カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の東京滞在で先ず行ったのは、クラシックの生のコンサートでも生落語の寄席でもなく、美術展でした。

 向かった先は皇居の近く、竹橋に在る「東京国立近代美術館」。こちらでは、開館70年の記念展として、「重要文化財の秘密~問題作が傑作となるまで~」と題した特別展が3月の17日から5月14日まで開催されていて、もしその間に上京する機会があれば是非見たいと思っていました。
やはり同じ様に思う方が多いのでしょう。この日は平日だったのですがかなりの人気で、一定時間毎に入場人数の制限をして鑑賞が行われていました(コロナ禍の影響もあるのか、以前の東博に比べると制限人数がかなり少なめの様に感じます)。
事前にオンライン予約をしてあると直ぐに入場待ちの列に並べるのですが、予約していない場合は、先ずはその窓口で観覧料を払ってチケットと整理券を貰う必要があります。事前予約していない人の方が多いためにその整理券を貰うのに長蛇の列で結構時間が掛かっていたので、家内がその場でスマホからWEB予約をして、列から抜け出して入場待ちの列の方に並ぶことが出来ました。そうすると入場時に係の方がスマホから読み取ってくれ、チケットを係の方から受け取って入館出来ました。
この日が平日だから大丈夫だろうと思っていたのですが、こうした人気の美術展は、例え平日であっても事前にオンライン予約をしてから行った方が絶対良いと感じた次第です。
 さて、今回の創立70周年の特別展「重要文化財の秘密」は、美術館のH/Pに拠ると、
『東京国立近代美術館は1952年12月に開館し、2022年度は開館70周年にあたります。これを記念して、明治以降の絵画・彫刻・工芸のうち、重要文化財に指定された作品のみによる豪華な展覧会を開催します。
とはいえ、ただの名品展ではありません。今でこそ「傑作」の呼び声高い作品も、発表された当初は、それまでにない新しい表現を打ち立てた「問題作」でもありました。そうした作品が、どのような評価の変遷を経て、重要文化財に指定されるに至ったのかという美術史の秘密にも迫ります。
重要文化財は保護の観点から貸出や公開が限られるため、本展はそれらをまとめて見ることのできる得がたい機会となります。これら第一級の作品を通して、日本の近代美術の魅力を再発見していただくことができるでしょう。』
という様に、今回の見どころは、史上初、展示作品全てが明治以降の重要文化財であることです。更に、
『明治以降の絵画・彫刻・工芸の重要文化財のみで構成される展覧会は今回が初となります。明治以降の絵画・彫刻・工芸については、2022年11月現在で68件が重要文化財に指定されていますが、まだ国宝はありません。本展ではそのうち51点を展示します。』
(期間中入れ替えがされるので、一度に全51作品を見ることは出来ません)
 明治以降の近代日本画、西洋文化を取り入れた洋画や彫刻、そして日本を海外に知らしめるべく伝統技巧を凝らした美術工芸・・・。
色々特別展としてのポイントはあるのでしょうけれど、見終わった後での先ずは個人的な感想は「目の前にあるのは、まるで美術の教科書そのもの・・・だ!」ということでしょうか。
明治維新後のフェノロサと岡倉天心に始まる、近代化の中での日本美術界の歴史そのもの・・・が目の前に展開されているのです。
1950年に制定された「文化財保護法」を受けて、1955年に明治以降の近代美術作品として、初めて重要文化財に指定された第一号の4作品の一つである狩野芳崖の「悲母観音」(東京藝大所蔵)を皮切りに(以降掲載した写真は文中に記載した順番です)、それらが教科書の写真ではなく、或いは記念切手の図案でもなく、教科書で見た通りの高橋由一の「鮭」(東京藝大所蔵)、浅井忠の「収穫」(同左)、黒田清輝「湖畔」(東博所蔵)、そして岸田劉生の「麗子微笑」(同左)などの実物が、現物として次から次へと目の前に展開していく不思議・・・。
それは、特に彫刻で例えて言うならば、高村光雲の「老猿」(東博所蔵)や朝倉文夫の「墓守」などが(萩原守衛「北條虎吉像」は所蔵している穂高の「碌山館」で若い頃見たことがありますので)、教科書や図録の平面写真ではなく、周囲360°のあらゆる方向から眺められるという何だか信じられない様な、現物だからこその感覚・・・とでもいえば良いでしょうか。
因みに、個人的に今回の展示の中で一番感動した作品は、初めて見た朝倉文夫作「墓守」(台東区朝倉彫塑館所蔵)でした。“東洋のロダン”と称された作家の最高傑作です。文化庁のD/Bに依れば、
『両手を背後に組み、わずかにうつむいて微笑する老人の立像。明治から昭和にかけて日本の彫刻界を主導してきた朝倉文夫の作品である。
モデルは、学生時代より馴染みのあった谷中天王寺の墓守であるという。朝倉によればモデル台に立たせると固くなるためブラブラ歩いて面白いと思った姿勢をとり、家のものが指す将棋を見て無心に笑っている自然な姿を横からとらえて作った』塑像とのこと。
その像からは何とも言えぬ哀愁が漂っていて、何だか魅入られたような感じでその前から暫く動けず、その後周囲を回って色々な角度からじっくりと眺めてみました。
         (「母子」上村松園:「わだつみのいろこの宮」青木繁)
 そして余談ですが、今回の美術展で個人的に一番感慨深かったこと。
それは、所蔵元の了解如何であろうことから勿論全てではありませんでしたが、展示品の実に7割(目録に拠ると、撮影不可は51作品中16作品のみで、その大半が今回の特別展用に借りて展示されている、例えば永青文庫や大原美術館などの他の美術館の所蔵作品)がフラッシュや動画以外の撮影OKだったことでした。
           (「褐色蟹貼付台付鉢」初代宮川香山)                    
海外では当たり前でも、国内だと、やれ傷むなどとして(おそらく一番の理由は、勝手にネット上などで使用されたくないという所蔵する側の著作権ではないかと思います)厳しく撮影禁止と云う展覧会が多い中で、いくら経年劣化の少ない明治以降の近代作品とはいえ、今回絵画も含め7割もの作品が撮影OKだったことに驚き、喜び、今回の国立近代美術館のまさに画期的なその“英断”に先ずは拍手を送りたくなりました。
クラシックのコンサートでも、カーテンコールでの撮影がOKだったサントリーホールのシュターツカペレ・ベルリン(第1786話)同様、コロナ禍後の集客拡大目的もあるのでしょうか。しかし、大変良いことだと思います。いずれにしても大歓迎です。今回も多くの拝観者の方々がスマホ等で撮影をされていました。会場で、中には驚いて「えっ、本当に撮影していいんですか?」と尋ねられる方もおられ、展示作品名のパネルにカメラマークが表示されている作品は撮影可能な旨教えてさしあげました。因みに、入り口にある「出品目録」には、逆に撮影不可の作品に×印のカメラマーク(注:赤丸で囲ったのは筆者です)が表示されていました。 
少なくとも、私メや私以上に海外経験豊富な長女の知る限りにおいて、美術展で展示している絵画作品の撮影を禁止している美術館は日本くらい(但し、国内でも劣化のリスクが少ない考古資料は、例えば茅野市尖石博物館の国宝土偶や東博所蔵の国宝や重文の埴輪群などは撮影OK)で、かのルーブルの“世界の至宝”「モナリザ」を始め、欧米の美術館は殆どが写真撮影OKの筈ですので、保存上問題となるフラッシュなど照明器具を使った撮影やビジネス目的での写真撮影は禁止するのは当然としても、個人が記念や記録として用いたい私的な写真撮影については、今回撮影を認めていた(但し今回もフラッシュ使用や動画撮影は不可)国立近代美術館の様に、こうした取り組みが国立のみならず日本国内の公立や私立の美術館にも拡がっていけば良いと思います。

 前回とは話が前後するのですが、長女の婿殿がNYからの香港出張の帰りに日本に立ち寄って、東京の彼女のマンションに暫く滞在。その後、4月中旬にNYへ戻る際、5月のGW明けまでの二週間ちょっと、彼女も婿殿と一緒にNYへ行くとのこと。
しかしその間娘がマンションを無人に出来ない事情があって、彼女の不在中のマンションの留守番を頼まれたとから、今回は長期間となるため、家内だけではなく私メとコユキも一緒に皆で東京に滞在することになりました。
というのも、これまでも一週間程度は家内が手伝い等を頼まれて娘の所に上京することはあっても、二週間以上も不在となるとコユキのことも心配なことから、だったら(別に、我々が松本で何か予定や計画がある訳でも無いので)皆で東京に滞在しようということになり、前回ご紹介させて頂いた様にコユキがリュックでのトレーニングをしていたこともあって、今回は長期間だと都心の駐車場代がバカ高となる車を止めて、コユキも初めての特急あずさで一緒に上京することになりました。
JRは290円「普通手回り品切符」を改札窓口で購入すればワンコも当日乗り降り自由で乗車OKですし、地下鉄や私鉄、バスはクレートなどで(リュックも)顔がしっかり隠すことが出来れば(JRも同様ですが)ワンコは無料で乗車可能です。
因みに、掲載した写真の「手回り品切符」は、世話になった父方の叔父がGW中に急逝したため、5月4日と5日に家内と二人で通夜と葬儀に出席すべく、何とか往復共臨時のあずさの切符が取れたので、急遽コユキも連れて一緒に二日間のトンボ返りで松本へ一時帰省することとなったのですが、その時の松本から東京へまた戻る際の切符です。

 そして今回長期での東京滞在となったので、コユキが繁殖犬の時にブリーダーに声帯を切られたことが原因で我が家でのトライアル期間中に過呼吸気味になり、コユキを保護していただいた埼玉の保護団体の提携先だった狭山市の動物病院で緊急手術をしていただいたこともあって、ナナが亡くなった後の精神状態も手伝ってか最近元気もなく、またハァハァという荒い呼吸も気になることから、4年前の術後に先生から「もし再発したら診せに来るように」と仰って頂いていたこともあり、今回せっかくの機会なので、この東京滞在中に、4年前手術をしていただいた狭山の動物病院で再診していただくことにして、その時に担当していただいた院長先生に上京する前に連絡して、事前に再診日時と念のために手術の予約もさせていただきました。
そのため、今回の二週間ちょっとの東京滞在中、唯一の予定がコユキの動物病院での再診(とその結果に伴う手術)です。
そして、東京滞在中にそれ以外に特別の予定が無いことから、次女の婿殿が病院の当直で不在の日に、次女が孫娘を連れて東京の長女のマンションに一緒に泊まりに来ることと、平日ジジババが観光も兼ねて逆に一日横浜へも行くことになりました。
他にも、何もせずにマンションのワンルームに一日居てもしょうがないので、せっかくですから都会でのウォーキングや東京でしか出来ないことを見つけて過ごそすことにしました。

 今年のGWはコロナ禍明けで4年ぶりのGWはインバウンドの観光客も含め人出はかなり多そうですが、我々も多少の計画をもって都内の小観光をする予定です。我々リタイア組は、本来はカレンダーなど関係無しの“毎日が日曜日”なのですが、今年は我々も“世間並”に人出や混雑を気にしてのGWになりました。

 3年ぶりに人出が戻った、今年のGW。
我が家はその期間中ずっと東京にいたのですが、GWが明けて戻って来ると、北アルプスの峰々の雪がすっかり消え、GW前にはまだ残っていた“常念坊”の雪形も無くなっていました。

 (写真は2月の雪山と、4月桜の頃のアルプス公園からの残雪の北アルプス)
また冬の間は鉢盛山辺りまでと随分南に下がっていた太陽も、大分北に上がって来て、GW明けには常念付近に日が沈む様になっていて、大分夏山の夕焼けの雰囲気に近くなっていました。
そして里山も新緑の装い。黄緑から深緑まで濃淡様々な緑色に彩られていて、日本語は世界で一番“緑”を表す言葉が多いというのも納得の美しさです。そして、ちょうどこの時期は、里山が白く染まるくらいにアカシア(ニセアカシア。正式にはハリエンジュ)の白い花が山を覆い尽くしています。
 5月12日、奥さまのご命令で、洋服ダンスを整理して着ていない服を捨てたいとのこと。既にリタイアした時とマンションへの引っ越し時にも洋服はずいぶん整理したのですが、マンションのクローゼットが一杯なので更に整理したいとの仰せ。
併せて、前の一戸建ての家とは違って狭いマンションですので、無理やりクローゼットに入れていた古い二つタンス(一つは、若い頃社宅に住んだ時に購入して一緒にシンガポールにも行った、懐かしいシステム収納家具の一部。昔の家具なので、しっかりしている代わりにかなり重い)を廃棄して代わりに新しいタンスを購入し、二つを一つに纏めることになりました。何でも取っておきたい私としては、「イヤ、これまだ着れるから・・・」とか「痩せたら、また着るから・・・」とか言うのですが、家内からは「ここ何年も一度も着たことない!」或いは「そんなにビールばっかり飲んでて、痩せられる訳が無い!」と全て否定され、結局半分近くを捨てるハメになりました(トホホ・・・、でもこうして断捨離が少しずつ進んでいきます・・・)。
 そこで空いた二つの古いタンスを、もう軽トラは処分して無いので、トランクスペースがある3ナンバーよりも、むしろ後部座席を倒してフラットにすると軽でもSUVで天井が高く荷台スペースが広くなるハスラーの方に何とか二つ積み込んで、松本クリーンセンターに大型粗大ごみとして持ち込んで処分してもらうことにしました。
 途中、マンションでは昔の自宅の様に自宅で洗車出来ないので、冬の間の塩カル(融雪剤)で汚れた車を(荷物を積んだまま)深ヶ丘のGSで洗車してもらい、山田を超えて平瀬に在る市営の松本クリーンセンターへ。母屋の片付けやマンションへの引っ越しで、何十回と通った道です。
途中、快晴のこの日、余りに山がキレイに見えたので、北アルプスの展望スポット(道路沿いのただの空き地なのですが、北アルプスの絶景が望めるので、アマチュア写真家の皆さんが良く写真を撮っている場所です))に立ち寄って、私もスマホで写真撮影。
GW頃から始まった田植えで、まだ田植えが済んでいなくて、水が張られ代掻きが終わった田んぼがちょうど池の様に見え、この時期だけの風物詩として、下界では水鏡の様になった田んぼの水鏡の様な水面に残雪の北アルプスの峰々が映っているだろうと思います。
 ちょうどその時、偶然FDAの定期便が松本空港へ着陸するために、峰々の上を少しずつ高度を下げながら飛行していました。
着陸態勢を取る機体を眺めながら、嘗てTDA(東亜国内航空)が一番最初に松本空港と大阪伊丹空港間に定期便を飛ばしたのですが、その時に、クルーの間で松本空港へのフライトが“日本で一番美しい路線”と謂われたという眼下に北アルプスを眺めながら、きっとあのFDAのフライトも、今絶景の信州の空を楽しんでいるのだろうと想像していました。

 外国人向けのリゾートホテルの草分け的存在として、創業143年を迎えたという「富士屋ホテル」(嘗ての堤一族の西武VS五島一族が率いた.東急との“箱根戦争”の間隙を縫うかの様に、現在では富士屋ホテルチェーンは嘗て“政商”と云われた国際興業Gの傘下に入っています)。

宮ノ下に在り国道1号線に面していることもあって、箱根駅伝中継にも登場する、謂わば箱根のシンボルとも云える「富士屋ホテル」が、二年以上の歳月を掛けた大規模改修を終えて、リニューアルオープンしたのが2020年7月。
幾つもの高級リゾートホテルが在る箱根で、長女は今度婿殿と箱根に来る時は絶対にこの「富士屋ホテル」に泊まると言っていました。我々はむしろ自然に囲まれて薪ストーブの部屋もある「リトリート」の方がお薦めで、実際カフェに行った時に次女はとても気に入っていましたが、やはり外国から来ると日本情緒溢れる「富士屋ホテル」の方が人気なのでしょうか。
何れにせよ我々は泊まるのはちょっと無理なので、いつもの富士屋ホテルのベーカリー「Picot」での買い物だけではなく(イート・インのコーナーもあります)、たまには優雅に「富士屋ホテル」のカフェで・・・と、今回は日本庭園を眺めながら改装なったホテルの本館一階のティー・ラウンジで珈琲(軽井沢の万平ホテル同様に、富士屋の様なクラシックホテルだとそう書きたくなります)でのティータイムを楽しむことにしました。
奥さまは、富士屋ホテルのビーフカレーと並ぶ名物の“ジョン・レノンも愛した”アップルパイでのケーキセット(2600円)を本来の珈琲/紅茶からカフェオレに替えて頂いて、私メはブレンドコーヒー(1500円)です。こちらのアップルパイは、冷たいままか温めるかの選択が出来るとのことで、奥さまは温めを選択。当然ですが、富士屋ホテルのマークが入り、水墨画の様に白地に藍色で富士が描かれたホテル専用(ノリタケでした)のカップとソーサーのセットなどの食器類も品があって素敵でした。
 今はこちらも改装工事で休業中ですが、軽井沢の万平ホテルのアップルパイもジョン・レノンの好物として有名(しかも、ティーセットのロイヤルミルクティーは、確かジョン・レノン直伝とか)で、以前次女が婿殿への軽井沢のお土産に事前に予約して一箱買って帰りましたっけ・・・。因みに、万平ホテルのアップルパイは信州産の紅玉使用と明記されています。
それにしても余程ジョン・レノンはアップルパイが好きだったのか・・・?(そう云えばジョン・レノンの愛したソフクリームっていうのもどこかにあった様な・・・アップルパイに限らず、彼は余程の甘党か・・・!?)
余談ですが、先日軽井沢で行われたG7外相会議でのこと。新聞報道に依れば、
『先進7カ国(G7)外相会合で、同日誕生日を迎えたブリンケン米国務長官とフランスのコロナ外相をアップルパイで祝福する場面があった。
外務省によると、林氏は同日夜、夕食を共にしながら協議するワーキングディナーを開催。ワーキングディナーの終盤、誕生日を祝う音楽とともに、英国のロックバンド、元ビートルズのジョン・レノンが好んだことで有名な「万平ホテル」(軽井沢町)のアップルパイが提供された。』
最近では、アップルパイ向けにグラニー・スミスというリンゴを使う専門店が日本にも登場しています。グラニー・スミスはオーストラリア原産の青リンゴで、一番の特徴はその酸味。我が国でアップルパイ用に使われて来た紅玉よりも更に酸味が強く、海外ではクッキングアップルと呼ばれ、タルトタタンなどの調理用として使用される事が多いリンゴです。昔の日本では入手出来なかったことから、これまでは代替品種として酸味の強い紅玉が用いられました。しかしその紅玉自体も栽培が少ないため、今では一般的に流通している甘い品種のフジが(酸味を出すためにレモン果汁を足すなどして)使われていることも多いのです。
一口試食してみると、富士屋ホテルのアップルパイは意外と甘く感じたのですが、そこは老舗の富士屋ホテルですので、いくらホテルと同じ名前だからとはいえ、リンゴがまさかのフジではないだろうとは思いますが・・・。
 ドリップ珈琲が1500円というのは、いくら老舗の高級ホテルとはいえ少々お高いのでは?・・・と思うのですが、でもお代わり可能とのこと。従って、二杯飲めば或る意味“普通”のお値段です。
文化財の様な歴史ある館内を見て、ラウンジで日本庭園を見ながらゆったりと、そして優雅に珈琲を(二杯)飲めるのならば決してお高くはないと思います。
 今回、金時山にもシーズン開始の登山も出来ましたし、念願の「やまや」の“どど丼”も二年ぶりに食べられましたし、コユキと一緒に少しは気分転換が出来た箱根旅でした。
もしナナが一緒だったらと・・・(ま、それは言うまい!)

 三年前に初めて小田原漁港(早川漁港)に行った時は、魚市場の2階にある行列の「魚市場食堂」で食べたのですが(第1563話)、ネット評判程の感激が無く、二度目となる一昨年は小田原漁港仲卸「やまや水産」直営という漁港隣の地魚専門食堂「めし家やまや」へ(第1653話)。
L字型のカウンター席のみの10席程の狭い店なのですが、若い店主のお嬢さんはじめ、女性中心のスタッフの働きぶりがきびきびしていて、実に気持ちが良く、そして何より、ここで食べた10数種類の地魚が載った海鮮丼“どど丼”が新鮮プリプリで絶品だったので、昨年も漁港の無料駐車場に停めて「やまや」へ向かったのですが、ナント「本日臨時休業」の貼紙で、止む無く他店を探すことに。しかし「やまや」の入っているビル「小田原水産会館」の同じ一角にある鰺専門店「大原」(アジフライの評判店の由)は行列で、ナント一時間待ちとのことで諦め。
そこで、昨年は「やまや」の2軒隣に「港のごはんやさん」という食堂を発見し、その日のお薦めの中から私メと長女がシラス丼と鯵のセットで、光物の苦手な奥さまは今回もミックスフライをチョイス(第1726話)したのですが、こちらの食堂もアジフライを始め、どれも山国の“海なし県”では食べられない鮮度と美味しさでした。

 そして今年。昨年まさかの臨時休業で食べられなかった、あの“海鮮どど丼”を何としても食べたいと、二年振りの「めし家やまや」一択・・・です!
12時前に到着。この日は平日の火曜日だったのですが、漁港の無料駐車場は既に満車。空くのを待って狭い駐車スペースに何とか駐車し、いざ「やまや」へ。
既に10人くらいのお客さんが外の椅子に座っていて、記帳すると何組もが順番待ち。そこで時間潰しに鮮魚や干物のお店を見て回りました。一時間位はと覚悟したのですが、思いの外回転が速く、30分程で名前を呼ばれて着席することが出来ました。
「やまや」はL字のカウンター席のみ。カウンター越しの厨房も狭く、お客さんが帰られた後の食器の片づけ等に、スタッフは一旦店の外に出てから、お客さん同様に各席の真後ろのガラス戸を開けて入って対応するという不便さ。しかし、そんな不便さも気にならぬ程にテキパキと対応。そしてこの日はスタッフ4名全員が女性のみ。板長を務める若き店主が全ての魚の調理を担当し、汁物や、揚げ物、配膳、洗い場を他のスタッフが各々担当されていました。前回来た時は、女性スタッフに加えて男性スタッフも2名いたのですが、本社の水産会社のスタッフが手伝いに来ていたのでしょうね、きっと。
 この日の注文は、二人共“海鮮どど丼”とアジフライ二枚のサービスセット(税抜き1900円)にしました。前回はミックスフライを頼んだ家内も、今回はせっかくなので、もしアジフライもセットになるならと、相模湾の地魚が載った“どど丼”をチョイスとのこと。ご飯の量を聞かれるので私メは普通盛り、家内が小盛りでお願いしました。
今回も、全て捌いてくれた若き店主さんが“どど丼”に盛られたこの日の地魚10数種類を今回もマグロのほほ肉(写真ではワサビの両側)から始まり、ヒラメ、スズキ、タイ、アジなど順番に説明してくれるのですが、残念ながら全部は覚え切れませんでした。どの地魚も新鮮でプリプリなのですが、特にヒラメはシコシコ、アジはコリコリした食感で身が締まっていて絶品でした。さすがは“日本三大深海”相模湾の地魚です。その十数種類の地魚の中で、家内の苦手な光り物は私が戴きます。
セットメニューで付くこの日のアジフライ。タルタルソースで(好みでカウンターのトンカツソースでも)戴くのですが、サクサクでふっわふわ。やはり地物のアジの鮮度と美味しさは、“海無県”の信州人からすると、羨ましくて溜め息が出る程に全く以て別物です。
それにしても、イワシやアジの光り物がこんなに好きになったのは、考えてみると次女が最初の勤務が成田空港で住んだのが成田だったから。
地元の成田山の参道沿いのお寿司屋さんで食べた、銚子で水揚げされたというイワシとアジ(は銚子では無かったと思いますが)が目から鱗の全くの別物だったのです。いくら流通が発達してもやはりまだまだ敵わない。嘗ての“呼子のイカ”の様に、現地で新鮮なモノを食べてこその本当の美味しさだと感じた次第です。勿論同様に、もぎたてのフルーツなど信州でこそ味わえるホンモノもあると思います。
 二人共、ご飯(丼用は酢飯です)も完食し、漸く二年越しでの念願が叶った「めし家やまや」の“海鮮どど丼”に大満足でした。
 「あぁ、美味しかった・・・ごちそうさまでした!」

 箱根旅行三日目。
この日は、コユキも一緒に箱根観光です。ワンコOKの箱根の観光スポットの中で、選んだのは箱根園。こちらは、西武系のプリンスホテルが運営する芦ノ湖畔のリゾート・レジャー施設です。
目的は、箱根園から駒ケ岳ロープウェイに乗って、箱根火山の中央火口丘である標高1,327mの駒ヶ岳山頂からの絶景。山頂からは、目の前の富士山は勿論、遠く相模湾や伊豆大島、房総半島などぐるりと360度の展望が楽しめ、また山頂には箱根神社元宮もあります。
また芦ノ湖畔の箱根園には樹齢百年のオオシマザクラの大きな一本桜があって、この時期はその花も楽しめるのだとか。他にもレストランや水族館などの有料施設も色々ある様です。

 因みに、箱根には駒ケ岳ロープウェイの他にも大涌谷経由のロープウェイもありますし、また芦ノ湖の遊覧船も二種類あって(発着する桟橋が異なる)、どちらを利用すれば良いのか(しかもお互いの連携も無いので)迷うのですが、これらは嘗て“箱根戦争”と呼ばれて熾烈を極めた、西武グループVS.小田急を傘下に持つ東急グループの企業間競争の名残の由。

 先ずは箱根園の有料駐車場に車を停め、ロープウェイで駒ケ岳の山頂へ向かいます。麓駅の表示に依ると山頂の気温は一桁とのこと。乗車時間は7分で、ワンコはリュックやキャリーケースなどに入っていれば乗車OKです。
前日の金時山登山では姿を現してくれなかった富士山ですが、この日はくっきりとその山容を望め、次第に高度を上げて行くロープウェイからは正に絶景です。100人程乗れるという駒ケ岳ロープウェイですが、半分以上が外国からの観光客の皆さんでした。
山頂駅からは、一周する遊歩道や箱根元宮への登る道があります。この元宮は、箱根神社の奥宮 として1964 年( 昭和39 年) に西武グループが再建したものだそうですが、元々駒ヶ岳は霊峰富士を望む場所として山岳信仰があった場所とのこと。因みに山頂一帯は、リードを付けていればワンコも散策OKです。
360度の景観は、この時期は少し霞んでいて都心や房総半島は見えませんでしたが、富士山と眼下の芦ノ湖は勿論、相模湾や伊豆大島なども見ることが出来ました。
 ロープウェイで戻り、芦ノ湖畔のオオシマザクラへ。この桜は「箱根園」のシンボルで樹齢百年。開園時に寄せ植えされた5本の幹が上手く育って一本の大樹の様に見え、直径22m、周囲が70mにも枝が広がり末広がりに花が咲き、「湖畔の一本桜」と呼ばれています。例年だと4月末が見頃だそうですが、今年はこの桜も一週間早く開花して、残念ながら既にかなり散ってしまっていましたが、“名残の桜”を楽しむことが出来ました。
 その後、元箱根に移動して今年も箱根神社へ参拝。源頼朝を始め鎌倉時代に関東武士の信仰を集めた関東総鎮守であり、また曽我兄弟ゆかりの神社でもあります。
こちらはカートやキャリーケースに入っていれば、ワンコも一緒に境内だけではなく本殿へもお参りすることが出来ます。境内はペット禁止とする寺社仏閣(特に六道の中で三悪道の一つである畜生道とする仏教では)が多い中で有難いことです。
 わが国では、江戸時代のお伊勢さんや金毘羅さんでは、高齢などで参拝出来ない飼主に代わってお参りする犬の代参が認められていたとか。特に伊勢神宮では、飼い主が代参する犬に道中と参拝に必要な費用を犬に括り付けた「おかげ犬」が実在していた記録があり、
『江戸時代の人たちは信仰心が厚く、伊勢神宮までの長い道のりを懸命に歩く犬をサポートし、寝床やご飯を与えることは自身の徳を積めると考えていて、そうして色々な人に助けてもらいながら伊勢神宮へと辿り着いた「おかげ犬」は、伊勢神宮の宮司さんから竹筒に入ったお札を貰い、再び色々な人から助けてもらいながらご主人の元まで無事に帰ったと言われています。』
とのこと。また金毘羅さんにも「こんぴら狗(いぬ)」と呼ばれた代参犬が存在していました。
 縄文時代にも丁寧に埋葬された犬の骨が遺跡から発掘された例がありますが、もしかすると、古来、日本は現代以上に“Dog Friendly ”な国だったのかもしれません。

 4月中旬に元々予約してあった、三泊四日の箱根旅行。
3月になってナナが急に具合が悪くなってから亡くなるまでの二週間のドタバタもあって、すっかりキャンセルするのを忘れてしまい、結果的にコユキだけになってしまったのですが、キャンセル料も勿体無いので気分転換も兼ねてそのまま行くことにしました。

 昨年は、4月上旬の季節外れの降雪で富士吉田から須走が通行止め。そのため遠回りの伊豆経由で行ったのですが、今回は昨年よりも念のため一週間遅いこともあって、富士吉田から須走を経て御殿場経由で行くことが出来ました。途中コユキは車で良く寝ていたので、高速道路ではノンストップで休憩せず、初めて乙女峠のテラス席わんこOK のFUJIMIテラスでランチ休憩。この日は雲が多かったものの、富士吉田や乙女峠からも富士山が良く見えていました。それから箱根仙石原のスーパーに立ち寄って滞在中の食材を調達し、休憩含めて松本から3時間ちょっとでいつものドッグヴィラに到着しました。

 翌日は、我々の“シーズン開幕”初登山として、今回も金時山に登ることにしていました。
今年も昨年同様で些か手抜きではありますが、「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから仙石原からの登山道と合流する矢倉沢峠を経て登るコースです。
  (矢倉沢から少し登ると眼下に仙石原の眺望。左上に大涌谷の噴煙)
登山口の標高が金時神社コースより160mほど高く、箱根町側からの登山道の金時神社や仙石原からの各コースと比べ、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。
金時山は首都圏の中で、アクセスの便が良く手軽に登れる人気の山なので、登山道はしっかりと整備されているのですが、ただ標識のコースの時間表示だけは健脚者向けなのか余りに短すぎて、その時間では普通は絶対に登れないと思います。
この日も快晴予報では無かったのですが、朝早ければ富士も見えるかもしれないと、7時半過ぎから登山開始です。
今シーズンの初登山ということもあり、足慣らしも兼ねてゆっくり歩を進めます。途中、何組かの方々には先に行ってもらい、また公時神社と仙石原ルートとの分岐点で少し休憩もしましたが、ほぼコースタイム通りに1時間10分弱で8時45分前に山頂に到着しました。
 この時期の登山の楽しみで、登山道では先ずは真っ赤なボケの花の歓迎に始まり、芭蕉翁の『山路きて 何やらゆかし すみれ草』の如く、紫のタチツボスミレが至る所に咲いていて、更に中腹くらいまで登って来ると今度は山桜やミツバツツジも咲いていて、木々に覆われて景色は見えずとも登山者の目を楽しませてくれます。
途中、山頂近くの急登で、初老の方が接写して花の写真を撮っておられたので撮影が終わるのを待っていると、恐縮されながら教えてくださったのは、その花は「コイワザクラ(小岩桜)」という珍しいサクラソウ科の山野草で、その名の通り岩場に咲く絶滅危惧種Ⅱ類の日本固有種なのだそうです。ひっそりと深山に華憐に咲く山野草ですが、愛好家の中には採取してしまう輩もいるそうで心配されておられました。そうした山野草は、謂わば『手に取るな やはり野におけ 蓮華草』なのでしょう。
山頂からは、残念ながら今回も富士山は雲の中でした。山頂に滞在中、少し山容が現れた瞬間もありましたが、笠雲か富士の頂上には帽子の様な雲が掛かっていました。
途中我々を軽々と追い抜いて行った、健脚の2歳のフレンチブルの“ジェリー”君も既に到着して休んでいました。聞けば、下りはしっかりリュックの中に入って下山とのこと。揺られるとすぐに寝てしまうのだとか。
このまま山頂に居ても富士山は見えそうも無かったので、我々は頂上で15分程休憩して9時には下山を開始。途中、何組もの方々が登って来られ、登山道の少し広めの所でお互い道を譲りながら待ち合わせ。そのためか、1時間近く掛かって駐車場に下山しました。
登山口に用意されているタワシと水槽で登山靴の泥を洗い落としてから車に戻ると、駐車場が既に満杯で、これから登るためにどこか空くのを待っておられた年配のご夫婦がおられたので、早めに駐車スペースをお譲りして車でホテルに戻りました。
 家内は、最近あまり山登りのトレーニングをしていなかったので登る前は心配していたのですが、思いの外スムーズに登れたと気を良くしていましたので、次回はGW明けにでも、里山の足慣らしで霧訪山と、その次に今年も毎年恒例の三城からの美ヶ原登山でしょうか。

 先住犬のナナがいたので、今までは何をするにしてもどこに行くにしてもいつもナナが一緒。寝るのもいつもナナにくっ付いて一緒に寝ていたコユキでした。そんな毎日だったのが、ナナが突然“虹の橋”を渡ってしまい、コユキにとっては初めての“独りぼっち”。

そのため、“赤ちゃん返り”の様に、寝る時は家内の枕元でくっ付いて寝る様になってしまいました。また、今まではナナと競って食べていたのに、競って食べないと“張り合い”が無いのか、食も細り残すようになってしまいました。ナナが居る時は、ナナの目を盗んではナナの分まで食べていたのに・・・。
また、散歩もナナの後を追いかける様に歩いていたのに、独りだと気乗りがしないのでしょうか。特に家内が娘たちの所に手伝いに上京している時は、特に歩いてくれなくなりました。そして、歩かないと余計食欲が無くなり、ご飯を残すという悪循環。
そこで、いつもの散歩コースではなく、気分転換に新しい場所に連れて行って歩いてみることにしました。
 先ずは松本城公園。そしてアルプス公園と城山公園。更に、我々も初めて散歩に行ってみた信州スカイパーク・・・です。ちょうど桜の時期に、松本のそれぞれの桜の名所を一緒に楽しむことが出来ました。
そして、我々にとってささやか乍ら“新たな発見”は、元々裏庭”の様だったアルプス公園はともかく、初めて行った松本空港の周辺に拡がる信州スカイパークの予想以上の素晴らしさでした。
正式名称は「長野県松本平広域公園」で愛称の“スカイパーク”として市民に親しまれています。
この信州スカイパークは、は、長野県松本市と塩尻市にまたがって位置する日本一標高の高い「信州まつもと空港」を囲む敷地にある長野県最大の県立都市公園です。松本空港の滑走路の周りをぐるりと囲む、県下最大規模の多機能・多目的型公園で、その広さは凡そ140ha、東京ドーム約30個分という広大な公園で幾つかのゾーンに分かれていて、その周囲に14ヶ所もの無料駐車場があるそうなので、「松本山雅」のホームゲームがある日を除けば駐車場に困ることは無さそうです。
アルプス公園もですが、ここも無料なので(子供用の施設の中には有料のものもあります)、お弁当持参で遊具などで一日楽しんだりする家族連れや、一周10㎞のウォーキングコースも設けられているので黙々と歩いたりといった健康づくりに励むシルバーエイジなどにもお薦めですし、広い芝生の広場などもあるのでワンコの散歩にも最適です。
但し、我が家のコユキはそんなに長くは歩けないので、ドッグ用のリュックを買って、目的地まではリュックの中に入って行き、到着してから外に出て散歩です。でも環境が変わって気分転換になるのか、どこに行ってもいつものコースよりは歩いてくれます。そしていつもよりもしっかり歩くと、お腹も減ってご飯も残さず完食という好循環。
 更に副産物として、散歩用に購入したリュックに入っていると、JRの電車にも一緒に乗ることが出来ます。因みに電車にはカートでも乗車可能ですが、我が家のカートはナナとコユキが一緒に入れる大きなタイプなので、リュックの方が移動は楽。これまでカートを折り畳んで車に積んで行って、旅行先の公園などでは使っていましたが、ワンコ連れで電車に乗ったことは一度もありませんでした。但し、乗車中は顔が出ない様にしないといけませんが・・・。手荷物扱いとなり、一駅でもどんな遠距離でも、普通でも特急でも何度でも一日290円で乗り降り自由で、或る意味乗り放題です。
そこで、生まれて初めて電車に乗って諏訪湖畔公園へ。そして、電車移動に慣れるように間を置かず、木曽の奈良井宿へも行ってみました。
余談ですが、奈良井宿の「松屋茶房」。こちらは二匹のトイプーの看板犬ショパンとピアノがいるので、ワンコ入店OKの喫茶店です。そこで今回もお休みすると、ナント、こちらも父親犬のショパンが亡くなった直後でした。そのためお互い亡くなった時のワンコの様子を話しては、皮下点滴など、偶然の同じ様な状況を伺いながらお互い涙にくれていました。

 今回の電車での移動の一番の目的はコユキの気分転換なのですが、結果としてリュック使用の“副産物”として、我々も含めてこれまで車だけだった我が家の行動範囲が、少しでも(例えば、今までは例えフェリーを使ってでも車では行く気にはなれなかった九州や北海道へも、もしも電車だったら行けるかなぁ・・・)拡がればと思っています。