カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 ザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)の会員組織であるハーモニーメイト30周年記念の特別演奏会と銘打たれた新日本フィルハーモニー演奏会。
 国内に幾つものプロの交響楽団がありますが、(子供が巣立った以降の)最近でこそ、やはり“生音”の魅力に嵌り、(音文以外で)日帰りで上京して読響、都響なども聴く機会が増えましたが、学生時代、泣け出しの生活費を切り詰めて時々聴きに行った京響(当時の音楽監督は、今は亡き“ヤマカズ”さんでした)を除けば、これまで新日フィルとN響が聴く機会の多かったオーケストラのように思います。それは、創設経過(親日フィルは労組が強かった日フィルから分離独立した自主運営で、N響は公共放送故、地方での演奏会も積極的に展開してきた)からも当然かもしれません。
その新日フィルが、10月1日に広上淳一指揮でソリストに小山美稚恵という顔ぶれで音文へ来演。僅か700席のホールでのフルオケという贅沢なコンサートです(700席の音文ですが、ステージはフルオケにも十分な広さが確保され、2000席のコンサートホールと遜色無し)。
曲は、記念演奏会らしく「ルスランとリュドミラ序曲」で派手に開演し、小山女史十八番(おはこ)のラフマニノフの2番。締めにシェラザードというロシア物のプログラムです。
そう言えば、娘からのプレゼントで聴いたチェコフィルのオープニングがグリンカ、広上指揮京響東京公演でのコンチェルトがラフマニノフの2番、やはり娘のプレゼントでのドゥダメル指揮VPOがシェラザードでした。
 ソリストを務める小山美稚恵女史は、チャイコ3位(1位無し)、ショパン4位(1位ブーニン)と、日本人で唯一の両コンクール入賞の実力者。そして、筆力を含めた才色兼備(オジサン世代にはカレーCMも懐かしい)の中村紘子女史亡き後の国内女流ピアニスト(内田光子女史はロンドン在留)では、少々控え目ながら同種の華やかさで、後継者の筆頭ではないでしょうか(因みに、私メが一番好きなのは小菅優さんですが)。以前NHK-FMのラフマニノフの特集番組で、「一番好きなのがラフマニノフ。特に3番は、学生時代に毎日一度は弾かずに居られなかった程大好きな曲」と仰っていました。今、国内ではラフマニノフに最も相応しい女流ピアニストでしょう。

 この日のコンサートは、さすがに完売とか。席はホールのド真ん中。音響に定評ある音文ですが、前から13番目の席の中央部でフルオケを聴くと、さすがに大音量で体が包まれているような感覚です。“生音”の良さ、凄さに酔いしれます。僅か700席の音文ですので、通常2000席のコンサートホールと比較すればどこで聞いても音響的にはS席レベルでしょう。
松本では、わざわざ来演してくれたオケへの歓迎の意を込めて、来日オケ同様に団員の皆さんのステージ登場を拍手で迎えます。
 広上さんが指揮振り同様に跳ねるが如く登場。生で聴くのはサントリーホールでの京響以来ですが、「アレッ、こんなに小柄だったんだ・・・」と暫し絶句。TVの画面では大きく見えますから・・・。
疾風怒濤の「ルスランとリュドミラ序曲」。ロシア・ロマン派を代表し、甘美で官能的ですらあるラフマニノフの2番。ステージが近いこともありますが、時に小山さんの打鍵は女性とは思えぬ力強さ。広上さんも抑制せず、オケを鳴らしてピアノと対峙します。
オケは、金管に荒さも見え弦も多少薄めと云われる新日フィルではありますが、このホールでは十分の大音量。鮮やかな青のロングドレスとトレードマークのロングヘアでステージ映えする小山美稚恵女史。演奏も、近くから見る細く長い指が流れる様で、「さすが・・・!」。
今は分かりませんが、5年前に聞いた時(第441話参照)は協奏曲(弾いたのはチャイコの1番)としてはピアノがオケに埋没していた辻井伸之氏よりも遥かに聞き応えある演奏でした。
ブラヴォーも掛かり、盛大な拍手に応えてのアンコールは、同じくラフマニノフの24の前奏曲から16番(作品32-5)。流れるような旋律の中で、粒立ちの良い音がキラキラと長い指先から毀れ落ちてくる様でした。
 休憩後のシェラザード。生で聴くのはサントリーホールでのVPO以来。
比べては双方に失礼ですが、なかなかの名演。この日のコンマスの豊嶋さんのソロも美しく、またVc.や管楽器のソロも危なげなし。休憩前の前半は粗が目立ったホルンも、シェラザードでのソロはお見事でした。また、体全体を使って力強く印象的だったVc.独奏をされた主席は、長年N響の首席を務められ定年で退団された木越さんとお見受けしました。TVのN響アワーで何度も拝見した、“男の渋さ”溢れる懐かしい顔でありました(調べて見たら、N響の前に新日フィルの首席を務められておられたとか。N響退団後、古巣に戻られたのでしょうか)。
広上さんは、 “タコ踊り”風のダンスとジャンプは相変わらずでしたが、さすが音楽監督を務める手兵の京響と客演の新日フィルでは異なり、多少の遠慮があるのか少し大人し目。京響の“マライチ”では随所に目立った“サムアップ”も客席から確認出来た範囲では数回程度でした。
ブラヴォーの混じる盛大な拍手の中、すぐにコンマスに始まり各楽器のソロ奏者を立たせ、3度目のカーテンコールでいきなりアンコール(同じく、R=コルサコフの「道化師の踊り」)。そして、通常のコンサートに比べ、まだ盛大な拍手の鳴り止まぬ中、豊嶋さん以下お辞儀をされて袖に下がられて、随分あっさりとカーテンコール終了。終演後、小山さんお一人のサイン会は二階の階段まで続く長蛇の列。人気の程が伺えました。その後、駐車場から車を出すと、バスに乗り込む楽器を担いだ団員の方々。そのバスも上田から来た千曲バス。
 「そうか、これから三才山を越えて、上田から新幹線で帰京するのか・・・」。
と(開演時間も珍しい18時の設定でしたが)終演後の奇妙な慌ただしさに納得でありました。
 「松本に一泊せず、遅い中央線(既にあずさの最終にも間に合わず)も使わないんだ・・・」
前回、OEK松本公演で井上道義さんが「山を挟んだ反対側なのに、松本は何て遠いんだ!」とかなり不満げでしたが、ここ2年はOEKも北陸新幹線延伸効果もあるのか長野には来ても松本までは来なくなってしまいました。
 松本の陸の孤島化が些か寂しくもあり・・・、(開き直って)
 「ふん、エエわい!」
やっぱり都会のコンサートやレジデントオーケストラでないと、“音楽会の後”のゆったりとした時間の流れに身も心も浸り切るのは難しいのでしょうね。