カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 5年前、書店の文庫本の新刊コーナーで何気なく手に取ってハマり、ここで遂に最終巻となる第10巻「天の梯」まで、随分と楽しませてもらった高田郁著「みをつくし料理帖」(時代小説文庫)。
一回目こそ、お盆休み中の晴耕雨読で、(高校野球には目もくれず)一日で読み終えてしまいましたが、その後はじっくりとゆっくりと、ここで計三回半読み返しての“読了”と相成りました。
(以下、もしこれから最終巻を読もうと思われる方は、先入観なく読めるように、ここから先はどうぞ読み飛ばしください)

 澪だけではなく、ご寮さんや佐兵衛も含め、登場人物それぞれが皆辛さを心に抱えつつ、袖擦り合った赤の他人同士が、やがてお互いを慮り、助け合いながら、それぞれ(健坊や太一まで)の進む道を推量出来たのも良かった。
因みに、個人的に今回一番イイなぁ・・・と感じたのは、本筋ではありませんが、第二章の中で、一ヶ月間、澪に僅か十六文の安価な弁当を毎日十個頼んだ江戸城内の貧しい下級武士の徒組の若侍が、最後の支払いの際に、澪に礼を述べる件(追記その2)。藤沢文学にも似た、凛とした清々しさを感じました。
最後は、「ちょっと急ぎ過ぎでは?」、或いは「もうちょっと読者を余韻に浸らせてもイイのでは?」・・・・などと、贅沢な不満も感じないではありませんでしたが、小松原こと小野寺の陰なる助けや、旦那衆の支援もあり、無事「雲外蒼天」を果たし、大阪天神橋を二人して渡る件を以って大団円としたのも良かった。

 付録として、いつも通りに今回登場したレシピ紹介の後に、恒例のおりうさんが読者からの質問に答える「瓦版」(版元は坂村堂とか)の中で、いずれ「登場人物それぞれのその後を特別巻として発刊予定」との告知がありました。そして何よりも、何の説明も無く(「付録の番付表もお見落としなく!」というおりうさんの念押しはありましたが)、巻末に二つ折りで付けられた、文政十一年と記された一枚の「料理番付表」。

 大阪に澪たちが戻った文政元年から数えて十年後となる番付表が東西となり、江戸で後を託された政吉が今回登場した「親父泣かせ」を昇華させたのであろう「自然薯尽くし」で「つる家」が、そして大阪では、源斉の暖かな助言を得て「食は、人の天なり」と、医食同源の「病知らず」を完成させたのであろう、清右衛門命名の四ツ橋「みをつくし」が、それぞれ東西の大関を張り、行司役の勧進元が、佐兵衛率いる「一柳改メ天満一兆庵」となっているのも、(特別巻を待たずとも)その後のそれぞれの精進振りが容易に想像出来て、清々しい気分になれたのが何とも心憎い。読後の幸福感が倍加された番付表でした。

 このたった一枚の番付表で、先ほどの些かの不満も鮮やかに払拭されて、「ウーン、やられた!」・・・お見事です。
【追記】
きっと一年後くらいでしょうか?特別巻も楽しみにしています。
その前に、関西の友人が「こっちも凄くイイよ!」と勧めてくれた「銀二貫」を、TVでは少し見ましたが、「みをつくし」も終わったのでちゃんと読んでみようかな・・・西の番付表にさりげなく、小結に西天満「井川屋」が、前頭には船越町「真帆屋」の名前もありましたし・・・。
付録の番付表・・・「よう考えはりましたなぁ」。ご寮さんの声が聞こえて来そうです。
【追記その2】
*ルール違反ですが、今回が最後に尽き、その部分を掲載させていただきます
 このひと月、そなたの弁当でどれほど慰められ、励まされたか知れない、と丁寧に礼を伝える。
「同じ内容に見えながら、(略)細かな工夫が凝らしてあった。徒組は皆そろって貧しいが、貧しいからからこそ、このような心のこもった旨い弁当の味わいは身にも胸にも沁みた。城内では色々な者から入手先を問われたが、我らは一切、明かさなかった。もしかすると大きな商いに結び付いたかもしれず、それは申し訳ないと思うが」(略)
「持ち帰り専用の弁当屋、という商いの道もあるだろうが、そなたの行くべき道ではない、と我らは思ったのだ。冷めてもなお、これほどまでに旨い。そなたの料理は器に装われ、湯気の立っている方がおそらく、もっと似合う。いつか、そうした料理を口にしてみたい。我らはそれを楽しみにさせてもらう」(「天の梯-第二章 親父泣かせ」119~120頁より)