カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 両国のホテル滞在中、朝7時くらいから(寝ている娘を起こさぬように)家内と二人で早朝ウォーキングへ。
空いていたからと(サービスで)アップグレードしていただいたホテルの部屋からは、スカイツリーと隅田川がすぐ近くに見えたので、川縁を歩くことにしました。

 念のためにお勧めコースをフロントで伺うと、やはり隅田川を上流へ遡った方が良いとのアドバイス。そこでホテルを出て蔵前橋で川を渡って、西詰から川縁(べり)を歩くことにしました。
川縁は両岸とも整備されていて歩き易く、犬の散歩や、健康のためのウォーキングやジョギングを楽しまれている方々がたくさんおられました。

ホテルからの最初の橋が蔵前橋。上流へは、やがて厩橋、駒形橋、吾妻橋、言問橋へと続きます。我々は、所々にある解説板や陶板に焼かれた浮世絵などの江戸名所図会を読みながらのウォーキングです。しかし、どれ一つとして同じ形状の橋が無いのが面白い。
 時代劇や古典落語にも良く登場する、江戸の「大川」がこの隅田川です。
そして、現在のこの隅田川は荒川が放水路の完成を以て荒川放水路が本流の荒川とされたのに伴い、元々の荒川だった流れが正式に1級河川としての隅田川となったといいます。従って、古くから水運に使われてきた川だけに、蔵前は大川の川沿いに幕府の米蔵などの蔵が並んでいたことに由来しますし、歩いていると時代劇や落語でお馴染の名前が次々に登場して来ます。今でも屋形船が係留されていましたが、この界隈には吉原に通う客を乗せる船宿が並んでいたのでしょう。
例えば、落語「船徳」の舞台もこの辺りでしょうし、左官の長兵衛さんが、集金を擦られたと思って欄干から身投げしようとしていた文七を止めて、父親の博打の借金返済のためにと娘のお久が吉原の佐野槌で拵えてくれた50両をそっくり文七に渡してしまう「文七元結」も、この吾妻橋の上でした。
そこで、昔風の赤い欄干に塗られた吾妻橋で西詰から東詰に渡り、古典落語の舞台を実際に歩いて感無量。「船徳」の志ん朝、「文七元結」の談志を偲んで、吾妻橋東詰めに在るアサヒビール本社で出来れば献杯でもしたいところでした。
 翌朝は、駒形橋から通りに上がり、雷門方面へと歩いて浅草寺へお参りです。この日は土曜日でしたので、隅田川べりのウォーキングやジョギングをされる方々の多いこと。まだ朝八時前でしたので、浅草寺の仲見世通りは皆閉まっていましたが、正月飾りが華やいだ雰囲気を醸し出していました。団体客や外国からの観光客を含めて、早朝からたくさん参拝される方々がおられました。我々も娘たちのことをお願いして観音様にお参りしてホテルへ戻りました。
両国国技館の幟旗、赤い欄干の吾妻橋、浅草寺と仲見世、そして“大川”の屋形船や柳橋界隈の船宿風の料亭などなど・・・。そして、この界隈は、今やどこからでもスカイツリーが望めます。昔ながらの景色と、そうしたスカイツリーも相まって、何とも粋な新旧の江戸の風情が感じられました。