カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 本町の裏手にある松本市時計博物館で、「発掘された松本2016 速報展」が2月の11日から26日まで開かれているので、平日の午前中に一人で見に行って来ました。
 時計博物館(2F)の3階フロアが会場です。それ程大きな建物ではありませんが、各遺跡がパネルと発掘された遺物が展示されていました。
今回の展示は、松本城三の丸跡、本町城下町跡、井川城址、林小城、旧四賀村殿村遺跡・虚空蔵山城跡といった中世から江戸時代の遺跡に加え、横田遺跡、そして以前紹介させていただいた岡田田中遺跡です。また縄文時代終盤の大規模集落だった内田エリ穴遺跡の土器修復の紹介展示もされていました。

 岡田田中遺跡近くの田溝池では、信濃国の須恵器の一大産地だったことを伺わせる古窯址が20基程以前発見されていますし、国府の置かれた筑摩(松本)から保福寺峠へ至る東山道も岡田地区を通っていただろうとのことから、岡田田中遺跡もやはり平安時代の館跡の様で、高価であった(ましてやこの都から遠く離れた山の中で)中国製の青磁や白磁などの磁器の破片がたくさん見つかっていました。従って、かなりの有力者が暮らしていたのではないかとのこと。式内岡田神社の神官か或いは岡田冠者を名乗った源親義の一党の館か・・・空想が膨らみます。
また本町の信濃毎日新聞松本本社建設に伴う発掘では、戦国時代からの城下町としての町人地の町割りが見つかっていて、今回の調査で発見された杭列が復元展示されていました。
また信濃国守護職小笠原氏の居館跡とされる井川城址からは、漆器や茶器が見つかっていますし、林小城の調査報告も交え、室町から戦国時代に掛けて中世城址群として、井川城址と林城址が「小笠原氏城跡」として国指定遺跡となったことに併せて紹介されていました。
他にも、中世の城郭や宗教的遺跡とされる旧四賀村会田地区の殿村遺跡・虚空蔵山城跡など興味深い展示もありました。

 個人的には、縄文から古墳時代くらいまでの古代に取り分け興味があります。どこからか(場合によっては海路を超えて)移住して来て、この地に暮らした人々が、現代を生きる我々が目にしているのと全く同じ高き山並みを日々仰ぎ見て、時に怖れ、時に祈っていただろうと考えると、そんな彼らの暮らした足跡を探したくなります。
 松本のみならず、日本列島のあちこちにまだ見つかっていない彼らの足跡がきっと眠っている筈です。きっとどこかに、親魏倭王の金印も・・・。