カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

  “師走の都大路を走る”。
12月24日に京都で行われた、恒例の全国高校駅伝。男子は佐久長聖高校、女子は鹿児島の神村学園が優勝しました。
佐久長聖は、1997年兵庫の西脇工業以来26年ぶりとなる、留学生の居ない日本人選手だけのチームで大会記録を更新しての優勝。女子の神村学園は最終区1分20秒という大差を最後のゴール直前で“差し切り”、1秒差での劇的な逆転優勝でした。
特に女子は、1分以上の大差を付けながら、僅か1秒差で逆転を許した仙台育英のアンカー選手がゴール後泣き崩れ、立ち上がることも出来ない程のショックで残酷な程打ちひしがれていたのが印象的でした。
しかし乍ら想うに、では仮に総合成績(タイム)が変わらなかったとして、仙台育英も2区を走った留学生選手の区間賞で首位に立ちましたが、もしお互いこの同一区間にケニア人留学生を使い、そこで神村学園優勝の立役者となったカリバ選手が独走し、その後最終区までに仙台育英が徐々に追い上げても最後追い切れず、結果ゴール前1秒差で負けて同じ2位だったとしたら、果たして仙台育英の受ける印象はどうだったのでしょうか?アンカーの女子選手は勝てなかった悔しさは勿論あるでしょうが、或る程度追い上げたという達成感を果たしてゴール後に感じられたのでしょうか???

 高校駅伝大会に初めてケニア人留学生選手を出場させたのは、誰あろうその仙台育英自身でした。
仙台育英高校が大会史上初めてケニア人留学生を2名ずつ出場させて、男女初優勝を飾ったのが1992年。以降、留学生選手の起用に関して後追いでの規制ルールが生まれ、1995年にはチーム1名のみとなり、最初から留学生が独走して圧倒的な差が付いてレースそのものの興味が無くなるとして、2008年からは最長区間である1区での留学生起用が禁止され、更に2024年の大会からは最短の3㎞区間のみでの留学生起用となるとのこと。

 考えてみると、今年の神村学園も、仙台育英も、そして最近の倉敷や嘗ての名門で復活した世羅も、そして少し前の豊川も、全て留学生頼みで勝ってきた(もし関係者に異論があるとすれば、少なくとも留学生起用で“強くなってきた”)高校です。
因みに過去10年での日本人選手だけでの優勝は、男子では佐久長聖の2回だけ。女子は昨年の長野東まで4回です(仙台育英は2021年に一度だけ留学生を使わずに優勝しています)。因みに、長野東は県立高校で且つ全員が県内出身者というのも、いくら“駅伝長野”(但し、どちらかというと都道府県対抗で最多優勝を誇る男子で云われる言葉ですが)とはいえ、本当に凄い快挙だと思います。
因みに、その“駅伝長野”の長野県男子チームは昨年末の佐久長聖の“都大路”優勝の勢いに乗って、今年の2024都道府県対抗駅伝でも二度目となる三連覇を達成し、ぶっちぎりで通算10回目(2位は兵庫県の5回)の全国優勝を飾りました。

 さて、高校駅伝男子で過去最多11回の優勝を誇る嘗ての名門広島世羅は、長い低迷から復活した2006年以降の優勝6回は全て留学生を擁し、同様に8回優勝の仙台育英も全て留学生、最近の倉敷も3回全て留学生がチームの圧倒的切り札として活躍しています。また女子でも優勝5回の仙台育英は4回、また最近はあまり名前を聞きませんが、過去4回優勝の豊川も全てケニア人留学生を擁していました。
その愛知県の豊川高校では、2009年だったか優勝に貢献した留学生選手が失踪し行方不明になったケースなど、中には留学生選手を優勝するための単なる道具としか見ていないと感じられる様な事例さえ散見されたのも事実です。ただ、今年の神村学園はその留学生のカリバ選手がキャプテンで、精神的にも自らチームを引っ張っていましたし、監督始め選手も学校も彼女を“助っ人”としてではなく、ちゃんとチームの“仲間”としてサポートしているのが感じられ、優勝インタビューを見ながら少しは安堵したのを覚えています。

 駅伝に限らず、バスケット、ラグビーやサッカーなどでも勝つために海外から留学生を招聘している高校が多くあります。
中でも、圧倒的走力のケニア人留学生が出場する駅伝や、2mを超えるセネガル人留学生選手がリバウンドを拾いまくるなど、長身選手が圧倒的に有利なバスケットボールではとりわけそれが顕著(嘗ての名門、秋田の県立前能代工業は残念ながらそうしたチームに押され低迷を余儀なくされています)ですし、チーム強化の“即効性”になります(しいては高校の知名度アップによる、最終的に特に私立高校は学園経営というビジネスとしての生徒確保に繋がるのでしょう)。
勿論、ラグビーやバスケットの様に、卒業後も日本に定着し日本代表として活躍する選手もいますし、国際化の流れの中で日本で生まれ育った外国人の親を持つ子供たちが、その身体的能力を活かして日本代表としても活躍するケースが陸上やサッカー、バスケットなど色んな競技で出て来ています。
また留学生の中には、持って生まれた能力を活かし、競技を続けるためには貧しい母国を離れ恵まれた環境を求めて来日する選手もいるでしょうし、そうした力のある留学生選手と競うことで、日本人選手も力を付けるという相乗効果の面も無いことはないでしょう。

 社会全体が、もはや“国際化”などという言葉自体が不自然な程ボーダレスな世界になっていますし、例え極東の島国であっても、あらゆる分野においてそうした状況がますます加速していくのは間違いないでしょう・・・。
(先日行われた今年のミスインターナショナルで、ミス日本にウクライナ人女性が選ばれたことに賛否両論がある様ですが、コンクールが「大和民族」であるミス“日本人”を選ぶのではなく、ミス“日本”選出であり、5歳から日本で暮らして日本国籍がある彼女が、周囲も心配したという、出場することで批判されるだろうことを重々承知の上で「日本で育った自分の“日本人”としてのアイデンティティーを確認したかった」という彼女を応援したくなりましたし、こうした“日本人”が間違い無くこれまで以上に“極自然”に増えて行くと思います。)
しかし、そうであれば、迎える側も単なる“助っ人”としてではなく、チームの“仲間”として授業中もほったらかしにせず(何か問題が起きたら即退学処分で帰国させるのではなく)、ちゃんと日本の生活に馴染める様に日本語を含めしっかりとサポートしてあげることが必要でしょう。
そうすれば、中には日本の生活に馴染んで(帰化するかどうか別にして)卒業後も日本に定住する選手ももっと出て来るかもしれません。そうした意味での国際化が、“スポーツにおける真の国際化”に繋がるのではないでしょうか。