カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

  秋に行なわれている「松本城ウォーク」。 
昨年松本城への早朝ウォーキングの途中で参加された方々を見掛けたので、今年はリタイアしたこともあり、事前にネットで申込みをして13日の日曜日に初めて参加しました。
この松本城ウォーク(どうやら今年で3回目らしい)は二日間実施され、12日が“アルプス展望コース”、13日は“松本歴史探訪コース”と銘打たれています。“アルプス展望コース”はその半分が城山から我が家の“裏山”アルプス公園を経て子供の頃の岡田の通学路を巡るコース(最長15㎞)で“お馴染み”過ぎるので、二日目の“歴史探訪コース”にしたものです。コースには、ショート5㎞、ミドル10㎞、更に温泉コースの13㎞もありましたが、郊外の弘法山と林城址までが含まれた18㎞のロングコースに挑戦(今年から内容がリニューアルとのことですが、初参加故どこが変わったのかは不明)。
 当日、スタート&ゴール地点になる松本城での8時からの受付開始に合わせ、帰りは疲れて歩けないだろうと車で行くことにして、幸い市役所の駐車場(休日は無料なので大変混み合います)に停めることが出来ました。早速受付を済ませ、地図や10ヶ所の「印所」(チェックポイント)で“印判”を押す集印帳が入った参加証、松本の水が入ったペットボトル、事前予約のお弁当などを受け取ります。
この日、松本市盆地は朝霧が発生し、霧に包まれた松本城も幻想的。開会式までに時間があったので、8時から開いている「マルショウベーカリー」のイートインで朝食です。同じく早朝から開いている「ホテル花月」の喫茶室や「まるも珈琲」の方が多分黒門からは近かったかもしれませんが、「花月」は今年から東京のマネジメント会社にホテル経営が委託され、一般にも開放されていた喫茶室(別に宿泊客専用レストランあり)もリニューアル。新たに「八十六温館」として“拘りの86℃”で淹れるコーヒーを売りに、以前は700円だったモーニングセットが1400円と倍の値段になったのだとか(コーヒーも900円だそうです)。以前は、珈琲を飲みながら新聞を読むおじいちゃんとか地元の常連さんがおられましたが、もう居ないでしょうね(ヒトゴトながら、この松本で一体誰が900円の珈琲を飲むのでしょうか?「90℃じゃイケンのかい!?」)。モーニングセットなら、昔からずっと変わらぬ「まるも」や「アベ」に行きますから。

 松本城公園の黒門前の受付のテントには646番まで番号が表示されていましたが、県内外からも来られているようです(前日は450人だった由)。若者のグループや家族連れもおられますが、やはり中高年の方々が多そうです。
8時45分から開会式とストレッチ体操を済ませて、まだ霧が残る9時に一斉スタート。地図上に示された第一番印所は深志神社です。地図に示されたルートはあくまで推奨で、印所さえ回ればどこを通っても良い(但し、手掛かりは渡された地図のみで、途中コースに矢印や案内等は一切無し)とのことなので、最初は混むだろうからと大名町から本町へ向かう集団と別れ、勝手知ったるで緑町から中町を横切り小池町へとショートカット。同じルートを歩いて来た数人だけで先に印を押し、せっかくなので我々は七五三参拝の家族連れに混じり深志神社にお参りです。この頃には印所(昨日の反省で、最初だけは印を4つに増やしたそうですが)は長蛇の列でしたので、奥さまの言う通りにショートカットしてやはり正解だったようです。
続いて第二番印所に指定された筑摩の若宮八幡社へ向かいます。ここからは列もバラけるでしょうが、まだ奥さまは早足(速さを競う大会に非ず!)。
若宮八幡は元々お城の中にあった松本城鎮守とか。そう言えば、八幡社は「八幡太郎義家」に代表されるように源氏を初めとして武士の信仰が厚い神社で、この若宮八幡本殿も小さなお社ながら室町時代の様式が残る国の重文指定。印判を押してから(ここは印が2つ用意されていました)、こちらにもお参りをします。皆さん思い思いのペースで、もう列もバラケています。
 次に庄内町を通って並柳の弘法山へ。並柳には母の実家があるので、子供の頃から弘法山はお馴染みですが(ずっと昔から弘法山には大師のお墓があるとの地元の云い伝えを母から聞かされていました。嘘だと思わずに掘れば良かった・・・)、全山がピンクで染まる桜の時期も下から眺めてばかりで、登るのは初めて。途中に駐車スペースがあるのですが、下から登ると結構な急坂です。若い高校生のグループが元気に追い越して行きます。お一人で参加された方も結構おられる様です。我々も印を押してから古墳のある頂上に行くと、幸い霧も晴れて真っ青な秋空が拡がっていました。東日本最古級と云われる前方後方墳の頂上からは、赤く紅葉した桜を眼下に、松本の市街地と北アルプスの山並みが雪を頂いた白馬方面までくっきりと望めます。丘の上から見下ろす第一級の眺めこそが、この場所に眠る人物がこの地を治めた有力者だったことを証明しています。
反対側に下りて、千鹿頭山をぐるっと周って第四番印所に指定された林城址に向かいます。松本市神田にある千鹿頭山には千鹿頭池と小高い山頂に千鹿頭神社があり、諏訪社系で御柱が行なわれます。因みに千鹿頭神は、元々の諏訪の土着神であった洩矢神の子供とされる狩猟の神様です(嘗ては鹿を生贄に奉げたという諏訪の御頭祭との関連も伺われます)。千鹿頭山も林城址も小学校の遠足以来。どちらも50年振りくらいになるのでしょうか。
 入山辺地区にある林城址は、信濃国守護であった小笠原氏の居城跡。その後戦国時代になって、信濃に攻め入り小笠原氏を追放した武田信玄に依って廃城されます(現在の松本城の場所にあった、林城の支城だった深志城を信玄が当時としては画期的な平城として築城)が、この林城址は林大城と林小城の二つの山城を持つ中世期の大規模な山城跡として、山城好きには堪らない魅力のようです。
今回は金華山と呼ばれる山の尾根沿いではなく、地図上の設定ルートに従って麓の大嵩崎(おおつき=小笠原館が置かれたと云われる集落)側から登りますが、集落そのものがかなりの急坂(集落下にチェーン着脱所が設けられていましたが、それも納得出来ました)で、城址へも尾根の側面から登るためにつづら折りの急登でした(確かに、館からの登城距離は短い)。息も絶え絶えに漸く登り切って、846mという山頂付近の主郭跡の東屋に置かれた印所で印を押してから、12時近くなったのでここでお弁当休憩です。漸く一息吐くことが出来ました。(お世辞ではなく、家内の作ったお弁当の方が美味しいかも・・・。来年は自家製でお願いします)
ここまで出発してから休憩を含めて3時間弱が経過。距離的にも概ね中間で、山を下れば後半は平坦なコースなので、林城址が一番の難所でしょう。それにしても、小学生がこんな急な坂を上って遠足に来たんだろうか?
帰路は、金華山と呼ばれる林城址のある山頂から長い尾根伝いに下ります。すると石垣風の石積みや空堀と思われるU字型の窪み、また段々畑の様に幾つもの平らな部分があり、尾根沿いに下っていくことで連郭式山城と云われる林城址の様子を垣間見ることが出来ました。確かに山城好きには堪らないかもしれません(但し、木々に覆われているので、城の主郭のある頂上含め眺望は良くない)。
尾根を下り切ると、ちょうど薄川沿いの金華橋の袂に出ました。記憶が定かではありませんが、子供の頃の遠足は大嵩崎からではなく、きっとこの尾根伝いに登ったのでしょう。
松本では夏至の前後に、ちょうど槍の穂先に沈む夕日の写真の撮影スポットとしても知られる金華橋からは、この日も常念の左肩越しに槍ヶ岳がくっきりと望むことが出来ました。コースも残り半分、
 「さてと、あとはずっと平坦な筈・・・」

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