カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の京都で、観光目的で唯一拝観したのが「蘆山寺」でした。
閑散期となる冬の観光キャンペーン「京の冬の旅」の特別公開文化財の中の一つです。

 当初は前話の「出町ろろろ」に行く前に参拝するつもりだったのですが、予約時間までに参拝し終わるか不安だったので、蘆山寺へは食後に行くことにして、先に梨木神社に寄ってみることにしました。
梨木神社は明治の英傑三条実美等を祀った、古都では新しい神社ですが、境内に京都三名水という“染井の井戸”があり、また“萩の寺”でも知られます。その名水の井戸には、地元の方々が次々に水を汲みに来られていました。また境内のたくさんの萩は、秋の花の季節が終わった後、殆どは株毎刈り取られていて、来る春に向けて養生している様でした。

         (写真は梨木神社境内の「染井の井戸」です)
梨木神社に参拝し、まだ予約までには少し時間があったのでその後御苑へ。
観光シーズンで無いためか、嘘のように静か。春と秋に公開される京都御所は何度か見ていますが今は視ることはできません。ただ、申し込みをすれば拝観可能という仙洞御所に数人いたくらいで、あとは散歩を楽しむワンコ連れか、通勤通学で御苑の中を通行させてもらう地元の方々が散見されます。
中立売方面に行けば、「蛤御門」があり、御所の北側には「令泉家」など、千年の都にはそれこそ歴史上の名所がごろごろしています。
御所の周りの旧宮家など公家の舘が立ち並んでいたところは、今は松の木を始め木々が植わっていて、林を形作っていて広大な公園になっています。林の中にはサザンカの大木がちょうど満開でした。
 昼食後、今出川から寺町を下がって蘆山寺へ。
学生時代に大学がすぐ近くだったので、空き時間に一度拝観したことはあるのですが、その時は他に拝観者は誰もいなかった様に思います。
今回ちょうどNHKの紫式部を取り上げた大河ドラマの影響か、結構混んでいました。ただ、この場所に紫式部の邸宅があった場所と推定されているだけで、実際の蘆山寺は天台宗のお寺で、平安時代を生きた彼女とは無関係なのですが、住吉派の絵師による源氏物語「若紫」や「絵合」の図、また「源氏絵屏風」などといった源氏物語関係の絵画や資料を観光用に展示し、また平安時代を模して白砂と苔と桔梗を配した「源氏庭」など盛んに紫式部との繋がりをPRしていて、10人程拝観者が集まると部屋毎に説明をしてくれていました。
そうした中で、むしろ「紫式部」よりも個人的に興味深かったのは、今回の特別公開の元三大師堂に安置されたご本尊の阿弥陀三尊座像(重文)と鬼のような形相の「鬼大師像」、そして天台宗絡みとかで明智光秀が戦の陣地へも守り本尊として持って行ったという、念持仏の地蔵菩薩がとりわけ印象的でした。
これは織田信長が天台宗の総本山である比叡山延暦寺を焼き討ちにした際、明智光秀の進言により、同じ宗派の蘆山寺(当時は別の場所に在った由)が被害を免れたため、その縁で光秀の没後に当寺へ納められたのだそうです。
その光秀の念持仏は信心深く崇められたのか、顔が撫でられて彫が浅くなっていて、何となく非業の最後を遂げた持ち主の“もののあわれ”を感じ、今回特別拝観で見ることが出来て大変感慨深く感じました。

秋には紅葉と共に、桔梗の花が彩るという源氏庭。蘆山寺のパンフレットにはこう記されていました。
『源氏庭は平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白砂と苔の庭です。源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことであり、紫式部に因み、紫の桔梗が6月末から9月初め頃まで静かに花開きます。』・・・と。
その桔梗は土岐一族の家紋であり、その「桔梗紋」の中でも「水色桔梗紋」を家紋とする一族の明智家にこそ、むしろこの庭の桔梗は相応しい・・・。そう感じたのは果たして私だけでしょうか。
 そして、帰り道の京の街中で見掛けたヒイラギの花。
とげ状の鋸葉を持つヒイラギは古来悪魔除けの木として知られますが、ヒイラギの花はそんなイメージからは程遠い、華凛な白く小さな花を冬に咲かせます。人知れず、奥ゆかしくひっそりと冬に咲くその花は、何だか古都の小路にこそ相応しい・・・。
たった今、光秀の念持仏を拝んで来たせいでしょうか・・・、そんな気がしてなりませんでした。

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