カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 11月13日に行われた「松本城ウォーク」。“松本歴史探訪コース”での18㎞のロングコース後半は、林城址のある入山辺から先ずは美ヶ原温泉の里山辺を目指します。
 第五番印所は里山辺にある針塚古墳。市内に唯一現存する積石塚古墳(古代高句麗を中心とする朝鮮半島にも石積み式の古墳があり、渡来人との関連が指摘される。長野市松代町の大室古墳群は500基の積石塚古墳を数える日本最大規模)だそうです。弘法山古墳が東日本最古級の3世紀と云われますが、こちらは古墳時代中期の5世紀後半の古墳で、旧開智学校に似た旧山辺学校手前の路地を入って行くと、田畑に囲まれた中に保存整備された古墳が現われ、ここからも北アルプスの山並みがキレイに望めました。古代の有力者は、弘法山しかりで、やはりその権力に相応しい場所に眠っています。この古墳は1989年から発掘が開始された直径20m、高さ2mの積み石で築かれた立派な円墳で、その後史跡公園として整備されたのだとか。道理で、考古学好き少年だった頃の記憶に無く、また発掘時期が海外赴任中でもあったために、地元のニュースとしても知らなかったのだと判明しました。

この山辺から中山地区にかけては松本平でも古墳が多いエリアで、また中山には朝廷直轄の牧場(勅旨牧)32ヶ所の半分に当たる信濃の16牧を統括する牧監庁が置かれていた「埴原(はいばら)の牧」があり、天武天皇が行宮設置を命じた(帝の逝去により中止)と云われる束間(つかま)の湯(美ヶ原温泉か浅間温泉と推測される)と並び、古くから都(朝廷)との繋がりが強かった場所です。
 第六番印所である美ヶ原温泉に行く前に、山辺学校横にある市の教育文化センターに立ち寄ってトイレ休憩です。
「美ヶ原温泉」と何とも漠然と表示された第六番印所は、今では美ヶ原温泉唯一となった公共日帰り温泉「白糸の湯」(300円。平日でも混んでいるそうです)の横に設けられていました(因みに13㎞の温泉コースはここで終了し、入浴してから路線バスでお城へ戻る設定)。
そこから次の第七番印所となる松本民芸館はすぐ近くです。館内の庭の欅や楓などの木々が色付いて見事な紅葉でした。
18㎞のロングコースも、ここまで来れば残りは1/3の5㎞程。軽いトレッキングシューズを履いて来たのですが、さすがにふくらはぎや足裏が痛くなってきました。メイン道路を歩いて総社(そうざ)を通り、次の印所に指定された「戸田家廟園」を目指します。
因みに総社という地名は、律令制で各国に遣わされた国司の重要な任務であった自国内の神々に参拝に巡るのを軽減するために、全ての神様をまとめて奉る(合祀)神社である「総社」(そうじゃ)が国府の近くに設けられたことに由来しており、岡山県総社市(古代吉備国の中心だった備中)の様に(律令制下の)全国各地に今でも地名として残ります。松本では総社地区の道路沿いにある伊和神社が信濃国の総社(国府移転までは上田市の科野大宮社)と見做されているようです。従って、小県から筑摩に移された国府もこの付近に庁舎が置かれていたのではないかと想定されます。
さて、印所の置かれた「戸田家廟園」。松本藩主としての治世が一番長く且つ最後の藩主でもあった戸田松平家の廟所ですが、これまで一度として来たこともありませんでした。そのため、地図を頼りに迷いながらも、居合わせた参加者同士で協力しながら狭い路地の奥に漸く見つけることが出来ました。廟所という性格上、史跡ではあっても観光として訪れる場所でも無いでしょうから、ひっそりと住宅街の中に佇んでいました。確か、浅間温泉南部の牡丹で知られる玄向寺には第六代藩主水野家の立派なお墓があった筈ですが、戸田家のお墓は意外なほど小さめ。松本藩のお殿様や縁の方々にお参りして廟所を後にしました。
ここからは目をつむっても行けそうです。第九番の印所はあがたの森公園内の旧制松本高校。大きなヒマラヤ杉が印象的で、校舎や講堂は重文に指定されています。戦後もずっと信州大学文理学部のキャンパスとして(旭町キャンパスへ統合される1973年まで)使われていたこともあり、「良くぞ!」と思えるほど旧制高校の雰囲気(「どくとるマンボウ青春記」の舞台として知られます)がそのまま残っていて、6万㎡という広い公園内は今では市民の憩いの場。松本の観光スポットとしても、個人的にはお城の次にお薦めの場所です(因みに3番目はアルプス公園。どちらも入場無料ですし)。本館入口で印を押し、いよいよ最後の第十番印所となる伊織霊水に向かいます。
地図上の推奨ルートではなく、文化勲章受章を祝って草間弥生式の赤い水玉で全面装飾された市美術館を過ぎて駅前通りから路地に入り、市中の湧水が集まり流れる榛の木川の水源でもある源地水源地(今でも上水道の水源の一つ)を通って向かいます。こうして歩いてみると、松本の街は城下町で戦災も免れているために道路がほぼ東西南北に張り巡らされており、一方通行の狭い路地も多くて車には誠に不便ですが、歩くには旧町名さえ分かれば(上ガル下ガル入ルの京都ほどではありませんが)とても分かり易いと改めて認識した次第です(例えば、観光客に人気の中町などは本当は終日歩行者専用にすれば良いのですが、あの東西を結ぶ一方通行が無いと車が大回りしないといけないので不便)。
最後の印所が置かれた伊織霊水は、年貢に耐えかねての農民一揆である加助騒動(城山で処刑された際にお城を睨みつけたために、中萱加助の怨念により後年天守閣が傾いたという逸話で知られる)の際に農民たちの助命減刑を嘆願して奔走したという江戸詰めの松本藩士、鈴木伊織の墓所横にある湧水。松本の湧水群の一つでもあります。そこで空になったペットボトルにお水を頂き、喉を潤してからゴールとなる松本城へ向かいます。
女鳥羽川を渡り、豆腐田楽の木曽屋、竹細工の上原善兵衛商店、洋菓子のマサムラと松本の老舗店の前を通って昔からの居酒屋や蕎麦屋の並ぶ緑町へと、いずれも城下町らしい狭い路地を抜け、お城へは正面の黒門ではなく、最後の結印となる印を押すために太鼓門へ。そして、ゴール地点の黒門前のテントで設定された10ヶ所の印所の印と最後の結印の確認を済ませ、「完歩之証」の印を押してもらってロングコースを無事完遂。午後2時でしたので、スタートからちょうど5時間で18㎞を“完歩”しました(最終ゴールは16時までの設定)。
テント内で“ふるまい”の山菜蕎麦を頂いて暫し休憩です。その間にも続々と皆さんがゴールして来られ、お互いにお疲れ様の声が飛び交います。
さすがに足も痛くなりました。スタッフの方にお願いして記念写真も撮っていただき、最後にスタッフの皆さんにお礼を言って会場を後にしました。疲労回復のための糖分補給とやらで、縄手の「スヰト」に寄ってスイーツとコーヒーを頂いてから市役所に戻って車で帰宅しました。
 18㎞はさすがに歩き疲れました。その18㎞の中に急登の林城址を入れるのはチョッと反則かな・・・。でも、本当に久し振りの千鹿頭山や林城址、更に松本に居ながら今まで行ったことの無かった若宮八幡や戸田家廟園、そして弘法山古墳や針塚古墳なども今回訪れることが出来、とても楽しめた歴史ウォークでした(さて、いつ筋肉痛が現われることやら・・・)。
 「勝手が分かったから、来年からは楽だよね、きっと!?」
だそうです・・・。