カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先週末、どういう風の吹きまわしか、奥様からマックの「チキンタツタがどうしても食べたい!」との仰せもあり、家事で忙しく外出不能とのことで、止む無く買出しに松本駅前店へ。土曜日は終日剪定作業で時間が無く、日曜はハンバーガー片手に駅伝観戦(最近では漸く浸透しつつあり、高校駅伝と都道府県対抗は、この長野県民に何を言っても無駄!とご理解?いただけたようで)にちょうどいいかも?という次第です。

 アパレルのユニクロと並んで、ファーストフードではマックの一人勝ち(増収増益)との日経報道がありましたが、確かに混んでいます。高校生たち?の列(注記)に混じり、中年オヤジ独り並ぶのも多少恥ずかしくも無いではありませんが、家でお腹をすかせて待つ奥さまのために(ここで「混んでたから・・・」などと帰ったものなら、多分一週間は愚痴られそうですので)意を決して待つこと暫し。ところがチキンタツタはキャンペーン期間終了とのこと。こんなことなら、同じ駅前にあるモスでも良かったかとは後の祭り。止む無く、同じ鶏ゆえチキンフィレオと期間限定のテキサスバーガー、マックポーク+サイドディッシュを買ってご無事帰還。やれやれ。(・・・と思いきや、奥様によればチキンタツタは油で揚げていないのでヘルシーだそうですが、フィレオは揚げてあるからとのダメ出しがあり・・・トホホ)
 個人的には、マックポーク(発売当初はもう少し粗引きだったような気がしますが)と今はメニューに無いマックリブがお薦め。でもハンバーガーは、やっぱりバーガーキングの方が好きだなぁ・・・。そう言えば、シンガポール時代は、良く家族でバーガーキングのお世話になりました。無料のチリソース(辛いの大好きシンガポーリアンには必須アイテム)が断然(ニンニク効き過ぎの)マックより美味でした。一年程前に奥様と次女が、長期出張中の長女の慰労にシンガポールへ行って来た時の何よりのお土産(他にもちゃんと頂きました)がバーガーキングのチリソース。カウンターで事情を話したら大量にくれたとか。南国らしいこの大らかさがイイよなぁ。有難く大事に使っていまして、まだ半分残っています。
バーガーキングは、日本では一度撤退し、確か今度はJTと組んで数年前に東京に再上陸していますが、松本には来ないでしょうね。
また、大昔初めてロスに出張して、英語も出来ぬ私に代わって現地赴任者の先輩が昼食で買ってくれた車での出張販売のハンバーガー。まるでステーキ肉のようで旨かったなぁ、これが“本場の本物”かと・・・。

 さて、なぜかフライドポテトがチロルの大好物。肉を焼いても知らん顔なのに、ポテトの匂いを嗅ぎ付けるともう大変な騒ぎ。止むを得ず、小さくちぎってお裾分け。チロルもご満足な様子。変な犬だなぁ・・・、塩分取りすぎは良くないよ!チロルってば、さ。(ナナは昼間母の所に行っているので、幸いにも不在です)
【注記】
シンガポールでは、(恐らく空港のイミグレを除いて)銀行も郵便局も、こうしたファーストフード店も順番待ちは必ず一列で、空いたカウンターにその列の順番から進む方式。その方が公平だと、カウンター毎に並ぶ日本の方式には違和感がありましたが、最近は日本でも(例えばJR「みどりの窓口」など)一列に並ぶ方式が徐々に浸透してきました。いいことだと思います。

 松本市のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール、通称「音文」)へこの秋から冬にかけて何度かコンサートに行ったこともあり、「どうせなら」と昨年末にハーモニーメイトに会員登録し、先日漸く会員カードが届きました。

 年末に電話で確認をしたら、郵送だと時間と銀行振込などの手間がかかるのと、ハーモニーホールの事務所ならその場で即登録できるとのことだったので、年内最終日という年末27日は夜9時までOKということもあり、農作業を終えた夕刻に行ってきました。

 個人会員は年会費2000円、家族会員は3000円(「4人まで」ということで、娘達の分も申し込んできました)でコンサート情報などの広報誌が送られてくるのと、チケットが会員価格で割り引かれます。コンサートにもよりますが、個人会員だと年間2回行けば元が取れます。そしてそれ以上に、例えば暮れのOEKのコンサートなど、市内のチケット・ピアで購入したのですが、そのカウンターには10席くらいしか割り当てがなく、ハーモニーメイトだと先行予約や席の選択肢が広いことが何よりのの魅力です。
 登録した後、早速一月末に行われるブランデンブルグ協奏曲全曲演奏会のチケットをその場で購入しました。もう(発売後)遅かったので、殆どの席は売り切れで、止むを得ずフロント席と相成りました。3番や5番は、ヘンデルの『王宮の花火の音楽』同様(中学の卒業式の時に、可愛がってくれた音楽の先生に頼んでレコードをかけてもらいましたっけ)、お祝いの式典などのBGMとしても良く流されますので、寿ぐ新年の幕開けには相応しい演奏会です。でも、どういう順番で演奏するのでしょうか?曲順ではなく出来れば5番を最後に聞きたいですね・・・(これ作曲順です)。

 さて、明日31日がその演奏会。今日しっかり選定作業をして、日曜日には典雅なバッハを楽しんできます。

 冬のこの時期、朝松本駅に着く7時頃、天気の良い日は朝日に照らされる西山の北アルプスがピンク色に染まっています。特に火山らしいなだらかな山容で真っ白に雪を被った奥の院、乗鞍は神秘的なほどです。尾崎喜八が尖峰(第72話参照)と称した男性的な山容とは対照的に、丸みをおびた乗鞍岳だけは、むしろ女性的な感じさえします。とは言え主峰剣ヶ峰は3026mと、北アルプスの中でも9番目の高さを誇ります。


(1月27日朝7時、松本駅アルプス口より撮影。乗鞍が拡大したためボケていますが雰囲気だけでも分かっていただければ)
そんな山並をゆっくり見ている時間も無く、足早にアルプス口から改札へ急ぐ私とは逆に、週末近くなると冬山装備を背負ってゆっくりとアルプス口へ歩かれて来る中高年の登山客の方が目立ちます。これから目指す峰や、山の天候を確かめておられるのでしょうか。中には単独行の方も。今年の山は雪も多く荒れ模様とか。「どうぞ無事に帰還して松本駅の看板(注記)に触れてください。」と祈りつつ急ぎ足でホームへ・・・。自分は、やっぱり下界から見上げるだけでいいや・・・。

さて、常念を始めとする表銀座の峰々が、紅く(やがてオレンジ色に)染まっている様子は、日々ここ松本に暮らす幸せを感じさせてくれます。黒々とした山肌の夏よりも(夏は雲に覆われて見えないことの方が多いこともありますが)、朝焼けが映える白い冬山の方が、モルゲンロートとしては印象的。“岳都”松本の冬ならではの恩恵です(・・・でも寒い!)。
電車に乗っても、山が綺麗な朝は、暫くは新聞や本を読むのが勿体無くて、車窓から山が良く見える平田駅くらいまで、ずっと北アルプスを飽きずに眺めている日もしばしば。

 英語にすればモーニングロード、朝の道。何となく、旧制高校生ではありませんが、格好をつけてドイツ語で言った方が相応しいように感じますね。
因みに夕映えはアーベンロート。きっと、北アルプスを東側から仰ぎ見る富山辺りからの立山連邦などはきっと綺麗でしょうね。
【注記】
第1話でもご紹介したように、JR松本駅の正面に掛かる古い木製の看板は、新駅舎建築と共に屋上に大きな看板が付けられたため、一旦外されたのですが、北アルプスから下山して来てこの看板に触れ初めて無事を確認し合うという登山客からの強い要望で、また再度駅舎に掛けられたと言います。

 松本の北の高台にある岡田地区は、地名そのものも岡の上にある田に由来すると言うくらいで、元々降水量の少ない松本地方の中でも特に水利が無く、昔からたくさんの溜池が造られています。我家周辺でも、神沢池、塩倉池(日本海から「塩の道」を運ばれて来た塩を納める松本藩の倉があったことが地名の由来)、新池(農民の請願により江戸時代に造られたこの池が「新しい池」だとすると、それ以外はもっと古くからの溜池でしょう)があり、北部には六助池(学生スケート発祥の地の記念碑が岸に建てられています)や田溝池などがあります。
その中の一つ、神沢池。周囲200mに満たないほどの小さな溜池ですが、チロルとナナの散歩で時折横を通ります。横を流れる小川でハヤを採ったりした子供の頃の遊び場でした。第209話で書いた八ヶ岳を最初に見つけたのもここからでした。

 さて、冬のこの日。以前から野生の鴨が20~30羽、冬になってこの池で羽を休めています。チロルとナナの早朝の散歩で、神沢池まで来ると、ここのところの氷点下5℃近い冷え込みで、薄っすらですが池の水も凍って氷が張り、次第に水面の面積が狭められ、この日は写真の通りの状態で、その狭い丸い水面に鴨たちが集まっていました。全部凍っちゃたらどうするんでしょうか?中には、興味津々?氷の上を歩いている好奇心旺盛な鴨もいます。
一番岸から近いところまで来ると、特にナナが物珍しげに首を傾げて暫し観察しています。鴨さんたちを驚かさぬように(特にチロルが吼えて)「さぁ、早く行くよ!」っと・・・。

関係ありませんが、最近フレンチや蕎麦屋などで、鴨肉が比較的手軽に提供されるようになったのは、アイガモなどが水田で農薬に代わり雑草駆除用に飼われるようになり、その鴨が一年後に食用にされるからだとか。環境全体には良いことですが、鴨たちは「とかくこの世は住み辛い」と思っているかもしれませんね。
【追記】
松本もこのところ氷点下10℃を下回るような寒い日もあり、先日久し振りに神沢池の横を散歩で通ったら、既に全面結氷で鴨は一羽もいませんでした。どうやらエサを求めて、まだ氷の張っていないもっと大きな池や川に移動したようです。今年は、暖冬予想でしたが、鴨たちにとっても思いの他寒い冬のようです。

 休日はある程度時間も取れるので、少し足を延ばして蟻ヶ崎台の団地の中を通って降りて来ます。
途中、高台のここからは松本市街地が望まれ、松本で夜景が評判のレストランも何軒かこの道沿いに店を構えています。

 その道沿いの或るお宅。毛並みの良いとても大人しい柴犬が庭に放し飼いになっているようで、横を通ると、決まってブロック塀から、チョコンと顔を出して吼えるでもなくじっとこちらを覗いています。最初、家内に教えられるまで気が付かないほどでした。
「あっ、おっはヨー!」
この日もやさしそうな細い目で、我々が通り過ぎても暫くはじっとこちらを見つめています。
「大人しいなぁ」
12歳を過ぎても全く落ち着きの無いにチロルに、本当に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどです。

【追記】
今日都道府県対抗駅伝の男子の大会が広島で行われます。ここ6年間で5回の優勝を果たし、3連覇を狙う長野は、佐久長聖高校の選手3人がインフルエンザにかかったという報道がされ、優勝は赤信号とか。
幸い長聖のエース大迫は大丈夫のようですし、大黒柱の佐藤悠と村沢の2枚看板がいるだけに、代わりに走る選手には是非下馬評を覆すように頑張ってほしいものです。
地元贔屓を離れて、駅伝ファンとしては、来年の箱根の前哨戦で、3区(一般)での東洋大・柏原と東海大・村沢の“平地”対決に大いに興味がそそられます。

 先々週の三連休最終日に、ナナを連れて信州まつもと空港周辺に広がる松本平広域公園『信州スカイパーク』に行って来ました。奥さまのご要望で当初予定していた「富士山の見える場所」が、当日は曇って富士山が見えそうもないので断念し、代わりここへ。

 空港周辺の広大なスペースに、田舎には勿体無いような2万人収容のサッカー場(アルウィン。来シーズンから悲願のJFLへ昇格する松本山雅に期待しましょう)や陸上競技場などの運動公園の他に、芝生が広がる広い公園スペースがあって、その中に無料のドッグランがあります。また、滑走路を挟んで公園の反対(空港入口)側にドッグカフェもあるとのネット情報で出かけてみました。ところが、“らしき”建物は見つかりましたが、看板も無く既に閉店の様子。やはり田舎ではドッグカフェ経営は難しいんでしょうね。でも、せめてこちら(公園)側にあれば、ドッグランに来られた人たちが立ち寄ったのではと、要らぬ(今更ながらの)お節介。
       
 お目当てのドッグランは、思ったほど広くはありませんが、無料ですので文句は言えません。何匹かの先客のワンちゃんたちがいらっしゃいました。小犬用より、大中(小も可)型犬用の方が広いので、そちらへ。チロルも連れて来れるといいんですが・・・。
最初戸惑っていたナナも、すぐに喜んで(他の犬が来ても我関せずと)自由に動き回っていました。ただ、走ったのは最初だけ・・・これではドッグウォークです。   

滑走路を囲むように整備された公園には、寒い中、元気にウォーキングやサイクリング、犬を散歩させたりと思い思いに楽しまれている市民の方々が。我が奥様は「寒い寒い」と言って、一人車の中へ・・・。「ダメだ、こりゃ!」 

 スカイパークは、松本の旧市内(今では東の美ヶ原から西は槍の頂上までが松本市で、この3月末にはスイカで有名な波田町も合併します)の南西部に位置していて、同じく北部の我家周辺とは見える山容が違います。特に、我家からは台形にしか見えない美ヶ原が、その名の通り広大な高原状の台地を広げていて、空港越しにスカイパークからの美ヶ原、鉢伏方面をパチリ。       
 路線存続問題にゆれる松本空港ですが、(日本の空を飛び慣れた)航空会社のCAの方々によれば、日本アルプスの山並みを眼下に飛ぶ(西日本方面からは太平洋岸沿いに飛び、天竜川上空を遡って進入してきますので、中央・南北アルプスと富士山も?見ることが出来る)日本で一番美しい路線だそうです。確かに離陸して3000m級の山並みを真横に見て上昇していく時は壮観です。
もし機会がありましたら(静岡空港を拠点とするフジドリームエアラインが引継いで、どうやら福岡、札幌線だけは存続されそうです)、是非ご利用ください。

 17日の日曜日の朝。松本は氷点下10℃まで下がったらしく、この冬一番の冷え込みだったのではないでしょうか。
 金曜日から上京して家内不在。早朝犬の散歩に行く前に、昨晩の洗いモノをしようとしたら、あれっ?お湯が出ないではありませんか。台所も、洗面所も、風呂場もどこもお湯が出ません。我家の給湯器は水圧式のため、空焚きの心配はありませんが、水が流れないと全く反応しないタイプ。
 トホホ、家の中のことは全く分からぬダメ亭主は、慌てて家内に電話をして、設備のパンフレット一式の在る場所を聞き、9時まで待って給湯器メーカーの相談窓口に電話をしました。
曰く、今日は何軒もそうした問い合わせがあり、おそらく給湯器への水道からの給水パイプが凍結しているとのこと。熱湯で温める(融けるのを待つ)しかありません、とのツレナイ仰せ。
 やむなく、その日は何度もヤカンでお湯を沸かして雑巾を濡らして給水口などを繰り返し暖めてみましたが、一向に効き目なし。
ボイラー(給湯器)の給水管には凍結防止帯が巻かれていて、これまで12年間一度も凍結など無かったのですが・・・。洗い物も、冷たい真水で。しかも、家内が作り置きしてくれて、昨晩母と食べた油っぽいカレーの鍋まで。「こんなことなら昨日ちゃんと洗っておけば・・・」とは後の祭り。でも考えて見れば、子供の頃は給湯器など我家には無く、真冬でも水が当たり前だったのに、人間堕落したもんだと思いつつも、文明社会に慣れ親しんでしまった身には情け無くもこたえます。
 結局、その日は昼も2℃くらいまでしか気温が上がらなかったこともり、一日直りませんでした。まさか、このまま春になるまで・・・?ほな、殺生な。「こいつぁ、冬から・・・」勘弁してヨ!。
 翌朝は、前日ほどの冷え込みではなく、予想でマイナス3℃。日中は7℃くらいまで上昇するようです。たまたま、銀行回りをするために一日お休みを頂いており、凍結防止帯と地面の隙間に狙いを定めて、乱暴ながら何度か熱湯をかけてみましたが、効果無く半分諦め。

 仕事を終え、4時前に帰宅して、蛇口を捻ったところ、ちょぼちょぼと水が流れ出しました。暫くすると、少し水流が太くなり、ボイラーに点火する音が聞こえました。「やったー!」これで、日帰り温泉に行かずに済みそうです。
 日中、銀行で見た地元紙『松本市民タイムズ』によれば、17日、市内では20数件も凍結の相談が市の水道局にあり、5件ほどは水道管が破裂したそうです。いやはや、てんやわんやの二日間。寒冷地ならではの出来事でした。

 前話の映画の上映時間までに、少し時間があったので、先に夕食を済ませることに。映画館(シネコン)が緑町入口にあることから、先に映画館横の駐車場に車を停め、すぐ近くの緑町の中華料理『廣東』へ。
ここは、一昨年リンゴのH/Pを立上げた時、真っ先にご注文いただいた方から教えていただいた店。その方は、以前転勤で松本におられ、私の拙いブログも松本を懐かしんで見ていただいていて、松本のグルメ紹介を「懐かしく思い出して」と、注文に併せてご自身が松本時代に良く通われたというお店を「一度行ってみてください」と紹介してくださったのです。その時は場所が分からず、以前蕎麦倶楽部『佐々木』を訪ねて偶然対面に見つけた店でした(第31話を参照ください)。

 廣東は、辰巳公園側から緑町に入ってすぐ。紅いシェードが目印で、カウンターばかり10席ほど(ただ、4名から10数名までという宴会用コース料理の案内もありましたので、2階にでも座敷があるのでしょう)。店内はお世辞にも綺麗とは言えず、中華料理店らしく油が染み込んでいます。家内が、酸辣湯麺(950円)、私が豚肉とキュウリの辛味噌炒めを定食で(ご飯とスープ、サラダかデザート付きで1200円)、そして大ぶりの自家製水餃子(6個で600円)を注文(必ずしも店名の広東料理だけという訳ではないようです)。

 味は(お値段も決してお安くありませんが)失礼ながら外見とはかけ離れた本格派で、むしろ上品で洗練(ただ、量的に麺類は充分なのですが、定食はもう少し多くてもと思いました)されています。家内は水餃子を絶賛。現地の味に近くて大ファンだったチャイナ・スパイスとは違い(但し「水餃子はチャイナ・スパイスに負けてない」とは奥様の評)、残念ながら日本的に味付けされていますが、でも町の中華料理店としてはかなりレベルの高い味でした。カウンターの中で、気さくなご主人と奥さまのお二人で切り盛りされていて、野菜なども一切「切り置き」しておらず、目の前で材料から調理をしていますので、その分時間は多少かかりますが安心感があります。
 少し評判になって、店を大きくして(その結果手が回らず)味が(客足も)落ちた店を何軒も知っているだけに、この「小さい」ままの方がいいんでしょうね。
“下町の小さな名店”発見。いや、お見逸れしました。美味しかったです。わざわざ紹介してくださったのも「ナルホド」と納得の味でした。
 ありがとうございました。 ――ブログを借りて御礼まで

 久し振りに(前話の「まるも」の後「ここまで来たら」と、剪定開始前の農閑期ゆえの更なる無計画さで、突然思い立って)映画を見に行きました。
奥様のご要望で選ばれたのは「のだめカンタービレ最終楽章」。シルバー優待(50歳以上)の中年夫婦が見に行く映画なのか、多少の疑問は感じつつも、「ま、いいかぁ!」

 偶然、会社の後輩がご家族で来られていて、挨拶したらビックリしていました(そりゃ、そうだ・・・)。因みに、彼の中学生の子供さんたちは、娘達と同じ小中学校に通われていて、今も中学で吹奏楽(娘達は小学校時代合唱部でしたが)を頑張っていると聞いています。
市内のシネコンでの最終上映の19時。20人ほどの観客でした。松本市内もご多分に漏れず、老舗の映画館が次々と閉館していしまい、唯一シネコンとして街中に残っている映画館です。

 TV放映の時からの(娘たちからは呆れられながらも)自称「のだめ」ファンではありますが、コメディタッチの内容とは対照的に、取上げられるクラシックの選曲の良さとその演奏も安っぽくなく、手を抜かずにしっかりと作られていて、そこがクラシックファンからも評価・支持される所以なのでしょう。今回の海外ロケも、チェコ国立ブルノフィルハーモニーが演奏を担当し、しかもあのムジークフェラインザール(ムーティのフィガロを聴けたのが一生の思い出です)で録画した由。そして、ここで指揮した日本人は、当然の国立歌劇場音楽監督でもあるマエストロ・オザワ以来二人目だとか(比較自体が無意味な気もしますが)。今回はフランスらしく「ボレロ」やデュカスの「魔法使いの弟子」、更にはチャイコフスキーの「序曲1812年」(ちゃんと大砲も使われていました。でも、ドラマとは言え閉鎖的で愛国心の固まりのようなパリっ子の前で仏オケが選曲していいのかなぁ?)やバッハの「ピアノ(原版はチェンバロ)協奏曲第一番」などがモチーフに用いられていました。
映画『スウィングガールズ』(長野県蓼科高校ジャズバンドがモデルの一つです)の時も感心し、以来好感を持っていますが、上野樹里は上手いなぁ。

 最初から知っていたとは言え、TVでの「のだめ巴里編」の続編として映画化された今回は前編で、4月に完結編となる後編が上映とのこと。フジもズルイよなぁ・・・残念ながら、制作側の思惑通りに後編も見るしかなさそうです。

【追記】
“のだめ”とは全く関係ありませんが・・・、
本日17日は都道府県対抗の女子駅伝が、高校駅伝と同じ都大路のフルマラソン・コースで行われます。男子同様、全県的な小中学生からの指導が実を結び、昨年悲願の初入賞となった我が長野県チームに期待です。
ムフフ、奥様は娘のところに上京して不在。昨日から剪定作業を開始し、昨日(実績!)と今日も(但し予定)先ずはブドウの剪定をしっかりやりましたので、大手を振ってTV桟敷で応援です。
さて、昨年脅威の走りを見せた双子の久馬姉妹が高校生になってどこまで成長しているか?その久馬姉妹を擁する地元京都はV6がかかります。
この大会は、来週広島での男子も含め、外国人選手や留学生は出場しない、まさにガチンコ勝負の駅伝です。

 (以降、前話のあめ市からの三連チャンでまいります)
 買い物ついでにあめ市まで足を延ばし、更にその足で一人だけ新年会の準備で来れなかった四柱神社への遅れ馳せながらの初詣、とあちこち歩き回ってお疲れの奥様曰く「(駅の)スタバで休みたい!」との仰せ。「何を仰る亀さん!せっかくここまで来たんだったら・・・」と、ホント久し振りに喫茶『まるも』へ(正直、苦いだけのシアトル系は余り好みではありませんし、ラテは全く興味無し)。

 午後4時過ぎでしたが、6割方席が埋まっています。どうやら、皆さんガイドブックや地図を広げられて、この三連休で松本に観光に来られた方が多いようです。地元の常連さん?がお一人、カウンターで静かに新聞を読まれていましたが、昔のように、参考書を広げてという学生はどうやら居ないようです。そう言えば、娘もドトールやガストへ行っていましたっけ(コーヒー一杯で長時間居座って、どうもすいませんでした。娘に成り代わりまして・・・)。

 今まで気にしていませんでしたが、確認すると喫茶は昭和31年開業。「そうか、同い年なんだ!」と感慨深いものがありました(てっきり、翁堂のように旧制松高生がたむろしてニーチェやデカンショを議論したのだろうとずっと思っていましたが、“意外と”新しくて逆にびっくりです)

 因みに、旅館の方は慶應4年(1868年。大政奉還が慶應3年で、1868年の9月から年号が明治に変わるまさに直前)の創業と言いますから140年。但し、今の建物は明治21年(1887年)の「松本大火」直後の再建とか。それでも120年以上です。
ここは素泊まりだと5250円(朝食付きで6300円だそうです)という低料金に加え、日本的な畳と布団が最近外国人観光客に人気だと、地元紙に以前報じられていました。

 閑話休題 ― さて、少し暗めの店内は、まるもの象徴である板葺きの床と開業以来50年間使い込まれて味の出た松本民芸家具の椅子とテーブル。昔と違って店内禁煙らしいことを除けば、今もBGMにはクラシック音楽が流れて、昔と変わらない、陽だまりのように落ち着いてどこか懐かしい、昔の木造校舎の教室のような・・・そんな幾つもの形容詞や修飾語を付けたいような雰囲気が漂っています。昔はいつも(確かパイプを燻らせて)奥にどっかと座っておられたマスター(併設の旅館のご主人)がこの日はおられませんでしたが、今もご健在でしょうか。

 モカが主体だったか、相変わらず酸味の利いた少し濃い目のブレンドで、
一杯400円也。家内は同額のアメリカンですが、酸味は苦手(以前我家で毎朝ドリップしていた時も好みのモカは買えず、コロンビア豆を斎藤コーヒーで真空パックに小分けしてもらって買っていましたが、最近は手抜きでインスタントばかり)。あっ、そう言えば、ここのレアチーズも美味しかったっけ・・・。
久し振りの味を楽しんで、学生時代にちょっぴりタイムスリップしたかのような、“中年夫婦”の小一時間が穏やかに過ぎて行きました。

 小正月の1月9日と10日、松本恒例の“あめ市”が、本町や伊勢町などの中心街で行われました。
「敵に塩を送る」の語源ともなった、戦国時代、北条・今川の同盟により武田領への塩が絶たれた際、信玄の好敵手だった上杉謙信が「争いは弓矢でするもの」と越後の塩を武田方へ送ったことに由来すると言います。“塩の道”千国街道を運ばれて、当時武田領であった松本に着いた1月11日を記念して「塩市」として祝ったのが「飴市」に変わったとか。今でも塩を入れるカマス(俵?)の形をした福飴や、地元商店街の子供たちが「だるま」などを売っています。
 特に10日は市内が歩行者天国になり、お城からの時代行列や、上杉・武田方に分かれての綱引きなども行われ、言わば松本の初市としてアルプスの城下町が賑わいます。買い物ついでに本町まで行ってみましたが、もう歩行者天国が終わるところでした

あめ市が行われ賑わう本町と伊勢町のT字路のコーナーに、塩などを運んできたであろう往時を偲ばせる「牛つなぎ石」が今もひっそりと佇んでいます。

 県歌「信濃の国」に謳う「四つの平」、松本伊那佐久善光寺(実際はこれに諏訪と伊那同様「谷」の木曽も加えて)。山国信州はそれぞれが山に囲まれた盆地のため、“山の向こう”を望むことは稀です。でも、時々離れた所から意外にも遠く離れた山などが見えて「えっ、こんな所から・・・」と、はっとすることがあります。
 そう言えば、以前会社の先輩が飯山のどこかの高原(峠?)から、日本海が見える筈と一人で出かけたことがあり、その“好奇心”(信州弁で言う「ずく」)に呆れたことがありました(ま、嘗て戸来村までキリストのお墓を見に行った方ですから)。
 山で言えば、例えば松本からは鍋冠や大滝山に隠れて見えない穂高三山が塩尻からは(JRだと中央東線の下り線で塩嶺トンネルを越え塩尻駅へ下る右手に)見えますし、富士見町は勿論、下諏訪町にも富士見橋と名が付いた橋がある通り、下諏訪からも諏訪湖越しに富士山が恐らく皆さんの想像以上に大きく、くっきりと望めます(下諏訪・岡谷間のJR中央東線が高架になっていて、下諏訪寄りで車窓からも見える区間があります)。

 我家周辺は、松本でも北に上った高台であるため、南は塩尻峠方面だけが山が低く空が広がっています。
 そんなある日、以前から「もしかしたら・・・」と思っていたのですが、チロルとナナの散歩で蟻ヶ崎台を歩いていると、鉢伏から高ボッチの稜線が右肩下がりに下りていって塩尻峠の右側の一番低くなった先に何だか見覚えのある山並みが薄っすらと見えます。諏訪出身の家内に聞くと「たぶん、そうじゃないの」とのご託宣。そうです、八ヶ岳です。松本の市街地(の恐らく高台の蟻ヶ崎台や岡田の一部だけ)からも八ヶ岳が見えるとは余り考えてもいなかっただけに、(松本の住人にとっては)正直びっくりでした(但し、奥様は左程の感動でもないご様子)。少なくとも50年近くも松本に暮らして、これまで見たことも聞いたことも無かったのですから(ウン?話題性が無い?そうかなぁ・・・)。

 中央道下り線の茅野の手前で、北アルプスが瞬間的に見える場所がありますので、その逆と言ってしまえばそれまでですが、松本からも見えた八ヶ岳に暫し感激し見とれていました。拡大してみましたが、写真でも見えるといいのですが・・・?(良く見ると薄っすらですが確認いただけます)
【追記】
登山に詳しい会社の後輩からの説明では、松本平からは鉢伏山が邪魔になって八ヶ岳は見えないそうです、見えるのは仙丈ケ岳など南アルプスとのこと。
大変失礼いたしまた。

 今年の新年会で、会社の先輩から岐阜のお土産に頂いてあった骨酒用の岩魚の燻製(第125&167話を参照ください)を漸く試すことができました。骨酒だけのために、一人用の土鍋を購入してあり、また骨酒用には高いお酒は不要(本醸造で充分)との専門家(上諏訪割烹「味宏」の女将さん。第26&133話参照)のアドバイスで、正月材料の年末の買出しの際に、紙パックのお酒を骨酒用に購入しておきました。

 宴もたけなわ。説明書きに従い、燻製の岩魚を少々濡らして塩を少し振ってオーブンで炙り熱燗のお酒で少し煮出して出来上がり。繰り返し使用可能とのことで、2合ずつ4合作ってみました。2回までというより、(既にビールと、この日のために大切に取っておいた娘達からの頂きモノの岩手の純米大吟醸『あさ開』を皆で飲んでいて)それ以上飲んではヒンシュクを買いそうだったので、これにて打ち止め。

 少し飴色がかった骨酒は、いつもの割烹で頂く天然モノの岩魚の骨酒に負けぬ旨味と共に何とも言えない香ばしさが漂い、その香りを逃がさぬようにレンゲで盛る時以外はしっかり蓋をしておくのがコツ(と女将さんから教えられました)。お陰さまで今回も(飲兵衛達には)大好評(特に私メに)でした。

 ムフフ、あともう一尾を大切に保管中・・・です。さぁて、次はいつかなぁ?

 今年の箱根駅伝。花の2区での日大ダニエルや東海大一年生の村沢、そして佐久長聖で村沢と同期の駒沢大千葉の山下りでの快走もありましたが、今年も往路5区山登りでの東洋大柏原の驚異的な逆転の後は、波乱の無いレースで終わりました。
 下の子も自分の大学を応援せず、村沢を応援。そして、襷渡しの後中継所でコースに一礼する選手を見る度に、「あっ、この選手は“いい人”!」と感動していました。確かに清々しさを感じます。

 さて、私が印象的だったのは、昨年無念の途中棄権となった城西大石田選手の区間2位での必死の力走と、優勝インタビューで、連覇で冷静だった選手達とは対照的に、嗚咽をしながらの東洋大酒井監督の談話でしょうか。重圧もあったであろう就任一年目の青年監督らしい様子が微笑ましく感じられ胸を打ちました。
今年は自粛した昨年の分と合わせて二年分の胴上げです。
一方、東洋大連覇の陰で、間違いなく優勝の基礎を築きながら部員不祥事で辞任せざるを得なかったオリンピック・ランナー川嶋元監督のことが思い出されます。

 山登り「だけ」で決まったレースへの批判もあるようですが、それはお門違いと言うもの。確かにレースとしての面白味には欠けたものの、皆チームが勝つために一秒でも早くと必死に走っている以上、「早すぎる」ことへの批判は的外れでしょう。むしろそうした的外れの批判が、あたら才能ある若者を潰してしまわないか心配です。来年は、柏原選手の更なる飛躍のためにも、彼の独走を阻む選手の出現に期待します。
一昨年の春の伊那駅伝で、コース変更前の高遠の急な上り坂を区間新で快走した木曽楢川出身の村沢選手などは、さしずめその候補ではないかと勝手に期待しています。
【追記】
因みに高校時代貧血症で全国的には無名だった柏原選手が、全国デビューを果たしたのは昨年の箱根駅伝という報道がされていますが、その1年前の高校三年の冬。2008年都道府県対抗の1区(高校生区間)で、その年の各高校の有力選手に混じり、当時全く無名だった彼が福島県代表として最後抜け出して区間賞を取ったのが初めてだったと記憶しています。この時は、既に大学進学が内定していたでしょうから、東洋大学のスカウティングの勝利です。

 今年は2日間しか年末休暇が無く、大掃除に明け暮れました。家中の窓拭き、すす払い、フローリングの床拭き・・・。
奥様はキッチンを離れず、食品庫、キッチンの大掃除とお節作りにかかりきり。下の娘も「大学のレポートが」とか。「なして一人で?」と、まさに「犬」の手も借りたいような状況でした。
 大掃除の後は、母宅の松飾を飾り、床の間の掛け軸を正月用に替えて・・・。途中正月用品の買出しも含め、全て終了したのは大晦日の漸く夜7時でした。
それから、やっとお年取り。松本(信州?)では、お正月より大晦日のお年取りの方が重要?です。古くは『鰤街道』と呼ばれ、富山湾から飛騨を越えて松本へ運ばれて来た出世魚の氷見の鰤を必ず食べて神様に感謝し、一年間の無事と苦労を労います。日頃は質素倹約の農家も、この日ばかりはりっぱな鰤の切目を買ってきて。父などは氷見の天然モノに拘り、正月用の数の子と一緒に鰤を半身で買ってきては煮付けと鰤アラ大根で、というのが大晦日の決まった風習でした。そして今年も、親戚の叔母が打ってくれた玄人はだしの田舎蕎麦を年越しに頂いてと、大晦日の夜がふけていきます。
 今年は、紅白の後で久し振りに(いつもは酔って、既に一人夢の中・・・)市内のお寺数箇所から聞こえて来る除夜の鐘を、行く年を偲びまた来る年を思いつつ聞くことができました。

 明けて元旦。我家は、先ずは三ヶ所の神様にお参りをしてから新年の挨拶を家族全員で交わしたあと、豆、栗、柿で「まめでクリクリ掻き回す」との願懸けでお茶を飲み、何故か必ず長芋のトロロ汁(母の松本の実家も同様です)。そして、正月二日の朝に初めてお雑煮になります。そして、恒例の初詣へ。

 今年は、上の娘が夕方高校の同級会とのことで、二日昼から妹夫婦一家が来ての新年会。昨年まで注文していたお節を止め、今年は家内が黒豆や煮しめ、海老やローストビーフなどななど年末から準備した手作り中心のお節のお重が並びました。三段重に松飾で残った松や母宅にある南天を使ってお正月らしく飾りつけ。

 そして三日には娘達が帰京し、一時の賑わいが去りまたいつもの生活に・・・。慌しくも平和に2010年の我家のお正月が過ぎて行きました。

 『 変わりなき 正月こそが ありがたし 』(オソマツ)

 夕方薪ストーブに火が入り赤々と燃えながら、連日これ一つで我家を暖めてくれています。
今のところ、一番の恩恵はチロルでしょうか?薪ストーブ前の特等席をゴロリと独占中(その内に家事を終えられた奥様に「チロルどいてヨォ!」と特等席を取られてしまいますが・・・でも、もっと寒くなると、室内の薪保管用に作ったチェスト横がチロルしか入れぬ特等席になります)。気持ち良さそうです。一方ナナは、まだ慣れないのか、はたまた小犬にとっては充分に暖かいのか、少し離れた、いつものピアノの椅子の下のマットでお休み中。
平和だなぁ、気持ち良さそうだなぁ・・・と、こっちまで眠くなってきます。

ナナの写真は、ピアノの椅子の下ではなくストーブ前で、この正月休み帰省した娘たちの横に安心して寝ている様子。何の邪念も無くこちらも幸せそうです。耳を広げてリトル・マーメイドならぬリトル・ダンボといったところでしょうか。

そして、いよいよ定位置に寝るようになったチロルです。正月3日、外は雪が舞っていました。さすがに寒くなってきたのでしょうか。

 一年前の秋、お義母さんの喜寿のお祝いに何鉢か頂いたシンビジウムを一鉢お裾分けしていただきました。涼しい所が良いとのことで、薪ストーブのリビングを避け玄関に置いて、薄桃色の見事な花を長い間楽しませていただきました。

 花が終わった後も何とか毎年花を咲かせようと、近くの市立図書館からシンビジウムの管理の仕方や育て方などの本を何冊か借りて学習し、家内がこまめに液肥や水やりをしたり、休日は日光に当てたりしながら一生懸命世話をしてきました。
しかし、昨年見事な花でいただいた秋を過ぎても、一向に花も咲かず良く茂った葉っぱだけ・・・。やはり素人では洋蘭の花を咲かせることは難しいのだろうと、半ば諦めていました(そう言えば、シンガポール赴任中は蘭が安くて20~30ドルも出せば立派な洋蘭の鉢が買えたのですが、花が再び咲いたことは一度としてありませんでした)。

 先日、玄関前の鉢植えとい一緒に、シンビジウムも日に当てて欲しいと頼ま れ、日光浴に出そうとしたところ、筍のような芽が数本伸びているのに気がつきました。慌てて家内を呼んで二人で観察です。すると頂いた時と同じ5つの花芽?がありました。こいつぁ、春から・・・!? 「やったぁ!」と家内も感激のご様子。

「これきっと花芽だよね!?」「うーん、どうかなぁ・・・?」
「絶対そうだってば!」「う~ん、そうかなぁ・・・?」

暫く気になる日々が続きます。まさに家内の努力の花が咲くといいのですが・・・。

もし咲いたら、またご報告します。葉っぱだったら・・・お忘れください!

 皆さま、お正月どうお過ごしですか?
 凧揚げ、羽つき、かるた取りなど、街角ではもう見られなくなったお正月風景でしょうか?

 以前、第142話でご紹介した松本駅コンコースに飾られている豊科在住の人形作家・曽根原令子さんの『もろこしアート』が、新年に合わせて替えられました。
蔵の街である中町街並みをバックに、凧揚げや羽つきなどお正月らしい懐かしい遊びの様子です。子供の頃の心象風景が浮かんできます。
 さて、元旦に我家でも初詣に松本市内の「四柱神社」にお参りに行ってきました。以前倒れるまで父が町内会の氏子総代をしていたこともあり、ここへのお参りが毎年恒例行事。近隣では信濃一宮である諏訪大社や三宮の穂高神社のような大きな神社が松本にはありませんが、市内では天神さまの深志神社と並ぶ松本の初詣スポットで、今年も縄手通りまで参拝の列が延びていました。

 皆さま、新年明けましておめでとうございます。
信州松本より謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

 写真は、松本駅のコンコースにある飾り棚に、年末デコレーションされた七福神。他にも羽子板など、新春らしい華やかな人形達が飾られています。 
 市内本町の路地に高砂町という通りがあり、そこには幾つもの人形店が軒を連ねていますので、そうした人形店が初春らしい人形を飾ったのでしょうか。

 新春を寿ぎ、2010年が皆さまにとりまして良い年でありますように。

【追記】
松本からの初日の出です。曇り気味でしたが拝むことができました。家の近くの新池越しに、美ヶ原と鉢伏山の間(入山辺)から昇る初日の出に、家内とチロルとナナも一緒に一年間のお願いごとをしました。
皆さんにも良いことがありますように。