カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 家内が「ながの東急」に出店している銀座の靴屋さんに修理を依頼し、それが出来上がったとの知らせがあったので、1月中旬の三連休に長野市まで受け取りに行くことになりました。

 せっかくの長野行きですので、ついでにチョッピリ遅めの初詣で善光寺に参拝し、隣接する県信濃美術館別館(東山魁夷館)で1月末まで開催中の企画展に出品されている「年暮る」(但し習作とのこと)に、既に年は明けましたが久し振りに再会して、最後に奥様お気に入りの門前の大門通りにある「大善」でお蕎麦を食べてくることにしました。北信なので、いつ雪が降っても良いようにと、念のために4WDで向かいました。

 11時半くらいに長野に到着。驚いたことに、ながの東急の駐車場は既に満車の順番待ちの車の列で、別の駐車場に回るように係員の方からの指示。いやぁ、大したものですね。松本の地場のデパートは休日でもお客さんは疎らで、下手をすると店員の数の方が多いフロアさえあるというのに・・・。ビックリしました。店舗そのものの魅力か、或いは地域の購買力の差か?

出来上がった靴を受け取り、既に昼時だったので先に大門通りの「大善」へ。狭い店内はほぼ満員です。観光客だけではなく地元の方もおられるようで、何より。私メは十割の特盛りである「重ね」(2枚で1000円)、家内は他店で言う吟醸並の真っ白い更科と十割の二色そば(並700円)を注文。きっと、繁盛されているのでしょう。一年前に伺った時よりも店員さんも増えたようで、直ぐに運ばれて来ました。新そばの時期を過ぎたせいか、霧下そばと雖も香りは余りありませんでしたが、そばの風味はありました。家内は茹で過ぎで少々柔らかいのではとのこと。やはり「井川城」の方が良いそうですが、二人で他店では一人分の値段に「相変わらず、ここのコスパは凄い!」(第503話参照)。ただ、忙しいのは分かりますが、蕎麦湯だけは最初ではなく、客が食べ終わる頃を見計らって出して欲しいものですね。でも、こうした良心的な店は、観光客相手にならぬように是非地元で大切にしていただきたいものです。
 昼食後、今回は車で東山魁夷館へ。善光寺界隈の駐車場はどこも高いのに、ここは無料でした。
『冬の記憶-川端康成とのめぐり合い-』と題された今回の企画展。スケッチや習作を含む80点余りが展示されていて、その中に連作「京洛の四季」シリーズの中で、山種美術館が本製作を所蔵する「年暮る」(第584話参照)の習作も展示されています。両方を比べると、大晦日に雪の町屋の通りを走る車が習作には無かったり、逆に習作には電柱が描かれていたりという構図の違いの他、習作の方が白っぽい感じがしました。両方を見てしまうと、さすがに青味の深い本製作の方が感動は上です(注記)。でも、ここ信州で「年暮る」に再会出来ただけで(時に至近まで顔を近づけたり、或いは遠ざかって眺めたり、はたまた置いてあった作品集の本製作とじっくりと見比べたりと、絵の付近から動かぬ客を係員に訝しがられつつも)満足のひと時でした。他の展示では、連作「大和春秋スケッチ」からの『室生暮雪』と名付けられた雪降る中に佇む室生寺金堂を描いた作品(習作)に心惹かれました(残念ながら売店で見つからず)。
「日本の雪景図には温かみがある。自然を親しみの目で見つめてきた日本人の感性が、独特の美しい雪景を生み出してきた」という画伯の文章が紹介されていましたが、「日本人」を「東山魁夷」個人に置き換えてもそのまま納得できる紹介だろうと思います。まさに、画伯の感性が切り取った日常の中の美の一瞬であり、だからこそ日本人である我々に深く受け入れられる作品なのでありましょう。
「今度『年暮る』に会えるのは、いつになるのだろうか?」
そんなことを想いながら、後ろ髪を引かれつつ魁夷館を後にしました。
 最後に遅ればせながら善光寺へ。歩くのが嫌いな奥様ゆえ、車で善光寺隣接の駐車場へ。既に松の内も過ぎたとはいえ、小正月の厄除けのお参りなのでしょうか、仲見世を埋めるほどの善男善女の参拝客に混じって、我々も新年のお参りをさせていただきました。
【注記】
掲載した「年暮る」の比較写真は左が習作です。それぞれ山種、魁夷館で購入したものですが、多分印刷の質もあるのか、印象では、実際の習作はこれほど緑ではなく、もう少し青かったように思います。