カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 世界的な名演奏家と評される中にも、録音よりも生演奏の方が良いというマエストロも少なくありません。同じ演奏でも、録音では(もしくは自宅の再生装置では)聞こえない「音」が演奏会場での「生」だと聞こえるという物理的な差もありますし、また「耳」では同じ演奏であっても、目で受ける印象や皮膚感覚で受ける印象が加わることでの差、つまり五感の中で、聴覚だけでなく、その場に居合わせることにより、視覚や触覚でしか感じられない映像や空気感が生み出す感動もありましょう。従って、どんなに感動的な演奏であっても、それを録音で聴くと印象が全く異なるということは(特に聴覚以外の印象は)良くあることだと思います。

 些か前置きが長くなりました。
昔から楽器の中ではチェロの音色が好きですが、その中でも取り分けバッハの無伴奏組曲が大好きなので、手元にあるのはマイスキーとビルスマですが、市の中央図書館から別の演奏家のCDも何枚か借りて聴いたりもして比較したり、また念願の生演奏ではケラスで全曲を聴くことが出来ました。その意味では、個人的には結構聴き込んでいる曲の一つだと思います。

 青木十良というチェリストがおられます(ました)。
1915年に貿易商の家に生まれ、戦後NHKで音楽家としてのキャリアをスタートし、90歳を超えて尚現役演奏家としてバッハの無伴奏の“感動的”名演をされ、2014年に99歳で亡くなられました。手許にそのチェロ組曲第5番のCDがあります。これまでも図書館のCDコーナーで気になっていたので、ここで初めて借りて聴いてみました。
最初は何の先入観も持たずに「ただ音だけを」聴いたところ、ガッカリ。ある意味、客観的には聴くに堪えない“音源”でした。
押さえが利かないのか、音が弱く薄っぺらい。ピッチが甘く音程がピタッとはまらない。音がブツブツと切れて音楽として繋がっていない。
自由なアゴーギクはまだしも、リズムが違う、早いパッセージは遅れる、重音の強弱の付け方に違和感がある・・・。
そして、最近の録音なのに(会場は浜離宮朝日ホールなので、むしろ機材の問題か)音質が悪い(音がモコモコと篭っていて、空間的な拡がりが感じられない)。
 「何だ、これ。(CDを出しているということは)プロだろうに・・・!?」
不思議に思ってCDのライナーノーツを読んでみて、初めて演奏家のプロフィールを知り、更にこの5番はマエストロの御年満88歳時の録音だと知る・・・。
 「ふ~む、90歳近い演奏家であれば(多少運指が遅れても)止むを得ないか・・・」と、そこで自身妙に納得してしまう・・・。
 「90歳でここまで演奏するということは、確かに凄いのだろう・・・。」

 嘗て故吉田秀和氏が、誰もが有難がり称賛したホロビッツの初来日公演を「ひび割れた骨董品」と酷評した(ホロビッツ自身も認識していたのか、3年後に再来日して見事な演奏を披露。吉田氏も今度は絶賛します)のを想い出します。

 多分、もし目の前に90歳の老チェリストが居られて、現役として孤高の演奏を繰り広げられたら、圧倒的な感動に包まれるのだろうと思います。それは、90歳という年齢から伺い知る、眼前の「演奏」への尊敬からもたらされる感動でもあろうと思います。
しかし、それが果たして「音」に対しての正しい評価なのか?個人的には疑問を感じます。(子供のピアノ発表会の様に)無料で聴きに来て頂くアマチュアの演奏会なら構いませんが、少なくとも料金(チケット代やCD価格)を取る以上、例えチケット500円のアマチュア演奏会であっても、そこに(=対価に見合うかどうかという観点に於いて)同情される余地は無くなる筈です。演奏者がどんなに感動しても、もしそれで歌えなくなったら、お金を払って聴きに来ていただいたお客様に対しては失礼であり、(単なる自己満足は)演奏家としては失格でしょう(大学のアマチュア合唱団の定演で、当時先輩から厳しく指導されたものです)。

 そうした私の(ある意味不遜な)印象が間違っているかもしれないと思い、録音された「音」を5回聴いてみました。大好きなマイスキーの弾く5番とも聴き比べました。しかし、「感動で涙がこぼれる」というライナーノーツやCDに書かれたキャッチフレーズ程の感動は、何度聞き直しても、残念ながらどうしても得られませんでした。

 期待が大き過ぎたのか、前回のシンガポールで一番の人気店というチキンライス(海南鶏飯)に些かガッカリし、「これなら自宅でも作れるジャン!」。
何を大げさな!・・・とお思いでしょうが、それほどオーバーでもありません。今や殆どの食材や調味料が(地方でも)入手可能です。

 先ずタイ米。前回はネットで購入しましたが、今回は松本にタイ食材店があり(西堀から島内に移転し漸く再開)、ジャスミン米が地元でも入手出来るようになりました。そして、専門の中国食材店の無い地方では入手が一番難しい濃い目の醤油(ダークソイソース)も、一年前に恵比寿の「新東記」に伺った時に店頭で販売していたそうで、家内が購入済み。あとチリソースは今や日本でもポピュラーです。
新鮮な鶏を、臭みを取るべく生姜や長葱と一緒に煮て、その煮汁でタイ米を炊けば完成です。煮汁はスープにも。好みでコリアンダー(シャンツァイ、パクチー)を刻んで散らします。シンガポール風は、キュウリ(本来は大味な現地のキュウリですが)も不可欠。タレはお好みで、ダークソイソースとチリソースに摩り下ろした生姜を混ぜて。
あと田町の「威南記」で教えてもらった、薄めた醤油にお砂糖と胡麻油に生姜を混ぜたタレと三種類をお好みで。
これでも十分ですが、もっと手軽に作るには、今やCookDoのシリーズでチキンライスの元「アジアン鶏飯」が売られています。
因みに、レシピによっては鶏肉を米に載せて一緒に炊き上げる調理法もありますが、その場合鶏肉が崩れてしまうのと肉が硬くなり過ぎるので、個人的には別々に調理した方が好み。
以上の食材を自宅で調理。プロには敵わずとも、片や専門店では二人で2千円強に対し、食材費が二人で〆て400~500円也。
 シンガポール・チキンライス(タイではカオマンガイ)は元々海南島からの移民が広めた料理ですし、本来「海南鶏飯」は家庭料理だった筈ですので(シンガポールの人たちは共稼ぎゆえ自宅で料理せずに三食屋台で食べるのですが)これで十分ではないでしょうか(と大いに満足!)。しかし、タイ米は美味。匂いも何とも言えません。特にピラフやカレーには、ジャポニカ種よりもインディカ種の方が遥かに美味しいと思います。
(それにしても、松本に居ながら、しかも自宅で東南アジアの味が楽しめるのですから、イイ時代になったと実感!)

 8月と9月の空。何気なく眺めていたら、素敵な光景に出合いました。

 一つは、我が家のベランダから東山々系方面の空に浮かんだ微かな光の帯。虹の欠片なのか、或いは「彩雲」か。いずれにしても、水滴の集まりがプリズムとして作用し分光された結果ではありますが、雲の一部が虹色に輝く彩雲は決して珍しい現象ではないのだそうです。
 また別の日。夕刻用事で諏訪に電車で移動した時のこと。
松本も雨が止んだ後だったのですが、塩嶺トンネルを抜けた諏訪盆地も雨上がり直後だったようで、東の霧ケ峰方面に見事な虹が掛かっていました。
虹そのものは何度も見たことがありますが、これほど鮮やかな虹を見るのは本当に久し振りだったような気がします。上諏訪駅に降りて会場まで歩いていると、皆さんが思い思いに空を眺めておられました。皆さん、やはり印象的な虹だったようです。



 彩雲も虹も、古来吉兆の印と云いますが、何か良いことがありますように・・・。

 前話のマチネでの東京日帰り旅行。
午前中別件のある奥さまと別行動で、私メは前回行けなかった新宿の中古CDのディスクユニオンのクラシック専門館へ。
11時開店の直前に新宿紀伊国屋横のビルのフロアに到着すると、開店同時に脱兎の如くダッシュする方が数名。限定盤か廃盤か、多分お目当てのCDをゲットするためなのでしょう。私は、ネットで注文するもタワーレコードにもAmazonや楽天にも在庫が無く、入手できなかったアルヴォ・ペルトを探します。残念ながら欲しかったベスト盤はありませんでしたが、数枚あった中で彼の作風を象徴する「ティンティナブリ様式」のCDが1枚だけありましたので、それと聴く機会の少ないサン=サーンスのチェロ協奏曲のCD(若い頃のヨーヨーマ独奏でラロとシューマンがカップリング)を併せて購入。

 買い終わっての昼食は、独りでないと食べられないインド料理です。
新宿東口でネット検索して行ってみると、そこはインドだけではなくタイ料理なども一緒のアジアン料理とのこと。北も南も、はたまたネパールやスリランカでさえも区別しない様なカレー料理店は似非でしかありません。ということで結局そこには入らず、時間節約でコンサートホールのある池袋へ直行。ネットで調べると、西武デパートの飲食店街フロアに「東京カレー屋名店会」なる店を発見。何でも、都内のカレー有名店5店のカレーを集めた店だそうで、ここなら一石二鳥ならぬ“一席五丁”となりますでしょうか?
どれも都内では老舗のカレーの名店とのことですが、結局どの店のカレーも残念ながら日本風若しくは日本人向けにアレンジされているようでした。しかし、インドカレーを日本に広めたと云われる新宿中村屋を初め、老舗であればある程当時スパイスに慣れなかったであろう日本人向けにアレンジせざるを得なかったでしょうから、日本的な味付けになっているのはいたし方ありません。
そこで、メニューの中で一応 “インド風”とあったエチオピアとデリーのカレーを選んでみましたが、やはり(使われているスパイスが)マイルドで北インド料理とは言えませんでした。
 そしてコンサート終了後もこのフロアに再訪。
今度は、帰郷する前に、美登利寿司「活」の池袋店で信州ではなかなか食べられない美味しい寿司を食べるためです。いつもは次女の住む糀谷に近い蒲田の「活」ですが、今では都内に何店舗もあって、どちらも行列店のようです。こちらの池袋店も、午後5時前でしたが既に40人ほどの行列。次女も合流し、食べる頃には60人以上で70分待ちとの案内。都内の人気店とは言え、いやはや大したものです。
娘と家内は、中トロ、ヒラメ、炙り生ホタテなど。私メはヒラメにエンガワ、そして〆サバにコハダや炙り鰯など光物中心で。以前、成田「江戸ッ子寿司」で食べた旬のイワシには負けますが、新鮮なイワシはやっぱり海に近い所でないと食べられません。
 「それにしても、旨いなぁ!いいなぁ、都会は・・・。」
(地元の寿司店の味が落ちたので、今松本で行けるのは北陸直送の回転寿司チェーンくらい。選ぶネタにもよりますが、却って都会の方が鮮度が良くて値段も安いくらいですから)

 どちらかと言うと、これまで“聴かず嫌い”だったシューベルト。
せいぜい「魔王」に始まり「未完成」といった音楽の授業程度だったのが、小学館のクラシックプレミアムでベーム指揮SKDの「ザ・グレイト」の名演に触れ、また音文(松本ハーモニーホール)でのアファナシエフのピアノリサイタルで彼の後期ソナタを聴き、歌曲だけではない彼の曲の奥深さを知りました。
特に「ザ・グレイト」と呼ばれる交響曲第8番(昔は9番)は、決してブラームスの第1番まで待たずとも、またその間のシューマンやメンデルスゾーンだけではなく、シューベルトもまた交響曲においてベートーヴェンを引き継ぐ系譜に繋がっていたことを改めて教えてくれた楽曲として(やや単調ですが、彼らしいメロディアスな旋律に溢れていて)、是非一度生で聴きたいと願っていました。

 今年の演奏会の予定を見ていた中で、「グレイト」をプログラムに取り上げられていたのが、気が付いただけで3つ(都内での演奏会は日帰り可能なマチネが大前提で)。
先ず長野市民芸術館でのオープニングシリーズの中での井上道義指揮OEK。そしてインバル指揮都響とカンブラン指揮読響。2管編成の曲ですのでOEKでも十分ですが、井上さんは個人的に趣味ではないので除外。読響がモーツァルトのPf.協奏曲第15番に対し、エルガーのVc.協奏曲との組み合わせで振るインバルと都響の定期をチョイス(エルガーは前回の音文での“耳直し”の意味もあります。因みに交響曲8番は、都響は「グレート」と長音表記でしたので、以下それに従います)。インバル&都響コンビは、熱狂に包まれたマーラー・ツィクルスでの5番が印象に残ります。
 当日の東京芸術劇場コンサートホールは反響板が取り付けられ、日本最大級のパイプオルガンは隠れていました。
マエストロの80歳と都響デビュー25周年を記念しての第813回の定期演奏会(Cシリーズ)。3階席前列のほぼ中央の席。さすがは、評判の高いコンビに満席の活況。前半のエルガーのチェロ協奏曲。生で聴くのは3回目ですが、演奏はともかく、2管の小編成ゆえに?音が全く飛んで来なかった最悪のNHKホール。音響は素晴らしいのですが、ソロががっかりだった前回の音文。そして、三度目の正直か、音響も演奏も申し分なし。ドイツ・カンマーフィルの首席も務めるというソリストのターニャ・テツラフ。遠目にはケネディ駐日大使に似て、深紅のロングドレスがステージに良く映えます。決して派手さはありませんでしたが、哀愁溢れるエルガーには渋く滋味のある彼女の演奏が似合いました。インバルは決してサポートに徹するのではなく、時に対峙しながら緊張感ある伴奏。生のエルガーを始めて堪能しました。カーテンコールに応え、バッハの無伴奏組曲第3番から第4曲サラバンド。
 休憩をはさみ、お目当てのシューベルトの交響曲第8番ハ長調「ザ・グレート」。同じ調性の6番と区別すべく「大」ハ長調としての「グレート」と云われますが、“Great!”そのものの意味でも良いのでは?と思えるほど壮大なシンフォニーでもあります。
シューベルトがウィーン楽友教会にこの曲を送り(1826年)、協会はパート譜まで起こしながら何故か演奏されずに埋もれてしまったこの交響曲。シューベルトの死後、シューマンが彼の遺品の中から譜面を発見し、盟友だったメンデルスゾーンが指揮者を務めていたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管で初演されたという伝説のシンフォニー。その第4楽章には、後年 “第10交響曲”と称されるブラームスの第1番(1876年完成)よりも50年前に、ベートーヴェンの第九の第4楽章の主題を連想させるメロディーが登場します。
前半のエルガーと同じ2管編成ながら、ホルンが4本、木管も各4本と増強(倍管)されています。そのホルン2本の特徴ある序奏で始まる第1楽章。第2楽章のオーボエソロが実に柔らかく美しい。
全体的に意外とゆったりしたテンポでしたが、緊張感に溢れ、またベーム&SKDのライブ録音もそうでしたが、失礼ながらマエストロも80歳という年齢を全く感じさせない実に瑞々しい演奏でした。また3階席から眺めると、コンマス矢部達哉氏率いるオケも、前のめり気味に切れ味鋭くマエストロのタクトに全身全霊で応えているのが良く分かります。しかも、驚いたことに第4楽章ではマーラーの「巨人」張りに木管のベルアップ奏法も・・・。マエストロの指示なのでしょう、きっと。
この緊張感、真摯な演奏が、インバル&都響をして近年名コンビとして評価される所以なのでしょうね。この日も“インバル信者”が多かったのでしょう。多くのブラヴォーが掛かり、カーテンコールが繰り返されて、マエストロがコンマスに退場を促して、拍手の内にお開きに。
 初めて生で聴いたザ・グレート。「うん、良かった!」
インバル&都響コンビに大いに満足でした。
【追記】
翌11日は、後輩から誘われて「冬の旅」全曲演奏会で安曇野へ。
思いがけず、シューベルト三昧の二日間となりました。

 9月に入って、昼間は残暑でまだ暑くても朝晩は随分涼しくなり、夜は虫たちの合唱もpからfへと段々賑やかになって来ました。

 昨年10月に初めて行った入笠山のトレッキング(第1003話)の時に、何度も来ているという群馬のご夫婦から「入笠は(春のスズランよりも)秋のリンドウの方が素晴らしいですヨ」と教えていただいたので、H/Pで見頃を迎えたと知り、天気予報を眺めつつ、「毎日が日曜日」の特権で平日の方が混まないだろうと、9月2日の金曜日に行って来ました。 前回、高校時代の友人から「入笠のすぐ近くで働いているから、次回来る時は案内するから」と言われていたのですが、平日では学校がありますので、いくら校長先生でも抜けるのはまずいので、今回は声を掛けずにおきました。

 朝、家内の作ったオニギリのお弁当を持って、10時には現地到着。
前回行った時の往復券(10月末切換えで最長1年間有効)でゴンドラが割引(1650円が1350円)。私達同様、曜日が関係無い中高年の方々が結構おられましたが、やはり平日ですのでMTBに興ずる若者も含めて然程の混み具合ではありませんでした。

 ゴンドラで1780mの山頂駅まで一気に登り、いざ出発。まだ夏の名残りで、山には雲が掛かっていて、八ヶ岳も半分は雲に覆われていました。甲斐駒や鳳凰三山といった南アルプスは元より富士山も勿論雲の中。今日は、北アルプスや中央アルプスまで一望出来る山頂からの360度の大パノラマは難しそうですが、この日のお目当てはエゾリンドウです。
途中、前回行かなかった「恋人たちの聖地」の展望台にも立ち寄り、林の中を抜けて入笠湿原へ。エゾリンドウが紫色の花を一斉に咲かせていて満開の様相。湿原全部かと思っていたら、その一角に自生しているようで、想像よりも少なかったのですが、それでも見事なエゾリンドウの群生でした。高貴な色と言われる凛とした紫の花に、何だか心まで澄み切っていくようでした。
湿原からお花畑まで林道を歩き、1955mの山頂を目指します。約300mの標高差。ゆっくり歩いても40分程度ですが、結構な急登部分もあり、手軽に登山気分が味わえます。
途中、野外学校に来られたという川崎市の小学生の皆さんとすれ違い。道を譲って待っていると、皆さん元気に「コンニチワ!」と下って行きました。今回は分岐点から岩場迂回路で登頂。どちらも同じ15分とのこと。この日の山頂からは、やはり八ヶ岳以外は雲が掛かっていて、残念ながら山並みを望むことはできませんでした。山頂には、元気に登って来たミニチュア・ピンシャーやまだ子犬のオールド・イングリッシュ・シープドッグやなどもいましたが、歩くのが嫌いな我が家のナナは絶対無理そうです。
帰路は、首切清水へ降りると車道を歩くことになり、歩き易い反面(トレッキングとしての)面白味には欠けるため、来た登山道を下り、花の季節を過ぎたお花畑の長い階段を上ってゴンドラ山頂駅へ。秋のキリンソウやワレモコウが高原の秋の訪れを教えてくれます。今回もゴンドラ搭乗券で割引(350円が300円)になるルバーブのソフトを(奥さまが)食べて(私メはノンアコールビールで「プハッ!」)暫し休憩してから下に降りました。

 カラマツ中心で広葉樹の少ない入笠の紅葉はイマヒトツなので、今年の秋の紅葉シーズンには白駒にでも行ってみようかと思います。

 簡単調理の男の厨房編。今回は順番が後先になりますが、前回ご紹介したジャガイモチヂミ(第1125話)の前に作ったポトフを、頂いた野菜がまだたくさんあるので、それを使ってまたまた作ってみました。

 ポトフはフランスの家庭料理。ですので、決まった食材があるわけでもなく、手元にある肉類やソーセージ、ベーコンといった加工肉と有り合わせの野菜をコトコト煮て作るだけ。各国にも似た煮込み料理がありますが、因みにフランスでは、おでんが日本版のポトフとして紹介せれているそうです。

 今回もソーセージではなく買い置きの厚切りベーコンを一片のニンニクで香り付けをしてオリーブオイルで炒め、家にあった野菜、ジャガイモ、ニンジン、タマネギに古くなりそうなエノキとシメジも入れて作ります。
材料を準備するのは簡単ですが、唯一ジャガイモの皮剥きと芽を取るのがやや面倒くさいくらいでしょうか。どの野菜も大き目に荒くザク切りで。
先にベーコンを炒めてから、水を入れてジャガイモ以外の野菜を煮て、煮崩れしないように最後にジャガイモを煮て出来上がりです。味付けはコンソメで。プランターからパセリを摘んでみじん切りにして、食べる時に散らして頂きます。“男の料理”としても、失敗するような箇所の無いほど簡単レシピです。

 奥さまのお帰りを待って、「いっただっきまーす!」(フム、美味、と自画自賛)。さてと、今度は何作ろ?っと・・・。

 JR田町駅から徒歩5分、田町グランパークにある「威南記海南鶏飯(ウィーナムキー ハイナンチーハン)」。
今、シンガポールでローカルフードのチキンライスの一番人気店の日本店(銀座にも支店あり)。ちょうど一年前も次女のリクエストで行こうと思ったのですが、予約が一杯で行けませんでした(代わりに恵比寿のシンガポール料理店「新東記」へ行きました)が、今回念願叶って初めて行くことが出来ました。この田町本店では、今年の2月にTVの「ぐるナイ」のゴチの舞台にもなったのだとか。

 11時開店で平日のランチですので(休日以外は予約不可)、12時前であれば“サラメシ”の方々でまだ混みあうことはなかろうと11時半に到着。すると既に行列。凄いですね、と唖然。相席やテラス席(この日は30度以上の残暑でした)ならすぐOKとのことでしたが、折角なのでテーブルが空くのを待つことにして20分。漸く座ることが出来ました。お店は周囲も緑に囲まれていて、南国シンガポールの雰囲気が良く出ています。
 ランチメニューのチキンはスチームとローストの二種類で、ランチは夜とは値段設定が異なるようです。家内と娘がスチームのチキンライス(税込1100円)、私はローストのチキンヌードル(同1000円)をチョイスしました。
程なく運ばれてきたチキンライスは、コリアンダー(中国語で香菜=シャンツァイ、タイ語でパクチー)が載っていて、チリやダークソース、ジンジャー等のタレはテーブルに載った容器から小皿に自分で盛り、またチキンそのものに薄口の醤油系のタレが既に掛けられていて、チキンの下にキュウリが敷かれたスタイル。チキンヌードルには定番の極細面と炒めた小松菜(?)が載っていますが、グレービーな餡かけの様なソース。現地での屋台で良く食べたのは、もっとドライだった様な気がします。確かに味付けそのものは懐かしい感じでしたが、ローストの程度が甘い感じ。現地でのローストはチキンやダックも定番でしたが、もっと皮がパリパリしていました(もしかすると作り置きかも?)。また、家内のチキンライスのチキンは少し臭みがあります。一方タイ米は量もたっぷりでとても美味しかったです。チキンスープも薄味で美味。
いずれにしても、どちらもシンガポールで慣れ親しんだスタイルとは少し違いました。
 この「威南記海南鶏飯」は、シンガポールで1989年創業とのことですが、'87~'94の赴任中には聞いたことがありませんでした。伝統的なローカルフード(海南鶏飯は中国の海南島からの移民が広めたと言われる料理で、中国語の発音はハイナンチーファン。英語ではHainanese Chicken Riceでした)とは言え、店ごとの工夫や特徴、時代変化があって良いと思いますが、個人的には(当時は、屋台街でも観光客相手相手ではないホーカーセンターでは、いくら美味しい屋台であっても中国語しか通じない店主も多く、その場合地元の人が一緒でないとちゃんと注文するのが難しかったので)、オーチャード・マンダリンのチャターボックス(チキンカレーとホッケンミーも美味しかった!)の方が懐かしさという思い出も加味されて美味しかったように思います(但し、帰任後家内と娘がシンガポールに遊びに行ったら、チャターボックスは、シェフが独立し、店も高級店に改装されて一階から最上階に移転していて値段も当時の倍。店名通りのカフェテリアらしかった昔とは全く違っていたとか)。但し、こちらは現地店の直営ではないようですので、現地で実際に食べてみてからでないと本当の味を判断するのは拙速であるように思います。
でも、信州では食べられない(タイ料理のチキンライス「カオマンガイ」は松本にもありますが)懐かしの“シンガポール料理”を東京で味わうことが出来ました。

 東京で働いている次女からの定年と還暦のお祝いのご招待で、一泊二日で上京して来ました。月一度の母のショートステイに合わせて、今回はナナも連れての上京です。

 最近のペットブームで、ペット連れの宿泊客の増加を見込んで始めた、お台場にあるヒルトン東京の「ワンニャイトステイ」。
ペット連れOKの宿泊施設や食事処は、ペットブームの昨今でもなかなか見つけるのが難しいのですが、ヒルトンは既存の部屋をペット連れ専用にして、ペット専用の朝食付きで部屋にケージやペット用のグッズを備えています。題して“ワンニャイトステイ”とか(ネーミングはともかく、勿論連泊可能です)。
以前、ショッピングも兼ねて軽井沢にある会社の契約先のリゾートホテルに泊まった時はペット不可のため、アウトレット内のペットホテルにナナだけ預けましたので、今回はナナも初めての一緒の宿泊になります。

 航空会社勤務なので他の人が旅行に出掛ける時が一番忙しい仕事でなかなか帰省出来ない娘は、我々のお祝いも勿論ですが、久し振りにナナにも会いたいのが本音でしょうか。
ペット専用ホテルではないので、宿泊客の方々の中には嫌いな方やアレルギーの方もおられるだろうことから、室内以外ではペットは必ず持参したカゴ(ドッグバギーなど)に入れて移動することと、ワクチン接種済みの証明書を事前に必ず送付することが条件です。なお宿泊は、一部屋1匹で35kg以下とのこと。娘の所に届けるモノもあり、またナナも一緒のことから、今回は車で上京しました。台風接近で信州も風雨強まる中を出発し(そのためか交通量も少なく、却って運転は楽でした)、チェックイン時間に合わせて途中休憩を取りながら、娘の住む糀谷経由で2時半頃到着。時間前でしたがチェックインさせていただき、先ずは部屋へ。目の前にレインボーブリッジを望む部屋で、ナナも初めてのお泊りに戸惑いながらも興奮気味の様です。先ずはケージを始め室内の匂いを嗅いで安心のご様子。
このホテルは、以前のホテル日航時代に家族で泊まったことがありましたが、隣接する当時のメリディアンに日航が移転し(現グランド日航)、日航だった施設をヒルトンが経営を引き継いだのだとか。前回はまだ植えて間もなかったエントランスのオリーブが、見事な大木に生長していて月日の経ったのを認識しました。
 その日の夕食は、ナナを部屋のケージに入れてのお留守番で、コレド日本橋(6年ほど前に、三井本館に併設の三井記念美術館の特別展の時に来たのを思い出しました)内にあるマンダリンオリエンタル(ホテルは隣接する日本橋三井タワー内)のイタリアンレストランのディナーブッフェへ。最後にサプライズもあり、スタッフの方から記念に写真も撮っていただき、記念のディナーは終了(一流ホテルのスタッフの目配りはさすがでした)。
些か運転疲れ(田舎者は首都高の運転は緊張します)と酔いで、私メは早めの就寝。翌朝いつも通りに4時起きすると、ナナはケージではなく、ちゃっかりと家内のベットで気持ち良さげに添い寝中。
風は強かったものの、台風一過で青空の下、隣接するお台場の海浜公園へ家内はウォーキング、私とナナは散歩へ出発。早朝からかなりの人出でしたが、落ち着いたとはいえ都会でのポケモンGOの人気を目の当たりにした次第。
戻り、ナナの朝食を済ませ、我々は朝食ブッフェへ。すぐに座れましたが、平日とはいえ客層の2/3は外国の方々で、その半分は中国。当局の規制で“爆買い”は下火とはいえ、インバウンド効果は続いているようです。イヤハヤ大したものだと実感。
折角なので、娘へのお礼にランチをご馳走しようと、レイトチェックアウトをお願いしたら、1時半までは無料とのこと。さすがこちらも一流ホテルです。ナナはまたまたお留守番で、以前一杯で予約出来なかった田町のシンガポールレストランへ(次回ご紹介します)。
 久し振りのシンガポール気分を楽しんで、急ぎホテルに戻り、全員での記念写真を撮ってからチェックアウト。ヒルトンは娘の会社で提携しているホテルで、本来だとコーポレートレートで泊まれるようですが、ペット用ルームは適用外とのこと。随分散財させてしまったようで、おかたじけ!でも、娘のお陰でナナも一緒での記念の東京ステイとなりました。

 8月27日の日経に興味深いインタビュー記事がありました。それは、長野県下條村という県南部にある山村で24年間村長をされて、過疎と借金まみれだった村を人口増と実質無借金の自治体に変貌させ、「奇跡の村」とまで呼ばれるようになり、この7月末で退任された伊藤喜平さん(81歳)のインタビュー記事でした。
この「奇跡の村」は、マスコミでこれまでも何度も取り上げられていますので、ご存知の方も多いかもしれません。

 下條村は、飯田市から16㎞の天竜川の河岸段丘にあり、殆どが傾斜地で7割が山林。就任当時の人口が3900人だったそうです。知られているのは、峰竜太さんの出身地であることと、親田大根という江戸時代から知られた辛味大根くらいで、典型的な過疎集落。地元でガソリンスタンドを経営していた伊藤さんは地元の状況に危機感を持ち、村議から村長となって、先ず取り組んだのが職員と村民の意識改革。職員を地元のホームセンターへ研修に出しコスト意識を持たせ、退職補充をせずに2/3まで削減。また村の財政状態から行政頼みには限界があるため、100万円に満たない道路や水路の改善事業には資材代を村が負担し、村民たち自身に工事や整備を依頼。当初かなりの抵抗や反発もあったそうです。しかし、どんな陳情が来ても突っぱねたとか。
 『やってみると、できてできて。自分たちで汗をかけば次の日から生活道路が使えるようになる。達成感があって満足すると、またやるぞとなる。格安にできるだけでなく、自分たちで知恵を出して村に貢献できるならやろうという意識が醸成されてきた。これはありがいです。』
行政頼みではなく、皆で助け合う。これって、江戸時代など昔の「普請」と同じではないでしょうか。昔は、どこでも村人総出で何でもやっていた筈です。そして、この事業で浮いた資金を村営のモダンな若者定住促進住宅建設などに回し、先程の道普請などへの協力や消防団加入を条件に格安で入居。また子供の医療費も高校生まで無料化し、補助教員を村単独で配置。こうした成果で、出生率も2011年~15年までの平均が1.88と全国平均を大きく上回り、人口も2005年には4200人まで増加したのだそうです。
自分たちで工夫し汗をかき、(色々制約条件の付く)国や県の補助金に頼らぬこうした試みと成果が「奇跡の村」と呼ばれるようになったのです。
 インタビュー中の氏の発言の中で特に印象的だったのは、
 『住民が協力し合えばいざこざも起きない。都会では保育所や公園を造るのも地域ともめるそうだが、ナンセンスだな。どうしてこういう社会になったのか。権利はいくらでも主張するけど、義務には知らんぷりする。こんなの直すのは大変だよ』。
 『日本人はもっと義務感や連帯感を持たないといけない。(中略)下條できたことはよそでもできる。都会でお公園の管理など近隣の住民ができるんじゃないか。実際にやると達成感もあり、地域をさらに考えるようになる』
全く同感です。権利には必ず義務が付随している筈です。最近、それを忘れて自分の権利ばかりを主張する人が地域でも会社組織でも多いのではないか。“ダメモト”“とか自分だけ良ければ”という風潮が気になります。
 そして、氏のインタビューの最後は、こう締めくくられていました。
(地域のことを考えるようになった上で)『もうちょっとほのぼのしたものが欲しい。泥臭い人間性のようなものがね』。