カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ツアー第二日目。冬の北陸には珍しく、昨日とは打って変わって好天です。
いつものように早朝暗い内に目覚め、明るくなるのを待ってから、コンビニに朝のコーヒーを買いがてら、一人金沢駅へ散策です。
ホテルの外へ出てみると、日本列島全体が冷え込んだこの日(松本では氷点下12℃だったとか)は、金沢も珍しく凍結していて歩道はガリガリ。一方、主要な車道は、自動散水で見事に融けています(信州だと、融ける端からまた凍るので無理かも)。これなら、「弁当忘れても、忘れるな!」と云われる傘も今日は不要かもしれません(変わり易い冬の日本海側の天候のみならず、晴れていても湿り気のある雪が頭上の電線や木々から落ちてくるので、地元の方々は晴れた日も傘をさしていて、昔訪れた時はビックリしたものです。今では恐らく地中に電線も埋設されているでしょうし、街中では心配ないかもしれませんが、兼六園では要注意)。

 金沢駅は、2011年に米国の旅行雑誌により「世界で最も美しい駅」の一つに選ばれたのだとか。能の「鼓(つづみ)」をデザインしたという木で組まれた鼓門(こもん)と、美しい総ガラス張りの「もてなしドーム」(雪降りに旅人が濡れぬ様に、そっと傘を差し出す“おもてなし”をイメージとか)のモダンな東口駅舎。2015年に長野以北金沢まで延伸される北陸新幹線を迎えるに相応しい威容で、北陸50万都市の顔も準備万端の装いでした。
 この金沢は、学生時代に憧れた街でもありました。
加賀百万石の城下町として、京都とはまた一味違った伝統文化の残る北陸の古都。そして、室生犀星が「遠きにありて思うもの」と偲んだ故郷でもあります。また、同じ漢字の犀川を、松本のように濁らずに「さいかわ」と頭にアクセントを付けて呼ぶ柔らかさに、何となく関西風を感じてもいました。
社会人となり、採用担当時代に大学訪問としても何度か訪れていますが、今回は何十年振りか、駅前から香林坊周辺の近代的に生まれ変わった街並みにはビックリです。北陸の中心都市としての貫禄が漂います。
一方戦災に会わなかった金沢に残る、雪から守る菰(こも)で覆われた土塀の続く長町武家屋敷(野村家の庭園が見事でした)。利家とお松の方を祭るギヤマンで有名な唐門(重文)の尾山神社。そして、久し振りの金沢城と昨日のライトアップとはまた趣の異なる昼間の兼六園。
ハイデルベルク大学(嘗て新婚旅行で行きましたが、どうやら中世の城郭都市内にある大学ということらしい)同様に、お城の中の大学として知られた金沢大学(お城の中の大学は、両大学の世界に二つだけと当時伺った記憶が・・・?)は既に郊外に移転(平成7年)し、今はナマコ壁が印象的な石川門や三十間長屋(いずれも重要文化財)を始め、大学が立ち退いた跡地に復元された河北門や五十間長屋などの建物の復元工事が進む広大な平山城の城跡の金沢城公園。
そして石川門から続く国の特別名勝兼六園(宏大、幽邃、眺望など、勝れた名園の条件六つを兼ね備えた庭園との意から名付けられたのだとか)。園内全体では総使用量が毎年4トンにもなるという、荒縄で施された芸術的な雪吊りが兼六園の冬の風物詩です。琴に見立てた虹橋越しに、霞ヶ池の端に立つ庭園のシンボルでもある徽軫灯籠(ことじとうろう)や、見事な枝ぶりの唐崎松(何と一本の黒松)や根上松。歩き辛いのはともかくとして、昨晩の降雪が冬の金沢の情緒を一層増してくれているようです。
 市民の台所でもある近江市場で、妹たちへの海産物などのお土産の買出しと昼食。和服姿で食材を買われているご婦人を何人も見かけるのも、古都ならでは。昼食は回転寿司にしましたが(値段は決して安くありませんが)、新鮮な地物のノド黒などの魚介類に感激。家内は天然物の平目に、私メは新鮮で驚くほど柔らかかったイカゲソとノド黒の炙りに感動。「ふ~、美味しかったぁ・・・」と、暫し溜息(但し、次女の住む成田のお寿司屋さんの方に、比べればコスパを含めお互い1票と同意見)。
 昼食後、浅野川右岸の東茶屋街へ。ここは江戸から明治に掛けての花街で、130メートルの道沿いに二階屋の町並みが整然と並んでいます。木虫籠(きむすこ)と呼ばれるベンガラ格子の美しい町屋が軒を連ねる重要伝統的建造物保存地区。町屋を改装した茶房で2階から通りを望み一休み。深煎りのコーヒーが美味でした。奥様は、ラテと古都金沢らしく金箔をあしらった鹿の子の和菓子に舌鼓。格子の内側からの景色も趣があります。夜、夕食がてらゆっくりと訪れるのも良さそうです。
 最後に、金箔工芸の箔座(これまで、中尊寺金色堂を始め、国宝の金箔修復を殆ど担当とのこと)に立ち寄り。加賀藩以来の伝統工芸で、今でも金沢は国内の金箔生産の99%を占めるのだとか。奥様は娘たちへのお土産を物色。余談ながら、化粧用の油とり紙が、金箔の包み紙の再利用とは知りませんでした。
 以上足早ではありましたが、朝8時半から欲張って市内7ケ所を巡り、午後2時過ぎに金沢を後にしました。帰路は、途中車窓から雄大な立山連峰を右に冬の日本海を左に見ながら、北陸道から上信越道経由で上田まで。新幹線に乗り換える皆さんとは、上田駅でお別れ。
お互い見ず知らずとはいえ、添乗員さんやガイドさんの心配りで、和気あいあいの旅行でした。初めての参加でしたが、若い頃や子供連れの時はともかく、中年夫婦にとっては、乗っているだけで連れて行ってもらえるバスツアーもなかなか良いものです。
また2015年に金沢まで新幹線が延伸したら、今度は自分たちだけでゆったりと金沢を巡るのも良いかもしれません。話題の21世紀美術館や県立美術館、そしてOEKの定演を本拠地の石川音楽堂で聴くのも一興でしょうか。冬の奥能登にも是非行ってみたいものです。

 上田から松本へ車で向かいながら、「楽しかったね・・・」と家内が名残惜しそうに一言。父が倒れてから7年・・・初めての旅行でした。
「うん・・・。またどこかに行こうか・・・。」

 ツアー第一日目。名付けて「白川郷ライトアップと上質の宿 旬のカニ・ブリの夕食と古都金沢・高山の旅」(些か長いツアー名ですが、クラブツーリズム主催)

 東京からの新幹線で10時に到着するツアーに合流すべく、車で上田駅へ。駅前のパーキングに車を預けて、上田駅からツアーバス(ナント松本のアルピコバス。やはり三才山峠を越えて来たのだとか)に乗り、今度は高速道路を長野道経由でまた松本へ逆戻りして、松本ICから国道158号線を安房トンネル越えで平湯経由飛騨高山へ。高山には数年前に職場旅行でも来ていますが、家内とは次女が生まれる前ですから、四半世紀前に安房峠を越えて来て以来です。お互い平成の合併で拡がって(高山市は市町村の面積で日本一の広さ)、今や北アルプスを挟んで隣接する高山と松本は、明治の一時期筑摩県として同じ県だったこともあり、姉妹都市。そう言えば、「白線流し」もTVドラマでは松本が舞台となりましたが、本来は高山の高校の伝統行事と、両市は何かと縁があります。

 さて、雪に埋もれた平湯では雪だるまのお雛様がお出迎え。しかし、いくら道路が整備された(安房トンネルが開いて本当に便利になりました)とはいえ、この豪雪の中の峠道を自分の運転では来る気はしません。
 高山では、陣屋も屋台会館も昔見ているので、上三之町を散策がてら、途中喫茶店で一休み。その後、小さな利き猪口を購入しての飛騨の地酒の試飲も、また家内はお味噌屋さんでの試食も、「うーん、ウチに今ある方(お酒は高天純米、お味噌は松本の丸正味噌)がイイかな・・・」と結局何も購入せず。
風情ある江戸時代の町並みが終って、宮川を渡った高山陣屋のすぐ前には、昔家族で泊まった本陣平野屋があり、二人で暫し懐かしく眺めていました。上三之町は狭い路地とはいえ、路一杯になるほどの観光客の人の波。“飛騨の小京都”高山の集客力は大したものです。
 続いて、このツアーのハイライトであるライトアップの白川郷へ向かいます。合掌造りは、昔高山にある「飛騨の里」で移築された建物を見たことがあるだけで、実際の集落を見るのは初めてです。
途中から東海北陸自動車道路経由(飛騨清見ICと白川郷IC間で10.7kmという飛騨トンネルを通過)で、随分早く便利になったとのこと。近付くにつれ次第に雪が激しさを増してきて、一番楽しみにしていた展望台からライトアップされた集落全体を眺めるのは無理でしょうか?
コキリコ節でも知られる、同じ庄川沿いの五箇山(富山県)と共に世界文化遺産に登録されている合掌集落である白川郷。初めての訪問です。
 バスはまるで旋回するように、雪に煙る谷間(あい)の集落に下って行きます。平家の落人伝説の里を実感させるような、正に谷底の“隠れ里”或いは“陸の孤島”といった雰囲気です。
耕地が狭く、江戸時代から養蚕を生業(また人里離れた地であることから、蚕の糞のアンモニアを利用した、火薬の材料である硝煙作りが密かに加賀藩から奨励され、後述の神田家でも床下で製造をして、集落の貴重な現金収入の源となっていたとか)としたこの地で、労働力確保のため(また戸数を増やさぬよう長男のみが相続し、分家を認めない)の大家族主義が生んだ合掌造り。荘川桜で知られる御母衣ダムによる水没や、製糸業の衰退での離村や廃屋により減る集落を守ろうと、当時村の青年団が中心となり「売らない、貸さない、壊さない」というルールで守られた100軒程の合掌集落(その内、一番大きなこの荻町集落には60軒とのこと)が、今や世界遺産の観光地として脚光を浴びています(その青年団の方々も、今や皆70代・80代とのこと)。
広い観光バス専用のせせらぎ駐車場も満杯(しかも40台限定での事前予約とか)。駐車場から対岸の集落への“であい橋”という庄川を渡る吊り橋も大渋滞です。
生憎降り続く雪で、楽しみにしていた展望台への通路は閉鎖とか。見学可能な「神田家」でいただいた甘酒(昔、祖母が掘り炬燵で作ってくれた味にそっくり)で温まり、急な階段を上って3階までの家屋を見学。住居は1階のみで、2階・3階スペースは「お蚕さん」専用とか。また敷地一杯に建てることから、合掌造りの大きな家屋の周囲には塀や垣根が無く、それによって集落全体に開放感・一体感がある印象を受けます。
 見学の後、ライトアップされた集落を巡ろうと思いましたが、吹雪のような雪降りに、我慢できずに寒さに震えて休憩所へ。家内はぜんざい、私は燗酒で漸く温まりました。普段は冷酒一辺倒ですが、この夜ばかりはお燗したお酒の温かさが体に染み渡るようでした。暖まった後、道沿いのライトアップされた合掌造りの家を回りつつ早めにバス(しっかり停まった場所を覚えておかないと、駐車場を埋めた40台のバスの中から探すのも一苦労です)に戻りました。
 この時期限定(1~2月の週末だけ7回のみの実施とか)とはいえ、ライトアップ最終日も手伝ってか、満杯のバスと人の波。その集客力に感心しました。観光地としての俗化への批判もあるかもしれませんが、それによりこの集落が共同体的に維持(茅葺の吹き替えは一軒3千万円とか)されるならば、過疎化で廃れて朽ちていくよりも、それはそれで意味があろうかと思います。
雪には閉口しましたが、「雪降りの方が、ライトアップはキレイじゃよ!」と説明役の神田家のお婆ちゃんの言われたのもナルホドと思えるような、一度は見たかった幻想的な風景でした。
 吹雪の中を7時半に出発し、バスは高速道路を一路今宵の宿泊地金沢へ。この雪道では殆ど無理でしょうと言われていましたが、8時半に兼六園に到着。好評で10日間延長されたという、兼六園ライトアップ最終日の終了時刻30分前。雪の降る中、足早に幽玄の世界とも云うべき兼六園を見学し、駅前のホテル日航金沢へ。
 夜のライトアップ2ケ所見学と欲張ったので、9時過ぎからの遅い夕食でしたが、北陸らしく寒ブリとカニなどに混じって、冬の金沢を代表する治部煮が甚く奥様には好評で何よりでした。私メは、地元の銘酒「加賀鳶」に舌鼓。

 「どこか旅行にでも行きたいね・・・」
 「秋の京都に行きたいなぁ。冬もイイなぁ・・・。それとも、いっそ海外でも行こうかぁ?」
 (フンと鼻を鳴らして)「海外どころか、北海道にも行ったこと無いし・・・。ま、リンゴやっている間は無理でしょうけどネ!」
 「いや、海外へはシンガポールで一杯行ったジャン!」
 「シンガポールなんて、一歩島の外に出れば全て海外でしょうがぁ!」
 「はぁ、ご尤も・・・。」

 毎年のように繰り返される会話。
焦れた奥様。昨年は娘とのNY旅行を計画しましたが、ご自身の骨折で敢え無く頓挫(ま、こればっかりは事業自得・・・むしろ自損事故?)。
確かに、会社務めの傍らの週末農業ではそうした時間的余裕も無く、毎度申し訳なく思っていました(と、何ら状況の自主的改善は無いのですが・・・トホホ)。

 唯一、剪定作業が終れば多少週末は時間が取れる真冬の時期。
ある日、カード会員向けの情報誌を見ていた奥様、
「1月から2月に、白川郷のライトアップと金沢だって!これ、行きたいっ!」
と珍しく力のこもった仰せに、その勢いに押されて自然と相槌を打つや否や、奥様は気が変わらぬ内に、或いは言質を取ったと思ったか、いつものカメさんとは思えぬ素早さで早速申し込まれました。そう言えば、私メは若い頃の採用担当で、大学訪問や職場旅行で行きましたが、家内は金沢も行ったことがないんだっけ・・・?

旅程表を見ると、長野新幹線利用での首都圏発着で、上田から平湯経由のバスツアーで金沢一泊。うーん、こういうツアーで中央線(あずさ)は今や使われないんですね。
であれば、松本を経由する筈だからと、お客様デスクに問い合わせてもらいましたが、松本でのピックアップは無理で上田駅でのバス乗車であれば可とのこと。松本に住んでいるのにとは思いつつも、「じゃあ、行ってみますか!」と、父が倒れた後(そう言えば、この時も予約していた旅行を慌ててキャンセルして、父の倒れた旅行先の山形県の庄内へ車で駆けつけましたが、「代わりの旅行になったね」と言ってもらったような・・・カタジケナイと恐縮しましたっけ)、娘のところに行くことを除いては(旅行と言うには申し訳ないほど近間ではありますが)夫婦揃っての初めての旅行と相成りました。

 作業場でのリンゴ作業のお供だったCDラジカセ。
数年前にFMラジオの代わりにと長女が買ってくれたのが壊れて、次女用に昔買った7年物?を(使わずに置いていったので)ご本人の承諾を得て使っていましたが、これもCDが音飛びとかしだして残りの寿命幾ばくか・・・。
これまで市立図書館から借りたり、AVレンタルしたCDを奥様にPCでダビングしてもらっていたのですが、壊れたのを機会に「もう世の中、iPodの世界でしょ!」ということで、とうとうアナログ派から脱却することと相成りました。

 そうかと言って、イヤフォンで(大音量で)聴くのは耳にも良くないですし(絶対に難聴の原因になる筈です)、電車通勤時に車内でシャカシャカ音漏れするのに閉口していたので人迷惑ですし、第一あのドンシャリは我慢できません。そこで、最近はiPodドックで直接接続して聞くことができるポータブルオーディオが各メーカーから登場していますので、「これかな!」

 今シーズンは何とか騙しだまし終ったので、秋までに購入出来れば良いと思いましたが、日頃ダウンロードしたオフコースとかをタブレットPCで聴いている奥様が、「じゃあ、それまで私が使うー!」とのことで、ここで購入することにしました。

iPodも最新のネット接続で無くとも良いので、iPodタッチではなくナノで十分。オーディオはまたぞろ各メーカーのカタログをじっくり吟味した(この時間が何とも楽しいですね)結果、個人的にはそれなりに音質重視(そろそろ我が家のアンプとCDも買い換えたいなぁ・・・もう16年使っています)で且つ持ち運びを前提に、色々ある中での予算内での候補機種をKENWOODのCLX-70に絞り、量販店の店頭で実物を見てから決めることにしました。オーディオ専業だったメーカーらしく、音質もカタログデータ上はこのクラスではまずまず。CLX-70はスリムなデザインですので重低音は期待できませんが持ち運びは可能で、アンプはデジタルプロセッシングでCDも使えます。
しかし、このモデルは2010年の発売だったらしく、最新のiPodナノは新しいボックスを購入しないと接続できませんでした。
このサイズ(奥行き)故、重低音を期待する方が無理(却って今までの大型のラジカセの方が良い音がしますし、またポータブルではなくなりますが、低音が欲しい時は本体にサブウーファの接続端子もあり)と言うもの。でも、やっぱり凄いなぁ。iPodナノって4000曲も入るんですね。しかも、予想に反して付属のイヤフォンも低音含め結構イイ音がしますし、普通の音量では音漏れも全く気にならず、時代はアナログ人間の想像以上に進化していました。イヤ、大変お見それしました(・・・ということは、音漏れして聴いていた若者は、一体どれほどの大音量で聴いていたのでしょうか)。

 先日は、日曜日の剪定作業中に、どうしても「きらクラ」をFM放送で聴きたくて、遂にiPodにイヤフォンを接続してのナガラ作業。いやぁ、受信状態含め、「イイ音してるなぁ!」と驚きでした(でも、やはりコードは作業の邪魔でした)。お陰で剪定作業も順調に進み、全て終了することが出来ました。

 ということで、秋のリンゴ作業までは、普段はリビングで奥様ご用達で鳴っています。しかし流れる曲は、決まって、いきものがかりに小田和正とオフコース・・・。ちょっとぉ、たまには別の曲掛けたらどうなのヨ。

 会社のメンバーから聞いた、ウソのようなホントの話です。
      
 今から4年近く前の夏のこと。
当時、彼は塩尻の事業所勤務だったために、松本にアパートを借りて住んでいて、その日は打ち合わせで上田の本社に出社すべく、朝7時頃峠道を登り三才山トンネルに入って走行していると、何と目の前に豚が歩いていたのだとか。それも、何頭も・・・。そして、間もなく先行車両が停車していて、トンネル内で動けなくなってしまったのだそうです。

 後で分かったことは、上田側のトンネル入口付近(大きくカーブをしてトンネル内に進入します)でトラックが横転し、“積荷”の豚が20匹ほど逃走(“豚走”?)して、トンネル内を松本方面に向かっていたのだとか。その結果、逃げた豚の捕獲作戦実行のためにトンネル入口は閉鎖され、2時間ほど通行止めになったのだそうです。
彼がトンネルに入った時は、上田側だけで、まだ松本側は閉鎖されていなかったため、運悪くトンネル内で立ち往生する羽目になったのだそうです。
しかし、全部捕獲されたんでしょうか?中には食べられたくないと、運良く山中に逃走出来た豚もいるかもしれませんね。もし、イノブタが三才山で発見されたら、その豚の子孫かもしれません・・・?

 先日寒さが緩み、松本は横殴りの雨。早朝、念のためPCで三才山有料道路のライブカメラ(トンネルの両側入口付近の映像)を見てみると、道路が真っ白。里は雨でも、標高1000m付近は降雪のようで、慌てて早めに家を出発しました。するとトンネル付近では雪でスリップして登れなくなった大型トラックが走行車線に停まっていて、皆反対車線を注意しながら追い越して行きます。そうした場面がトンネルの両側で発生していました。
雪道でのアクシデントは付き物とはいえ、夏のトラック横転事故での豚逃走とは、イヤハヤ、この峠道は何が起こるか分かりません。
      
「信じられないけど、そんなことが起こるんだね・・・。」
そうなんですと、別れ際に彼が一言。
「ハイ、これが本当の“豚ネル”ということで・・・」
ムム・・・お見事!誰か座布団一枚持って来てぇ!

 我々、生粋の“松本っ子”が当たり前と思っていても、県外から来られると、驚いたり意外だったりすることも多いようです。そんな話題としてお送りします。題して「信州松本“ぶったまゲーション”」。

 以前、都会から会社に中途入社された方が、10年くらい前の大雪の後、感心して仰るには「松本の人って、すごいですねぇ。雪で凍った道でも転ばずに平気でスタスタ歩いていて。自分なんか、もう何度も転んで、もし車が来たら轢かれそうでした!」とのこと。でも、決して冗談ではなく、転んで骨折されたと聞くのも珍しくはありません(先日も、某銀行の某支店長さんが腕を複雑骨折とか・・・やはりその方も県外からの転勤です)。

 確かに、雪道では大股に歩かずに、いつもより歩幅を狭くした方が良い、ということはありますが、それほどの違いでも無い筈と話をしていて分かったこと。
その方の履いていた靴の底がツルツルだったのです。そこで自分の履いていた靴を見せて、こういう滑り止めが付いた靴を履かないと駄目だということを教えてあげました。「あ、そうなんだ!」ということになり早速買われたそうです。以降その方も、松本の住人「らしく」雪道でも全く転ばなくなったのは言うまでもありません。

 雪と言えば、北信、とりわけ飯山地方は豪雪地帯で知られています。以前、県庁の方と話をしていて分かったこと。
飯山から長野へ出勤してくる人は、駅のコインロッカーを冬季常時借りていて、自宅から履いていた長靴(スノーブーツ)を入れて、普通の革靴に履き替えて出勤されるのだとか。一方長野から飯山に出勤する場合は、逆に駅で皮靴から長靴に履きかえるのだそうです。これも雪国ならではの“トリビア”(もう死語?)ですね。

 今年は既に太平洋岸にも降雪があり、今朝も松本は15cm程の積雪です。、本来松本地方では、“上雪(カミユキ)”と呼ぶ雪の時期は2月中旬から3月くらいで、むしろこれからが本番です。もしこの季節に信州に来られて、歩道が凍結していたら、どうぞご注意ください。

 先月、ハーモニーメイト向けに『松本市音楽文化ホール コンサートラインアップ2012-2013』が送られて来ました。
この3月末で、地震損傷から2年近く掛かった大ホールの改修工事が終了し、リニューアルオープン。待ちに待った音文のコンサートシーズン開幕です。ラインアップも昔に戻って、年度前半の9月分まで。

 先ずは、地震による損傷で2011年に予定されていて中止となった金昌国氏率いるアンサンブルof トウキョウが、今回は『リニューアルオープン記念 ハーモニーメイト特別演奏会』として、その時と同じプログラムで5月に再?登場するのを皮切りに、9月までの主催コンサートは全5公演。そうすると、OEK(第668話参照)は後半でしょうか?
6月にはナント小曽根真&ゲイリー・バートンという米国アカデミー賞受賞デュオが登場とか。しかし驚きです、音文主催でジャズが、しかも小曽根真が聴けるなんて。持っているCDにも、彼のピアノトリオが収録されているだけに、感激!です。また、7月には二期会所属の話題?の5人の太メンボーカルアンサンブル『イル・デーブ』が松本初登場。男声合唱をやっている義弟も「コレ、お薦め!」と強調していました。
そして前半最後には、『リニューアルオープン記念 ハーモニーメイト特別演奏会』と銘打たれた9月の仲道郁代リサイタル(曲目未定)。う~ん、どうしようかなぁ。ミーハーっぽいし、ここはピアノを習っているお子さん連れでの親子の皆さんに鑑賞はお任せでしょうか。でも、いくらハーモニーメイト特別演奏会とはいえ、メイトが2000円(一般は4000円)とは信じられません。

 いやぁ、渋いけど(SKFのような派手さはありませんが)、結構唸らされる企画が目白押しで、選ぶのが悩ましい。事務局の努力された跡が伺えます。
しかし、改修工事中は演奏会が無くて何となく物足りなかっただけに、(行こうと思えば)普通に身近で音楽が聴かれる生活・・・本当に有り難いものだとつくづく思います。若い頃は、一度限りのコンサートに行くくらいだったら、勿体ないので、その代わりにLPやCDを4枚買った方が・・・と思っていましたが、今ではやはり生音には敵わないと思いますね。例え一度限りであっても、そして耳に残らなくても心にさえ残ればイイ・・・生の音にはそんな魅力があると思います。

 パンフレットに拠れば、リニューアルでは、定評あった音響の再現と共に、より聴き易いようにと椅子を広めにしてゆとりを持たせた結果、これまでの756席から693席へと63席も座席数が減るのだそうです。
その規模だと、OEKはともかく、フル編成のオケを呼ぶのは難しいかもしれませんね。うーん、痛し痒しでしょうか・・・。でも、同じ松本市内には、地方都市としては贅沢なことに2000席の県文と1800席の馬蹄形の市民芸術館があるので、フルオケはそちらに任せればイイかも(せめてOEKには、是非音文へ来て欲しい!)

 プロ野球ヤクルトスワローズの人気マスコットキャラクターである『つば九郎』が、12月突然のFA宣言をして、手を挙げたFC東京など22団体との交渉の結果、ヤクルトに残留することになったという、何ともバカバカしい話題。

 明るい話題が少ない(?)中で、こういうバカバカしい話題が、仮に“やらせ”にせよ、球団社長と残留交渉までして記事になる(しかも朝日新聞では、コラムとはいえ社会面に掲載)というのがイイなぁ。
悩んだ?末に残留宣言をした理由の一つに、「宮本選手を(優勝せずに)手ぶらで返すわけにはいかないでしょ!」とか、パロディ満載。くだらないけど、ホンワカ、ホッコリ・・・しかし、ホントくだらない!と新聞記事を読みながら思わず笑ってしまいました。

 こういうジョークが真面目に出来るようになったというのは、日本もチョッピリ進歩?した証拠でしょうか、ネ?
MLBからお払い箱帰国の選手(しかも昨シーズンは、一度もメジャーに昇格出来ずにマイナー契約)が、獲得希望の日本球団へ当初年俸5億円を要求したという馬鹿げたニュースがありました(結局、それでも1億5千万円プラス出来高払いで契約)が、そうした風潮へのブラックジョークだったらもっとイイのに、と勝手に思ったのは私メだけでしょうか・・・?
因みに、つば九郎の年俸は1万円にヤクルトとタフマン飲み放題にビールが毎試合ピッチャー2杯までとか。FC東京は年俸3万円を提示だった由。
(球団も、他団体の提示条件を踏まえて、名前に因んだ28960円での年俸増額を提示するも、つば九郎は球団に迷惑を掛けたからとこれまでと同額で契約更新とのこと)

 先日は、大相撲初場所のPR応援に駆けつけて、今年の抱負を聞かれたつば九郎。すかさず、先日亡くなられた“昭和の大横綱”大鵬に因み「ヤクルト、つばくろう、たまごやき」。お見事です!
また、このキャンプ初日に、最初のランニングで突然ひっくり返っての一言は、「12球団一早いリタイア一号!」とか。報道陣は選手そっちのけでつば九郎を取材し、居合わせた球団社長は「つば九郎ばかりが話題では困る」と嘆いたとか。

 今年は、たくさん明るいホッコリするような話題が多いとイイですね。

 家を建ててから16年も経つと色々ガタが出てきますが、とりわけ気になっていたのが、ずっとそのままだった浴室のブラインド。
定期的に家内が浴室掃除をしても、なかなかブラインドは上手く出来ず、さすがに16年も経つとブラインドの羽がズレたり折れたり、またカビも生えてきました。

「ねぇ、ブラインド交換してよぉ!」「いや、素人じゃ無理でしょ!」
「見るだけでも、見てみれば!?」「見ても、分かんないってば!」
「んもう、やる気無いんだからぁ!」
「んなことは無いけど・・。だったら設計事務所に聞いて、アシスタントの人にでもどうすればイイか教えてもらえばイイじゃん!その方が早いって!」
「そんなことだけ聞ける訳、無いでしょうがぁ!」

というような“ケンカ腰”の会話が、ここ数年間繰り返されてきたような気がします。ただ実際に見ても、どうやって止めているのか、金具も見えず良く分かりません。
ホームセンターにはブラインドも売っているので、大きさを合わせて買ってくれば何とかなるのでしょうか?

 年末大掃除も終わり、唯一残ったブラインド交換。子供たちが正月に帰省して来るまでには何とかしたいという家内のご命令に、反応次第では一触即発の危険を感じ、漸く(自分の)重い腰を上げて、あぁでもない、こうでもないといじくり回していると、偶然にも両側の部分がズレてタイル面の接着部分が現れました。それは小さなビニールシートをタイルに挟んで、ギザギザになった止める部分をネジ式に回し締め付けて固定していく方式のようです。反対に回すと、緩んでブラインドが外れる仕組み。
「あっ、なるほどネ!」と目から鱗・・・。   

 大掃除を終えた大晦日に寸法を測って、念のために現物もホームセンターに持ち込み、係りの方に聞いてみると、浴室のブラインドは、個々の浴室の窓枠の大きさに合わせて、例えば幅ならその幅から止め具部分の余裕を取り、また羽はタイルに引っ掛からぬように縦横とも10mm(片側5mmずつの余裕を持たせる)引いた長さでメーカーにオーダーメイドで発注するのだとか。なるほど・・・と納得。
ということで、色を選択し、我が家の窓枠のW1300mm×H1060mmに合わせてメーカーに注文していただきました。既にメーカーが年末年始休暇に入り、また既製品ではないため2週間近く掛かるとのことで、残念ながら正月には間に合いませんでした。
「んもう、早くやっていれば、お正月に間に合ったのにぃ!」
「はぁ、ご尤も・・・」
      
 1月20日過ぎに届いたとの連絡が漸くあり、20時閉店とのことから会社の帰りにホームセンターに回って受け取って帰り、先日の休日の昼間の明るい時間帯に取り付けました。
枠の両側の部分をネジ式に回してサイドを固定するというのは、どうやら浴室用ブラインド共通のようです。ネジの部分が少し回し辛いので、家内にも手伝ってもらって固定。
家内が定期的に浴室掃除をしているので、タイルの目地などにカビも無く、ピカピカと言って良いくらいキレイなのですが、唯一上手く拭けずにカビだらけだったブラインドが新しくなり、まるで見違えました。
 何だか、新しいお風呂に入っているようで、気分までスッキリと新鮮になりました。古くなった浴室ブラインド交換。気分的にも効果大!で、これ、お薦めです。

 我が家の学区内にある桐保育園。前回の衆議院選挙などの、わが町内の投票所にもなっています。

 1994年ですので、もう18年前ですが、家族帯同で6年間赴任していたシンガポールから帰任し、現地から送った船便での引越し荷物を整理していて困ったもの。
それは、まだまだ小さかった娘たちの遊び場として、現地のToys“R”Us(トイザらス)で購入したプラスチック製のオモチャの家。
オモチャといっても、1.5メートル四方もあるようなカラフルな“小屋”。
住んでいたのが結構古いコンドミニアムだったせいか、リビングが滅法広く、赴任者仲間からは「まるで体育館!」と揶揄されたほど。
その広さを活かし?て、子供のオモチャの収納庫も兼ねて、シンガポールのToys“R”Us購入したのがこれで、娘たちのお友達が遊びに来ると、皆で入ってママゴト遊びをするなりとても重宝しました。

 しかし、日本では大き過ぎて置き場所に困り、また子供たちも帰国時は次女も小学1年の後半でもあり、そろそろ不要とのことで、捨て場所にも困り、ダメ元でお聞きしたのがこの保育園でした。
園児の遊び場にと、快く引き取っていただけることになり、分解して軽トラに積み、娘たちと一緒に運んで現地で組み立てて設置し、娘たちもお別れをしてきました。
 さすがに18年も経てば、男の子たちも居るので、壊れて捨てられたとばかり思っていました。
縁あって、先日、桐保育園にお勤めに保母さんとお話しをする機会があり、何気なくその「家」のことをお話したところ、「まだ、ありますよ。子供たちが今でも遊んでます!」とのお言葉。「えーっ、そうなんですか!」

 そして、参考にと写メールを送ってきてくださいました(壊れたのか、外してあるのか、手前側の壁が無くなっています)。
シンガポールから運ばれて、まだ現役で頑張っていたとは・・・。大事に使っていただいて感謝感激。親としても、子供たちの思い出が残っていたようで、感無量でありました。