カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 松本中央図書館で借りる古典落語のCD。
何度かご紹介した「どうらく息子」を読んで、ストーリーに出て来る古典落語をちゃんと聴いてみよう思ったのがきっかけです。
先ずは「芝浜」と「文七元結」を聴こうと思い、借りたCDが「落語教養高座 江戸大百科」(第951話参照)。全部で30巻近い古典落語のシリーズで、その後もコーナーにあるCDを次々と借りて全部聞いてみました。

残念ながら新しいものは殆ど無く、志ん生や米朝、小さん、圓生などの昔の名人中心(借り手の想定がご老人なのでしょうか?落語のコーナーの横には、広沢虎造の浪曲選も)。名人芸でも、モノラル録音が多いのが玉に傷。これだと折角の話芸も音が悪くてなかなか聞き取れません。
それにしても、やはり小さん師匠の名人芸。枕で「~ですな」と、語尾をちょっと上げる語り口に得も言われぬ味がありますな(♪)。
「禁酒番屋」で、次第に酔いがまわっていく番屋役人の様子や「たぬき」など、さすがの人間国宝です。因みに小さん師匠は、一応長野市生まれで、二・二六事件に(何も知らされずに、反乱部隊所属の二等兵として上官の命令に従い)出動していたとか(大昔、TVで語っておられた記憶があります)。

 そんな落語のCDコーナーの中に、名人志ん生の次男である古今亭志ん朝師匠のCDが2枚だけあったので借りて聞いてみて驚きました(「愛宕山」と「宿屋の富」、「居残り佐平次」と「雛鍔」がそれぞれカップリング)。
声の張り、江戸弁のキレと気風の良さ、(有り得ない噺だからこそ、誰もが汗だくで演じるという「愛宕山」では、途中話が無く、おそらく動作だけでの)客席の沸き方からも伺い知れる芸の巧みさ・・・。
落語に留まらず、売れっ子だっただけにTVにも登場していましたし、落語もTVで視た記憶はあるのですが、当時は落語の深さも面白さも知りませんでしたので、記憶に残ってはいません。2001年に61歳という若さで急逝されたそうですが、残された音源を聴くと、今更ながらに「旨いなぁ・・・」と溜息が出て来ます。辛辣な立川談志が、「金を払ってでも聴く価値があるのは志ん朝だけ」と評価していたそうですが、ナルホドと思います。今更ながら、惜しいなぁ・・・。

 一方、以前「紺屋高尾は談志を聴くべし」と本ブログへのコメントで教えていただいたので、図書館で探してみたのですが、権威に盾突いての反権力故に公共図書館としての購入は憚られたのか、何故か談志師匠のCDは見当たりません。
その後も、「どうらく息子」に登場してくる噺を主体に、古典落語のCDをほぼ毎週借りていたら、先日初めて立川談志師匠のベストと冠した2枚組のCDを棚に発見。早速借りてみました。入っていた中で、師匠らしい毒舌・辛辣な枕はともかく(あまり好みではありません)、古典落語のテンポの良さはさすが。特にCDに収められた「二階ぞめき」(注記:ぞめく=冷やかす)と迫真の「らくだ」(完演版とのこと)に感服。上手いなぁ・・・。
・・・ということで、志ん朝と談志の両師匠がもし今も元気だったら、平成の大名人として(上方ではさしずめ枝雀さんでしょうか)競い合っていたでしょうに。みんな、ホント惜しいなぁ・・・。
 因みに“昭和の爆笑王”三平師匠も1枚だけあったので借りてみましたが、生で聴いたら印象も変わるのかもしれませんが、録音では感心せず。
また、変わったところでは、ANAの機内サービス用(昔、海外赴任中などで搭乗した日系航空会社ではリストに必ず落語もあり、こんなの聞く人がいるのか?と訝しがった記憶がありますが、今なら納得です)の「笑う全日空寄席」に入っていた三遊亭歌之介師匠の「寿の春」。師匠の出身地、鹿児島弁による爆笑創作落語と、「笑点」でもお馴染みの林家たい平師匠の幽霊噺「不動坊」。これは真打昇進6日目に収録された高座とか。若手(今や中堅ですが)も頑張っています。そして、一枚だけあった柳家さん喬師匠の「抜け雀」と「五人廻し」のCD。初めて聴きましたが、いや、巧い。メリハリがあり、気品と色気を感じさせます。人気噺家の一人でもある柳家喬太郎師匠がさん喬師匠のお弟子さんで、さん喬師匠ご自身は小さん門下だそうです。また、そのさん喬師匠と長年に亘って二人会を行っている“寄席の爆笑王”柳家権太楼師匠のCDも2枚。「二人共旨い!」(CDで、新しいのはせいぜいこの程度)。
まだ、上方落語までは行きつけておりません。西の人間国宝、故米朝師匠に辿り着くのはいつになることやら・・・。

 因みに、最近は“落語ブーム”なのだとか。
私メが落語の面白さを知ったのは、何度かご紹介した尾瀬あきら作「どうらく息子」ですので、5年ほど前。地方にいると機会の少ない“生落語”でもお客さんは私も含め中高年ばかりでしたが、都会では今や若者が落語を聞きに“押し寄せている”(オーヴァーに云えば)のだとか。ブームか否かの真偽はともかく(この辺は後日改めて触れるとして)、一方で噺家さんが東西合わせて800名とかで、この数は全盛期(?)の(今と比べ娯楽が少なかった)江戸時代に匹敵するのだとか(ナルホド!)。但し、江戸時代には40席あったという寄席は、今や東京に僅か3軒のみだそうですが・・・。
どうぞ、皆さんも一度(TVやCDで)落語を聞かれてみては如何でしょうか。

 10月20日、2016プロ野球ドラフト会議(正式には新人選手選択会議)。
自由競争による契約金高騰を防止するために1965年(近鉄鈴木、巨人堀内投手等が第1回目のドラフト1位だった筈)に導入されたというドラフトですが、TVでの生中継が全国放送されるようになって、以前は確か午前中から行われていた筈が、視聴率狙いか夕方5時からの実施になってしまいました。この時間帯でも会社勤めだと見ることは出来ませんが、今年はリタイアしているので、生まれて初めて生でドラフト会議を視ることが出来ました(但し、TV中継は1位指名のみ。超目玉選手を除けば、本当は下位指名の方が面白いのですが残念ながら中継は無し・・・)。

 ドラフトと云えば、昔は各球団指名の1位選手は垂れ幕の様な紙に墨書きされて貼られ、パリーグの事務局長だった(多分)伊東パンチョさん(大リーグ通の草分け的存在)が司会で指名選手を読み上げていたと記憶しています。今や、さすがに各球団のテーブル上に置かれたノートPCに指名順位毎に入力し、会場の大きなスクリーンに表示される方式です。
今年も事前の予測通り、目玉選手には指名が重複し、クジ引きでの抽選が行われました。トリビア的(もう誰も使いませんが)に云うなら、過去最も指名が多かったのは8球団指名の新日鉄の野茂英雄投手と亜細亜大の小池秀朗投手(但しこの年は入団を拒否して社会人野球へ)で、小池投手は旧信州工業高校出身(その後、武蔵工大二高から現在は東京都市大付属塩尻高校。小池投手も県外から当時の大輪監督を慕って野球留学。因みに、今をときめく広島の菊池選手も同様です)でした。

 アマ時代に実績を残し、前評判の高い1位指名選手が活躍する(その可能性が高い)のは当然です。しかし、ドラフトの一番の興味は、その時には無名で下位指名であっても、入団後の精進で上位指名を凌ぐ活躍をする選手が必ず埋もれていること。ましてや、それがもし育成指名の選手であったならば・・・。それが果たして誰なのか?、ドラフト時点では勿論分からなくても、5年後、10年後にそれが証明されます。例えば育成選手出身では巨人の山口投手が最初の成功例として有名ですが、近年でも2010年のソフトバンクの千賀投手、2013年にはDeNAの砂田投手が育成選手として指名されています。
それが面白くて、週刊ベースボールのドラフト特集号を1997年から毎年買い続けて大切に保管しています(因みに1997年は巨人の高橋監督が指名された年でした)。今年2016ドラフト特集号でちょうど20冊。
 今年の下位指名や育成指名選手の中にも、5年後、或いは10年後に大活躍してチームの中心選手となる逸材が隠れているのかもしれません。みんな頑張って是非“ジャパニーズ・ドリーム”を叶えてください。

 知り合いの方から、天然のクリタケ(栗茸)をお裾分けで頂戴しました。
クリタケは栗やコナラなど広葉樹の切り株や倒木に生える雑キノコで、ナメコの様にヌメリがなく栗色の傘が特徴です。ナメコの様に株立ちで群生して生えるので、一度見つければたくさん収穫可能なキノコです。出始めの雑キノコがハツタケなら、クリタケはキノコシーズンの終わりの晩秋のキノコなのだそうです。毒キノコのニガクリタケと間違えやすいと云いますが、生で少しかじってもクリタケは苦くないので、もし苦ければニガクリタケ(但し、クリタケも生食では下痢などを引き起こすので、かじっても必ず吐き出すべし)。またニガクリタケはクリタケに比べて黄色っぽいそうです。
以前乗鞍に行った時に、道の駅か直売所で売っていたクリタケを買って、奥さまイチオシのクリタケご飯で食べましたが、大変美味しかった記憶があります。

 今回もクリタケご飯です。家内は、例えば刻んだニンジンやゴボウ、油揚げなどは一切混ぜずにクリタケのみ。でも、これがキノコ本来の味が弱まらず、クリタケのシャキシャキした食感が際立つので、クリタケだけで炊き込むのがシンプルですが一番美味しいと思います。
 この日は、クリタケご飯にサンマの塩焼き。
 「う~ん、日本の秋ですなぁ・・・。」
山と海の恵みを頂きながら、つくづく四季がある日本という国に暮らす幸せを感じます。

 三年くらい前だったか、通勤途中に聞いているNHK-FMの「きらくにクラシック」(きらクラ)の中で紹介(しかも視聴者の方から)されて初めて耳にした曲。アルヴォ・ペルト「鏡の中の鏡」。中世のグレゴリオ聖歌にも似た、(おかしな例えですが)誰も居ない雪原に差し込む光の様な“無音”の世界。心が洗われる様な、不思議な感覚でした。
調べてみると、中世どころか、1935年エストニア生まれの現代の作曲家。
但し、聴いた印象は“当たらずしも遠からず”で、僅か7歳から作曲を始め、その後現代音楽の“袋小路”に迷い、そのため西洋音楽の基礎となったグレゴリオ聖歌や多声音楽に回帰して、「ティンティナブリ様式」(錫の鳴るさま)と云う境地に至ったのだそうです。我が国でも2014年高松宮殿下記念世界文化賞も受賞するなど、世界的にも知られた作曲家なのだとか。
現代音楽に疎いせいもありますが、その時まで全く知りませんでした。You Tubeでも聴けますが、市立図書館にも無いので、ずっとCDを購入したいと思っていました。

 半年ほど前、本ブログへのコメントで教えていただいたイザベル・ファウストのCD(バッハの無伴奏Vn.曲集。再販)をタワーレコードにネット予約するに当たり、欲しかったアルヴォ・ペルトのベスト盤も一緒に購入しようと思い注文しました。そのCDは1300円の廉価版扱いで、しかも2枚組。冒頭の「鏡の中の鏡」は勿論、室内楽曲や管弦楽曲(同じエストニア出身であるP・ヤルヴィが振っています)のみならず、合唱曲も収められています。しかし、タワーレコード側も2ヶ月近く探してくれたのですが、結局在庫無しとの回答があり入手出来ませんでした。

 そこで、9月に都響のコンサートを聴きに日帰りで上京した折、在庫2万枚で我が国最大級と云う中古CDショップ「ディスクユニオン・クラシック館」に行って探して(現代作曲家のコーナーに、輸入盤も含め6枚程度しかありませんでした)みましたが、残念ながらお目当てのCDは無かったものの、「ティンティナブリ様式」へ転換後の作品を集めた『アルボス《樹》/アルヴォ・ペルトの世界』と題されたCDがあったので購入して早速聴いてみました。因みに、演奏者は楽曲により管楽器や声楽アンサンブルなど異なりますが、同じバルト三国のラトビア出身であるギドン・クレーメル(Vn)も参加しています。

 CDの冊子を開くと、冒頭に、
-“The temple bell stops but the sound keeps coming out of the flowers”  Basho -
 「鐘消えて 花の香は撞く 夕べかな」 (芭蕉)
と提示されていました。

 その音楽は、正に中世のグレゴリア聖歌を彷彿とさせます。それが「ティンティナブリ様式」と名付けられたアルヴォ・ペルトの独特の世界です。因みに「ティンティナブリ」というのは日本語で「鈴鳴らし」と解説されていましたが、鈴の音の様に自由でシンプルな旋律を繰り返し反復する作曲技法を作曲者自身が名付けたのだとか。
冒頭に暗示的に置かれた芭蕉の句(ネットで調べてみると、『鐘の音という聴覚と花の香りという臭覚が同時に成立する=例えば音が色や香りに姿を変えて感じられる「共感覚」という特殊な才能』と解説している評論もありました)ではありませんが、おかしな言い方ですが“静寂の音楽”とでも言える様な、そして、もしそれを“癒し=Healing music ”と呼んでしまっては余りに軽薄な感じすら抱かせる、敬虔で深淵な何とも不思議な世界が拡がっていました。

 人気の今年の大河ドラマ「真田丸」で、上田も大いに盛り上がっています。“大河効果”恐るべし・・・です。そうした観光産業への波及効果を狙って、信州高遠(現伊那市)が会津若松と連携し(個人的には、正妻のお江の方に疎まれて幼少期に預けられた高遠藩時代よりも、大老になる前に名君として藩の礎を築いた会津の方がメインの地の様な気もしますが・・・、その会津も「八重の桜」で既に登場していますし)何年にも亘って熱心に運動している保科正之の大河ドラマ登場ですが、同じ信州が舞台の真田一族が今回取り上げられたことで、当面無くなった?のでしょうか・・・(「真田丸」の画像が無かったので、些か見当外れの写真で恐縮です)。

 さて、10月16日放送の「真田丸」第41話「入場」。豊臣方の説得により幽閉されていた九度山から抜け出して、いよいよ大阪城へ入場する場面でした。
その中での九度山からの脱出場面で、徳川幕府の見張り(見番)の浅野家家臣たちを欺くため、酒宴で踊り(雁金踊り)ながら、佐助、春、・・・と一人ずつ退席していく様子は、まさにあの「サウンド・オブ・ミュージック」で、トラップファミリーがゲシュタポから逃れるため、音楽祭で「So Long, Farewell(さよならごきげんよう)」を歌いながら次第にステージから抜けていくのを連想させました(ステージに最後に残るトラップ大佐同様に、信繁改め幸村が最後に宴席から踊りながら退出します。そうすると、きりがマリア?)。

三谷脚本は、絶対にサウンド・オブ・ミュージックをモチーフにパロディーとして描いたのでは?と思わせるシーンでしたが、そう思われた視聴者も多かったかもしれません(特にサウンド・オブ・ミュージックを視ている年配者は)。因みに、“雁金踊り”なるモノが上田に実在するのかどうか知りませんが、真田家の家紋は「結び雁金」(確か、上田城や信濃鉄道の電車「六文銭」の車体にも描かれている筈です)ですので、ちゃんと史実をなぞらえてはいます。退職する前の上田の職場に「出浦さん」がおられ、どうして「いでうら」って読むのかと不思議でしたが、「真田丸」の放映を機に、実際に「出浦昌相」のご子孫であることを知り大いに納得したものです。

 三谷脚本は、深刻悲惨な場面でも暗さ一辺倒ではなく、真剣な中にも現代的なユーモアや捻りの要素が盛り込まれていることがその面白さ、人気の要因なのでしょうね。

 このところ急に寒くなりました。昨日は松本で初霜が観測され、早朝ナナの散歩に行くと稲刈りの済んだ田んぼが白くなっていました。また、漸くの秋空で、久し振りに望めた北アルプスの山並みが見事でした。
“食欲の秋”と云いますが、サンマなどの秋の味覚は勿論、鍋物やおでんなど暖かい物が恋しくなります。暖か料理には、何といっても日本酒です(暑い夏も冷酒ですが・・・)。
 その日本酒。以前“dマガジン”で「サライ」の日本酒特集を読んでいて、思わず「我が意を得たり!」。
嘗て新潟の酒が席巻した“端麗辛口”が、数年前から“芳醇旨口”に変わって来たという主旨の記事でした。
そのキッカケが、山形の銘酒「十四代」だそうですので、日本酒愛飲家の間で話題になったのは既に10年以上前になりますでしょうか?所謂銘酒と云われる伝統の有名銘柄は勿論ですが、他にも青森の「田酒」など個性豊かなお酒がたくさんあります。また最近では、醸造する全てが大吟醸という、首相のお膝元山口の「獺祭」も異常な程の人気です。
個人的には、ベタベタ甘くなくスッキリした辛口のお酒が好きですが、ここ数年はずっと岡谷の地酒「高天」一辺倒です。残念ながら松本平では手に入らないので、奥さまが諏訪の実家に帰る度に、一升瓶で買って来てもらっています(未だ燗酒の美味さが分らないので、五合瓶2本に分けて冷蔵し冷酒で頂きます。唯一、吹雪の白川郷で寒さに震えて飛び込んだ休憩所で思わず注文した燗酒は本当に旨かった・・・!)。
「高天」の吟醸や大吟醸とかも試しました(以前、お義母さんが「いつもそんな安いお酒じゃなくて、たまには高いのにしなさい」と持たせてくれた由)が、さすがに吟醸はフルーティーですが甘味も出てくるので、個人的には専ら高天の純米酒です。一言で言えば、“芳醇旨口”+「辛口の切れ味」が高天純米の持つ特徴でしょうか(あくまで“美味しさ”は、それぞれの好みや嗜好で変わります)。

 高天になる前は、ずっと地元松本の地酒「大信州」の純米でした。これに更に何とも言えないふくよかな旨味を加え高めたのが高天だと、個人的に勝手に判断しています。大信州を飲んでいて初めて高天を口にした時、「あっ、これだ!」とすぐさま変更。以来、一切の浮気無く「高天」一筋です。

 日本酒は、酸味があった方が食事には合う(食中酒)と云われますが、個人的に昔ながらの酸味はあまり好きではない(特に燗酒では、酸がツンと鼻に付きます)ので、むしろ辛口でキレがありながら、まるで水のような端麗ではない旨味(旨口)がある酒の方が常々美味しいと感じていました。
そう言えば、嘗て「越乃寒梅」を筆頭に一躍有名となった新潟の端麗辛口のお酒の中に「水の如し」をウリにしているお酒がありましたが、“如し”ではなく全くの「水」でした。新潟でも、全国的に知られた「〆張鶴」や「八海山」など旨味のある美味しい銘酒もあると思いますが、一世を風靡した端麗辛口は個人的には全く好みではありませんでした。
そうした(辛口でも旨味のある)酒を“辛旨”と評した別の記事がありましたが、その通りだと思います。本醸造(醸造用アルコール添加)のお酒の方が辛口という人もおられますが、戦後の食糧難の時に生まれたという時代背景を含め、“混ぜ物”は個人的には好きではありません。やはり、お酒(ワインもビールも)は自然由来の素材のみの混ぜ物一切無しで、日本酒はその土地土地の天然水とお米だけ(+酵母菌)で造られるべきだと思っています。また、であるからこそ、酒は(ワインもリキュールも)その土地土地の個性そのものであり、地域の歴史的文化足りうるのだと勝手に信じています(と飲み始めれば、そんな講釈はどうでもイイのでしょうが・・・。自分に合うお酒を見つけましょ!っと。ま、先ずは一献!)

 昨秋から、毎朝のコーヒードリップ用に、“湧水の街まつもと”の恵みで一番有名な「源智の井戸」の水を毎週汲みに行っています(地元の方々が定期的に井戸を清掃されていますので、タダで頂くのも申し訳なく、井戸の横の小さな祠に毎回お礼のお賽銭を入れてお参りをしています)。

 ドリップ用のコーヒーの粉は以前からのまま(一般的な市販のモカ)で、水を変えた途端、味が劇的に変化したのは以前お伝えした通りなのですが、ほぼ1年経ち、使っていたコーヒーメーカーが故障してしまいました。家内曰く、
 「もう5年くらい毎日使ったんだから、きっと寿命ヨ!」
とのことですが、何となく井戸水に変えたこの1年間で急速に故障がちになった様な気がします。
実際、チェックしてみると注水口などに白い粉が固まっていました。恐らく、ミネラル分のカルシウムが固まって付着したのだと思います。そのため目詰まりして、水流が細くなったのではと推測。実際、コーヒーメーカーでは水道水以外は使用禁止としている機種が殆どです。従って、ミネラルウォーターも本当はダメということでしょう。ネジを緩め、出来る所まで分解して、工具でカルシウムを除去してみましたが、結局あまり効果はありませんでした。
 硬水主体の欧州に対し、我が国の生活水の8割が軟水と云われている中で、源智の井戸は市内の湧水中でも珍しい硬度140という「中硬水」(100以下が軟水、300以上が硬水)で、カルシウムやマグネシウムと云ったミネラル分が豊富(硬度は炭酸カルシウムCaCO3 の濃度で表されます)。因みに、「西堀の井戸」は硬度100の軟水です(以下、第1040&1101話を参照ください)。
従って、本来は「源智の井戸」の水はコーヒーメーカーには使用してはいけない様なのですが(機械に頼らず、自分でドリップする分には問題無いでしょう)、しかし、あの“劇的な味の変化”を知ってしまった後は、カルキ臭の残る水道水(松本の水道水は美味しいと思いますが)に戻ることは考えられません。
そこで家内ではありませんが、5年も使ったなら寿命と割り切って、コーヒーメーカーを買い替えることにしました。
 家電量販に行って見ると、最近の主流はCMでもお馴染のカプセルタイプの様で、そうでないものも、エスプレッソなども抽出可能な高機能タイプ。我が家のようにドリップだけと云うのは最早亜流になり、一番安ければ3000円程度。我が家の様に保温タイプでも5千円~7千円。そこで、軟水の日本では無く、硬水の欧州メーカーなら多少は良いかもと(勝手に)推測して、メリタにしました(メリタはドイツ発祥。ペーパーフィルターの生みの親。因みに、よく似た名称のカリタは日本のメーカーです)。但し、メリタを含め、やはりどの機種も水道水以外は使用禁止で、最近の殆どの機種がカルキ除去機能も付いています。

 ミネラルウォーターを使い続ける以上、カルシウムは徐々に付着していくのは避けられないと思います。従って、水道水を使うよりも寿命は遥かに短いのかもしれません。しかし、例えそうだとしても(そのデメリットを理解した上で)、あの「源智の井戸」の美味しさを知った以上は水道水には戻れないと納得しています。

 雨模様の日が続く中、久し振りの晴れ予報だった10月4日の火曜日。
平日でもあったので、これ幸いと今年楽しみにしていた白駒池に紅葉を見に行くことにしました。奥さまの手作りのお弁当を持って8時に出発。諏訪ICで降りて茅野からは国道299号線(メルヘン街道とか)を横谷峡の奥蓼科を通り、標高2127mという麦草峠までのつづら折りを上って丁度1時間(松本からは2時間)で白駒池の有料駐車場(500円。因みにトイレも有料の50円)に到着。平日ならと思ったらトンデモナイで、メインの駐車場は朝の10時で既に満車。道を挟んだ反対側の駐車場がまだ2/3程度でしたので、無事停めることが出来ましたが、平日というのにこの混みように唖然。それだけ、紅葉シーズンの白駒池は有名なのでしょう。

 我々は、白駒池から2330mの丸山、白駒池を見下ろす展望台の高見石を経て白駒池に戻る2時間半のトレッキングコースを歩いてから、白駒池を散策することにしました。
コース案内では初心者向けとのことでしたが、結論から言うと結構なアップダウンがあり、歩道も石でゴツゴツして雨の後でぬかるんでいて歩きにくく、家内によれば今までで一番キツかったとのこと(「事前リサーチが甘い!」とブー垂れておられました)。2127mの麦草峠から少し下った駐車場から歩き始め、最高地点2330mの丸山から推測すると、恐らく250mくらいの高低差でしょうか。

 駐車場横のコース入口から入ってすぐの苔の森。八ヶ岳は日本有数の苔の宝庫として知られますが、苔むした見事な樹林帯が拡がります。「白駒の奥庭」と呼ばれるハイマツの様な松が茂る場所を過ぎ、国道脇の麦草ヒュッテ周辺のクマザサも茂る草原帯を抜けると、いよいよ樹林帯に入り、丸山の頂上への登りが始まります。しかも、大噴火を繰り返した八ヶ岳らしく、溶岩などの岩や石がゴツゴツして思いの外歩きにくく、また眺望や展望が利く所はどこも無くて殆どが薄暗い林の中を歩くコース。でも、太古の世界の様な原生林の中をマイナスイオンを浴びてのウォーキングは爽快です。
 急登が始まってすぐ、前方に老齢のグループと老犬のゴールデンが。お爺さんが来るように命じても、犬はどうやら段差が登れないようで、右往左往しています。犬に「こっちの方が緩やかだよ」と手招きしましたが、結局ダメ。飼い主は「鎖場も行った犬だから(大丈夫)」と言われるので追い越して行くと、連れのご婦人方が「もう、老犬だから・・・」。
家内は、目に涙を矯めて「ヒドイ!動物虐待じゃない!」と憤慨しています。お節介ながら、抱き上げて段差を越えさせようかと一瞬思ったのですが、後から考えると、右往左往していた段差は本の序の口。もっと険しいアップダウンが待っていました。家内ではありませんが、確かに犬連れでのトレッキングは無理だと思いました。
 「きっと、諦めて引き返したヨ!(そうなら良いのですが・・・?)」
 2330mの丸山頂上は、樹林に覆われて眺望は利きませんので、そのまま今度は急な坂を高見石小屋(軽食等あり)まで下り、そこの広場(キャンプスペース)で昼食にしました。こうして食べるオニギリは格別です。最近のコンビニのオニギリの進化も目覚ましいですが、やはり家庭の味が一番。お手製の卵焼きに燻製の鶏ハムも美味。広場には地元の佐久穂町(旧佐久町と旧八千穂村が合併)の小学校が遠足?で同じコースを歩いて来たようで、元気にお弁当休憩中。30人弱でしたが、どうやら3・4年生の合同らしく、もしかすると八千穂小学校の皆さんでしょうか。
昼食後、折角なので小屋裏の高見石へ登頂。結構な岩場でしたが、白駒池を眼下に見下ろすことが出来ました。
また急坂を下り、白駒池へ(途中急坂ではない迂回路もあるようです)。駐車場の混み様からも想像出来ましたが、白駒池はたくさんの観光客の皆さんが散策されていました。我々も一周40分という池を周回する遊歩道を歩いてみました。トレッキングコースもそうでしたが、この遊歩道も途中の木道部分が結構腐ったり浮いていたりとかなり傷んでいました。栂池とは雲泥の差。家内曰く、
 「栂池は入園料取ってるけど、こちらは無料でしょ!」
(ナルホド。でも、安心には変えられないので、入園料取っても、もっと改善した方が良いと思います)
肝心の白駒池の紅葉。池の周囲全部が紅葉に染まるのかと思っていたのですが、ちょっと想像以下(H/Pに因れば、ほぼピークを迎えたらしい真っ赤に紅葉したドウダンが確かに綺麗でしたが、湖畔の一部だけでチョット期待外れ)。
 ゆっくりと湖畔を周遊し、木道を駐車場に戻ります。途中、むしろ苔むした樹林帯が見事でした。白駒池は、単に紅葉だけではなく、準備した上で(防水加工したトレッキングシューズで無いと水浸しの泥だらけになります)トレッキングコースを歩く方が遥かにお薦めです。登山で無くとも、苔の宝庫と云われる.北八の素晴らしさの一端を味わうことが出来ると思います。
白駒池だけでは勿体ないし、紅葉だけならもっと綺麗な場所が県内あちこち(無名スポットでも、例えば4年間通勤した三才山峠の方がもっと凄い!)にあると思います。やはり“白駒池の最大の魅力は、北八の苔の森にある”のだと感じた次第。
 駐車場に戻ると、私達夫婦もお馴染のクラブツーリズムを始め、大型観光バスが何台も停車中。平日でこの混み様ですから、休日は停められないかもしれません。紅葉のピークとはいえ、この集客力はお見事!!

 ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)の会員組織であるハーモニーメイト30周年記念の特別演奏会と銘打たれた新日本フィルハーモニー演奏会。
 国内に幾つものプロの交響楽団がありますが、(子供が巣立った以降の)最近でこそ、やはり“生音”の魅力に嵌り、(音文以外で)日帰りで上京して読響、都響なども聴く機会が増えましたが、学生時代、泣け出しの生活費を切り詰めて時々聴きに行った京響(当時の音楽監督は、今は亡き“ヤマカズ”さんでした)を除けば、これまで新日フィルとN響が聴く機会の多かったオーケストラのように思います。それは、創設経過(親日フィルは労組が強かった日フィルから分離独立した自主運営で、N響は公共放送故、地方での演奏会も積極的に展開してきた)からも当然かもしれません。
その新日フィルが、10月1日に広上淳一指揮でソリストに小山美稚恵という顔ぶれで音文へ来演。僅か700席のホールでのフルオケという贅沢なコンサートです(700席の音文ですが、ステージはフルオケにも十分な広さが確保され、2000席のコンサートホールと遜色無し)。
曲は、記念演奏会らしく「ルスランとリュドミラ序曲」で派手に開演し、小山女史十八番(おはこ)のラフマニノフの2番。締めにシェラザードというロシア物のプログラムです。
そう言えば、娘からのプレゼントで聴いたチェコフィルのオープニングがグリンカ、広上指揮京響東京公演でのコンチェルトがラフマニノフの2番、やはり娘のプレゼントでのドゥダメル指揮VPOがシェラザードでした。
 ソリストを務める小山美稚恵女史は、チャイコ3位(1位無し)、ショパン4位(1位ブーニン)と、日本人で唯一の両コンクール入賞の実力者。そして、筆力を含めた才色兼備(オジサン世代にはカレーCMも懐かしい)の中村紘子女史亡き後の国内女流ピアニスト(内田光子女史はロンドン在留)では、少々控え目ながら同種の華やかさで、後継者の筆頭ではないでしょうか(因みに、私メが一番好きなのは小菅優さんですが)。以前NHK-FMのラフマニノフの特集番組で、「一番好きなのがラフマニノフ。特に3番は、学生時代に毎日一度は弾かずに居られなかった程大好きな曲」と仰っていました。今、国内ではラフマニノフに最も相応しい女流ピアニストでしょう。

 この日のコンサートは、さすがに完売とか。席はホールのド真ん中。音響に定評ある音文ですが、前から13番目の席の中央部でフルオケを聴くと、さすがに大音量で体が包まれているような感覚です。“生音”の良さ、凄さに酔いしれます。僅か700席の音文ですので、通常2000席のコンサートホールと比較すればどこで聞いても音響的にはS席レベルでしょう。
松本では、わざわざ来演してくれたオケへの歓迎の意を込めて、来日オケ同様に団員の皆さんのステージ登場を拍手で迎えます。
 広上さんが指揮振り同様に跳ねるが如く登場。生で聴くのはサントリーホールでの京響以来ですが、「アレッ、こんなに小柄だったんだ・・・」と暫し絶句。TVの画面では大きく見えますから・・・。
疾風怒濤の「ルスランとリュドミラ序曲」。ロシア・ロマン派を代表し、甘美で官能的ですらあるラフマニノフの2番。ステージが近いこともありますが、時に小山さんの打鍵は女性とは思えぬ力強さ。広上さんも抑制せず、オケを鳴らしてピアノと対峙します。
オケは、金管に荒さも見え弦も多少薄めと云われる新日フィルではありますが、このホールでは十分の大音量。鮮やかな青のロングドレスとトレードマークのロングヘアでステージ映えする小山美稚恵女史。演奏も、近くから見る細く長い指が流れる様で、「さすが・・・!」。
今は分かりませんが、5年前に聞いた時(第441話参照)は協奏曲(弾いたのはチャイコの1番)としてはピアノがオケに埋没していた辻井伸之氏よりも遥かに聞き応えある演奏でした。
ブラヴォーも掛かり、盛大な拍手に応えてのアンコールは、同じくラフマニノフの24の前奏曲から16番(作品32-5)。流れるような旋律の中で、粒立ちの良い音がキラキラと長い指先から毀れ落ちてくる様でした。
 休憩後のシェラザード。生で聴くのはサントリーホールでのVPO以来。
比べては双方に失礼ですが、なかなかの名演。この日のコンマスの豊嶋さんのソロも美しく、またVc.や管楽器のソロも危なげなし。休憩前の前半は粗が目立ったホルンも、シェラザードでのソロはお見事でした。また、体全体を使って力強く印象的だったVc.独奏をされた主席は、長年N響の首席を務められ定年で退団された木越さんとお見受けしました。TVのN響アワーで何度も拝見した、“男の渋さ”溢れる懐かしい顔でありました(調べて見たら、N響の前に新日フィルの首席を務められておられたとか。N響退団後、古巣に戻られたのでしょうか)。
広上さんは、 “タコ踊り”風のダンスとジャンプは相変わらずでしたが、さすが音楽監督を務める手兵の京響と客演の新日フィルでは異なり、多少の遠慮があるのか少し大人し目。京響の“マライチ”では随所に目立った“サムアップ”も客席から確認出来た範囲では数回程度でした。
ブラヴォーの混じる盛大な拍手の中、すぐにコンマスに始まり各楽器のソロ奏者を立たせ、3度目のカーテンコールでいきなりアンコール(同じく、R=コルサコフの「道化師の踊り」)。そして、通常のコンサートに比べ、まだ盛大な拍手の鳴り止まぬ中、豊嶋さん以下お辞儀をされて袖に下がられて、随分あっさりとカーテンコール終了。終演後、小山さんお一人のサイン会は二階の階段まで続く長蛇の列。人気の程が伺えました。その後、駐車場から車を出すと、バスに乗り込む楽器を担いだ団員の方々。そのバスも上田から来た千曲バス。
 「そうか、これから三才山を越えて、上田から新幹線で帰京するのか・・・」。
と(開演時間も珍しい18時の設定でしたが)終演後の奇妙な慌ただしさに納得でありました。
 「松本に一泊せず、遅い中央線(既にあずさの最終にも間に合わず)も使わないんだ・・・」
前回、OEK松本公演で井上道義さんが「山を挟んだ反対側なのに、松本は何て遠いんだ!」とかなり不満げでしたが、ここ2年はOEKも北陸新幹線延伸効果もあるのか長野には来ても松本までは来なくなってしまいました。
 松本の陸の孤島化が些か寂しくもあり・・・、(開き直って)
 「ふん、エエわい!」
やっぱり都会のコンサートやレジデントオーケストラでないと、“音楽会の後”のゆったりとした時間の流れに身も心も浸り切るのは難しいのでしょうね。

 長野県松本文化会館(ネーミングライツによりキッセイ文化ホール。地元での愛称は、“ザ・ハーモニーホール”松本市音楽文化ホールが“音文”に対して“県文”ですが、“県文”は他に長野と飯田にもあります)。
サイトウキネン音楽祭(現OMF)の主会場としてもお馴染ですが、こちらでは定期的に落語も行なわれています。それも、二ツ目の噺家さんによる寄席。題して「あしたは真打-まつぶん新人寄席」。
松本では「松本落語会」という地方寄席としては老舗の落語会が業界でも有名なのだそうで、昨年の「NHK新人落語大賞」で準優勝だった柳亭小痴楽さんが高座に上がられると知り聞きに行きましたが、「まつぶん新人寄席」も年3回程なのでしょうか、二ツ目の噺家さんばかりが演じられる高座で、今回で既に16回目になるのだとか。
今回は、春風亭一左(いっさ)さんと古今亭志ん松(しんまつ)のお二人。
 会場は県文の国際会議室で、チケット(木戸銭)1000円で200席とのこと。地方では生落語を聞くことが出来る機会は少ないので、八割方埋まったでしょうか。客層は、私メも含めてお年寄りや年配者の皆さんが中心。
ステージに寄席らしく高座が設えられ、お囃子が流れる中、先ずは春風亭一左さんが「幇間腹(たいこばら)」、古今亭志ん松さんが「あくび指南」。お仲入りの後、古今亭志ん松さんが「庭蟹(洒落番頭)」。トリに春風亭一左さんの「粗忽の釘」という演目でした。
 「幇間腹(たいこばら)」は、俄仕込みの鍼に凝った若旦那が幇間に鍼を打つ噺。幇間は“幇間持ち(たいこもち)”という言葉で今も残りますが、今や(日本に?)3人しか(しかも平均年齢82歳とか)居ない“絶滅危惧種”の職種とか。この噺は「どうらく息子」で銅ら治が演じて知りました。実際の音として聞くのは初めてです。
「あくび指南」は、これまで習い事が一つもモノにならなかった八っつぁんが「あくび」の仕方を教える先生に習う噺。有名な古典落語でCDで聞いています。
「庭蟹(洒落番頭)」は初めて聞く噺で、洒落が上手だと評判の番頭さんの洒落を理解出来ないクソ真面目な旦那さんの噺でしたが、調べて見ると「シャレ」の小噺を続けるため時間調整などに使われる「逃げ話」と云われ、あまり演じられることが無い珍しい噺なのだそうです。
最後の演目は、名人小さん師匠で何度か(CDで)聞いた有名な「粗忽の釘」。元々は上方落語の「宿替え」。一左さんの噺は、引越しの夫婦の「行水」の様子など、小さん師匠とは違う艶っぽい内容で、なかなかの熱演でした。ナルホド、こういう「粗忽の釘」もあるのかと大変感心しました。さすがトリで、会場も大いに盛り上がりました。春風亭一左さんは声に張りがあり噺ぶりも賑やか(精進すれば、いずれ“華やか”になるでしょう)で、「あしたは真打ち」ではありませんが、将来が大いに期待出来そうです。
やはり落語は、噺だけではなく“顔芸”などの表情や例えば扇子を使った煙管(キセル)などの仕草一つとっても、噺と仕草を併せた総合芸術であり、音源のCDだけではやはり本当の面白さは分からないのだと(今回で生落語は漸く3回目)痛感した次第です。

 たまたま、ビッコミオリジナルの「どうらく息子」の最新号も「粗忽の釘」で、最新号では「粗忽の釘」を演じて見事NHK新人落語大賞を取る「加賀屋ありす」の噺。その噺の稽古を付けてもらった憧れの「惜春亭志ん銅」師匠の件に煙管の使い方があり、今回もナルホドと感心して聞いていました(内容は違えど、煙管一つとってもその芸の細かさを、一左さんも見事に演じておられた様に感じました)。

 余談ですが、学生とシニア(60歳以上)は500円だとか。一般1000円でも十分に安いのですが、次回からはシニア価格のワンコインで聞かせていただきます。次回17回は1月28日とのこと。

 今週の水曜日、9月28日の朝。いつものように4時半に起きて、ナナの散歩に出るまでの小一時間。秋分の日も過ぎて、当然とはいえ明るくなるのが遅くなり、出掛けるのは5時半過ぎ。

 するとこの日、朝5時半ちょうど。東山方面の空が見事な朝焼けに染まりました。あまり記憶に無い様な見事な朝焼けでした。一時として同じ状態を留めず、刻一刻と色彩と形を変えていきます。まるで光のショーを見ているようで、暫し目を奪われていました。そこで、慌てて携帯で撮影してみましたが、ベストな瞬間だったかどうかは分かりません。
昔から「朝焼けだとその日の天気は下り坂」と云われる通り、この日の天気予報は午前中から雨模様。ベランダが濡れていましたので、夜間にも雨が降ったようでした。
 翌日の地元のタウン紙にも、読者の方から投稿されたという朝焼けの写真が紙面に掲載されていて“我が意を得たり”でありました。記事の解説によると、『湿度が高く上層に薄い雲がかかっていると、大気中の水分の影響で赤い光だけが地上に届きやすくなり発生する。松本市内では見目に小雨が降り、湿度が80%を超えていた。』そうです。