カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 4日目の京都。翌日はチェックアウトしてからそのまま松本へ移動するので、この日が今回4泊五日の京都旅行での実質最終日です。

 冬の京都なら雪が降ってもおかしくないのに、この日は朝から生憎の雨模様。もし天気が良かったら、家内がこれまで行ったことが無いとのことで、今回の「冬の特別拝観」の一つだった門跡寺院の御室仁和寺で、有名な御室桜はさすがにこの時期は見られませんが、御所の紫宸殿を移築したという金堂(国宝)が今回特別公開されているので、久し振りに仁和寺へ行こうかと思っていたのですが、この雨降りでは奥さまから「絶対、No!」で諦め、結局この日はお互い別行動となりました。

 そこで、先ずは一緒に一旦ホテルのスタッフから薦められたお漬物屋さん、川端二条の「加藤順漬物店」に行って、娘たちやお義母さんなどへの今回の京都旅行のお土産と自家用含め買ってから、家内は一人戻って、京セラ美術館のカフェでランチも含め昼過ぎまでまったり過ごすとのこと。
片や私メは、先日八坂神社の後に見つけられなかった、四条通の祇園に在る筈の「原了郭」へ。以前長女がお土産に買って来てくれた黒七味が終わったので、この日再チャレンジして買いに行くことにしました。

 「原了郭」へは漬物屋さんの在る川端通からは祇園方面へ下がるので、せっかくですから、先日山種美術館で確認出来た東山魁夷「年暮る」に描かれた「要法寺」本堂を、途中の道すがらこの目で実際に確かめることにしました。
二条通には当初私が間違えた「妙伝寺」があるのですが、過日紹介した山種美術館「聖地巡礼展」(第1864話)の通り、妙伝寺の本堂の屋根は東西に向いているので、「年暮る」に描かれたお寺の大屋根とは向きが違います。
           (上の写真は東山二条に在る「妙伝寺」)
「要法寺」は東山三条とのことでしたので、その辺りを目指して下がって行きます。三条通に出ましたが見つけられず、細い小路を上がって行くと、それらしき屋根が見えたので、そちらを目指して歩を進めます。
 すると・・・在りました!
知恩院や南禅寺など京都の大寺院を見慣れた目からすると、要法寺の境内や本堂は決して大きなお寺さんではありませんが、もしこれが京都でなかったら十分に大きくて立派なお寺でしょう。

勿論目の前の風景は、画伯が描いた昭和40年代当時(「年暮る」発表は1968年)の京都ホテルの上階か或いは屋上から見た角度ではなく、半世紀以上が経った地上から見上げた景観になります。
でも境内で一番立派なその本堂は確かに南北に大屋根が向いていて、この要法寺本堂が間違い無く東山魁夷の「年暮る」の中に描かれたお寺の大屋根であることが認識出来ました。
因みに、この要法寺も妙伝寺もどちらも日蓮宗(要法寺は日蓮宗から分かれた日蓮本宗)のお寺さんでした。

  
 お目当ての黒七味等を買った、祇園「原了郭」からの帰り道。
先日、四条大橋から見た鴨川が思いの外濁っていたのが気になっていて、
  「上流では、こんなに水が濁る程の雨でも、どこか極地的に降ったのだろうか?」
と、その時に訝しく思ったのですが、昨日蘆山寺からの帰りに川端付近での鴨川への疎水合流口で見ると、上流の鴨川は濁っておらず、いつもの鴨川の透き通った流れで、疎水から流れ込む水が白っぽく濁っていたのです。
この時期、蹴上付近から学生時代合唱団の定演などで何度も歌った懐かしの 旧京都会館、現在のロームシアターを囲んで流れる疎水では、溜まった大量の土砂を取り除くために疎水の中に何台もの重機が入って浚渫工事をしていたのですが、四条大橋で見た鴨川が濁っていたのは、その浚渫工事で濁った水が川端二条辺りで鴨川に流れ込んでいるためだったのでした。
  「ナルホド!もしかするとこれも或る意味、閑散期の冬の京都でしか見られない光景なのかもしれないな!・・・」
と歩きながら独りごちて、家内と合流すべく京セラ美術館へ向かいました。