カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 NHKの総合放送で放送されている『新日本風土記』が、BSプレミアムでも何度か再放送されています。

 先日は未明から終日の雨で、チロルやナナの散歩は勿論農作業が(庭仕事も)出来ず、“晴耕雨視”とばかりに朝TVを見ていました。
      
 一般放送には見たい番組が無く、選んだのはBSプレミアムで毎週日曜日の朝6時から放送されている「プレミアムクラシック」と、その後に『新日本風土記』の「出雲」編。
国譲りの神話(注記)から、出雲大社を始め、今も神々と身近に暮らす出雲の暮らし振りが放送されていました。その中で初めて知った幾つかの興味深い事実。

 国譲りの交換条件として建てられた出雲大社の本殿の中心にある、神が宿るとされる心御柱を真似て各家でも建てるようになり、出雲大社が大国主命(大黒様)を祭ることから“大黒柱”と呼ばれるようになったのだとか。

 また代々出雲大社の神官(宮司)を務める出雲国造家は84代に亘る家系で、我が国では天皇家に次ぐ血統の古さとか(注記2)。さすが出雲です。

 そして日本中の神々が出雲に集まるとされる神無月(旧暦10月)を、出雲だけは神在月(カミアリヅキ)と呼びますが、その神在月に神様にお供えするのが「神在餅」。ジンザイモチと呼び(「出雲風土記」に仮名を振って記載されています)、少量の砂糖で茹でた小豆に焼いたお餅を入れるこれがゼンザイの起源なのだとか。
今でも、出雲では神在月には各家で「神在餅」を作り、八百万の神々が集まっておられる方角に向かってお供えをするのだそうです。
     
 長い歴史の中で、この国の生活の中に溶け込みながら、その理由をいつの間にか忘れた我々に、今でも極普通に神々と寄り添うように暮らす出雲の人たちから、そのルーツを教えられた気がしました。
うーん、出雲は深い。
【注記】
因みに諏訪大社(上社)の祭神である建御名方命(タケミナカタノミコト)は、おそらく古代のイヅモ族と大和族の主権争いの結果であろう国譲りに反対し、戦い敗れて出雲を逃れ、諏訪の地に幽閉された大国主命の次男です。古代の出雲と諏訪との繋がりを感じます。一方、賛成した長男である事代主神(コトシロノカミ。恵比寿様)は、美保神社の祭神として出雲の国に祭られています。
古事記や日本書紀を始め、歴史書は多分に勝者の歴史であり、この国では、勝者は敗者の祟りなどの怨念を畏れ、幽閉し神として崇め奉ってきました。神話の時代のみならず、時代を進めれば、実在の人物であっても菅原道真しかり、平将門しかり。
【注記2】
諏訪大社の神官を代々務めてきた守矢家。古くは諏訪大社以前から、原始土着宗教であるミシャクジ信仰や洩矢(モレヤ)神信仰にも繋がるとされ、我が国の正史とは言えず、その歴史的客観性に疑問符が付けられるのかもしれませんが、記録上は78代と言われます。古代「科野國州方(シナノコクスワ)」も実に深いのです。
そして出雲族と融合した諏訪族の監視役として、大和から派遣されたであろう海洋民族の安曇族がやがてここに絡むんですよね、きっと。うーん、古代のロマンだなぁ。