カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 いよいよ動けなくなり、その後何度も「あぁ、もうダメかも」と思わせながら、その後また通常の呼吸に戻って、時に悲しそうに泣きながらも一週間頑張っていたチロル。ただ体を撫でてあげるだけで、何もしてあげられませんでした。ナナも、どうして良いのか分らず、いつものようにじゃれることもなく、大人しく、ただ茫然と眺めているだけでした。
その間、私は(休肝日の)一日だけでしたが、その後は「酒飲みは信用出来ない」と、家内が夜中ずっと添い寝をしてあげていました。

 そして、先週末の明け方、とうとう眠るように息を引き取りました。
足腰が立たなくなってからも、体を支えてあげて数メートル歩くだけでしたが、亡くなる前日まで毎朝抱きながら散歩に行っていました。そして、ナナだけの散歩になったこの数日間。散歩用のリードなどを準備しながら、
「そうか、チロルはもう居ないんだ・・・」
と、今改めてその喪失感に襲われています。

 18年前、新築の我が家の玄関に、生まれてすぐに捨てられていたチロルです。
朝4時過ぎ、学校行事の集合時間に長女を送って行こうと玄関を開けると、置かれた段ボール箱の中で、そぼ降る雨に濡れて体が冷たくなりかけた子犬がいました。家内と次女が必死に体を温めて、やがて回復し、その後元気に家の中を駆け回るようになりました。
そして、娘が名付けた名前は“チロル”。
てっきり、子犬の頃はセントバーナードのような模様だったので、「少女ハイジ」のチロル地方からの連想とばかり勝手に思い込んでいたのですが、後年聞いた時に娘が教えてくれたその理由。
「安いけど、皆に好かれているチロルチョコ」からの“チロル”とか。血統書も無い、捨てられていた雑種の子犬の行く末を思いやっての命名だったのでしょう。次女は当時小学三年生だったと思いますが、子供ながらのセンスに、その時は感じ入ったものでした。

 臆病で、警戒心が強く、外の庭に来るネコや鳥、はたまた風に揺れるお祭りのしめ縄にまで吠えていたチロルです。
花火の音や雷が怖くて、雷が鳴ると、家内から禁じられている二階に上がって来て、私の足に体を摺り寄せて離れなかったチロルです。
イタズラをして叱られると、罰が悪そうに伏せのポーズで、上目がちに「ヨシ!」と言うのをじっと待っていたチロルです。そのOKサインがなかなか出ないと、催促するように前足で突いてOKをねだったチロルです。
朝の散歩が大好きで、休みの日など寝坊をしていると、明るくなってから、禁じられている二階へそっと上がって来ては、(家内を起こさぬよう)吠えずに前足で私の体を何度も突いて起こしてくれたチロルです。
シャンプーが大嫌いで、洗う間、風呂場を何十周もしていたチロルです。
車に乗るのが大好きで、車に載せてあげると喜んで、窓から顔をのぞかせていたのに、最後は残念ながら車には載せてあげられませんでした。

 18才の天寿を全うし、天に召されていきました。
チロルにとって、幸せな一生だったかどうかは彼女次第ですが、少なくとも私たち家族には、十二分にたくさんの幸せを運んで来てくれました。

 ありがとう、チロル。もう頑張らなくてイイからね。サヨナラ・・・。