カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 私達が子供の頃、鉛筆(シャープペンは持ち込み禁止?)が丸くなった時に、もし電動式の鉛筆削り機が無ければ簡易式の鉛筆削りでは(尖らないので)我慢出来ず、自分で削るのが当たり前でした。
多分その時に使ったのは、驚きと感動を持ってその後登場する(切れ味が鈍くなれば、研がずに最小限をカットして新しい刃を出すという逆転の発想)のカッターは未だ無かった筈ですので、自分の小刀で鉛筆を削っていた筈です。つまり、普通に筆箱に(凶器にも成り得る)ナイフを子供たちが持っていても、当然として(=単なる道具であり凶器になるという発想すらない時代)咎められない時代でした。
 勿論、その当時と今と小刀のスペックが変った訳ではありません。
もしそれが単なる道具としてではなく、武器や凶器としての様式を持っていると認識された上で危険であると判断されたのであれば、それはスペックの変化ではなく、それを使う人間の意識・認識の変化に他なりません。
小中学生の頃に子供たちが使ったであろう鉛筆があり、(鉛筆削りが見当たらず)時々カッターナイフで削って使っています。削っている時は指先に神経が集中されて、何となく精神的に落ち着く気がします。
指先の訓練にもなるでしょうし、キレイに削れた時の達成感もあり、
 「これイイんじゃないかなぁ、子供の教育に・・・」などと思いながら鉛筆を削っています。

 鉛筆を削ることだけではなく、幼少期に野山を駆け回ること。勉強ではなく、腕力や運動能力の高低でも上下関係を作ること。その上位に立つ“ガキ大将”はしっかりと自分の子分を守ること・・・。そうした子供の世界ながらの組織や責任の中から、大人になってからの社会における責任や組織論を学ぶことが出来るのだろうと思います。電子ゲームという仮想現実の中では決して実践として学べない・・・。