カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年の箱根駅伝。花の2区での日大ダニエルや東海大一年生の村沢、そして佐久長聖で村沢と同期の駒沢大千葉の山下りでの快走もありましたが、今年も往路5区山登りでの東洋大柏原の驚異的な逆転の後は、波乱の無いレースで終わりました。
 下の子も自分の大学を応援せず、村沢を応援。そして、襷渡しの後中継所でコースに一礼する選手を見る度に、「あっ、この選手は“いい人”!」と感動していました。確かに清々しさを感じます。

 さて、私が印象的だったのは、昨年無念の途中棄権となった城西大石田選手の区間2位での必死の力走と、優勝インタビューで、連覇で冷静だった選手達とは対照的に、嗚咽をしながらの東洋大酒井監督の談話でしょうか。重圧もあったであろう就任一年目の青年監督らしい様子が微笑ましく感じられ胸を打ちました。
今年は自粛した昨年の分と合わせて二年分の胴上げです。
一方、東洋大連覇の陰で、間違いなく優勝の基礎を築きながら部員不祥事で辞任せざるを得なかったオリンピック・ランナー川嶋元監督のことが思い出されます。

 山登り「だけ」で決まったレースへの批判もあるようですが、それはお門違いと言うもの。確かにレースとしての面白味には欠けたものの、皆チームが勝つために一秒でも早くと必死に走っている以上、「早すぎる」ことへの批判は的外れでしょう。むしろそうした的外れの批判が、あたら才能ある若者を潰してしまわないか心配です。来年は、柏原選手の更なる飛躍のためにも、彼の独走を阻む選手の出現に期待します。
一昨年の春の伊那駅伝で、コース変更前の高遠の急な上り坂を区間新で快走した木曽楢川出身の村沢選手などは、さしずめその候補ではないかと勝手に期待しています。
【追記】
因みに高校時代貧血症で全国的には無名だった柏原選手が、全国デビューを果たしたのは昨年の箱根駅伝という報道がされていますが、その1年前の高校三年の冬。2008年都道府県対抗の1区(高校生区間)で、その年の各高校の有力選手に混じり、当時全く無名だった彼が福島県代表として最後抜け出して区間賞を取ったのが初めてだったと記憶しています。この時は、既に大学進学が内定していたでしょうから、東洋大学のスカウティングの勝利です。