カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 以前から、美味しいという評判を聞いていた『そば処 井川城』。
その名の通り、松本駅南西の井川城地籍の住宅街の中にあります。
      
 この井川城という地名は、鎌倉時代信濃の守護職だった小笠原氏の居城(館)があったことに由来します。今では田んぼの中に小さな祠と、その場所を示す案内板があるだけ。

 「そば処 井川城」は、脱サラで始められたというご主人が奥様と切り盛りされる蕎麦屋さんで、場所が幹線道路からも外れ、道巾の狭い住宅街の中にあって非常に分かり辛いので、今までその評判を聞いても行くのを躊躇していました。

 久し振りに娘たちが休みを合わせて帰省してきて、「お蕎麦が食べたぁい!」とのご要望で、時間節約のため遠出を避けて(ここで安曇野・翁は脱落です)市内のお蕎麦屋さんへと、ネットで地図を確認し意を決して行ってみることにした次第。

 少々遠回りだったかもしれませんが、いつも南松本方面に行く時に使い慣れた脇道からのアクセスを大体頭に入れて、いざ出発。
何でも前科があるらしく、助手席からは本当に行き着けるのか訝(いぶか)る声がエンドレステープの様に聞こえてきます(ウルサイなぁ、もう)。
心配した(哀れんだ?)娘が、「食べログ」からの地図をアイフォーンのGPSで車中サポートをしてくれながら(しかし、「あっ、離れてくヨ!」、「あっ、大丈夫。また近付いた!」と、これまたウルサイこと)、無事到着。こりゃ、確かに分かり辛いワ。
住宅横に建てた一戸建ての小屋、小さなログハウスのような板張りの建物が目指す「そば処 井川城」でした。裏に8台くらい停められそうな駐車場があります。

 靴を脱いでお店に上がると、4人掛けのテーブルが4卓ほど。昼時を少し過ぎていましたが、先客の皆さんが二組おられました。
蕎麦は十割、ニ八、更科を磨いた「大名そば」(他店で言う吟醸そば)の三種類。温(汁)蕎麦もあります(信州には珍しくにしん蕎麦も。京都丸太町の河道屋を思い出します)。
「もりそば」では、それぞれ好みでの組合せも可能です。家内と私は、十割(こちらでは江戸時代に習ってと“とわり”と呼びます)と二八。娘たちは、大名と二八。こちらの一人前は、セイロ2枚です(種類を組み合わせると、食べ終わる頃を見計らって次の蕎麦を出していただけるので、茹でたてが食べられます)。

 蕎麦の実の芯を使う白い「大名そば」は、もちもちっとした食感だとか。
十割には緑町の「佐々木」同様ローズソルトのような岩塩が付き、「一口塩で食べて見てください」とのこと。蕎麦が甘く感じます。
個人的には、十割よりも二八の方が腰もあり蕎麦の香りも十分で、断然上。「翁」の二八とはまた違いますが(あちらは更科系)、「旨いなぁ!」。
翁に行けない時(最近は農作業で行けません)は、井川城でもイイなぁ。
そばつゆは、信州にしては濃い目の江戸前風。そば湯もしっかりいただいて。そば湯に、残っていた岩塩を入れるとこれまた美味で乙な味。
そして食後のデザートに、サービスでそば大福(クルミ餡)をいただいて、女性陣は満足気(写真は二度目に伺った時の、せいろ二枚重ねの二八の「特盛り」ですが、「大盛り」でも良かったかも)。

 「井川城」は、蕎麦専門店には珍しく夜も営業とのこと。少なくとも7時頃まではやってらっしゃるそうですので、夜に蕎麦を本格的(一品の種類は少なめですが、焼味噌もちゃんとありました。さすが!)に楽しみたい時の居場所が見つかりました。

 蕎麦は「三たて」と言い、打ち方によっても変わるとは思いますが、繋がりさえすれば、単純に蕎麦粉割合が高い方が良い(美味しい)と思っていただけに、こうやって食べ比べて見ると(勿論食べる側の好みもありますが)、むしろ二八の方が「蕎麦」としては美味しく感じられて、「井川城」のおかげで認識を新たにしました。
当然、蕎麦屋さん毎にそれぞれの拘りと技があり、例えば乗鞍の「中之屋」(第373話)は地粉を水車で挽いた十割、緑町の「蕎麦倶楽部 佐々木」(第31話)はご主人曰く九割五分、中町の「野麦」(第5・86話)は九一、「安曇野 翁」(第68・86・334話)は二八。
それぞれの店のご主人が、試行錯誤の末に一番旨いとして辿り着いた結果でしょうが、少なくともここ「井川城」では、個人的には(家内も)二八がベストでした。ただ「井川城」の売りはあくまで十割ですので、三種類を食べ比べてご自分の好みを決められるのが宜しかろうと思います。

 さて、帰りは別の道を来ました。
あれっ?結構分かり易いジャン!・・・(タハ)。