カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 些か古い話で恐縮ながら、昨秋のこと。
家内が次女の所に家政婦に行って不在。一人では特にやることも無いのですが、
 「ちったぁ、体も動かさんとイケネずら・・・」
と、いつものルートを独りでウォーキングに行ってみることにしました。

 ウォーキングの後、家の近くの日帰り温泉で汗を流すべく、風呂道具を車に乗せて日帰り温泉「瑞祥」のある渚ライフサイトに車を停め、そこから宮淵の急坂を上っていつもの城山公園へ。そこから下って塩釜神社から松本城公園を経由して、四柱神社と“天神さま”の深志神社にお参りし、駅経由で渚ライフサイトに戻るコースです。ライフサイトからだと7㎞位でしょうか。
北アルプスはこの日は雲の中で全く姿が見えませんでしたので、“城山トレイル”でアルプス公園まで足を延ばすのは止めました。その代わりに、城山を下った処に在る正麟寺の墓地の、川島家の墓地に眠る川島芳子のお墓を見学し、お参りもして来ました。

“東洋のマタハリ”と呼ばれた清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第十四王女にして、信州松本藩出身で粛親王の顧問だった“大陸浪人”川島浪速の養女となり、戦争に翻弄され数奇な運命をたどった川島芳子こと愛新覺羅顯㺭(あいしんかくらけんし)。
松本高等女学校(現松本蟻ヶ崎高校)に聴講生として通学していて、毎日自宅から馬に乗って通学したそうですが、実際母が同時期に松本高女に通っていて(かの草間彌生女史も同級生)、実際馬に乗って通学する姿を見ていたそうです。
正麟寺の墓地に立ち寄ってから、次女の所に孫たちの世話に行っている奥さまに変わり、塩釜神社、四柱神社、深志神社(天神さま)に代参でお参りしました。
 途中、開智学校から松本城公園を経由して行くのですが、快晴の青空の下、ちょうど菊花展が黒門手前の広場にテントを張って行われていました。コロナ禍前は、本丸庭園内で実施されていた筈ですが、この方がたくさんの人に見てもらえるので良いかもしれません。

お城は、もしかすると日本人観光客より多いかもと思える程、インバウンドの外国人観光客の方々がたくさんおられ、街中を歩いてもなぜか松本は(高山と共通ルートで観光する人も多いためか)欧米人の皆さんが目立ちます。
以前、家内と“サムライ・トレイル”馬籠妻籠間や藪原から鳥居峠を越えて奈良井宿までの中山道を歩いた時も、ドイツからの老夫婦のカップルやオーストラリアからのトレッキングのグループの皆さんなどと一緒になりましたが、松本城もそうした“サムライ”人気の一つなのかもしれません。