カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 余市を出て、今回のツアーのハイライトでもある「ザ・ウィンザーホテル洞爺」へ向かいます。

 ガイドさん曰く、日本海に面した小樽から洞爺に至るエリアは北海道でも有数の豪雪地帯とか。余市からは2時間ほどの行程の途中、横切る川の殆どが堤防も無く自然のまま。人工的ではなく自然に大きく蛇行する様は、如何にも“でっかいどう!北海道”といった感じで、釣り吉三平ではありませんが幻のイトウが潜んでいそうな雰囲気でした。
洞爺湖に至る手前で、大型のスキー場やゴルフ場も備えた日本最大級というルスツリゾートを通ります。羊蹄山の麓を通るので、晴れていれば目の前に“蝦夷富士“が大きく聳える絶景が拡がる・・・そうですが、猛烈な降雪で羊蹄山は雲の中で全く見えず、近くに“存在する雰囲気”すら感じられません。

 冬でも凍らないという洞爺湖。その湖畔の小高い丘(標高620mのポロモイ山)の上に聳える、まるで大型客船の様な「ザ・ウィンザーホテル洞爺」。日本で開催された2008年のサミット会場となり、一躍その名を広めました。
元々は “バブルの象徴”と云われた1993年開業の会員制リゾート「エイペックス洞爺」であり、そのバブル崩壊のキッカケともなった拓銀破たんの原因でもある乱脈融資の舞台。その後2000年に投資額の1/10の値段でセコムが取得。新たに「ザ・ウィンザーホテル洞爺」として、“伝説のホテルマン”窪山哲雄氏(2013年退職)のマネジメントに由り、見事復活再生。その復活劇は色んなビジネス誌で取り上げられました(2014年にセコムは海運会社に売却。従業員はそのまま継続雇用)。当時サミット会場に選ばれたのは、山の上の“一軒宿”故の警備のし易さも確かにあるでしょう(2016年の伊勢志摩サミットも英虞湾に浮かぶ賢島が選定)が、有力経済人として当時のホテルオーナーでもあったセコムの影響も大きかったと謂われています。そこに至るまでのミシュランのレストランを誘致するなどの経営努力は勿論ですが、結果としてサミット会場となったことで、内外に向けてホテルのネームバリューを押し上げたことは否めません。
冬のオフシーズンということもあるでしょうが、クラブツーリズムのツアーでも(冬の時期は格安となる)人気のコースです。

 湖畔の国道から外れ、山頂のホテルにアプローチして行く道も、結構な距離でしたが既に私道扱い。この丘(ポロモイ山)全体が敷地なのでしょうか。ホテルには、プライベートのスキーコースもゴルフコースも併設されているとか。積もった雪も完璧に除雪されている道を上り、洞爺湖を眼下に望みながらホテルに到着。大きな屋根に遮られたエントランスにバスも横付け。案内説明の後、カードキーを受け取りロビーへ。フルートとピアノの生演奏が流れる中、ウェルカムドリンク(キーウィがメインのジュースとか)をロビーラウンジで(ニッカウヰスキーで私メが全部頂いたお返しで、ここでは奥さまが二杯)頂きます(美味しい!と感激のご様子に、イカッタ、イカッタ)。
部屋は40㎡というスーペリアルーム。山の上のこのホテルからは、洞爺湖と共に噴火湾と云われる内浦湾双方を望むことが出来るのですが、我々には(オーシャンビューより部屋代は高いそうです)レイクビューの部屋が用意されていました。通常だと部屋代だけでツアー料金を占めるほどの高級リゾートです。オフシーズンとはいえ、こうしたツアーでないと個人ではなかなか泊まれません。明朝の出発までゆったりと18時間滞在がツアーの売りです。
 夕食には、洋食/和食/寿司/中華と用意された各コースから、ツアー参加者各自がお好みで事前に選択予約するシステム。せっかくのサミット会場となったホテルですので、ここは迷うことなくフレンチのフルコースを我々は選択しました。円卓での食事で、我々よりも年配のご夫婦と相席です。ツアーコンダクターの方から、
 「参加者の方が女性が多いので、ご夫婦同士のテーブルにしました。」
とのことで、会社員時代は転勤族で、何でも昔札幌に赴任されていたことがあるのだとか。天気が良ければ羊蹄山が素晴らしいとのこと。1年前に申し込んでいたのが、やはりお父様が危篤状態で断念された由。
 「漸く一年経ったので、今回供養も兼ねて参加しました。」
偶然とはいえ、お互い全く同じ境遇に驚きながら、道内の他のスポットも教えていただきながら旅先での会話に花が咲きました。
 食後館内をブラブラし、外に出てみると猛吹雪・・・。
「明日天気になぁ~れ!」明日は羊蹄山の雄姿を拝めるよう祈りつつ・・・。

 小樽を出て、「マッサン」で知られるニッカウヰスキー余市蒸留所へ。

朝ドラの中でも、確かリヤカーで社員皆に見送られながら初出荷して行った城門の様な石造りの正門をくぐって工場内へ入ります。そのTVでも見慣れた、スコットランドの中世のお城の塔の様な建物群。石造りの建物で、白い雪化粧に映える赤い屋根が実に印象的です。日本での本格的なスコッチ造りを目指した、“日本のウィスキーの父”竹鶴正孝の情熱が今も息づいているようです。
 蒸留所のシンボルでもあろうポットスチル(蒸留器)。実家の竹鶴酒蔵に習い、各ポットスチルの首には注連縄が張られていて、毎年正月に張り替えるのだそうです。リタハウスと呼ばれる研究室や、敷地内に移築された正孝とリタが暮らした旧竹鶴亭。そしてウイスキー博物館を見学し、ニッカ会館2階の試飲会場へ。集合時間までにそれ程時間が与えられていませんので止むを得ませんが、どこも駆け足です。
 シングルモルト余市(ノンエイジ)、スーパーニッカ、アップルワインの3種類が試飲出来ます。飲めない見学者用には、リンゴジュースから創業したニッカ「大日本果汁」に相応しく、ジュース類も用意されています(下戸の奥さま曰く、とても美味しかった由)。
流行りのハイボール用の炭酸や水、ロック用の氷なども準備されている中で、ストレートで試飲させてもらったこの余市蒸留所を代表するシングルモルトウィスキー「余市(ノンエイジ)」。
何とも香ばしく、ふくよかでフルーティーな甘さもあり、
「あぁ、モルトウィスキーってこんなにも美味しかったんだ!」
と感動の溜息。吹雪の様な雪の余市で飲むシングルモルトは格別でした(奥さまの分も合わせて、「余市」だけは2杯試飲させていただきました)。
 ウィスキーに関しては、何しろ当時の我々の様な貧乏学生は、レッド(以下、全てサントリーですが)は悪酔いをするからと何とかホワイトを飲むのが夢。「いつかはクラウン・・・」ではありませんが、社会人になって“ダルマ”を飲めるようになるのが、学生時代の飲酒時のささやかな夢だったでしょうか。オールドのCMのメロディー懐かしいですね。当時からサントリーの方が有名ではありましたが、ブラックニッカに代表される品質のニッカとして「ニッカおじさん」は知られていました。
その後、シンガポールに赴任してから暫くはウィスキーではなく、日本ではなかなか飲めなかった様な有名ブランドのブランデーXOなどに夢中。その後は突然日本酒に目覚めたので、洋酒からは随分遠ざかってしまいました。赴任中にシンガポールから何本か持ち帰った洋酒ですが、今や最後に残ったカミュのXOが料理酒ですから・・・。
 外はしんしんと雪降る夜に、暖かな火が燃える暖炉を眺めながらのモルトウィスキー。渋いなぁ~。でも、男の夢かもしれませんね。
(勿論、ブランデーでもイイのですが・・・。バーボンは夏のイメージでしょうか?)
『わがスコットランドに四十年前、頭の良い日本青年がやって来て、一本の万年筆とノートで、英国のドル箱であるウィスキー造りの秘密を盗んでいった・・・』。
1962年に来日した当時のヒューム英国副首相が、政府主催の歓迎パーティーの席上で、旧制中学(現広島県立忠海高)で正孝の一年後輩という池田勇人首相を前にして、ユーモアたっぷりに正孝を称えて述べた言葉なのだそうです。

 スコッチの本場ハイランドに似た気候風土だと云う余市。その冬の寒さの中で、ウィスキー造りに傾けられた熱き情熱を知って、ポカポカと体も心も温まって雪降る余市のニッカウヰスキー蒸留所を後にしました。

 このツアーの団体観光としてのハイライトは小樽運河でしょうか。
ツアー二日目は札幌のホテルを朝ゆっくりと出発し、先ずは札幌場外市場で海産物のお土産の買い物です。もう少し滞在時間に余裕があれば他の店も見られるのですが、30分少々しか与えられた時間が無いので(意図的か?)指定された店でしか買うことは出来ませんでした。モノは決して悪くはありませんでしたが観光客値段なのでしょうね、きっと。

 そこからバスは高速道路に入り、一路小樽へ。途中、車窓に荒々しい日本海が。バスガイドさん曰く、夏には浜辺たくさんハマナスが咲くのだとか。ハマナスは北海道の「道花」なのだそうですが、恐らく地元民以外は(例えば、長野県の県花がリンドウと県民以外ご存じ無いのと同様に)知らないのでしょう。季節は(場所も)異なりますが、ナルホドとそれを聞いてダ・カーポの「宗谷岬」が突然頭に浮かんで来て、小樽への道すがらずっと口ずさんでいました。
“♪ 流氷融けて春風吹いて ハマナス揺れる宗谷の岬”
(榊原広子さんのあの透明感溢れるボーカルと、ご主人まさとしさんの影のように寄り添うハーモニー。いつまでも変わりません)
 この日の朝、新潟などの日本海側は雪に閉じ込められた電車など前日の大雪被害の大きく報道がされていましたが、さすがに小樽も日本海故に近付くにつれて雪で真白です。でも、バスを降りると運良く雪も弱まり、シンボルの小樽運河を望む橋で集合写真を撮ってから解散して2時間の自由行動。運河沿いを観光がてら散策してから、先にお目当てのかまぼこ屋さんの工場直売店へ。本当は、奥さま的には行きたい別の老舗の小さなかまぼこ屋さんがあったのですが、運河からは離れているのと、余りの雪に諦めて運河に近いこちらの店舗にした次第。贈答品コーナーで、お土産に発送してもらうかまぼこ類を物色。
奥さまの注文も紛らわしかった(「選んだかまぼこを箱に詰めた隙間に入るだけ、この笹かまぼこを詰めて欲しい」というリクエスト)にせよ、
 「一体(笹かまぼこは)幾つ買うんですか、買わないんですか?欲しいなら、全部入るもっと大きな箱もありますけどネッ!!」
と、ムッと顔色を変えたベテランらしいオバサン店員に唖然。市内等に何店舗も構える老舗の有名店とも思えぬ様な、あるまじき店員の態度に、
 「おいおい、あんた客商売でしょうが!顔に出てるよっ!」
(と、よっぽど文句を言ってあげたくなりました・・・ウルサイ中年オヤジと思われるので止めましたが)。
最後に(店内のイートインのカウンターで、別の「笑顔の!」若い店員さんから)ケンミンショウでも紹介されて人気という「パンロール」を購入。
運河散策の頃から雪が激しくなり、かまぼこ購入で手間取って外に出ると、外はまるで吹雪の様相。“寿司通り”に行くのも無理そうな程の激しい雪降りに、諦めて近くの回転寿司へ入りました。
小樽には他にもガラス細工の店や食べ歩きで興味のあった店(「なると」のザンギ・・・etc)もあるのですが、バス停もすぐ目の前だったので、激しい雪降りに全てを諦めて集合時間前にバスに戻りました。
 人口12万人、こぢんまりとした小樽ですが、魅力が一杯の北の街でした。そんな人気の一端に少しは触れられた様な・・・。楽しみは次回にとっておきます。

 悪天候で飛行機の羽田への到着が遅れ、羽田離陸後も結構長い間シートベルト着用サインが点灯していましたが、その予告されていた揺れも然程でもなく無事新千歳空港に到着。預けた荷物も(チェックインが遅かったせいか)すぐに出て来たので、予定より早くエアポートライナーに乗車することが出来ました。
 私は出張等では何度も千歳や札幌には来ていますが、それでも10年振り近くなるのでしょうか。片や、(シンガポール赴任中は、それこそ一歩シンガポールから出れば全てが“海外旅行”で、山と田んぼが懐かしくて毎年行ったバリ島は勿論、モルディブやNZを始めとして色んな所に家族で行きましたが、日本では「本州から出たことが無い!」が口癖だった)奥さまは、初めてとなる念願の“北の大地”北海道であります(イェイ、やったね!)。

 今回のツァーは、初日は各自札幌に移動して指定されたホテルに宿泊。翌朝の出発時刻までは全て自由行動です。そこで、千歳空港から札幌駅まではエアポートライナーに乗車し40分弱で2時頃到着。市内観光もですが、札幌でのお目当てはグルメ。先ずは東京にも出店し人気の回転寿司で遅めの昼食です。地元の方や海外からも含め我々の様な観光客で当然ながらの行列なので、ホテル(ニューオータニイン)がJR札幌駅から徒歩8分とのことから、家内を残して私がホテルに荷物を置きに行って来ることにしました。
地下街は初めてだと分かり辛いので最初は地上から。外は積雪が踏み固まって歩道も所々ガリガリに凍結。信州の様な融雪剤では追いつかないのか、至る所に滑り止めの砂が撒かれていました。無事チェックインし。荷物を部屋に運び込んでいると、家内から電話で既に順番とのこと。急いで戻り、番号を伝えてカウンターに着席しました。
 食事の後は市内観光へ。暗くなるまで3時間も無いことから、郊外へは無理なので徒歩で市内観光です。札幌は、京都同様に碁盤の目で街づくりがされており、大通りを挟んで北○条・南○条と観光客にも割と分かり易い区割りです。
先ず駅から北大へ向かいます。歩道はともかく、広い大学構内は歩道が凍結してガリガリのアイスバーン状態。慣れている筈の学生さんも何人か滑って転んでいましたので、信州人故に都会人よりは雪道に慣れているとはいえ、我々も歩幅を狭くしてゆっくりと慎重に歩を進めました。
シンボルのポプラ並木を見て、帰路は除雪され車道を南北の方角を想定しつつ時間半分以下で戻ることが出来ました。

 続いて戻り、駅を超えて南方面の北3条通りにある旧道庁へ。既に閉館していましたが、北海道開拓史の象徴として重要文化財に指定されている赤レンガの重厚な建物は、ライトアップもされていて良い雰囲気。雪まつりの準備のために大通り公園のイルミネーションは終了していますが、同庁正面のイチョウ並木はまだイルミネーションが点灯され、何とも幻想的な雰囲気でした。
雪まつりもそうですが、決して観光目的の誘客だけではなく、そこに住む人たちにとっても“しばれる”寒い冬を楽しむ北国の知恵でしょうか。
 次に札幌の“シンボル”時計台へ。ビルの谷間で窮屈そうで、有名な観光スポットである筈の驚きも無いことから“日本三大がっかり”の一つとか(他に高知のはりまや橋?)。以前採用担当の頃、北大訪問時に立ち寄ったことがあり今回が二度目のせいかもしれませんが、個人的にはシンガポール駐在中に“世界三大がっかり”のマーライオン(私メの帰任後、セントサに巨大な像が造られましたが)に出張者を何十回(百回以上?)と案内していたので、それに比べれば大きくて由緒正しき歴史的建造物でもある時計台ですので、然程がっかりはしませんでした。この札幌のシンボルでもある重要文化財の時計台は、旧札幌農学校の初代教頭として招かれたクラーク博士の構想に基づいて明治11年(1878年)に演武場として建設され、当時の黒田清隆開拓長官の指示により3年後に時計塔が敷設されたのだそうです。以降市民に「農学校の大時計」として親しまれ、今でも毎正時に時を知らせているそうで、夕刻歩いている途中で聴こえた鐘の音がそうではないかと奥様は感慨深げに喜んでいました。
 随分暗くなったので、夕食へ。グルメ的には、札幌の夜は何と言っても“生ビールとジンギスカン!”。そこで、当初は観光も兼ねてサッポロビール園へと思っていたのですが、些か疲れたこともあり郊外へ行くのは断念して南3条のすすき野にあるジンギスカンの店へ行くことにしました。
途中、大通り公園では、自衛隊の車両が何台か駐車していて、近くには足場が組まれ重機で雪が積み上げられていて、雪まつりの雪像創りが行われていました。いつか、札幌の雪まつりも是非一度は見てみたいと思います。
 お腹一杯になったので、夕食後腹ごなしの散歩がてらホテルを超えてJR札幌駅へ向かいました。札幌の歩道は、全部ではありませんが、幹線道路の歩道はヒーターが埋め込まれているのか所々全く凍結していない部分も多く、大変歩き易くて助かりました。
札幌駅に戻り、JRタワーの高さ160mという展望室T38へ。有料ですが(シニア割引がありました)、23時までとテレビ塔よりも遅くまで営業しており、また郊外の観光スポットでもある「もいわ山山頂展望台」に行かずとも「日本新三大夜景」札幌の夜景を楽しむことが出来るので便利です。平日のためかお客さんもまばらで、ゆったりと夜景を楽しむことが出来ました。38階にある展望室からは東西南北360度、札幌市街が地上172mのJRタワーの眼下に拡がります(写真は、この日行った駅の南と北方面)。
2015年に非営利団体の審査で、函館が落選し、長崎、神戸と共に札幌が初めて選定されたという「日本新三大夜景」。まるで“真冬の夜の夢”の様なロマンチックな札幌の夜景を十分楽しんでから、地下街を通ってホテルに戻りました。僅か半日という短い観光散策でしたが、札幌の夜を十分満喫できました。
 雪まつりの頃の冬の札幌がイイか、或いは爽やかな夏がイイのか?・・・。今度また来る時のために残りはとっておきます。

 クラブツーリズム主催のツアー「憧れのザ・ウィンザーホテル洞爺と札幌・小樽 優雅な休日3日間」。
 2年前に参加する予定だったのですが、その年の春に亡くなった義父の容体悪化で参加を断念。今回、漸く参加することが出来ました。このコースは同社主催の中でも人気のツアーで、何度も参加するリピーターも多いのだとか。勿論目当ては、オフシーズンだからこそツアーでの宿泊が可能なのでしょうけれど、10年前のサミット会場として一躍有名になったホテル「ザ・ウィンザーホテル洞爺」への宿泊です。

 ツアーは2泊3日。羽田発で、初日千歳から札幌泊までは個人行動。2日目から観光バスで、小樽、余市のニッカウィスキーを巡り、洞爺泊。ゆっくりとホテルに滞在し、翌日牧場見学の後夕刻羽田着というコースです。
子供連れでの家族旅行には団体行動のツアーは不向きですし、若い時は自由行動の方が良いと思っていましたが、年を取ると、常識的な団体行動(時間を守る、自分勝手な迷惑行動をしない等・・・)を行ないさえすれば、あとは何も考えずに(全て計画されている旅程に)付いて行けば良いだけのツアーも気楽で至極便利です。また個人では行き難いコース(例えば、5年ほど前に初めて参加したツアーの雪の白川郷のライトアップ)もツアーだとただバスに乗っているだけ。子供たちが社会人となって独立してから初めて参加したクラブツーリズムのツアーにすっかり嵌ってしまいました。

 当日は10時半の羽田集合とゆっくりだったので、朝一番で松本を出れば前泊せずに何とか間に合う時間設定。朝6時50分発の新型スーパーあずさで向かいました。途中都内の中央線での異常点検の影響からあずさも30分近く遅延したため、羽田の集合時間には少々遅刻して到着。しかし旅行社で既に航空券は発券済みでもあり、結果的に問題無く荷物もチェックインして搭乗手続きを完了することが出来て一安心。予定通り、機上の人となりました。
 では、“北の大地”に向けて、
 「♪ 行って来ま~す!」

 我々、生粋の“松本っ子”が当たり前と思っていても、県外から来られると、驚いたり意外だったりすることも多いようです。そんな話題としてお送りします。題して「信州松本“ぶったまゲーション”」。

 スーパーマーケットの総菜売り場に普通に並んでいる「辛子イナリ」。通常、助六などに入っている稲荷寿司。昔から運動会などのお弁当の定番でした。
袋状に開いた油揚げを甘じょっぱく煮付けて寿司飯を詰めたもので、名古屋の豊川稲荷が発祥とされていますが、単純な酢飯だけではなく、混ぜご飯だったり、ソバだったりと、地方によって色々なバリエーションがあるようです。そうした中で、長野県でも松本地方だけで食べられているのが冒頭の「辛子いなり」なのだとか。
以前「秘密のケンミンSHOW」でも紹介されたそうですが、視聴しておらず、「山賊焼き」がB級グルメ的な町興しで塩尻・松本特有というのは知られていますが、辛子いなりもそうだとは最近まで全く知らず、県外に出た学生時代や海外赴任でも別に(男子が)稲荷寿司の種類を考えて購入したりすることもありませんので、全国的に稲荷寿司の種類の一つとして“普通に”存在しているものだとばかり思っていました。

 調べて見ると、ABN長野朝日放送のローカル番組で調査して放送された内容が多分H/Pで紹介されていたようで、その内容の一部を掲載させていただくと、
『(松本の)筑摩(つかま)神社の林邦匡宮司に話を伺うと、神社では毎年1月14日に“篝火(かがりび)神事”が行われ、その際、油揚げと和からしがセットになった“からしあげ”を売るのだそう。どうやら油揚げとからしの関係性はこの神社が始まりのようです。しかし、なぜ油揚げが“裏返し”なのでしょうか。何か風習のようなものがあったのでしょうか。それを探るべく、近所のお寺に聞き込みに。曹洞宗・全久院の倉科利行(りぎょう)住職いわく、死はとても怖いことだから“逆さまにすること”は、その恐怖から解き放つ意味があるとのこと。法事の席で出されていたものが美味しいとなれば日常でも食べたくなるでしょうと。ありがたいお話を頂戴します。』
由来については、他には「松本地方特有の郷土食」程度の紹介のみで、このABN以上の記載は無かったのですが、昔から松本地方のお葬式後の「精進落とし」や「忌中払い」などの法事の席には、こんにゃく、油揚げ、ひじきの白和え、おざざ(と呼ぶ、冷麦の様な細いうどん)が定番(仕出しが無かった昔の田舎では、自宅に集まった同じ町内会や近しい同姓のご婦人方が総出で調理した)で、この甘じょっぱく煮た油あげに必ず辛子が添えられていますので、「油揚げに辛子」はこの地方では「刺身にワサビ」同様に必ずセットで出される風習の様な気がします。
 スーパーの総菜売り場に並ぶ「辛子いなり」は、その表記だけではなく、通常の稲荷と違い必ず油揚げが裏返しになっています。これは購入時の区別(二種類入っているパックも存在)の目的だけでは無く、間違って子供が食べてしまわぬように区別するためだそうです。私はてっきりザラザラした裏側の方が辛子が塗り易いためかと思っていましたがそうではなく、辛子そのものは内側に塗られて(入れられて)います。試しに2個だけ買って食べてみましたが、惣菜店毎に差はあるにせよ、思った程は辛くはありませんでした。もし、松本に来られる機会がったら旅先での話題作りに是非試してみてください。

 1月の7日と8日は厄除け縁日です。
ここ松本で厄除けの参拝で有名なのは内田の牛伏寺と蟻ヶ崎の放光寺ですが、牛伏寺は大混雑で車の駐車スペースを探すのが大変と聞いているので、我が家では専ら裏山の城山にある放光寺へ毎年お参りをしています。

 誰に似たのか(祖母かなぁ?)、信心深い長女は留学前に成田山新勝寺でもご祈祷を受けましたが、2年前の厄年は留学中であったため、頼まれて我々が代参で放光寺で厄除けのご祈祷をしてもらいました。MBAの卒業式に米国に行った際、彼女からその時のご祈祷のお札をお寺に厄年を無事過ごせたお礼に奉納して欲しいと頼まれて持ち帰って来ていましたので、昨年のお札と一緒に奉納すべくお参りに行って来ました。

 放光寺では、ここ数年来参拝客が増えたのか、隣接する城山公園の駐車場だけでは足りないのでしょう、アルプス公園の駐車場も借りて無料のシャトルバスを走らせています。我々は朝のウォーキングを兼ねて、毎回歩いて参拝です。放光寺へは、裏山の蟻ヶ崎台へは結構な急坂を登り、アルプス公園への入り口から城山方面へ下ってすぐ。20分くらいでしょうか。初日、8時からのご祈祷開始に合わせて、アルプス公園の駐車場へ向かう参拝の車がひっきりなしに市内から坂を上って来ます。それに呼応するように、参拝客を運ぶシャトルバスも4台ほどでのピストン輸送です。
 放光寺の参道には両側に縁日のダルマや食べ物などの屋台も並びお祭りらしい賑わいです。縁起モノの熊手やダルマを買い求める参拝客も多く、朝から結構な賑わいでした。今回我々は本殿でのご祈祷はしませんが、ご祈祷を受ける参拝客で本殿は満員。待合室でも順番待ちの列が続いていました。
我々も本殿へ参拝しお札を頂き、八角堂にもお参りして、本殿に古札を奉納して帰路につきました。
 「どうか、禍の無い良い年でありますように・・・」

 久し振りの年末年始の帰省だった次女の、「お正月くらいのんびりしたい!」との仰せ。
彼女の初詣は東京で(羽田空港神社?)行くとのことから、我々は彼女が帰京した後の三日に早朝ウォーキングを兼ねて歩いて四柱神社へ行くことにしました。
最近四柱神社は初詣に限らず、天照大神を始めとする4柱もの祭神を奉ることからパワースポットとして人気だそうですが、元旦の午前中に年賀状を追加で本局へ投函するために横を通ると、何と本殿前から縄手通りを抜けて大名町の降板先の千歳橋まで参拝客の列が続いていてビックリ。今までで一番長い初詣の行列だったのではないでしょうか。

 3日の未明に雪が降ったらしく、朝起きてみると薄らと雪化粧。
ナナの散歩を済ませ、戻り母の朝食を用意してから8時頃自宅を出発。
脇道は雪がまだ解けておらず、滑ってはいけないので本通りを真っ直ぐに駅方面へ下って行きました。松本城公園を抜けて大名町へ向かいます。

 三が日は数年前からお城の本丸が無料開放されています。そして、三日には先着順で記念品(昨年からは松本城と歴代城主の家紋をあしらったピンバッジで、今年は二代藩主小笠原氏の「三階菱」とのこと)が配られるため、8時半頃黒門付近を通ると既に数百人もの行列。我々は(個人的に以前の「ぐい飲み」ならいざ知らず・・・)ピンバッジに興味は無いので、素通りして四柱神社へ向かいました(現在、黒門は劣化した屋根瓦の葺き替えでの改修工事中です)。
 縄手通りを通って正面鳥居から参拝。地元紙によると、三が日で6万人を超える参拝客とのことでしたが、まだ時刻が早いせいか待たずにお詣りすることが出来ました。古札と毎年4柱神社から頂く昨年の干支の一刀彫を奉納し、続いてまだ時間があったので深志神社へもお詣り。我が家では特に受験や試験は関係ありませんが、大きな寺社仏閣の無い松本の街中では初詣先だと四柱神社と天神様が定番です。深志神社は三が日で5万人の人出とか。天神様に相応しく、チラホラと参拝や祈祷する受験生らしき家族連れの方々が見受けられました。
 帰路、またお城を通って帰りました。9時を過ぎていましたが開門はまだの様でした。生憎、この日は北アルプスの山並みは雪雲の中。また未明の雪も少な過ぎて雪の天守閣を望むことは出来ませんでした。
帰路、途中に塩竃神社があるので、誰もいませんでしたがついでにこちらにもしっかりとお詣りをして自宅に戻りました。

 今回珍しく休みが取れたからと、次女が大晦日に帰省してくれました。
新宿を朝7時に出るスーパーあずさ1号に乗車。たまたま、このスーパーあずさは12月23日に営業運転を開始した新型のE353系が使われています。そこで、松本駅で彼女を出迎えるのに、せっかくですので入場券を買ってホームで新型車両を見ることにしました。

 到着予定の5分ほど前にホームの端まで歩いて行くと、先客の年配の方がおられ、三脚を据えてビデオとカメラで動画と写真の両方を撮影するためにスタンバイされていて、暫し列車談義です。
93年に投入されて随分老朽化した現スーパーあずさの車両E351系は、3月のダイヤ改正で全て新型のE353系に置き換えられることがJRから発表されていますが、長野車両基地では既にその車両の解体も始まっているのだそうです。
鉄道ファンの間では、先頭車両にE353と表示され「あずさ」という表示がどこにも無いことが賛否両論なのだとか。確かに同系であるE259型NEXの様に、縦にアルファベットでAZUSAと表示しても良いかもしれませんね。

 遠くにライトが見えました。ファンの方の言われた通り、新型はLEDが使われているので凄く明るく見えるのだとか。滑る様にホームへ入線して来ました。新しいこともありますが、松本城をイメージした黒と北アルプスから流れ出る清流梓川をイメージしE351系から引き継いだ紫が白い車体に輝くように映えて本当にキレイでした。
写真を撮り、急いで階段を駆け上がって改札口で娘を出迎え。
 「お帰り~♪ どうだったぁ?新型梓の乗り心地は・・・」
 「別にィ、・・・まぁまぁ・・・かな。」
 (はぁ~、さよか・・・)
 娘に由れば、鉄道ファンなのでしょう、新宿では満席で、途中写真をバチバチ撮って八王子で下車した乗客が多かったとか。でも、気持ちは分かります。リタイア後は出張も無いので、あずさに乗る機会がなくなりましたし、東京へ行く場合は高速バスで行くことの方が多いのですが、やはり一度は新型のE353系に乗ってみたいですね。

 明けましておめでとうございます。
2018年、信州松本より謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 当初の天気予報では無理そうだった初日の出でしたが、元旦の朝起きてみると東の空は雲一つありませんでした。そこで、日の出の時刻に合わせてナナの散歩を兼ねて家奥さまと初日の出を拝みに家を出ました。7時20分、我が家の辺りからだと、この時期の太陽は美ヶ原の王ヶ頭と鉢伏山の中間。ちょうど山辺の谷の辺りから上って来ます。雲も無く、久し振りの見事な初日の出に、家内と一緒に今年一年の家族の安寧を祈りました。
 この日、西山は雪雲が掛かっていましたが、冬の時期は北アルプスの凛として気高き常念や、優しく堂々とした乗鞍を望める日が多くなります。
松本から仰ぎ見る神々しき峰々。何か不安や心配事があっても、朝モルゲンロートに輝く常念や乗鞍の姿を見ると、「人間、小さい、小さい・・・」と反省しつつ、峰々から元気をもらって思わず深呼吸をしたくなります。
世の中色々不安もありますが、どうか災害の無い穏やかな一年であって欲しいと思います。

 今年一年の皆さまのご多幸を、ここ信州松本より謹んでお祈り申し上げます。どうか良い年になりますように。
本年も、どうぞ宜しくお願いいたします。
          カネヤマ果樹園一同+ナナ