一ゲンさんも多いのでしょう、迷っているとカウンター越しに板さんがすぐに声を掛けて教えてくれて、店全体が気持ちの良い応対ぶりでした。
注文した860円の「番やランチ」の11貫には、まぐろ、白身、ネギトロ、アジの他に、北陸らしい甘エビやかんぱちも。また1000円の「満腹ランチ」15貫には、更に穴子やブリ、さす(地元ではカジキのこと)などが加わります。
他に何皿か個別にお好みの握りを注文したのですが、(昼で飲めないこともあって)二人で3000円足らず。この満足感でこの値段!実に感動モノでした。
 因みに、山中温泉からの帰路も、この「番や」でランチを食べるために、富山経由にしました。
今回は、「満腹ランチ」を一つだけ注文し、他は好みで握りを個別に注文。
中トロ、ノドグロ、ヒラメ、エンガワ、イワシ、炙りでもノドグロ、ホタテ、イワシなどなど・・・・。すると、やはり(昼なのでアルコールは飲んでいませんが)一人4千円弱になりましたので、好みだとやはりそれなりの値段になります。でもネタも大きくて、氷見湾の地元で食べる“きときと”(新鮮)な地魚に感激します。お腹も心も満腹になって、
 「どうもご馳走さまでした!!」

 いつになるか分かりませんが、もし次回また金沢方面へ行くとしたら、例え疲れてもカーブだらけの山道をずっと走って、富山で地元の“きときと”なお寿司を食べてから行くか?それとも高山経由で早めに東海北陸道に乗って、オートクルーズで高速道をずっと走って行くか?・・・。フム、何とも悩ましい・・・。
それにしても、さすがは“天然の生けす”と称され、日本海の800種の内500種が取れるという富山湾です。何とも羨ましい、富山の地場の回転寿司の美味しさでした。