カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先日、会議で上諏訪に外出をしました。
いつもなら、懇親会予定が無ければ、上田から車で和田峠(新和田トンネル有料道路)を越えるのですが、その日は急に思い立って松本の自宅経由で、電車で行くことにしました。
会議終了後、“どうしても”上諏訪の「割烹 雫石」へ寄りたかったのと、急だったこともありますが(誘えば一緒に飲みに行ってくれるメンバーもいますが)、たまたま太田和彦著「居酒屋を極める」(新潮新書)を読んでいたので、“独り酒”と洒落込もうと思ったのがキッカケでした。

  “どうしても”と書いたのは、数か月前に上諏訪での懇親会が終わってから“檀家回り”で寄った時に、“花金”のまだ9時過ぎだというのに、店が閉まっていたのが気になっていたこともあります。

 夕刻6時過ぎに、心配しながら歩いていくと、玄関先の灯篭に灯がともり、大きな甕に季節の花が投げ活けられているのが目に入り、一安心。
引き戸を開けて中に入ると、お客さんは誰もおらず、声を掛けると厨房からご主人が出て来られました。
「あれぇ、久し振り。今、上田ずら?」(と、確かご主人は松本の里山辺のご出身とか・・・)
「そうだけど、この前来たら閉まってたから、それで心配して・・・」
何でも、最近上諏訪の街は閑古鳥だったそうで、週末でもお客さんが居なくなると、そんな日は早めに閉めてしまっていたのだとか。
特に何故かこの3月はひどくて、一人もお客さんが来ない日もあったとか・・・。諏訪の街は、駅前もそうですが、この冬は諏訪湖の御神渡も出来なかったので寂しい限りだそうです。確かに、デパートやショッピングプラザが閉鎖され、明かりの消えた駅前はまるでゴーストタウンのようにすら感じます。
「でも、来年は御柱だし・・・」
「7年に一度の御柱と夏の花火だけじゃさぁ、何とかしないと・・・」

 八ヶ岳山麓を中心に、国内有数の黒曜石産地だった和田峠を抱える諏訪エリアは縄文遺跡の一大集積地であり(茅野で発見された土偶2体は国宝指定)、また土着のミシャクジ信仰や、タケミナカタノミコトの諏訪大社だけではなく、古代出雲にも繋がるであろう鉄鉱山が戦前まであったなど、諏訪の地はかなり面白い処なのですが・・・ネ。

 早速、カウンターに座って生ビールを頼むと、煮物のお通しと小鉢でサラダを出してくれました。そして、「これ、食べてみ!」と、山ウドを酢で〆て青のりを塗した一品も(美味!)。
ご主人と世間話をしていると、女将さんも出て来られました。何でも、常連だった会社のメンバーも次々にリタイアし、次第に(地元に住んでいなければ余計に)足が遠のいているのだとか。私も昔はそうでしたが、若い人はこうした店の良さは分らないでしょう。
お酒は、三合瓶の冷酒を一人で飲み干すのは無理なのでぬる燗を頼むと、この日も岩手の「あさ開」を出してくれました。
焼き魚をお願いし、〆に野菜たっぷりの焼うどんも。女将さんとは、「吉田類の酒場放浪記」の諏訪ロケの裏話を教えてもらってから、松本清張に始まり、南部藩の壬生義士伝で盛り上がり、気が付けば9時。3時間近くも居たことになりますが、水曜日とはいえ、その間客は結局私一人だけ・・・。
想像以上に、諏訪の街は深刻なようです。
「上田からはちょくちょくは来られないけど、今度来る時は誰か誘って来るからね!」

 上諏訪「割烹雫石」・・・“大人飲み”に相応しいイイ店です。
太田和彦流で言わせてもらえれば、「いい酒、いい人、いい肴」が全て揃っているような・・・。もし松本にあったら(本家の居酒屋放浪記で紹介された「きく蔵」は、今や有名店で予約も難しくなりました)、例えチョイ飲みででも、週イチで通うんですが・・・ネ。
【追記】
後日諏訪への外出の際、同僚を誘って伺ったのは言うまでもありません。
そして、飲兵衛からの勝手な視点で、これからもずっと「いい酒、いい人、いい肴」を続けて欲しかったので、この日電車に乗る前に松本の丸善で買った太田和彦著「自選ニッポン居酒屋放浪記」(新潮文庫)を女将さんにプレゼント。前回「細かい文字が読み辛くなった」と言われていたので、三部作はちょっと負担かなと・・・。
因みに「自選」は松本編(三部作の第一巻「立志編」に掲載されている「松本の塩イカに望郷つのり」)からスタートし、東日本と重なる阪神大震災後に訪ねた神戸編「神戸、鯛のきずしに星がふる」(きっと女将さんの故郷釜石への想いにも繋がると思います)まで16編が収録されています。