カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 8月27日の日経に興味深いインタビュー記事がありました。それは、長野県下條村という県南部にある山村で24年間村長をされて、過疎と借金まみれだった村を人口増と実質無借金の自治体に変貌させ、「奇跡の村」とまで呼ばれるようになり、この7月末で退任された伊藤喜平さん(81歳)のインタビュー記事でした。
この「奇跡の村」は、マスコミでこれまでも何度も取り上げられていますので、ご存知の方も多いかもしれません。

 下條村は、飯田市から16㎞の天竜川の河岸段丘にあり、殆どが傾斜地で7割が山林。就任当時の人口が3900人だったそうです。知られているのは、峰竜太さんの出身地であることと、親田大根という江戸時代から知られた辛味大根くらいで、典型的な過疎集落。地元でガソリンスタンドを経営していた伊藤さんは地元の状況に危機感を持ち、村議から村長となって、先ず取り組んだのが職員と村民の意識改革。職員を地元のホームセンターへ研修に出しコスト意識を持たせ、退職補充をせずに2/3まで削減。また村の財政状態から行政頼みには限界があるため、100万円に満たない道路や水路の改善事業には資材代を村が負担し、村民たち自身に工事や整備を依頼。当初かなりの抵抗や反発もあったそうです。しかし、どんな陳情が来ても突っぱねたとか。
 『やってみると、できてできて。自分たちで汗をかけば次の日から生活道路が使えるようになる。達成感があって満足すると、またやるぞとなる。格安にできるだけでなく、自分たちで知恵を出して村に貢献できるならやろうという意識が醸成されてきた。これはありがいです。』
行政頼みではなく、皆で助け合う。これって、江戸時代など昔の「普請」と同じではないでしょうか。昔は、どこでも村人総出で何でもやっていた筈です。そして、この事業で浮いた資金を村営のモダンな若者定住促進住宅建設などに回し、先程の道普請などへの協力や消防団加入を条件に格安で入居。また子供の医療費も高校生まで無料化し、補助教員を村単独で配置。こうした成果で、出生率も2011年~15年までの平均が1.88と全国平均を大きく上回り、人口も2005年には4200人まで増加したのだそうです。
自分たちで工夫し汗をかき、(色々制約条件の付く)国や県の補助金に頼らぬこうした試みと成果が「奇跡の村」と呼ばれるようになったのです。
 インタビュー中の氏の発言の中で特に印象的だったのは、
 『住民が協力し合えばいざこざも起きない。都会では保育所や公園を造るのも地域ともめるそうだが、ナンセンスだな。どうしてこういう社会になったのか。権利はいくらでも主張するけど、義務には知らんぷりする。こんなの直すのは大変だよ』。
 『日本人はもっと義務感や連帯感を持たないといけない。(中略)下條できたことはよそでもできる。都会でお公園の管理など近隣の住民ができるんじゃないか。実際にやると達成感もあり、地域をさらに考えるようになる』
全く同感です。権利には必ず義務が付随している筈です。最近、それを忘れて自分の権利ばかりを主張する人が地域でも会社組織でも多いのではないか。“ダメモト”“とか自分だけ良ければ”という風潮が気になります。
 そして、氏のインタビューの最後は、こう締めくくられていました。
(地域のことを考えるようになった上で)『もうちょっとほのぼのしたものが欲しい。泥臭い人間性のようなものがね』。