カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 何年か前に、「日輪の遺産」や「地下鉄に乗って」など、何冊か浅田次郎氏の著作は読んでいたのですが、タイムスリップなどの飛躍が非現実的で、小説としては嗜好的に好きではなかったので、その後、氏の作品は読んでいませんでした。

 過日、日経か朝日か忘れましたが、時代小説のお薦め作品の中に、氏の著作である「壬生義士伝」があり、気になったので上下巻に分かれている文庫本(文春文庫)を購入して読んでみました。週刊誌に連載され、2000年に刊行された「柴田練三郎賞」受賞作とのこと。しかも、綿密な取材に基づいて書かれた、氏にとって初めての時代小説だったそうです。
電車通勤時代と違い読む時間がなかなか取れず、旅行や東京への移動中なども含め、数ヶ月掛かって漸くここで読了となりました。

 岩手盛岡南部藩の貧しい足軽の家に生まれながらも努力して文武に秀で、やがて家族を養うために脱藩し新撰組に入隊した吉村貫一郎。
幕末の鳥羽伏見の戦いで満身創痍となりながらも南部藩の大阪藩屋敷に逃げ込み、竹馬の友だった留守居役の大野次郎衛門から「南部藩の面汚し」と叱責されて、切腹を命じられるところから物語はスタートします。
柔らかな南部弁での吉村自身の回想を挟みながら、物語は一挙に50年経った日清・日露後の大正年間にスライドし、生き残った嘗ての新撰組のメンバー等が吉村にまつわる思い出やエピソードを語りつつ、その吉村の人としての生き様や、その後の彼の遺族の消息まで交えてストーリーが展開していきます。
「そうか、こんな描き方もあるんだ・・・」
最初はその時間の跳躍に戸惑いながらも、その緻密に練られた手法の巧さに脱帽。しかも、大河ドラマの様な時代の大きなうねりの中で、不器用ながらも自らの信念に従い、人としての義を貫いた(そうして生きざるを得なかった)名も無き人たちが見事に描かれています。語り手は替わりつつも、取材者(一言も語りませんが)に対し、独り語り的に進行するので、舞台での独り芝居にも題材として向いているのではないか?と勝手に感じながら読了しました。そして、著者が彼等を通じて語らせる50年後の「今」の堕落した日本は、それから更に100年経った「今」を生きる私たちへの警鐘的な問い掛けでもありましょう。

 著者自身は東京出身とのことですので、何故盛岡を舞台に選んだのか分りませんが、柔らかな南部弁で語られる盛岡の美しい風土と相俟って、主人公だけではなく不器用に儀に生きた南部藩の人々の原日本人的描写が何とも印象的な(同じ日本人として自らを省みて居住まいを正すような)作品でした。

 読み進みながら何度も目頭が熱くなりました(以下、これから読まれる方は無視してください)。
故郷南部を語る吉村貫一郎に。また会津藩士たちと運命を共にした斉藤一郎が語る南部の人たちの思い遣りに。
父に代わり函館五稜郭に馳せ参じた嘉一郎に。そして文末に登場した、縁故を伝手に旧友吉村の末子の養育を依頼する、自身の処刑前日にしたためられた大野次郎衛門の手紙に・・・。

 曰く、
「われら南部武士は、女子供まで曲げてはならぬ義の道ば知っており申す。」
「妻子を養うために主家を捨てる。しかし恩と矜(ほこ)りとは決して忘れぬ。」
「侍が、町人が、大工が、子守女が、皆家々から走り出て、わしらに言うのじゃよ。会津のお侍さま、お許しえって下んせ。おもさげなござんす。とな。」
「出立の折、御組頭様より頂戴した昇旗でござんす。二十万石はこんたな足軽ひとりになってしもうたが、わしは南部の武士だれば、たったひとりでもこの旗ば背負って戦い申す。二十万石ば、二駄二人扶持にて背負い申す。」
「南部の士魂、しかと見届け申した。御家は断じて賊軍にあらず、佐幕にして勤王の雄藩にてござる。」(薩摩藩大将黒田清隆)
「此者之父者 誠之南部武士ニテ御座候 義士ニ御座候」

 「壬生義士伝」、ずしりと読み応えあり。