カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 小樽を出て、「マッサン」で知られるニッカウヰスキー余市蒸留所へ。

朝ドラの中でも、確かリヤカーで社員皆に見送られながら初出荷して行った城門の様な石造りの正門をくぐって工場内へ入ります。そのTVでも見慣れた、スコットランドの中世のお城の塔の様な建物群。石造りの建物で、白い雪化粧に映える赤い屋根が実に印象的です。日本での本格的なスコッチ造りを目指した、“日本のウィスキーの父”竹鶴正孝の情熱が今も息づいているようです。
 蒸留所のシンボルでもあろうポットスチル(蒸留器)。実家の竹鶴酒蔵に習い、各ポットスチルの首には注連縄が張られていて、毎年正月に張り替えるのだそうです。リタハウスと呼ばれる研究室や、敷地内に移築された正孝とリタが暮らした旧竹鶴亭。そしてウイスキー博物館を見学し、ニッカ会館2階の試飲会場へ。集合時間までにそれ程時間が与えられていませんので止むを得ませんが、どこも駆け足です。
 シングルモルト余市(ノンエイジ)、スーパーニッカ、アップルワインの3種類が試飲出来ます。飲めない見学者用には、リンゴジュースから創業したニッカ「大日本果汁」に相応しく、ジュース類も用意されています(下戸の奥さま曰く、とても美味しかった由)。
流行りのハイボール用の炭酸や水、ロック用の氷なども準備されている中で、ストレートで試飲させてもらったこの余市蒸留所を代表するシングルモルトウィスキー「余市(ノンエイジ)」。
何とも香ばしく、ふくよかでフルーティーな甘さもあり、
「あぁ、モルトウィスキーってこんなにも美味しかったんだ!」
と感動の溜息。吹雪の様な雪の余市で飲むシングルモルトは格別でした(奥さまの分も合わせて、「余市」だけは2杯試飲させていただきました)。
 ウィスキーに関しては、何しろ当時の我々の様な貧乏学生は、レッド(以下、全てサントリーですが)は悪酔いをするからと何とかホワイトを飲むのが夢。「いつかはクラウン・・・」ではありませんが、社会人になって“ダルマ”を飲めるようになるのが、学生時代の飲酒時のささやかな夢だったでしょうか。オールドのCMのメロディー懐かしいですね。当時からサントリーの方が有名ではありましたが、ブラックニッカに代表される品質のニッカとして「ニッカおじさん」は知られていました。
その後、シンガポールに赴任してから暫くはウィスキーではなく、日本ではなかなか飲めなかった様な有名ブランドのブランデーXOなどに夢中。その後は突然日本酒に目覚めたので、洋酒からは随分遠ざかってしまいました。赴任中にシンガポールから何本か持ち帰った洋酒ですが、今や最後に残ったカミュのXOが料理酒ですから・・・。
 外はしんしんと雪降る夜に、暖かな火が燃える暖炉を眺めながらのモルトウィスキー。渋いなぁ~。でも、男の夢かもしれませんね。
(勿論、ブランデーでもイイのですが・・・。バーボンは夏のイメージでしょうか?)
『わがスコットランドに四十年前、頭の良い日本青年がやって来て、一本の万年筆とノートで、英国のドル箱であるウィスキー造りの秘密を盗んでいった・・・』。
1962年に来日した当時のヒューム英国副首相が、政府主催の歓迎パーティーの席上で、旧制中学(現広島県立忠海高)で正孝の一年後輩という池田勇人首相を前にして、ユーモアたっぷりに正孝を称えて述べた言葉なのだそうです。

 スコッチの本場ハイランドに似た気候風土だと云う余市。その冬の寒さの中で、ウィスキー造りに傾けられた熱き情熱を知って、ポカポカと体も心も温まって雪降る余市のニッカウヰスキー蒸留所を後にしました。

コメント

コメント追加

タイトル
名前
E-mail
Webサイト
本文
情報保存 する  しない
  • 情報保存をすると次回からお名前等を入力する手間が省けます。
  • E-mailは公開されません - このエントリーの新規コメント通知が必要なら記入します。

トラックバック