カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 世界的な名演奏家と評される中にも、録音よりも生演奏の方が良いというマエストロも少なくありません。同じ演奏でも、録音では(もしくは自宅の再生装置では)聞こえない「音」が演奏会場での「生」だと聞こえるという物理的な差もありますし、また「耳」では同じ演奏であっても、目で受ける印象や皮膚感覚で受ける印象が加わることでの差、つまり五感の中で、聴覚だけでなく、その場に居合わせることにより、視覚や触覚でしか感じられない映像や空気感が生み出す感動もありましょう。従って、どんなに感動的な演奏であっても、それを録音で聴くと印象が全く異なるということは(特に聴覚以外の印象は)良くあることだと思います。

 些か前置きが長くなりました。
昔から楽器の中ではチェロの音色が好きですが、その中でも取り分けバッハの無伴奏組曲が大好きなので、手元にあるのはマイスキーとビルスマですが、市の中央図書館から別の演奏家のCDも何枚か借りて聴いたりもして比較したり、また念願の生演奏ではケラスで全曲を聴くことが出来ました。その意味では、個人的には結構聴き込んでいる曲の一つだと思います。

 青木十良というチェリストがおられます(ました)。
1915年に貿易商の家に生まれ、戦後NHKで音楽家としてのキャリアをスタートし、90歳を超えて尚現役演奏家としてバッハの無伴奏の“感動的”名演をされ、2014年に99歳で亡くなられました。手許にそのチェロ組曲第5番のCDがあります。これまでも図書館のCDコーナーで気になっていたので、ここで初めて借りて聴いてみました。
最初は何の先入観も持たずに「ただ音だけを」聴いたところ、ガッカリ。ある意味、客観的には聴くに堪えない“音源”でした。
押さえが利かないのか、音が弱く薄っぺらい。ピッチが甘く音程がピタッとはまらない。音がブツブツと切れて音楽として繋がっていない。
自由なアゴーギクはまだしも、リズムが違う、早いパッセージは遅れる、重音の強弱の付け方に違和感がある・・・。
そして、最近の録音なのに(会場は浜離宮朝日ホールなので、むしろ機材の問題か)音質が悪い(音がモコモコと篭っていて、空間的な拡がりが感じられない)。
 「何だ、これ。(CDを出しているということは)プロだろうに・・・!?」
不思議に思ってCDのライナーノーツを読んでみて、初めて演奏家のプロフィールを知り、更にこの5番はマエストロの御年満88歳時の録音だと知る・・・。
 「ふ~む、90歳近い演奏家であれば(多少運指が遅れても)止むを得ないか・・・」と、そこで自身妙に納得してしまう・・・。
 「90歳でここまで演奏するということは、確かに凄いのだろう・・・。」

 嘗て故吉田秀和氏が、誰もが有難がり称賛したホロビッツの初来日公演を「ひび割れた骨董品」と酷評した(ホロビッツ自身も認識していたのか、3年後に再来日して見事な演奏を披露。吉田氏も今度は絶賛します)のを想い出します。

 多分、もし目の前に90歳の老チェリストが居られて、現役として孤高の演奏を繰り広げられたら、圧倒的な感動に包まれるのだろうと思います。それは、90歳という年齢から伺い知る、眼前の「演奏」への尊敬からもたらされる感動でもあろうと思います。
しかし、それが果たして「音」に対しての正しい評価なのか?個人的には疑問を感じます。(子供のピアノ発表会の様に)無料で聴きに来て頂くアマチュアの演奏会なら構いませんが、少なくとも料金(チケット代やCD価格)を取る以上、例えチケット500円のアマチュア演奏会であっても、そこに(=対価に見合うかどうかという観点に於いて)同情される余地は無くなる筈です。演奏者がどんなに感動しても、もしそれで歌えなくなったら、お金を払って聴きに来ていただいたお客様に対しては失礼であり、(単なる自己満足は)演奏家としては失格でしょう(大学のアマチュア合唱団の定演で、当時先輩から厳しく指導されたものです)。

 そうした私の(ある意味不遜な)印象が間違っているかもしれないと思い、録音された「音」を5回聴いてみました。大好きなマイスキーの弾く5番とも聴き比べました。しかし、「感動で涙がこぼれる」というライナーノーツやCDに書かれたキャッチフレーズ程の感動は、何度聞き直しても、残念ながらどうしても得られませんでした。

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