カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 これまでにも毎年紹介させていただいている、我が家のシンビジウム、
奥さまが、数年前に実家のお義母さんから頂いて来て以来、定期的な肥料や水遣りなど、また定期的に庭を世話して頂いている園芸店のスタッフの方にアドバイスを頂くなど、大事に大事に世話をしています。その甲斐あって毎年花芽を付け、見事な花を咲かせて目を楽しませてくれています。ただ、寒い茅野の実家では花が咲かないと引き受けて来たシンビジウムの「プロムナード(ミルキーウェイ)」という品種は、3年前にお義母頂いた時以来5年振りに花が咲いたのですが、その後はまた花芽が出て来ませんでした。

 それが今年は3鉢全てに花芽が出て来ました。毎年花芽が出るシンビジウムは数年前に株分けをして二鉢ありますが、昨年たくさん花が咲いたので今年は今のところ花芽はそれぞれ3本、1本と少し少なめですがしっかりと花芽を付けてくれました。
またプロムナード(ミルキーウェイ)は実に三年振りになりますが、今年最低でも3本の花芽が伸びています。このプロムナードは他の二鉢のシンビジウム(質素で清楚ではありますが)に比べ、ピンク系の花で色鮮やか(第829話参照)なので今から開花が楽しみです。
 最後の写真はおまけで、ビオラやパンジー、プリムラ、葉ボタンなどで秋から冬用の植生になった寄せ植えの鉢。数年前から、奥さまがご自分でいつもの園芸店でポット苗を購入し、定期的に植え替えをされています。玄関も華やかに冬支度になりました。

 11月13日に行われた「松本城ウォーク」。“松本歴史探訪コース”での18㎞のロングコース後半は、林城址のある入山辺から先ずは美ヶ原温泉の里山辺を目指します。
 第五番印所は里山辺にある針塚古墳。市内に唯一現存する積石塚古墳(古代高句麗を中心とする朝鮮半島にも石積み式の古墳があり、渡来人との関連が指摘される。長野市松代町の大室古墳群は500基の積石塚古墳を数える日本最大規模)だそうです。弘法山古墳が東日本最古級の3世紀と云われますが、こちらは古墳時代中期の5世紀後半の古墳で、旧開智学校に似た旧山辺学校手前の路地を入って行くと、田畑に囲まれた中に保存整備された古墳が現われ、ここからも北アルプスの山並みがキレイに望めました。古代の有力者は、弘法山しかりで、やはりその権力に相応しい場所に眠っています。この古墳は1989年から発掘が開始された直径20m、高さ2mの積み石で築かれた立派な円墳で、その後史跡公園として整備されたのだとか。道理で、考古学好き少年だった頃の記憶に無く、また発掘時期が海外赴任中でもあったために、地元のニュースとしても知らなかったのだと判明しました。

この山辺から中山地区にかけては松本平でも古墳が多いエリアで、また中山には朝廷直轄の牧場(勅旨牧)32ヶ所の半分に当たる信濃の16牧を統括する牧監庁が置かれていた「埴原(はいばら)の牧」があり、天武天皇が行宮設置を命じた(帝の逝去により中止)と云われる束間(つかま)の湯(美ヶ原温泉か浅間温泉と推測される)と並び、古くから都(朝廷)との繋がりが強かった場所です。
 第六番印所である美ヶ原温泉に行く前に、山辺学校横にある市の教育文化センターに立ち寄ってトイレ休憩です。
「美ヶ原温泉」と何とも漠然と表示された第六番印所は、今では美ヶ原温泉唯一となった公共日帰り温泉「白糸の湯」(300円。平日でも混んでいるそうです)の横に設けられていました(因みに13㎞の温泉コースはここで終了し、入浴してから路線バスでお城へ戻る設定)。
そこから次の第七番印所となる松本民芸館はすぐ近くです。館内の庭の欅や楓などの木々が色付いて見事な紅葉でした。
18㎞のロングコースも、ここまで来れば残りは1/3の5㎞程。軽いトレッキングシューズを履いて来たのですが、さすがにふくらはぎや足裏が痛くなってきました。メイン道路を歩いて総社(そうざ)を通り、次の印所に指定された「戸田家廟園」を目指します。
因みに総社という地名は、律令制で各国に遣わされた国司の重要な任務であった自国内の神々に参拝に巡るのを軽減するために、全ての神様をまとめて奉る(合祀)神社である「総社」(そうじゃ)が国府の近くに設けられたことに由来しており、岡山県総社市(古代吉備国の中心だった備中)の様に(律令制下の)全国各地に今でも地名として残ります。松本では総社地区の道路沿いにある伊和神社が信濃国の総社(国府移転までは上田市の科野大宮社)と見做されているようです。従って、小県から筑摩に移された国府もこの付近に庁舎が置かれていたのではないかと想定されます。
さて、印所の置かれた「戸田家廟園」。松本藩主としての治世が一番長く且つ最後の藩主でもあった戸田松平家の廟所ですが、これまで一度として来たこともありませんでした。そのため、地図を頼りに迷いながらも、居合わせた参加者同士で協力しながら狭い路地の奥に漸く見つけることが出来ました。廟所という性格上、史跡ではあっても観光として訪れる場所でも無いでしょうから、ひっそりと住宅街の中に佇んでいました。確か、浅間温泉南部の牡丹で知られる玄向寺には第六代藩主水野家の立派なお墓があった筈ですが、戸田家のお墓は意外なほど小さめ。松本藩のお殿様や縁の方々にお参りして廟所を後にしました。
ここからは目をつむっても行けそうです。第九番の印所はあがたの森公園内の旧制松本高校。大きなヒマラヤ杉が印象的で、校舎や講堂は重文に指定されています。戦後もずっと信州大学文理学部のキャンパスとして(旭町キャンパスへ統合される1973年まで)使われていたこともあり、「良くぞ!」と思えるほど旧制高校の雰囲気(「どくとるマンボウ青春記」の舞台として知られます)がそのまま残っていて、6万㎡という広い公園内は今では市民の憩いの場。松本の観光スポットとしても、個人的にはお城の次にお薦めの場所です(因みに3番目はアルプス公園。どちらも入場無料ですし)。本館入口で印を押し、いよいよ最後の第十番印所となる伊織霊水に向かいます。
地図上の推奨ルートではなく、文化勲章受章を祝って草間弥生式の赤い水玉で全面装飾された市美術館を過ぎて駅前通りから路地に入り、市中の湧水が集まり流れる榛の木川の水源でもある源地水源地(今でも上水道の水源の一つ)を通って向かいます。こうして歩いてみると、松本の街は城下町で戦災も免れているために道路がほぼ東西南北に張り巡らされており、一方通行の狭い路地も多くて車には誠に不便ですが、歩くには旧町名さえ分かれば(上ガル下ガル入ルの京都ほどではありませんが)とても分かり易いと改めて認識した次第です(例えば、観光客に人気の中町などは本当は終日歩行者専用にすれば良いのですが、あの東西を結ぶ一方通行が無いと車が大回りしないといけないので不便)。
最後の印所が置かれた伊織霊水は、年貢に耐えかねての農民一揆である加助騒動(城山で処刑された際にお城を睨みつけたために、中萱加助の怨念により後年天守閣が傾いたという逸話で知られる)の際に農民たちの助命減刑を嘆願して奔走したという江戸詰めの松本藩士、鈴木伊織の墓所横にある湧水。松本の湧水群の一つでもあります。そこで空になったペットボトルにお水を頂き、喉を潤してからゴールとなる松本城へ向かいます。
女鳥羽川を渡り、豆腐田楽の木曽屋、竹細工の上原善兵衛商店、洋菓子のマサムラと松本の老舗店の前を通って昔からの居酒屋や蕎麦屋の並ぶ緑町へと、いずれも城下町らしい狭い路地を抜け、お城へは正面の黒門ではなく、最後の結印となる印を押すために太鼓門へ。そして、ゴール地点の黒門前のテントで設定された10ヶ所の印所の印と最後の結印の確認を済ませ、「完歩之証」の印を押してもらってロングコースを無事完遂。午後2時でしたので、スタートからちょうど5時間で18㎞を“完歩”しました(最終ゴールは16時までの設定)。
テント内で“ふるまい”の山菜蕎麦を頂いて暫し休憩です。その間にも続々と皆さんがゴールして来られ、お互いにお疲れ様の声が飛び交います。
さすがに足も痛くなりました。スタッフの方にお願いして記念写真も撮っていただき、最後にスタッフの皆さんにお礼を言って会場を後にしました。疲労回復のための糖分補給とやらで、縄手の「スヰト」に寄ってスイーツとコーヒーを頂いてから市役所に戻って車で帰宅しました。
 18㎞はさすがに歩き疲れました。その18㎞の中に急登の林城址を入れるのはチョッと反則かな・・・。でも、本当に久し振りの千鹿頭山や林城址、更に松本に居ながら今まで行ったことの無かった若宮八幡や戸田家廟園、そして弘法山古墳や針塚古墳なども今回訪れることが出来、とても楽しめた歴史ウォークでした(さて、いつ筋肉痛が現われることやら・・・)。
 「勝手が分かったから、来年からは楽だよね、きっと!?」
だそうです・・・。

  秋に行なわれている「松本城ウォーク」。 
昨年松本城への早朝ウォーキングの途中で参加された方々を見掛けたので、今年はリタイアしたこともあり、事前にネットで申込みをして13日の日曜日に初めて参加しました。
この松本城ウォーク(どうやら今年で3回目らしい)は二日間実施され、12日が“アルプス展望コース”、13日は“松本歴史探訪コース”と銘打たれています。“アルプス展望コース”はその半分が城山から我が家の“裏山”アルプス公園を経て子供の頃の岡田の通学路を巡るコース(最長15㎞)で“お馴染み”過ぎるので、二日目の“歴史探訪コース”にしたものです。コースには、ショート5㎞、ミドル10㎞、更に温泉コースの13㎞もありましたが、郊外の弘法山と林城址までが含まれた18㎞のロングコースに挑戦(今年から内容がリニューアルとのことですが、初参加故どこが変わったのかは不明)。
 当日、スタート&ゴール地点になる松本城での8時からの受付開始に合わせ、帰りは疲れて歩けないだろうと車で行くことにして、幸い市役所の駐車場(休日は無料なので大変混み合います)に停めることが出来ました。早速受付を済ませ、地図や10ヶ所の「印所」(チェックポイント)で“印判”を押す集印帳が入った参加証、松本の水が入ったペットボトル、事前予約のお弁当などを受け取ります。
この日、松本市盆地は朝霧が発生し、霧に包まれた松本城も幻想的。開会式までに時間があったので、8時から開いている「マルショウベーカリー」のイートインで朝食です。同じく早朝から開いている「ホテル花月」の喫茶室や「まるも珈琲」の方が多分黒門からは近かったかもしれませんが、「花月」は今年から東京のマネジメント会社にホテル経営が委託され、一般にも開放されていた喫茶室(別に宿泊客専用レストランあり)もリニューアル。新たに「八十六温館」として“拘りの86℃”で淹れるコーヒーを売りに、以前は700円だったモーニングセットが1400円と倍の値段になったのだとか(コーヒーも900円だそうです)。以前は、珈琲を飲みながら新聞を読むおじいちゃんとか地元の常連さんがおられましたが、もう居ないでしょうね(ヒトゴトながら、この松本で一体誰が900円の珈琲を飲むのでしょうか?「90℃じゃイケンのかい!?」)。モーニングセットなら、昔からずっと変わらぬ「まるも」や「アベ」に行きますから。

 松本城公園の黒門前の受付のテントには646番まで番号が表示されていましたが、県内外からも来られているようです(前日は450人だった由)。若者のグループや家族連れもおられますが、やはり中高年の方々が多そうです。
8時45分から開会式とストレッチ体操を済ませて、まだ霧が残る9時に一斉スタート。地図上に示された第一番印所は深志神社です。地図に示されたルートはあくまで推奨で、印所さえ回ればどこを通っても良い(但し、手掛かりは渡された地図のみで、途中コースに矢印や案内等は一切無し)とのことなので、最初は混むだろうからと大名町から本町へ向かう集団と別れ、勝手知ったるで緑町から中町を横切り小池町へとショートカット。同じルートを歩いて来た数人だけで先に印を押し、せっかくなので我々は七五三参拝の家族連れに混じり深志神社にお参りです。この頃には印所(昨日の反省で、最初だけは印を4つに増やしたそうですが)は長蛇の列でしたので、奥さまの言う通りにショートカットしてやはり正解だったようです。
続いて第二番印所に指定された筑摩の若宮八幡社へ向かいます。ここからは列もバラけるでしょうが、まだ奥さまは早足(速さを競う大会に非ず!)。
若宮八幡は元々お城の中にあった松本城鎮守とか。そう言えば、八幡社は「八幡太郎義家」に代表されるように源氏を初めとして武士の信仰が厚い神社で、この若宮八幡本殿も小さなお社ながら室町時代の様式が残る国の重文指定。印判を押してから(ここは印が2つ用意されていました)、こちらにもお参りをします。皆さん思い思いのペースで、もう列もバラケています。
 次に庄内町を通って並柳の弘法山へ。並柳には母の実家があるので、子供の頃から弘法山はお馴染みですが(ずっと昔から弘法山には大師のお墓があるとの地元の云い伝えを母から聞かされていました。嘘だと思わずに掘れば良かった・・・)、全山がピンクで染まる桜の時期も下から眺めてばかりで、登るのは初めて。途中に駐車スペースがあるのですが、下から登ると結構な急坂です。若い高校生のグループが元気に追い越して行きます。お一人で参加された方も結構おられる様です。我々も印を押してから古墳のある頂上に行くと、幸い霧も晴れて真っ青な秋空が拡がっていました。東日本最古級と云われる前方後方墳の頂上からは、赤く紅葉した桜を眼下に、松本の市街地と北アルプスの山並みが雪を頂いた白馬方面までくっきりと望めます。丘の上から見下ろす第一級の眺めこそが、この場所に眠る人物がこの地を治めた有力者だったことを証明しています。
反対側に下りて、千鹿頭山をぐるっと周って第四番印所に指定された林城址に向かいます。松本市神田にある千鹿頭山には千鹿頭池と小高い山頂に千鹿頭神社があり、諏訪社系で御柱が行なわれます。因みに千鹿頭神は、元々の諏訪の土着神であった洩矢神の子供とされる狩猟の神様です(嘗ては鹿を生贄に奉げたという諏訪の御頭祭との関連も伺われます)。千鹿頭山も林城址も小学校の遠足以来。どちらも50年振りくらいになるのでしょうか。
 入山辺地区にある林城址は、信濃国守護であった小笠原氏の居城跡。その後戦国時代になって、信濃に攻め入り小笠原氏を追放した武田信玄に依って廃城されます(現在の松本城の場所にあった、林城の支城だった深志城を信玄が当時としては画期的な平城として築城)が、この林城址は林大城と林小城の二つの山城を持つ中世期の大規模な山城跡として、山城好きには堪らない魅力のようです。
今回は金華山と呼ばれる山の尾根沿いではなく、地図上の設定ルートに従って麓の大嵩崎(おおつき=小笠原館が置かれたと云われる集落)側から登りますが、集落そのものがかなりの急坂(集落下にチェーン着脱所が設けられていましたが、それも納得出来ました)で、城址へも尾根の側面から登るためにつづら折りの急登でした(確かに、館からの登城距離は短い)。息も絶え絶えに漸く登り切って、846mという山頂付近の主郭跡の東屋に置かれた印所で印を押してから、12時近くなったのでここでお弁当休憩です。漸く一息吐くことが出来ました。(お世辞ではなく、家内の作ったお弁当の方が美味しいかも・・・。来年は自家製でお願いします)
ここまで出発してから休憩を含めて3時間弱が経過。距離的にも概ね中間で、山を下れば後半は平坦なコースなので、林城址が一番の難所でしょう。それにしても、小学生がこんな急な坂を上って遠足に来たんだろうか?
帰路は、金華山と呼ばれる林城址のある山頂から長い尾根伝いに下ります。すると石垣風の石積みや空堀と思われるU字型の窪み、また段々畑の様に幾つもの平らな部分があり、尾根沿いに下っていくことで連郭式山城と云われる林城址の様子を垣間見ることが出来ました。確かに山城好きには堪らないかもしれません(但し、木々に覆われているので、城の主郭のある頂上含め眺望は良くない)。
尾根を下り切ると、ちょうど薄川沿いの金華橋の袂に出ました。記憶が定かではありませんが、子供の頃の遠足は大嵩崎からではなく、きっとこの尾根伝いに登ったのでしょう。
松本では夏至の前後に、ちょうど槍の穂先に沈む夕日の写真の撮影スポットとしても知られる金華橋からは、この日も常念の左肩越しに槍ヶ岳がくっきりと望むことが出来ました。コースも残り半分、
 「さてと、あとはずっと平坦な筈・・・」

 クリタケで終わりだと思った今年の秋の恵み。先日(と云っても11月初旬のこと)、今度は家内のお友達からムラサキシメジをたくさんいただきました。
採ってから多少日にちが経っているでしょうから、やや灰色掛かっていますが、実際に生えている時は本当にキレイな紫色をしています。このムラサキシメジは、欧州でFairy ring(妖精の輪)と呼ばれるそうですが、円を描くように群生(菌輪)するキノコで、特にフランスではPied bleu(ピエ・ブルー=青い足)と呼ばれる高級食材なのだとか。昔、近くの里山にリコボウを採りに行ってムラサキシメジを見つけた時は、薄暗い林の中でそこだけがスポットライトが当ったかの様な紫の“お花畑”で、本当に感動するほど見事でした。

 採るには楽しいムラサキシメジですが、しかし食べるとなると賛否が完全に分かれます。
味シメジと云われる通り美味しいという意見もあれば、このキノコ特有の土臭さ(埃臭さ)で毛嫌いする人も多いのだとか。
以前近くの里山で採れた時も、我が家でも余り全く好かれませんでした。いずれにせよ、土臭さを気にする人が食べ易くするためには出来るだけ濃い味付けにする必要があります(逆に、気にならない人にとっては、むしろムラサキシメジの持つ“繊細さ”を消すことになります)。

 どんな調理法が効果的か、幾つか試してみました。
先ず、オリーブオイルでニンニクをさっと炒め、キノコを投入して十分に炒めたところで粗挽きコショウと醤油で味付け。すると、キノコから思いの外汁(ヌメリ)が出ました。
二つ目は、料理酒と砂糖(若しくはみりん)と匂い消しも兼ねて薄切りの生姜を数片と干した鷹の爪も丸ごと一本入れて、醤油で濃い目に甘辛く炒め煮。こちらは煮詰めたので、あまりヌメリは気になりませんでした。ただ、双方とも土臭さそのものは結果的に消えませんでした。
どちらかと云えば、個人的な味付けの好みではニンニクの効いたオリーブオイル炒めですが、一般的に食べ易いのは醤油の甘辛煮でしょうか。生姜が利いています。但し、双方とも土臭さが消えた訳ではありませんので、気になる方は無理でしょうか。好きな方は鍋や汁もの、スパゲティでも(何でも)美味しいそうですが、う~ん、どんな料理がムラサキシメジを(土臭さを気にせず)美味しく食べられるのでしょうか?そこで、残ったムラサキシメジを干してみました。
高級キノコだというフランスではどんな料理にPied bleuと呼ぶムラサキシメジを食材に使っているのか興味がありますね(土壌の違いで匂いも違うのか)。やはりシチューなのかなぁ・・・。そこでグ牡蠣ドリアに入れてみましたが、干しても、洋風のホワイトソースやチーズでも、あの独特の土臭さが消えることはありませんでした。
 残念ながら、我が家では食材としてのムラサキシメジは受け入れ難そうです。

 日本シリーズも終わり、ストーブリーグに入ったばかりの11月3日。巨人と日ハムの間で、嘗てのドラフト1位指名選手同士のトレードが発表されました。巨人からは2008年の1位指名だった大田泰示選手、日ハムからは2006年のドラフト1位吉川投手。内海、杉内の左の先発が衰えて田口一人で、今年のドラフトで希望する投手を抽選で外した巨人としては、特に左の先発強化は背に腹は代えられぬ命題だった筈。因みに、吉川投手は2006年田中将大中心にマエケンと同世代の所謂“マー君世代“(この年巨人は堂上を抽選で外し、坂本を1位指名)です。

 大田選手と言えば東海大相模で65本の本塁打を打ち、当時の原監督が自ら抽選で引き当てて55番を背負い、毎年のように大砲候補として期待されてきました。翌2009年(菊池雄星に6球団指名の年)の横浜指名のドラフト1位だった筒香選手(横浜高校で69本)とイースタンの本塁打王を争い(筒香24本、大田21本という年もありました。因みに、今年岡本選手が18本)、筒香選手はご存じ昨年の本塁打王に成長。片や、大田は毎年1軍と2軍の間を行ったり来たり。
しかし、並外れたパワーと身体能力は誰もが認めるところ。HCだったエディ・ジョーンズさんがキャンプ訪れた時、「もしラグビーに転向すれば間違いなく日本代表になれる!」と大田選手のラグビー転向を本気で原監督に直訴したと云います。しかし打席では、内角速球に詰まりファール、最後は外角にスライダーを落とされて空振り三振・・・という姿を何度目にしたことでしょう。落ちる変化球に対応するため、クラウチングスタイルで構えたり、短めにバットを握ったりして、いつしか豪快なフルスイングは消え、フォームもこじんまり・・・。そんな努力や苦労で単打を打って盗塁しても、本塁打を期待するファンは満足してくれませんでした。更に調子が良い時に限って自転車で転んでケガをしたりインフルに掛かったりとズッコケも・・・。
 育てられなかった球団の指導にも問題があったのかもしれませんが、本人も辛かったろうと思います。しかし結果が全ての世界で既に8年経過。同期の中には早々と戦力外となったドラフト1位もいます(例えば、地元松本出身でオリックス1位だった甲斐拓哉)。8年も芽が出ないのに「きっといつか」と期待して待ってくれた球団の温情に、むしろ感謝すべきなのかもしれません。
送り出す球団GMが、「彼を出すのには反対意見もあったが、環境を変えれば大化けするキッカケになるかもしれない。是非FAの権利を取れるくらい新天地で活躍してまた戻って来て欲しい」。
 今年こそと毎年期待したファンの一人として残念ですが、北の大地で名前の様に“泰示(大志)を抱いて”是非開花して欲しいと願っています。

 奥さまが、昨年初めてチャレンジし、思いの外良く出来たと自画自賛した干し柿。そこで、今年はお友達にも配るからと、昨年の3倍ほどの柿を剥いて吊るしました。この時期、秋の風物詩である「柿すだれ」です。昔は、秋になると農家の軒下に必ずたくさんの柿すだれが下がっていたものですが、最近では余り見なくなりました。信州では下伊那地方の市田柿が有名で、今では地域ブランドになっています。

 最近では、信州でも富有柿など美味しい柿が店頭で買えるようになり、田舎の甘柿は殆ど見向きもされなくなりました。しかし、柿は古来『柿が赤くなると医者が青くなる』と云われるほど栄養価の高い果実です。昔の様に冬の田舎の保存食とまではともかく、渋柿を乾燥させた干し柿も、栄養価は勿論、(乾燥させることでビタミンCは壊れるが逆に増加する)βカロチンやタンニン、ビタミンA、ミネラルや食物繊維を豊富に含んだ健康食品だそうです。我が家の様に平種の木があって毎年たくさんの実を付けるので、作る手間さえ惜しまなければ、冬場の野鳥たちのエサにするだけではなくて干し柿にして人間の益にしなければ、それこそ勿体ない・・・でしょう。
昨年は暖冬気味で少しカビてしまったとのことから、今年奥さまはカビ防止のために剥いてから熱湯に数十秒浸して消毒をしてから軒下に吊るしました。
 今年は奥さま用に採るのに併せて多めに採って、横浜の叔母にも数年振りに送ってあげました。一箱一杯の柿ですが、ご近所さんにも配るのだそうです。都会の横浜にも珍しい柿すだれが吊るされるのでしょうか・・・。

 毎朝ウォーキングをしている奥さま曰く(習っているピラティスの先生曰く)、
「坂道の歩行は正しい姿勢を習得し難いのと、登坂に因る余分な筋肉がふくらはぎに付く」
とのことから、毎朝近くの「大門沢ウォーターフィールド」(松本市陸上競技練習場。東大門沢川の洪水予防のための貯水施設を兼ねた周囲400mの全天候陸上トラック)へ行って4周ほど速歩でトレーニングをされています。
私メは、中学時代の陸上練習での印象で(今のキッセイ文化ホールの場所にあった県営陸上競技場で良く練習させられた)トラックの周回は(以前、スケート競技に対する某知事発言での)ミズスマシの様で、ただ歩いていても景色が変わらず面白味が無いことから、ウォーターフィールドへのウォーキングのお付き合いはご遠慮申し上げております。

 前日用事で出掛けた堀金から間近に望む常念と、遠く雪を被った白馬連峰の見事さに感化されたのか、里も紅葉が進んで秋らしくなりましたので、奥さまが街歩きをしようとのこと。そこで、久し振りに早朝ウォーキングで松本城まで行ってみることにしたものです。
この日は残念ながら前日の快晴とはうって変わって曇天で肌寒く、北アルプスは雲の中。でも、お堀の桜は既に落葉していましたが、本丸の欅や楓の紅葉がまだ残る中、朝早くから海外を含めて観光客の方々がお城に来られて、開門を待っていました。本丸庭園では、この時期(市民際に合わせて)地元の愛好家が育てた菊花展が開かれている筈ですので、日本らしい秋の景観を楽しめることでしょう。
 私達は四柱神社に参拝し、二の丸跡を通って開智学校横から中央図書館脇を抜け、深志高校を通って帰りました。
因みに7日は暦の上では立冬でしたが、松本の街はまだそこかしこに秋の風情が漂っていました。

 翌朝、家内と二人で早朝ウォーキング。
大鳥居の産業道路を川崎方面へ向かい、多摩川を渡る橋(対岸はもう川崎)の手前にある羽田神社へ。羽田地区の氏神様ですが、場所柄か、空の安全祈願で航空関係者の信仰も集めています。今回も次女の職場と、併せて長女のフライトの安全無事を祈願。

 ホテルに戻り皆で朝食後、披露宴前に美容院に行く娘を送り出し、チェックアウトを済ませて今度は次女の所へ。家事をするという奥さまと別れ、待ち合わせの13時まで正味3時間の自由行動です。そこで、美術館(上野か山種)か新宿のCDショップか決めかねるままJR蒲田から品川で乗り換えるべく乗ったら、京浜東北線で上野直行の大宮行き。ならば上野へと相成りました(速水御舟特別展の「炎舞」と「名樹散椿」にも後ろ髪を曳かれつつ)。

 上野は、相変わらず家族連れやカップルで混んでいます。上野公園の欅が漸く色づき始め、公孫樹はまだ真っ青。信州との季節の差を感じます。
最初に東京文化会館でコンサート情報をチェエクしてから国立博物館へ。すると広場に人だかりで、ステージが作られ売店のテントが幾つも張られて何やらイベントが。どうやら国立西洋美術館がコルビュジエ設計群として世界遺産登録された記念として、コルビュジエ設計の建物がある仏を始めとする国々の音楽がステージで披露され、且つ食べ物も屋台で販売されているようです。ステージ前に並べられたパイプ椅子は満席で周囲には立ち見客も居て、ちょうどベルギーのサックス奏者の演奏するジャズを楽しんでいました。懐かしいナンバーに自然と体がリズムを刻みます。終わってから、気になっていたインドカレーの屋台に並んでタンドーリチキンの串を購入。釜(タンドーリ)はさすがに運んで来てはいないでしょうが、スパイスはそれらしい味付けでした。食べ終わり、気が付くと待ち合わせ時間までに1時間を切っていました。国立博物館では今回禅の特別展が開催されており、雪舟の達磨図(国宝)や白隠禅師の漫画チックな達磨図、狩野探幽の群虎図(重文)、油滴天目茶碗(国宝)などの名品が展示されています。
 「ムムム、シマッタ!1時間では見切れない・・・」
と(都会では他にも選択肢があったが故に)残念ながら諦めて、地下鉄で待ち合わせのコレド日本橋へ。するとLINEに30分遅れとの連絡が・・・「だったら、急げば(展示を)見れたジャン!」とは後の祭り。そこで、待ち合わせ後の時間節約で、日本橋に来た目的の店舗を探します(ご友人への返礼の品を買う出汁の専門店とか)。聞いていたコレド日本橋には無く、通りに出て“お江戸日本橋”を亘りコレド室町の各店舗へ。するとお目当ての「茅乃舎」をコレド室町3に発見。老舗「イ(にんべん)」の日本橋本店(コレド室町1)も混雑しています。和食が世界的に注目され、出汁がその肝とはいえ(京都が軟水だからこそですが)、出汁専門店がこれほど注目されて実際に大繁盛するとは時代変化を感じます(我が家の奥さまは昔から化学調味料を嫌い、昔の田舎の農家の様に味噌汁は必ず煮干しで出汁を採っていますが、先見の明=“周回遅れのトップ集団”と感心しています)。併せて指示のあったランチも場所も含め候補を選択し、準備万端で地下鉄出口にて待ち合わせ。
 「ホンジャ、出汁の店へ行きまっか・・・」
 「ダメっ!お腹空いてもぉ倒れそう・・・ご飯が先!」
との仰せに、候補として江戸前天丼と「北海道厚岸オイスターバー」をご提案(どちらもコレド室町2に入る行列店でした)。
 「昨日の今日だと、天丼はもたれるぅ~!」
とのことで、厚岸牡蠣の店へ(天婦羅同様に油で揚げるカキフライがもたれないという感覚も良く分かりませんが・・・)。
待つ間、「お腹空いた、倒れそう、もうダメ・・・etc」という悲鳴にも似た文句(信州弁で“おんじょこき”と言います)を右から左に聞き流しつつ堪えながら、10人ほどの行列に30分並び漸くテーブルへ。するとサービスランチのメインのカキフライ定食は既に完売とのこと(4個で1,000円とリーズナブル)。そこで仕方なく、ザンギ(鶏カラアゲ)とカキフライ各2個ずつのセット定食(同)を注文し、ブランド牡蠣(生や蒸しでも注文可。残念ながら焼き牡蠣は記載なし)をフライで2個追加。
 暫して運ばれて来た定食セット。たっぷりの千切りキャベツとアサリのお味噌汁が付いています。卓上にはウスターソースのみで定番のトンカツソースは無く、カキフライにはタルタルソースも定食に用意されていますが、牡蠣のエキスを混ぜてあるという店特製の“牡蠣塩”を付けて食べるのがお薦めとのこと。確かに仰せの通り!・・・でした。旨!
鶏カラアゲもさすがにプロ。柔らかくジューシーです。カキフライも大振りで甘さがあります。以前地元デパートの「北海道物産展」で購入した「厚岸牡蠣弁当」の時に、お店の方が「厚岸の牡蠣は一年中採れる」と自慢されていましたが、ここでもセールスポイントとして大書きされていました。
いやぁ、昨日から寿司、串揚げ、カキフライと些か食べ過ぎ(散財もですが)。
 「ま、久し振りだからイイかぁ・・・」
と、むしろ言い聞かせるように自分自身を納得させます。
その後、出汁の専門店「茅乃舎」へ。確か、福岡の田舎の老舗醤油蔵(久原本家)が営む茅葺屋根の和食レストランでの鍋料理に使う出汁が評判を呼び、購入希望のお客さんが後を絶たないことから出汁の販売も始めたと記憶しています。東京ミッドタウンからの出店要請を受け、一気に全国的な人気店になった由(家内が娘にお土産で持たせようとしたら、今や米国でも買えるから不要とのこと)。店内も大混雑(イヤハヤこれ程とは・・・)。
 購入後、長女と合流するために結婚式会場のホテル椿山荘へ。フォーシ-ズンズとは提携を解消しましたが、三重塔などの見事な回遊式庭園を有して国内トップクラスの格式を誇る、藤田グループの旗艦施設(アクセスが悪いのが玉に傷)。この庭園は明治の元勲山縣有朋の屋敷跡であり、「椿山荘」と名付け自ら作庭を行なったのだとか。この日はお日柄も宜しいのか、10組ほどの披露宴でロビーはごった返していました。
新婦は長女の披露宴で幹事を務めてくれましたから、海外から例えトンボ帰りでも参列するのは当然として、少しは恩返しが出来たのでしょうか?
 披露宴に参列した高校時時代の友人との談笑を終えた娘と合流し、買い物をしたいと新宿へ。その後休憩しながら近況報告を受け(無事運転免許も合格した由)、夜は大学時代の友人と待ち合わせと云う娘と別れて、我々は大鳥居に戻り、車で一路信州へ。奥さま曰く、
 「ちょっと食べ過ぎたから、体も財布も暫くダイエットだからネ~!」
 「へ~い、合点承知之助!」

 10月末の週末、高校時代の親友の結婚式出席のために長女が米国から帰国するとのこと。現地時間で月曜日のMBAの授業は絶対に休めないからと、現地時間で授業終了後の金曜日に移動して、日本滞在が実質一泊二日の弾丸ツアー。ビジネス客が多いであろうシリコンバレー線は満席のため航空会社勤務の次女のコネも使えず、ディスカウントチケットとはいえ、帰国便はサンノゼやSFからの直行便ではなくサンノゼ発のLA経由とか。
久し振りに長女に合うべく、また次女の所へ夏物との交換で冬物を届けるためもあって、車でこちらも一泊二日で上京。さすがに次女のワンルームのマンションに家族4人は無理なので、大鳥居のホテルに泊まります。

 週末でしたが上り車線は然程混んでおらず、糀谷に4時間で到着。中央環状線のお陰で新宿から羽田が大層近くなりました(ずっとトンネルなので閉塞感はありますが)。
途中、首都高に慣れている奥さまと石川PAで運転交代するまでノンストップ。そこで駐車中のテスラを発見。上野原辺りで追い越して行ったのですが、一瞬マセラティかと思ったら見慣れぬエンブレムに??の車でした。家内曰く、
 「シリコンバレーには一杯走っていたけどネ・・・。日本では初めて見た!」
とのこと。フム、日経の中だけの話題では無かったんですね。

 夏冬物を積み換えてから、遅めのランチにいつもの蒲田の「活緑寿司」へ。9月に都響のマチネに来た時は池袋の「活」でしたので、私メにとって蒲田は久し振り。夕食で行こうと思ったのですが、食事時は常に大行列なので、むしろ2時も過ぎた中途半端な時間の方が待ち時間が少ないだろうとのこと。混んではいましたが、確かにすぐに座ることが出来ました。
家内と娘は、炙りホタテやトロにヒラメ、ボタンエビ(回転寿司ですが、チャンと頭も素揚げにして供してくれます)にエンガワとか。奥さまは特にこの日のヒラメを絶賛。
私はいつも通りに光物中心。炙りトロイワシが何とも旨い!でも、この日のコハダはイマイチかな・・・。久し振りに生アジを頼んでみると、この日は脂が乗って絶品!こんなに新鮮で美味しいアジを食べたのは、次女が成田に居た時の「江戸ッ子寿司」以来です。そこでイワシとアジを何皿も頼んで大満足。他にも、やはり新鮮でないと美味しくない生ゲソ(何時ぞやの金沢近江市場には敵いませんが)とエンガワは炙りを塩で頂いて・・・。
 「あぁ、旨いなぁ・・・」
物流が発達したとはいえ、やはり新鮮で美味しい鰯や鯵などは山国ではなかなか食べられません。久し振りに新鮮で美味しいお寿司をお腹一杯いただいて大満足でした(ここで食べると、何ヶ月我慢してでも上京するまで寿司は我慢・・・となってしまいます)。
 食後の運動とやらで、帰りは蒲田から皆で歩いて次女の所に戻り、我々は先に車でホテルにチェックイン。運転疲れもあり、部屋で暫し休憩してから、フライトに合わせて9時過ぎに空港へ。この日は次女もお休みなので、三人で出迎えです。その前に、次女の航空会社のチェックインカウンターを江戸小路から見学。それにしても、羽田の国際線ターミナルも整備されてキレイになりました。やはり都心に近い羽田の方が(便さえあれば)成田よりも遥かに便利です。
 到着を待つ間に遅めの夕食。お昼を食べ過ぎたので、女性陣は人気店「つるとんたん」をご所望。個人的には「焼肉~♪」と思ったのですが、さすがに・・・うどんでもイイかぁ。でも、店頭のメニューを見たら「アナタは食べるモノ無いでしょ!?」とソバ派の私メを気遣って、結局「串の坊」へ。新宿の伊勢丹別館にあったお店には子供が生まれる前に上京すると良く行きましたが(蓼科の三井の森にも支店がありましたが)、何十年ぶりでしょうか?
各々好きなところで止められるので「おまかせコース」にしましたが、シバエビのシソ巻きやコハダ巻、シイタケ、そして何といってもアスパラの一本揚げ。本場大阪の“庶民の味”串カツの“二度漬け禁止!”(一度連れて行ってもらった阿倍野の店は旨かった!)と違って些かお上品ですが、これはこれで久し振りの懐かしの味で大満足でした。
 その後少し時間があったので、国際線ターミナルの展望デッキから各社の機体を眺めてから、出迎えの人でごった返す到着ロビーへ。
 「お帰り~♪」
久し振りに家族揃ってご対面でした。

 前回(第1144話)ご紹介した、頂いたクリタケに触発されての久し振りのキノコ採りで、10月末に近くの里山へクリタケを探しに行って来ました。
数年前までは、必ず秋になるとリコボウ(ハナイグチなどヌメリのある傘が特徴のイグチ系キノコ。諏訪地方ではジコボウ)を探してキノコ採りに行っていたのですが、我が家ではせいぜい私が食べる程度(茹でて大根おろしとポン酢が定番)で余り見向きもされないので、いつしか行かなくなっていました。しかし、クリタケも炊き込みご飯にすると美味しいですし、先日いただいた時に奥さまがキノコでは(多分マツタケは例外でしょうけれど)一番好きとのことに、ならば拙者が・・・と意気込んだ次第。
 クリタケは、栗は勿論、クヌギやコナラなどの広葉樹の倒木や切り株に群生する晩秋のキノコ。従って、もし見つけられれば一度に大量採取も可能です。結果は、掲載した写真をご覧ください。最初からこういう風に見つけられれば苦労は無い(見つかるまでに結構時間が掛かりました)のですが、思いの外たくさん採れました。「イェーイ、やったね!」

 今年は、秋口に雨が降り続いたせいで、キノコが大豊作とか。マツタケとかシメジなら大歓迎ですが、毒キノコも同様だそうですので気を付けないといけません。クリタケだと、間違え易いのは猛毒のニガクリタケ。黄みがかっていて生でかじると苦いそうですが、一方のクリタケは茶褐色で生でかじっても苦くないそうです(但し、生食は下痢を引き起こすため、クリタケであっても必ず吐き出すべし!とのこと)。
ただ、不安がある時は絶対に食べないのが一番安全。若しくは、キノコ採りのベテランに診てもらって判断を仰ぐか・・・。また、キノコの時期は各地の保健所が定期的に相談会を実施してくれていますので、そこに持ち込んで専門家に直接診てもらうのが何より安心・安全でしょう(松本保健所は島立の合同庁舎内にあり、H/Pに拠ると10月末まで隔日で実施されていました)。
 今回も、家内がクリタケご飯にしてくれました。前回よりも量がたくさんあるので、炊き込みご飯もたっぷりのクリタケでした。また育ち過ぎて傘が開いたり欠けたりした物は、別にバター炒めにもしてみました。醤油で少し味を付け、粗挽きの黒コショウを振り掛けて。なかなか乙な味で美味しくいただきました(バター炒めでは、苦味のあるハツタケの方が個人的には好みでした)。クリタケは、茎がシャキシャキとした歯応えがあることも美味しく感じる要素だと思います。今回の“里山の秋の恵み”・・・自分で採っただけに美味しさも“ひとしお”でした。
 今年は、“里山の恵み”を満喫(ちょっぴり?でも例年に比べれば遥かに)した秋でした。
最初に出るキノコがハツタケなら、クリタケはシーズンの終わりを告げる晩秋のキノコですので、里に漸く紅葉が降りて来たところですが、山からはそろそろ雪の便りが届く季節です。
霜月の11月に入り、里に冷たい雨が降った1日未明。北アルプスや志賀高原も初冠雪だったようで、信州はいよいよ秋から冬へ向かいます。