カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回泊まったのは両国の第一ホテルだったのですが、たまたま大相撲初場所中。連日大入り満員とかで、国技館周辺はごった返していました。

宿泊した初日は、次女が合流した後、夕刻6時を過ぎると(大相撲も終わるので)両国界隈はどこも混むだろうからと5時には夕食へ。移動で疲れたことも手伝い、遠出はせずに簡単に駅周辺で済ませることにしました。そこで昨年11月にオープンしたというJR両国駅に直結する「江戸NOREN」へ。
こちらは、両国らしく1階中央に日本相撲協会が監修したという国技館と同サイズの土俵が設えられています。そして土俵を取り囲むように吹き抜けの3階フロアまでに、ちゃんこ、もんじゃ、深川めし、築地直送の海鮮などのテナントが入居。その中から、我々は海鮮丼のお店にしました。個人的には本場のちゃんこ鍋に興味があったのですが、二人からは「普通の鍋でしょ!?」と肩透かし(?はたき込みか・・・)。
入店した時はまだ疎らだったのが、さすがに大相撲が跳ねた6時を過ぎるとあっという間に満席になりました。
 食べ終わり、国技館の横を通ってホテルに帰ることに。何本もの幟がはためいていて、さすがに本場所の開催中は両国界隈は活気があります。
その中に、地元紙で毎日その動向が報じられている長野県出身の唯一の関取である御嶽海の幟もちゃんとありました。この日も地元木曽からの応援団が大声援を送ったことでしょう。
また通用門なのでしょうか、その付近には“出待ち”と思しきファンの方々が大勢おられました。連日の満員御礼の札止めだそうですので、急に思い立ってもチケットは買えなかったのでしょうが、入場料は2200円との表示(自由席の立ち見?)。当然升席ではありませんが、意外と安いのですね。でもせっかくなら、やっぱり升席でお弁当を食べながら応援したいものですが、日本の伝統文化という意味では、(お上りさん的には)どうせなら歌舞伎の方がイイかな・・・?。

 今年の正月は喪中故に客呼びも無く、またらしき振舞いも不要。
そこで、航空会社勤務で年末年始に帰省出来ない次女が連休の取れる一月下旬に、彼女が帰省して来るのも大変だからと、母がちょうどショートステイで不在になることもあって、ナナを妹に預けて我々が上京することにしました。その前提で、家内が特別料金でのホテルを昨年中に探して予約もしてありました。

 バスタ新宿に到着後、予定のある奥さまと別れ、私メは先ず宿泊先の両国のホテルに荷物を預け、その足で今度は糀谷の次女のマンションへお届けモノをして、予定の終わった家内と渋谷で合流。
今回は、トーハクも山種等でも見たい展示ではなかったので(また、特に聞きたい演奏会も無く)、一度は行ってみたかった世田谷美術館分館の「向井潤吉アトリエ館」へ行くことにしました。事前に調べたH/Pのアクセス案内に従って、降りてからのアクセスが一番分かり易そうな渋谷駅から東急バスで向かいました(バスだと結構な移動時間で、結果30分近くも掛かりました)。

 向井潤吉画伯(1901~1995)は、“民家の向井”と云われる様に、全国の茅葺屋根の古民家を描いたことで知られる画家です。
子供頃の我が家も含め、それこそ身近にあった信州の茅葺屋根の農家も多数描いていて、カレンダーなどの図柄で昔から何度も目にしていたのですが、超有名とまでは云えないのか、なかなかまとまって観賞出来る美術館や絵画展が無く、今まで実物の作品を見たことがありませんでした。
氏が後年アトリエを構えていたという世田谷の家が作品ごと区に寄贈されてそのまま美術館として運営されていることを知り、以前から一度訪ねて見たいと思っていました。
指定された停留場でバスを降り、H/Pの案内図に沿って住宅街を歩きます。近付くと、お手製の案内板が所々要所に掲示されていて、分かり易く親切です。住居をそのまま美術館とした「向井潤吉アトリエ館」(世田谷美術館分館)は、閑静な住宅街の中に佇んでいました。1933年にここに居を構えた画伯は、以降半世紀、ここを住居兼アトリエとしてきたのだそうです。狭い畳敷きの客間には小さな囲炉裏も設えられていて、そこで画伯がお燗を付けて客人をもてなしたのだとか。近くの棚の上には、恐らくスケッチで旅した先であろう、各地の地酒の徳利が所狭しと並べられていました。
 館内では、ちょうど「山と民家」と題された展示がされていて、先客は我々よりも年配の一組だけ。1・2階をギャラリーとした小さな美術館の展示は僅かに30点余りで、入館料も200円/人ですが、何ともほのぼのとした小さな小さな美術館でした。氏が描いた民家の絵は総数千点を超えるそうですが、その内埼玉県が340点で全体の32%。続いて長野県が205点で19%。画伯の出身地である京都府が138点(13%)で、岩手県が72点(7%)という順番だそうです。また描かれた季節は、2月から4月と、秋の10月から12月が多く、氏曰く「夏になると茂り過ぎた木が民家を描くのに却って邪魔になるので、描くのには初冬から5月くらいまでが一番捗る。」と語っていたそうです。また、「自分は(盛夏の)緑を描くのが苦手だから」とも語っていたそうですが、雨に煙る木曽の馬籠宿を描いた作品は深い緑が何とも印象的でした。
“民家の向井”と云われたその絵には、我々日本人(特に私メの様な、田舎の信州人?)にとっての心象風景とも云える「日本の原風景」が確かにそこにありました。
(掲載した写真は、今「山と民家」展の作品から気に入って絵ハガキで購入した、白馬村北城を描いた「岳麓好日」と山梨県小淵沢町からの八ヶ岳をバックに咲く桜を描いた「ふもとの老樹」です)
 帰りは駒沢大学駅から東急田園都市線で。場所さえ分かればバスよりも渋谷までは比較にならぬ程早かったので、アクセスには(歩く時間は長くても)結果として電車の方が時間的には遥かに近くてお薦めでした(電車でも、途中要所に案内板が掲示されていました)。

 昨秋からの駅伝シ―ズンも、1月の都道府県対抗を以て終了しました。
今年の長野県勢は、先ず11月に福島で行われた東日本女子駅伝で、見事7年振り2回目の優勝を果たしました。しかも長野県は実業団選手ゼロで、中学生以外は全て長野東高校の現役と大学生のOGのみ。オリンピック選手や有名実業団選手を向こうに回しての快挙でした。実業団選手も走った1区で見事区間賞を取った長野東2年生の和田有菜選手は、この時の自信に支えられたのか、師走の都大路を走る全国高校駅伝の各校エースが集う1区でまたもや区間賞。長野東は最終区で順位を落としたものの8位入賞の目標を上回っての6位入賞。資金面でも私立に比べれば恵まれぬであろう公立高校としての偉業と言っても過言ではありません。エースの和田選手(来年は川中島中の妹さんも入部するんでしょうね、きっと)が残るだけに一年後が更に楽しみです。
 その都大路の男子では、佐久長聖がトップ争いの結果惜しくも2位。しかし、1区の名取燎太選手(富士見出身)のラストスパートは凄かった。長聖は昨年の關選手(東海大)に続き2年連続、更に長野東和田選手と併せて県勢が男女共に区間賞というのも凄い。留学生と競り合った中谷選手(下諏訪出身)が2年生。区間賞の松崎選手(塩尻出身)が1年生と下級生も多いだけに、こちらも一年後が大いに楽しみです。
 今年の男子の優勝校などを含め留学生を抱えるチームが増えてきただけに(昨年の世羅の時も感じましたが、優勝インタビューで留学生の走りには触れずに日本人選手の頑張りを称える指導者に違和感を覚えました、勝つためだけにわざわざケニアから連れて来たのだから、堂々と感謝すればイイ!。2009年の豊川の様に失踪することの無い様、生活面からしっかりと見守ってあげて下さい)、頑なに留学生に頼らぬ日本人だけの編成で挑む佐久長聖や伝統の西脇工、更に九州学院、鹿実などのチームの頑張りに期待しています(決して差別ではなく、1992年仙台育英に留学生が登場して以来、日本長距離界に相乗効果は見られません。少なくとも、未だ人格形成前である高校生の段階での留学は早過ぎるように思います)。

 そして、年明けて1月の全国都道府県対抗駅伝。
先ず15日に京都での女子駅伝があり、翌週22日が広島での男子駅伝です。
15日は西日本も降雪となった生憎の天候となってしまい、髪を白く染めながら降りしきる雪の中を走る女子選手たちが可哀想なほどでした。
長野東高の現役OB中心の長野県チームは、中高校生の頑張りにより最終区手前で3位と頑張りましたが、エース不在の影響でやはり荷が重く、最長区間10㎞となる最終区で失速し残念ながら10位と、目標の入賞に届きませんでした。しかし皆若いので、やがてOBが実業団でのエース級に育てってくれば、目標の入賞どころか表彰台も決して遠くはないと思わせてくれた頑張りでした。
 22日の男子駅伝。下馬評でも佐久長聖の現役OBを中心とする長野チームが優勝候補筆頭でした。しかし、直前のオーダー変更で全国トップクラスの中学生選手(我が母校!女鳥羽中の木村選手)が走れずに選手変更。
案の定3kmの中学生区間では多少順位を下げましたが、佐久長聖の2枚看板中谷・名取両エースの下馬評通りの走りと本間選手の師走の都大路のリベンジとなる区間賞の走りもあり、地元に実業団チームを持たない長野県ですが、中高生の全県的強化を長年継続してきたことと、その子供たちを核に全国的な強豪となった佐久長聖駅伝部の頑張りとの相乗効果に拠り、3年振りの全国最多となる7回目の優勝を飾ったのは見事。大いに称賛されて然るべきでありましょう。
女子も男子に続けと長野東を核に全県的強化が続けられているので、県立高校ゆえに私立には無い苦労もあるのかもしれませんが、いつか必ず花開くと信じて応援しています。
 「頑張れ、ゼッケン17番!」

 毎年正月に一ヶ月公演として行われているという『志の輔らくご in PARCO』。渋谷のパルコ劇場が3年間掛けて改装されるのに伴い、“in NIPPON”と称して一ヶ月で全国12ヶ所を回ることになり、初年度の2017年に師匠の故郷を皮切りとする4番目の公演先に松本も選ばれました。

 今の落語界で一番集客力があると云われる立川志の輔ですので、聞きに行くことにしました。ここ数年、志の輔師匠は松本に毎年来られているそうですが、私メは生で聞くのは初めてです。
何度も紹介させていただいているビッコミ・オリジナル連載の尾瀬あきら氏の最高傑作!「どうらく息子」に感化され、コミックに登場する古典落語をちゃんと知ろうと思い、市立図書館のライブラリーの落語コーナーにあるCDを借りて勉強しつつ、どうしても生で聞きたくなって5年前に聞いた、生まれて初めての“生落語”(第605話参照)。それも同じまつもと市民芸術館でした。以来、「松本落語会」や「まつぶん新人寄席」などで何回か聞いていますが、チケット入手も難しいという当代きっての人気落語家でもありますし、評判を呼んでいる「志の輔らくご in PARCO」の謂わば“引っ越し公演”が、この松本でも聞けるので、聞きに行くことにしたもの(奥さまは落語には全く興味なし故、今回も独りです)。
 「13日の金曜日・・・?、ま、イイかぁ」
会場の市民芸術館は駐車場が少ないので、18時の開場に合わせて家内に送ってもらいます。3階席以上と両脇のバルコニーは使わずに、階段状の1・2階席のみの解放ですが満席の様で流石です。
開演時間になりお囃子が流れ、緞帳が上がるとステージには高座が設えられ、両脇に立川流の定紋「左三蓋松」が屏風風に置かれています。
出囃子に乗り志の輔師匠の登場。一席目は、正月公演らしく紋付羽織袴姿。お弟子さんはおられましたが、前座噺無しに仲入りを挟み、三席ともご自分で演じるとのこと。
 前半に師匠自身の創作落語ニ題、「質屋暦」と「モモリン」。
質屋暦は2017年元旦の8時59分60秒の「うるう秒」に因み、明治5年12月3日から明治6年元旦に変更されたという、明治政府の太陽暦導入に伴う市井のドタバタを因業な質屋を舞台に題材としたもの。そして、モモリンはとある市の人気ユルキャラのお噺。そして「お仲入り~♪」を挟み、トリに古典落語から「紺屋高尾」という演目でした。三席の間に、獅子舞いや三味線演奏、お目出度いという三番叟の様な「酉踊り」などもあって正月公演らしい雰囲気です。
 枕噺もなく、いきなり師匠の口から「久蔵が・・・」という言葉を聞いて、「おっ、紺屋高尾だ!」
想えば、5年前に初めて聞いた生落語のトリも歌丸師匠の紺屋高尾でした。また、「どうらく息子」に登場した前座時代の「惜春亭銅ら壱」やCDでは「紺屋高尾」と云えば十八番と云われたと云う六代目圓生でしょうか。どちらも良かった。立川談志も定評あったそうですから、当然志の輔師匠も弟子の頃に師匠の談志から直接稽古を付けてもらったのでしょう。
「次はいつ来てくんなますか?」との高尾太夫の問い掛けに、遂に嘘を付いていたことを詫びる染物職人久蔵の誠実さは良く出ていたと思いますが、年季明けの高尾が久蔵の所に本当に嫁入りして来る段は何となくあっさりしていて少し物足りない気がしました(その点、お玉ヶ池の桜吹雪の中をかごに乗って来る高尾の姿を見事に描いた「どうらく息子」での銅ら壱の紺屋高尾は良かったなぁ・・・)。しかし、“滑稽話から人情噺まで。創作噺も”という「志の輔らくご」の評判の一端に触れた感じはしました。
 個人的には、以前CDで聞いた、師匠の「八五郎出世(妾馬)」の滑稽な中にも涙ながらの“悲しみのおかしみ”は本当に良かっただけに「八五郎出世」を生で聞いてみたかった気がしました。また、一ヶ月で全国12公演とのことですので、高座から降りて袖に下がられる師匠の姿がお疲れの様子で些か心配ではありました。

 最後鳴り止まぬ拍手に応えて緞帳がまた上げられ、志の輔師匠の三本締めでお開きとなりました。
 「やっぱり、落語も“生”がイイなぁ・・・」

 今年は年末の大掃除も順調に終わらせたので、大晦日にでも温泉へ入ってゆっくりと今年の“心の垢”でも流そうかと思いましたが、年取り準備で奥さまが色々お忙しそうでしたので、新年は喪中ゆえに客呼びもないことから、三ヶ日が終わったところでゆっくりと日帰り温泉に行くことにしました。

 信州は温泉地が多いので、公共施設も含めて日帰り温泉施設がたくさんありますが、松本の旧市内に限るとこれが意外と少なくて、美ヶ原温泉には今や「白糸の湯」一ヶ所のみですし、浅間温泉も「ホットプラザ浅間」と「枇杷の湯」の二ヶ所だけです。
今回は、奥さまがいただいた入浴券があったので、アルピコグループの美ヶ原温泉「ホテル翔鳳」へ行ってみることにしました。こちらは老舗の温泉旅館で宿泊客以外の利用が基本的に出来ないので(同グループ内のホテルの宿泊者向けに、シャトルバス利用での入浴サービスあり)、チェックイン前の時間帯は空いていて入浴には「超」穴場です。

 昼食後に行って見ると、男湯の大浴場は案の定誰もいませんでした。
こちらは、温度の異なる二つの内風呂の大浴場(少しぬるめの40.5℃と少し熱めの42.5℃)以外に露天風呂もジャグジー付き含めて二つあります。大浴場は天井も高く開放感たっぷり。30ほどの洗い場も含め全体的に石造り風で趣があります。
 私メはどちらかというとカラスの行水に近いのですが、この日ばかりは折角の温泉にたった一人でしたので、勿体ない程に、じっくり、ゆっくり、ゆったりと露天を含めて、出たり入ったり、時には半身浴と、天然温泉を十二分に楽しむことが出来ました。
 「あぁ、気持ちいい・・」
これぞホントにイイ湯だな!でありました。

 以前から気になっていたのですが、今年の夏ごろから岡田神社の鳥居からの参道横で何か工事がされていて、掘り起こされた土砂が積み重ねられていました。
7月中は通勤で毎日通過したのですが、リタイア後は近くを通ることも無くなりました。時折、JAの支所に行くことがあるのですが、その後も工事は続いており、そこで先日も行く用事があったので、帰りに東区の公民館に車を停めさせてもらって、工事現場まで歩いて様子を見に行って来ました。

すると案の定、普通の工事現場とは異なり、現場の白いテントには「松本市教育委員会」の文字。そして、入口のフェンスには、我が意を得たりで「遺跡発掘」の看板が掛けられていました。
 高台に位置する岡田地区は、昔から水利確保に苦労したように米作は困難だった地形のため弥生時代の遺跡は少ないのですが、丘陵地などに縄文時代の遺跡が数多く存在しています。また岡田という地名は平安時代にこの地を治めていた岡田冠者親義と呼ばれる源親義(木曽義仲の重臣)でも知られており、この岡田神社も延喜式に載る式内社として古くから開けた場所でもあるだけに、源親義や岡田神社に関係する遺跡なのでしょうか?
 この3月まで発掘が続くという案内だけで、他には特段の掲示は無かったので、どういう類の遺跡なのか分かりませんでしたが、何か発見があれば報道されるでしょうし、最終的には発掘現場の見学会も開催されるでしょうから、何が見つかるのか大いに楽しみです。

 長野県松本市。「アルプスの城下町」にして“三ガク都”。
松本市民としては、松本城や旧開智学校、上高地や槍穂高(いずれも旧安曇村ですが)など“ふるさと自慢”は色々あると思いますが、「花いっぱい運動」(個人的には、通勤で通っていた上田市の方が地域住民の取り組みは熱心だった様な気がしますが)同様に松本が発祥の地とされるのが、最近話題の「さんまる・いちまる運動」です。
 これは、松本市が2011年から進めてきた食品ロス削減の施策。
飲食店等から出される生ごみの6割はお客さんの食べ残しであり、2013年の農水省推計に拠れば食品ロスは全国で632万トン。これは、世界全体の食糧支援量(320万トン)の実に倍に当たると云います。
松本市役所の宴会や会合でも同様な状態だったことから、職員が率先して、乾杯後の30分と〆の前10分は立たずに自席で食べることに専念して食べ残しを出さない様にしようと呼び掛け、『残さず食べよう!30・10運動』として、ポスターやコースター、PR用のティッシュなども作成し、市役所内だけではなく市内の飲食店にも呼び掛け協力店を募ったり、市民に呼び掛けたりして来たのだそうです。
そうした運動が広がりを見せ、県内だけではなく、福岡県や兵庫県を始め他県の自治体でも積極的に取り入れるところが増え、今では全国的な拡がりをみせているのだそうです。他にも似たような取り組みはあったそうですが、語呂の良さと分かり易さで30・10運動に統一されて来たのだとか。
海外だと、結構な高級店であっても“Doggy Bag”の風習が一般的ですが、日本では刺身などの生モノが多いせいか余り見掛けません。また日本では、会社の飲み会等や宴席等で、上役や取引先の方などが同席していいたら、食べるのもそこそこにお酌に回らないといけない、回れば回ったで、そこで話し込んでしまう。気が付くと、お酒は注ぎ注がれで十分飲んでも、肝心の料理には殆ど手を付けず、この時期だと鍋も冷たくなったまま・・・といった経験も多いのではないでしょうか。
その意味で、「勿体ない」精神や社会的意義を強調して最初に幹事がアナウンスして進めれば、皆安心して食べられるでしょうし、店側も後の片付けも楽になりごみも減らせられれば一石二鳥で助かります。そうした好循環もあって、参加する店も増えているのだとか。

 松本市の職員の取り組みから始まったというこの「30・10運動」。大いに自慢して、積極的に展開して行ったら良いと思います。その結果、発祥の地の松本では元祖意識を誇示しながら、「食べ物を残したらダメ!」という風に市民意識全体が向上すれば良いと思います。先ずは自ら率先でしょうか。食品ロスの半分は確かに飲食店などの事業系ですが、残りの半分は自分たちの家庭からだそうですし・・・。

 信州松本より、寒中お見舞い申し上げます。


 喪中につき、年頭のご挨拶を差し控えさせていただきました。
本年も何卒宜しくお願い申し上げます。

             カネヤマ果樹園一同+ナナ