カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 私達が子供の頃、鉛筆(シャープペンは持ち込み禁止?)が丸くなった時に、もし電動式の鉛筆削り機が無ければ簡易式の鉛筆削りでは(尖らないので)我慢出来ず、自分で削るのが当たり前でした。
多分その時に使ったのは、驚きと感動を持ってその後登場する(切れ味が鈍くなれば、研がずに最小限をカットして新しい刃を出すという逆転の発想)のカッターは未だ無かった筈ですので、自分の小刀で鉛筆を削っていた筈です。つまり、普通に筆箱に(凶器にも成り得る)ナイフを子供たちが持っていても、当然として(=単なる道具であり凶器になるという発想すらない時代)咎められない時代でした。
 勿論、その当時と今と小刀のスペックが変った訳ではありません。
もしそれが単なる道具としてではなく、武器や凶器としての様式を持っていると認識された上で危険であると判断されたのであれば、それはスペックの変化ではなく、それを使う人間の意識・認識の変化に他なりません。
小中学生の頃に子供たちが使ったであろう鉛筆があり、(鉛筆削りが見当たらず)時々カッターナイフで削って使っています。削っている時は指先に神経が集中されて、何となく精神的に落ち着く気がします。
指先の訓練にもなるでしょうし、キレイに削れた時の達成感もあり、
 「これイイんじゃないかなぁ、子供の教育に・・・」などと思いながら鉛筆を削っています。

 鉛筆を削ることだけではなく、幼少期に野山を駆け回ること。勉強ではなく、腕力や運動能力の高低でも上下関係を作ること。その上位に立つ“ガキ大将”はしっかりと自分の子分を守ること・・・。そうした子供の世界ながらの組織や責任の中から、大人になってからの社会における責任や組織論を学ぶことが出来るのだろうと思います。電子ゲームという仮想現実の中では決して実践として学べない・・・。

 30数年前に義弟から海外旅行のお土産にもらった、お馴染のシダのマーク(Silver Fern Flag)が胸に付いたNZオールブラックスのラガーシャツ(Canterbury)。着易くてしかも(例えばポロシャツ等に比べ)本当に丈夫で、長い間(おそらく10年以上も?)愛用していました。

 以来(そんな高いブランド品ではなく、安物の)ラガーシャツを、普段着や、とりわけ農作業などの時の作業着として愛用して来ました。
しかし一般的ではないのか、パーカーやトレーナーなどはどこでも売っているのに、何故かラガーシャツは街中で売っているところが殆ど無くて、スポーツ店でも取り寄せとのこと。ラグビーブームとなったW杯後でも然程状況は変わりませんでした。
個人的には、軽井沢のアウトレットで購入したTimberlandや、娘たちからの誕生日のプレゼントだったかPumaのラガーシャツはあるのですが、作業着には勿体ないので、普段着には次女が成田に居た時に買い物に行ったイオンモールで偶然見つけた安物(2千円弱)のラガーシャツをずっと着ていましたが、経年劣化で擦り切れて来たので、ここ2年ほどずっと探していたのですがなかなか見つかりませんでした(例えば、ユニクロ等でも品揃えがありませんし、作業服などの専門店ワークマンにもありませんでした)。ポロシャツならいくらでもあるのですが、丈夫さが段違いです。例えば、Canterburyを筆頭に、ラグビーの肉弾戦でぶつかり、引っ張られるジャージは(試合中に破れたりせずに)丈夫でないといけませんし、ボタンも柔らかいゴム製で傷つけぬよう配慮されています。半袖のラガーシャツもありますが風通しは余り良くないので、作業着としては夏向きではありませんが、コットンなので汗の吸収は良いかもしれません(勿論、ラグビーは夏も試合はありますので)。
米国でゴールドラッシュの時の鉱夫の作業着として、その丈夫さが評価されて広まったというジーンズが、その後ファッションアイテムとなったのに対し、ラガーシャツがどうして広まらなかったのだろうかと個人的には「おかしい!」と思いつつも、市中で見つからないのではどうしようもありません。

 ところが、先日何気なくネット検索をしてみると・・・あるではありませんか!!
ブランド品でも高級品でもありませんが、正しく「作業服、作業着 長袖ラガーシャツ」と明記されていたので、こちらの要望通りの品。値段も2千円ちょっと。
 ちゃんとあるんですね、でも、今まで探していた時間て、一体何だったんだろう・・・。
 ある意味、情けなくてガッカリ・・・。色んな店を回っても見つからなかったのに、ネット検索一発で見つかるなんて・・・。やっぱり通販の方が遥かに便利だと改めて実感した次第です。そこで3着まとめて購入することにしました。以前の本物のカンタベリーと比べるべくはありませんが、安物であっても5年くらいはお世話になったでしょうか。擦り切れつつあった今までの作業着がわりのラガーシャツと漸くサヨナラです。

 町の小さな本屋、文房具屋、そして花屋・・・街中から色んな店がだんだんと姿を消しています。
以前、お年寄り世帯の蛍光灯交換などの「御用聞き」ニーズで“町の電気屋さん”が復活しつつある・・・と聞いたことがあるのですが、品揃えやボリュームディスカウント等で大型店と競うべくもない“町の小さな店”は「サザエさんの三河屋の三ちゃん」の御用聞き的な小さなニーズの掘り起こしにこそ存続の術や知恵が隠れているのかもしれませんね。

 本町の裏手にある松本市時計博物館で、「発掘された松本2016 速報展」が2月の11日から26日まで開かれているので、平日の午前中に一人で見に行って来ました。
 時計博物館(2F)の3階フロアが会場です。それ程大きな建物ではありませんが、各遺跡がパネルと発掘された遺物が展示されていました。
今回の展示は、松本城三の丸跡、本町城下町跡、井川城址、林小城、旧四賀村殿村遺跡・虚空蔵山城跡といった中世から江戸時代の遺跡に加え、横田遺跡、そして以前紹介させていただいた岡田田中遺跡です。また縄文時代終盤の大規模集落だった内田エリ穴遺跡の土器修復の紹介展示もされていました。

 岡田田中遺跡近くの田溝池では、信濃国の須恵器の一大産地だったことを伺わせる古窯址が20基程以前発見されていますし、国府の置かれた筑摩(松本)から保福寺峠へ至る東山道も岡田地区を通っていただろうとのことから、岡田田中遺跡もやはり平安時代の館跡の様で、高価であった(ましてやこの都から遠く離れた山の中で)中国製の青磁や白磁などの磁器の破片がたくさん見つかっていました。従って、かなりの有力者が暮らしていたのではないかとのこと。式内岡田神社の神官か或いは岡田冠者を名乗った源親義の一党の館か・・・空想が膨らみます。
また本町の信濃毎日新聞松本本社建設に伴う発掘では、戦国時代からの城下町としての町人地の町割りが見つかっていて、今回の調査で発見された杭列が復元展示されていました。
また信濃国守護職小笠原氏の居館跡とされる井川城址からは、漆器や茶器が見つかっていますし、林小城の調査報告も交え、室町から戦国時代に掛けて中世城址群として、井川城址と林城址が「小笠原氏城跡」として国指定遺跡となったことに併せて紹介されていました。
他にも、中世の城郭や宗教的遺跡とされる旧四賀村会田地区の殿村遺跡・虚空蔵山城跡など興味深い展示もありました。

 個人的には、縄文から古墳時代くらいまでの古代に取り分け興味があります。どこからか(場合によっては海路を超えて)移住して来て、この地に暮らした人々が、現代を生きる我々が目にしているのと全く同じ高き山並みを日々仰ぎ見て、時に怖れ、時に祈っていただろうと考えると、そんな彼らの暮らした足跡を探したくなります。
 松本のみならず、日本列島のあちこちにまだ見つかっていない彼らの足跡がきっと眠っている筈です。きっとどこかに、親魏倭王の金印も・・・。

 大好きなピアニストでもある小菅優。これまで、二度彼女のリサイタルを聴いていますが、今回はヴァイオリンとクラリネットとのトリオの一員として松本に来演。

 2月12日のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化ホール。略称“音文”)でのマチネで、佐藤俊介さんのヴァイオリン、ロレンツォ・コッポラさんのクラリネットとの小菅さんのピアノによるトリオ演奏。「20世紀の作品群」と題された珍しいプログラムです。
前半に、ミヨー「ピアノ、ヴァイオリンとクラリネットのための組曲」、ラヴェル「ヴァイオリン・ソナタ ト長調」、ベルク「クラリネットとピアノのための4つの小品」。休憩をはさみ、ハチャトゥリアン「ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための三重奏曲ト短調」、ストラヴィンスキー「組曲 兵士の物語」という構成。
殆ど馴染の無い曲ばかりでしたが、佐藤さんとコッポラさんがそれぞれ演奏前に曲の詳しい説明をして下さり、特にコッポラさんは、A管、B管というクラリネットの種類や、現在の主流のフランス式とドイツ式の違い、演奏する曲のモチーフや音色も実演を交えてくださるなど、謂わばレクチャーコンサートでとても分かり易く、興味深く聴くことが出来ました。名手3人に依る真剣勝負の様な緊迫感溢れた演奏でした。
 知りませんでしたが、佐藤俊介さんはまだ32歳の若さですが、4歳から米国で育ち僅か10歳でアメリカのBig5の一つであるフィラデルフィア管弦楽団と共演しジュリアードで学んだという駿才(松本は、3歳の時に才能教育の「御前演奏」で演奏して以来、30年振りのステージとか)。その後バロックヴァイオリンに興味を持ちヨーロッパで研さんを積み、今ではモダン、ピリオド両方の奏法をこなし、現在はオランダを拠点に、ソロ活動のみならずオランダとドイツの古楽合奏団のコンマスを務めているという国際派ヴァイオリニストとか。国内よりもむしろ海外の方が有名なのでしょう。1歳違いの小菅さんとは15年前にお互い滞在していたミュンヘンで知り合ってからの友人などだとか。しかし巧い!太さというか豪快さと云うよりも、むしろ繊細さを兼ね備えた超絶技巧と云うべきか・・・。
ピアノもヴァイオリンも、そこそこ弾ける人間なんて、最近はそれこそ“掃いて捨てる”程いますから、有名な国際的コンクールで上入賞するか、或いはアイドル並みに容姿が良くないと売れない時代であろう中で、佐藤さんも小菅さんもコンクール受賞歴は殆ど無く、コンサートそのもので欧米の本場で名を知らしめてきた若き実力派たちです。素晴らしい!
特に大好きなピアニストの一人である小菅さんは、小学生でドイツに渡り、日本で云えば地方の公民館のような所で演奏経験を積んだという努力派(豊かな才能を活かす努力と云う一番大切な能力を兼ね備えていたというべきなのでしょうか)です。近年、ベートーヴェンの全曲演奏会を成し遂げた彼女。モーツァルトの天才さよりも人間としての“イイ加減さ”を意識してしまい、結果ベートーヴェンの持つ精神性に強く惹かれるというのも、実に生真面目な彼女らしくて共感出来ますし、それが個人的にピアニスト小菅優という人間に惹かれる理由でもあります。
 大賀ホール以来1年半ぶりに生で聞いた小菅さん。相変わらず、音の深さが印象的です。室内楽の小菅さんもイイですね。この日のプログラムが20世紀の作品群だっただけに、彼女の弾く近代モノ、とりわけラヴェルやドビュッシーも是非生で聴いてみたいと思わせてくれた演奏でした。

 世界で初めてインスタントラーメンやカップヌードルを発明した安藤百福さんの偉大さを十二分に理解し評価した上で、その後、本来スープ麺ではなくドライヌードルである筈の“焼きそば”にそれを応用した無名の開発者の偉大さを個人的には大いに尊敬し、また愛用する身としては同様に大いに感謝もしているところです(リタイア後、母がデイサービスで奥さまも外出されて一人の時は、手っ取り早く・・・という機会が増えました)。

 それは「お湯を捨てる」という発想へのジャンプの凄さ。「麺のスープを捨てる」・・・お湯を捨ててソースを混ぜるだけで(麺を蒸らして油と混ぜることで)炒めていないのに焼きそば(風)が食べられる・・・この“衝撃”は、カップヌードルが誕生(元々チキンラーメンを初めとするインスタントラーメンは既にありましたので)した時以上のオドロキを感じた新鮮さで、今も決して色褪せることはありません(些かオーバーではありますが)。
因みに、個人的には、ややもすると脂っぽく感じる液体ソースよりも、粉末ソース(均一に良く混ぜる必要あり)の方が麺にドライ感があって良いのではないかと思っています。それぞれ好き好きではありますが・・・。ただ個人的に、辛子マヨネーズはあまり好みではありません。むしろ、焼きそばには七味トウガラシの方が合うように思います。
市販されているカップ麺も色々種類がある中で、個人的に一番好みなのはソースの味付けで「焼きそばUFO」でしょうか。更に言えば、お湯を捨てずにスープとして飲ませようという「焼きそばバゴォーン」の発想の飛躍にも感心しました。
 時々蒸し麺を買って本格的な焼きそばを作ることもありますが、簡単に“焼きそば“(風)を楽しむには、手軽なカップ麺や袋麺ということになります。
以前、最近主流の5食分が1パックになった袋麺売り場の中に日清やサンヨー食品などの「焼きそば」を見つけて、カップヌードルではなく袋麺にも焼きそばがあったのかと再認識してサンヨー食品を購入して作ってみました。結果は一食ならぬ後悔一色。カップ麺の焼きそばと袋麺の焼きそばの違いが認識、理解出来ませんでした。
スープ麺であれば、最近の生麺食感ブームでの麺に差があるのですが、焼きそばにはそれが無い。ソースもカップ麺同様にただ混ぜるだけ。折角、フライパンで本来の焼きそばを作る「炒める=焼く」というプロセスがはいっているのにも拘らず、それは単に茹でるための過熱であり、カップで蒸らすという(カップ麺専用の麺の製法等は別として)作業と何ら変わらない。ソースも結果として炒めるのでもなく、カップ麺同様に脂ぎったソースでただ混ぜるだけ。う~ん、だったらカップ麺の方が手間が少ない分だけ作るのは遥かに楽。価格差(カップ麺が100円からに対し、袋麺は一食50円から)のメリットを全く感じられませんでした(結果、5食終わらせるのに苦労しました)。従って、袋麺の焼きそばはその後一切購入していません。
 一方、冷凍食品売り場の中に、ラーメンやうどん、そば、パスタ類に混じって焼きそばも並んでいます。具剤も含め、既に調理済みでただレンジで「チン」するだけ。スーパーの店頭価格も、大盛で200円、普通盛で100円とカップ麺とそれ程大差ありません。一方で、作業は片やただレンジで温めるだけ!そして、肝心の食感は、カップ麺と冷凍麺ではやはり雲泥の差です。うーん、素晴らしい! この値段であれば、カップ麺での焼きそば発明という偉大さも吹き飛んでしまいそうですが、各家庭で色々な食材が詰まっているであろう冷凍庫の容量という問題もあり、(焼きそばに限らず)冷凍麺の常備と云うのは意外と難しいのかもしれません。
 ・・・などとブツクサ呟きつつ、今日も昼メシは一人カップ焼きそばです。
付属の粉末ソースをムラにならぬように良く麺と混ぜた上で、更に我が家常備の調味料から、オタフクソースを少し足して味を好みで調えてから、青のりと七味を一杯に振り掛けて・・・では、いただきま~す♪ 

 松本市の“県文”ことキッセイ文化ホールで年3回程開かれている「まつぶん新人寄席」。
1月28日が第17回だそうですが、私自身は今回で2回目の観賞です。「あしたは真打ち」と銘打たれているように、二ツ目さんだけが高座に上がられます。県文といってもホールではなく、200名ほどのパイプ椅子が並べられた会議室です。二ツ目さんとはいえ、4席聞いての木戸銭(チケット)1000円は格安ですが、シニア(60歳以上)と学生は更に半額の500円とのことで有難い限りです(但し、そうとは知らず、前回は1000円で購入しました)。
 今回は落語協会会長である市馬師匠のお弟子さんの柳亭市弥さんがトリ。入船亭小辰さんは扇辰師匠のお弟子さん。お二人共2012年に一緒に二ツ目になられたそうです。また市弥さんは、イケメン落語家としても特に若い女性に人気なのだとか。
当日、会場は前回の1.5倍の入り。地方にまで“落語ブーム”の波が押し寄せつつあるのか、たまたま今回が人気の二ツ目さんなのか、続々とお客さんが来られ、スタッフの方が都度椅子を運んで来られて列がどんどん増えて行きました。ただ、客層はやはり我々の様な年配者が中心で若い方はまだ少ないので、そこは未だ都会とは違うのかもしれません。しかし、入りが良ければ、今後も続くでしょうから盛況で何よりです(仲入り後に、この日の来場者232名との紹介がありました)。

 この日のネタは、前半に市弥さんが「ん廻し」と小辰さんが「転宅」。仲入りを挟み、後半に小辰さんが「松山鏡」、トリに市弥さんが「妾馬」という演目でした。勿論、CDやTVを除き、生落語で聞くのは初めてのネタです。
個人的に感心したのは、入船亭小辰さん。声に張りがあり、トーンも高めでイイ声です。ですので、女性を演じても艶っぽさが声に感じられます。そして落語とは関係ありませんが、ナント、お姉さまが松本市に嫁いでおられるのだとか。
また柳亭市弥さんは、いかにも女性に人気のあり気なイケメン噺家で、NHKラジオの「日曜バラエティー」にもレギュラー出演されているのだそうです。前日には、我が母校岡田小学校で子供たちへの「落語ワークショップ」をされて来たのだとか。ホント、ありがとうございます。今の子供たちは幸せですね、SKOが聴けたり、落語を聞けたり・・・。

 市弥さんの「妾馬」を聞いて、CDで聞いた志ん生や志の輔といった大看板の噺ではなく、「どうらく息子」で二ツ目に昇進した夏の輔が演じた“若い”「妾馬」を思い出しました。夏の輔が、寄席に出演する兄夏の輔にその日の大学合格を知らせに来た弟(落語家になると夏の輔が家を飛び出したため、二ツ目昇進の節目にも寄席にお祝には来ない両親に代わって、合格発表の外出先からそのまま兄の高座にお祝に駆け付けた弟)を祝って、「妾馬」での妹を想いやる兄八五郎を通じての大ネタでした(それを知った師匠達も次々とお目出度いネタを高座に掛けます)。それにしても、「志の輔らくご」で聞けなかった「妾馬」にここで出会えるとは・・・。感謝、感激でありました。
まさか、順番で大ネタを演じられない小辰さんに代わって、会場に聞きに来ておられたという松本に嫁がれた小辰さんのお姉さまに「小辰さんは頑張ってますヨ」と聞かせたかった噺だったのだろうかと、独り穿った見方をしておりました・・・(んな訳ないか・・・!)。
でも小辰さんが演じた「松山鏡」(越後松山という設定)も方言が何ともホノボノしていてとても良かったです。
お二人共大変楽しみな二ツ目さんでした。また松本に来演される日を楽しみに、「待ってまーす!」
【追記】
次回の「まつぶん新人寄席」は、県文の開館25周特別公演として、二ツ目時代に新人寄席で来演されていた柳家小八(二ツ目「ろべえ」から改名)と三遊亭ときんのお二人の今春の真打昇進披露興行とか。イヤ、大いに楽しみです(何しろ、当日の前座として今をときめく春風亭一之輔師匠が一席演じられるというのですから)。
また、ちょうど「どうらく息子」でも錫楽が真打に昇進し、師匠の銅楽からの愛情溢れる口上が描かれていたところ。小八さんの師匠「喜多八」さんは昨年急逝されたとか。師匠に代わり、同じ小三治門下の〆治師匠が口上を述べられるようです。しかも師匠喜多八さんのご命日から10日後とか。いやぁ、泣けるなぁ・・・。

 二日目の昼のShake Shackのハンバーガー、その日の夕食も結局皆が好きな美登利寿司へと、せっかく両国に泊まりながら、ちゃんこ鍋やもんじゃ焼き、或いは場所的にも深川や浅草といった“下町らしさ”がありません(早朝ウォーキングで歩いていると、有名な「どぜう」や「山くじら」、或いは「藪」や「今半」など蕎麦やすき焼きの名店が幾つも目に留まります)。
隅田川のウォーキング後のホテルに戻る途中の休憩も含め、今回の上京では何度かドトールへ。松本の店舗も無くなり、出張も無くなったので入るのはかなり久し振りなのですが、昔に比べてコーヒーが随分薄くなった気がしますが、果たしてどうなのでしょうか?・・・。

 最終日も、せっかく週末が休みになったから友達と会うという娘とは駅で別れ、我々は大江戸線で新宿へ。先に、ナナを預かってもらった妹へお土産を小田急のデパ地下で買い、この日の自分たちの夕食用に久し振りに「太郎」の深川めしと厚焼きたまごをついでに購入(ムフ、楽しみ、楽しみ・・・)。

 スーツケースが邪魔なので遠出は無理と、昼食は結局ルミネ地下のタイ料理の「KAOSAN」へ。今回はいつものトムヤムクン風のヌードルではなく、一度食べてみたかったガオパオ・ライスをランチセットでチョイス。一方、奥さまはいつもの甘辛いパッタイ・ヌードルです。ガオパオが好きと言うよりも、東南アジア風の“ぶっかけ飯”を、久し振りに右手にスプーン、左手にフォークで食べたかった・・・というのが理由ですが、やっぱりガオパオだと甘めの味付けなので、もうすこし辛めの方が個人的には好みです。でも、久し振りの“東南アジア”の風を感じることが出来ました。
この日もさすがに「カオサン」は混んでいました。味やコスパの良さは勿論ですが、女性一人でも入り易いのが人気の大きな理由でもあると思います。
 しかし、ホントに都会は選択肢が多くてイイですね。デパ地下にせよ、B級グルメであれ、“晴れの日”のグルメレストランにせよ、ピンキリで幾つも選択肢がありますから・・・。そうした密度や文化度では、田舎は都会に比べるべくもありません。では、田舎のメリットは、楽しみは、癒しは・・・・???
きっと、無い物ネダリではなく(知らなければ気が付きにくい)空気や風や素材などの“鮮度”そのもの(例えば、向井潤吉画伯の絵は無くとも、描かれた風景そのものが“実物”として目の前に存在していること)を探すことでしょうか・・・?

 ウォーキングの後、奥さまがどうしてもShake Shackというハンバーガーを(私メにも)一度食べさせたいとのこと。家内は娘と日本上陸直後に外延前の1号店に行って食べて感激し、その後も娘と数回行ったのだとか。個人的には、ハンバーガーにそれ程執着している訳でもありませんし、どうせならシンガポールで週末の朝に良くお世話になったバーガーキングの方が愛着はあるのですが、
 「まぁ、そこまで言うなら行きますかぁ~」
と、Shake Shack の2号店があるらしい恵比寿へ。平日でしたので、駅西口のアトレ恵比寿に入居する1階の店はそれ程の行列ではありませんでした。
 良く分からないので、オーダーは全て二人にお任せです。
Shake ShackはNY発祥だそうですが、確かにアンガスビーフ100%の粗挽きハンバーグがダブルで“肉々しい”。初めて西海岸へ出張した時に、オフィスに出張販売に来たハンバーガーショップで買って食べたステーキの様なハンバーガーを思い出しました。土地柄か、エビスビールもドリンクメニューにあるのはイイですね。

 その後原宿の美容院に行くという娘と別れ、我々は(喪中ゆえに時期をずらしての)お参りに明治神宮へ。昔家内が娘たちのための参拝に来て、パワースポットとしての明治神宮を絶賛していたのと、NHKスペシャルだったか、神宮の杜は100年後の生態系を想定して針葉樹から広葉樹林へ変遷させていくという壮大な人工林計画であり、その100年後の現在、生態調査の結果ほぼ当初の計画通りに大都会の中に自然林に近い「奇跡の」人工林が形成されていたと知り、大いに興味を持っていました。
原宿駅から大鳥居をくぐり参道を進みます。神秘さを湛えた広大な杜に、何となく伊勢神宮(内宮)の森を思い起こします。
観光なのでしょうが、参拝客の半分以上は東南アジアを中心とした外国の方々の方が占めているのを見ると不思議な気がします。特にこの社の祭神や建立の経緯を考えると或る種の違和感を禁じ得ません(多民族国家で回教国でもあったシンガポールに暮らした経験からすると、我々日本人以上に普段宗教には絶対的=それは善悪とか議論する余地の全く無い=な彼らを思うと心配にさえなりますが・・・。中国や韓国から来られている方々もあくまで観光であり、気にする必要は無いのかもしれません)。
 うっそうとした杜を通り、拝殿とその横のご神木「夫婦楠」にもお参りします。参道の途中の、献納された日本各地の酒樽とブルゴーニュからというワイン樽が見事でした。
それにしても、都会のど真ん中にこれほどの大きな森があるとは・・・。いくら神域とはいえ、奈良の春日大社の原始林と共に驚くべきことだと思いました。

 両国のホテル滞在中、朝7時くらいから(寝ている娘を起こさぬように)家内と二人で早朝ウォーキングへ。
空いていたからと(サービスで)アップグレードしていただいたホテルの部屋からは、スカイツリーと隅田川がすぐ近くに見えたので、川縁を歩くことにしました。

 念のためにお勧めコースをフロントで伺うと、やはり隅田川を上流へ遡った方が良いとのアドバイス。そこでホテルを出て蔵前橋で川を渡って、西詰から川縁(べり)を歩くことにしました。
川縁は両岸とも整備されていて歩き易く、犬の散歩や、健康のためのウォーキングやジョギングを楽しまれている方々がたくさんおられました。

ホテルからの最初の橋が蔵前橋。上流へは、やがて厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋へと続きます。我々は、所々にある解説板や陶板に焼かれた浮世絵などの江戸名所図会を読みながらのウォーキングです。しかし、どれ一つとして同じ形状の橋が無いのが面白い。
 時代劇や古典落語にも良く登場する、江戸の「大川」がこの隅田川です。
そして、現在のこの隅田川は荒川が放水路の完成を以て荒川放水路が本流の荒川とされたのに伴い、元々の荒川だった流れが正式に1級河川としての隅田川となったといいます。従って、古くから水運に使われてきた川だけに、蔵前は大川の川沿いに幕府の米蔵などの蔵が並んでいたことに由来しますし、歩いていると時代劇や落語でお馴染の名前が次々に登場して来ます。今でも屋形船が係留されていましたが、この界隈には吉原に通う客を乗せる船宿が並んでいたのでしょう。
例えば、落語「船徳」の舞台もこの辺りでしょうし、左官の長兵衛さんが、集金を擦られたと思って欄干から身投げしようとしていた文七を止めて、父親の博打の借金返済のためにと娘のお久が吉原の佐野槌で拵えてくれた50両をそっくり文七に渡してしまう「文七元結」も、この吾妻橋の上でした。
そこで、昔風の赤い欄干に塗られた吾妻橋で西詰から東詰に渡り、古典落語の舞台を実際に歩いて感無量。「船徳」の志ん朝、「文七元結」の談志を偲んで、吾妻橋東詰めに在るアサヒビール本社で出来れば献杯でもしたいところでした。
 翌朝は、駒形橋から通りに上がり、雷門方面へと歩いて浅草寺へお参りです。この日は土曜日でしたので、隅田川べりのウォーキングやジョギングをされる方々の多いこと。まだ朝八時前でしたので、浅草寺の仲見世通りは皆閉まっていましたが、正月飾りが華やいだ雰囲気を醸し出していました。団体客や外国からの観光客を含めて、早朝からたくさん参拝される方々がおられました。我々も娘たちのことをお願いして観音様にお参りしてホテルへ戻りました。
両国国技館の幟旗、赤い欄干の吾妻橋、浅草寺と仲見世、そして“大川”の屋形船や柳橋界隈の船宿風の料亭などなど・・・。そして、この界隈は、今やどこからでもスカイツリーが望めます。昔ながらの景色と、そうしたスカイツリーも相まって、何とも粋な新旧の江戸の風情が感じられました。