カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 まさに五月晴れと言えるようなGW中の快晴の一日。
“風薫る”という言葉が相応しい朝、コユキとクルミをドッグカートに載せて、散歩がてら松本城公園へ歩いて行ってみました。

 現在、松本城では幾つかの工事が行われています。
一つは今年の1月から始まった、松本城公園内の旧博物館の解体工事です。工事は今年の10月末までの予定で、 工事に伴い南側入口土橋の通路が狭くなっていて、「本来の登場ルートである、太鼓門から入城しましょう」という呼び掛けが行われています。これは、嘗ては大名町から松本城を結ぶ現在の土橋はなく、本来のお城の正門である東側の市役所側にある太鼓門から黒門へ至り、本丸へ入城するのが登城ルートだったからです。
この旧市立博物館は「日本民俗資料館」とも言っていて、国の史跡である松本城内では新たな建設が出来ないことから、昨年秋に大名町に新たに建設移転され、古い建物が解体されているのです。
元々この場所には城主の私邸の古山地御殿(こさんじごてん)がありました。
松本城の本丸と二の丸には本丸、二の丸、古山池の三つの御殿が建てられていて、その一つが古山池御殿です。そして、博物館が建てられた後も、館内には井戸が残されていたのですが、これが「ててまがりの井戸」。
「ててまがり」とはカタツムリのことで、嘗ては外縁部が、でんでん虫の殻のように見えたことからその名が付いたのだそうです。
古山池御殿は城内で最初に建てられた御殿で、本丸御殿完成後は離れとして使われ、享保十二(1727)年の本丸御殿焼失後は再び城主の居所になっていました。明治になって廃城後は取り壊され、明治十七(1884)年に旧制松本中学校(現在の深志高校)が建てられますが、この井戸はその時代も現役として活用されていたそうです。
因みに火事で焼けた本丸御殿の跡地は、明治時代には松本中学のグランドになっていて、昼休みにはヤンチャな学生が天守閣の屋根に登り、鯱鉾(しゃちほこ)の様に逆立ちすることもあったとか・・・。
 また、昨年の11月から今年の12月まで、内堀南西部の浚渫(堀の中の堆積物を取り除くための作業)が行われています。
説明書きのパネルに依ると、
『松本城のお堀の浚渫のため、松本城公園内で作業を実施しています。
・11月18日(月曜日)から令和7年12月末までの間、北西トイレの南側に浚渫した土を脱水するための設備が設置されます。
・11月25日(月曜日)から令和7年12月末までの間、内堀の南西部に操船管理室が設置されます。また、操船管理室周辺で浚渫台船の組み立て作業等を行います。
・令和6年12月中旬から令和7年12月末までの間、内堀南西部の浚渫を行います。』
とのこと。

ヘドロが堪り水深も浅くなってしまい、内堀浄化は永年の課題だったのですが、国宝ということもあって工事方法については色々試行した結果、現在の方法が決定されて漸く工事の運びになり、先ずはこのエリアを皮切りに、内堀の浚渫工事が順次進められて行きます。
ブラタモリで紹介された様に、松本城の堀の水は湧水が使われていて、水そのものはキレイなだけに、一日も早く透き通ったお堀が蘇って欲しいものです。
 そして内堀の北西の角に在る埋橋。朱塗りの八ツ橋型の橋はモノトーンの城とのコントラストが美しい撮影スポットです。しかし老朽化が進み、平成23(2011)年の県中部地震(松本地震)以降、通行止めになっています。
松本城は天守閣は国宝ですが、この赤い埋橋は昭和30(1955)年の天守解体復元工事に伴って、当時の議会の提案によって観光用に建設された橋で、文化財として整備される対象ではないのですが、松本城を訪れる観光客にとっては、撮影スポットとして人気がある場所です。特に雪の日は真っ白な雪景色の中に佇む黒いお城に赤い橋が良く映えます。
しかし、江戸時代当時にはなかったもので文化財的価値が無いとのことから、建て替えは認められないのですが、市が文化庁と数回にわたって協議を重ねてきた結果、「橋の建て替えは極めて困難だが、既存の橋脚を用いた修理であれば可能」ということで、今回修理が行われています。但し、完成しても昔の様にこの橋から城内(埋門)への入退出は出来ません。
 また、現在松本城では先述の通り懸案だった内堀の浚渫工事が進められていますが、嘗ての松本城の堀は、本丸に近い方から内堀、外堀、総堀の三重になっており、現在残っている堀の面積の約4倍の広さがありました。しかし、明治維新を迎えると、堀は徐々に埋め立てられ宅地として利用され、南・西外堀も大正8年から昭和初年にかけ埋め立てられたとされています。
市ではその外堀跡を嘗ての水堀に復元させるため、絵図資料や発掘調査等をもとに、水をたたえた堀の実現に向けて、調査・研究を進めてきました。そして、長年宅地などになっていた外堀跡を10年程前から買収を進め、昨年秋に全ての用地を取得出来る目途がつき、併行して移転と発掘作業が進められてきました。
南側では既に発掘調査も終わり埋め戻されて空き地になっていますが、発掘を担当した文化財課が所属する市の教育委員会のテントだけが在りました。国の史跡なので、復元工事もそう簡単ではないと思いますが、因みに松本城のお堀の水はお城周辺で湧き出す湧水が使われているのですが、今後復活する外堀を満たすのにも十分な湧水量なのだそうです。その「平成の名水百選」にも選ばれている松本城下の湧水を湛えた外堀が復活するのが今から楽しみです。
(内堀浚渫工事の図と外堀の完成予想図は市の資料からお借りしました。また掲載の写真は当日だけでなく、これまで何日間かで撮影したモノです)