カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ツアー第一日目。名付けて「白川郷ライトアップと上質の宿 旬のカニ・ブリの夕食と古都金沢・高山の旅」(些か長いツアー名ですが、クラブツーリズム主催)

 東京からの新幹線で10時に到着するツアーに合流すべく、車で上田駅へ。駅前のパーキングに車を預けて、上田駅からツアーバス(ナント松本のアルピコバス。やはり三才山峠を越えて来たのだとか)に乗り、今度は高速道路を長野道経由でまた松本へ逆戻りして、松本ICから国道158号線を安房トンネル越えで平湯経由飛騨高山へ。高山には数年前に職場旅行でも来ていますが、家内とは次女が生まれる前ですから、四半世紀前に安房峠を越えて来て以来です。お互い平成の合併で拡がって(高山市は市町村の面積で日本一の広さ)、今や北アルプスを挟んで隣接する高山と松本は、明治の一時期筑摩県として同じ県だったこともあり、姉妹都市。そう言えば、「白線流し」もTVドラマでは松本が舞台となりましたが、本来は高山の高校の伝統行事と、両市は何かと縁があります。

 さて、雪に埋もれた平湯では雪だるまのお雛様がお出迎え。しかし、いくら道路が整備された(安房トンネルが開いて本当に便利になりました)とはいえ、この豪雪の中の峠道を自分の運転では来る気はしません。
 高山では、陣屋も屋台会館も昔見ているので、上三之町を散策がてら、途中喫茶店で一休み。その後、小さな利き猪口を購入しての飛騨の地酒の試飲も、また家内はお味噌屋さんでの試食も、「うーん、ウチに今ある方(お酒は高天純米、お味噌は松本の丸正味噌)がイイかな・・・」と結局何も購入せず。
風情ある江戸時代の町並みが終って、宮川を渡った高山陣屋のすぐ前には、昔家族で泊まった本陣平野屋があり、二人で暫し懐かしく眺めていました。上三之町は狭い路地とはいえ、路一杯になるほどの観光客の人の波。“飛騨の小京都”高山の集客力は大したものです。
 続いて、このツアーのハイライトであるライトアップの白川郷へ向かいます。合掌造りは、昔高山にある「飛騨の里」で移築された建物を見たことがあるだけで、実際の集落を見るのは初めてです。
途中から東海北陸自動車道路経由(飛騨清見ICと白川郷IC間で10.7kmという飛騨トンネルを通過)で、随分早く便利になったとのこと。近付くにつれ次第に雪が激しさを増してきて、一番楽しみにしていた展望台からライトアップされた集落全体を眺めるのは無理でしょうか?
コキリコ節でも知られる、同じ庄川沿いの五箇山(富山県)と共に世界文化遺産に登録されている合掌集落である白川郷。初めての訪問です。
 バスはまるで旋回するように、雪に煙る谷間(あい)の集落に下って行きます。平家の落人伝説の里を実感させるような、正に谷底の“隠れ里”或いは“陸の孤島”といった雰囲気です。
耕地が狭く、江戸時代から養蚕を生業(また人里離れた地であることから、蚕の糞のアンモニアを利用した、火薬の材料である硝煙作りが密かに加賀藩から奨励され、後述の神田家でも床下で製造をして、集落の貴重な現金収入の源となっていたとか)としたこの地で、労働力確保のため(また戸数を増やさぬよう長男のみが相続し、分家を認めない)の大家族主義が生んだ合掌造り。荘川桜で知られる御母衣ダムによる水没や、製糸業の衰退での離村や廃屋により減る集落を守ろうと、当時村の青年団が中心となり「売らない、貸さない、壊さない」というルールで守られた100軒程の合掌集落(その内、一番大きなこの荻町集落には60軒とのこと)が、今や世界遺産の観光地として脚光を浴びています(その青年団の方々も、今や皆70代・80代とのこと)。
広い観光バス専用のせせらぎ駐車場も満杯(しかも40台限定での事前予約とか)。駐車場から対岸の集落への“であい橋”という庄川を渡る吊り橋も大渋滞です。
生憎降り続く雪で、楽しみにしていた展望台への通路は閉鎖とか。見学可能な「神田家」でいただいた甘酒(昔、祖母が掘り炬燵で作ってくれた味にそっくり)で温まり、急な階段を上って3階までの家屋を見学。住居は1階のみで、2階・3階スペースは「お蚕さん」専用とか。また敷地一杯に建てることから、合掌造りの大きな家屋の周囲には塀や垣根が無く、それによって集落全体に開放感・一体感がある印象を受けます。
 見学の後、ライトアップされた集落を巡ろうと思いましたが、吹雪のような雪降りに、我慢できずに寒さに震えて休憩所へ。家内はぜんざい、私は燗酒で漸く温まりました。普段は冷酒一辺倒ですが、この夜ばかりはお燗したお酒の温かさが体に染み渡るようでした。暖まった後、道沿いのライトアップされた合掌造りの家を回りつつ早めにバス(しっかり停まった場所を覚えておかないと、駐車場を埋めた40台のバスの中から探すのも一苦労です)に戻りました。
 この時期限定(1~2月の週末だけ7回のみの実施とか)とはいえ、ライトアップ最終日も手伝ってか、満杯のバスと人の波。その集客力に感心しました。観光地としての俗化への批判もあるかもしれませんが、それによりこの集落が共同体的に維持(茅葺の吹き替えは一軒3千万円とか)されるならば、過疎化で廃れて朽ちていくよりも、それはそれで意味があろうかと思います。
雪には閉口しましたが、「雪降りの方が、ライトアップはキレイじゃよ!」と説明役の神田家のお婆ちゃんの言われたのもナルホドと思えるような、一度は見たかった幻想的な風景でした。
 吹雪の中を7時半に出発し、バスは高速道路を一路今宵の宿泊地金沢へ。この雪道では殆ど無理でしょうと言われていましたが、8時半に兼六園に到着。好評で10日間延長されたという、兼六園ライトアップ最終日の終了時刻30分前。雪の降る中、足早に幽玄の世界とも云うべき兼六園を見学し、駅前のホテル日航金沢へ。
 夜のライトアップ2ケ所見学と欲張ったので、9時過ぎからの遅い夕食でしたが、北陸らしく寒ブリとカニなどに混じって、冬の金沢を代表する治部煮が甚く奥様には好評で何よりでした。私メは、地元の銘酒「加賀鳶」に舌鼓。