カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 京都二日目。午前中から夜の会食まで一中クライアントとの打ち合わせという娘とは別行動で、我々は市内観光へ。
残念ながら冬の特別拝観は未だですし、昨日初詣は済ませたので、
 「さて、どこへ行こうか?」
・・・と、冬の京都観光での行き先選びはなかなか難しい・・・。
そこで選んだのは北野天満宮です。子供たちも含めて試験や受験は我が家はもう関係無いのですが、学生時代の後半近くの七番町の下宿に居たので懐かしいこともありますし、梅苑は未だ無理でも、もしかすると早咲きの梅が咲いているかもしれません。

 バスで向かった北野天満宮。“天神さん”の境内は、子供たちや受験生を持つ親御さんたちなのでしょう、受験シーズンを迎えて合格祈願に訪れたであろうたくさんの参拝客で賑わっていました。洛中の観光スポットでもありますので、ここにもインバウンドの観光客の姿が。
境内の白梅が綻び掛け、早咲きの紅梅が咲いていました。またテントでは如何にも初春の天神さんらしく、家に持ち帰って御利益の梅の花を咲かせるべく、剪定で切った境内の梅苑の梅の枝が厄除玄米の入ったヒョウタンの形の器と一緒に招福の「思いのまま」として販売されていました。もし受験生を抱えていたら絶対に買って帰りたくなりますね、きっと。
手水で手を清め、神様のお使いである牛をなでてから三光門をくぐり、国宝である本殿に参拝。本殿前にはご神木の松と梅が植えられていて、この梅が大宰府の「飛び梅」伝説と同じ種の「紅和魂梅」とか。
天満宮の御祭神はご存知の通り菅原道真。彼を妬んだ藤原氏の讒言に依り大宰府に左遷されて僅か2年で没した後、都に起きた天災が道真の祟りとされたために名誉が回復され、その怨霊を鎮めるために建てられた社です。
 『東風(こち)吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ』
本殿の周りを一周すると、絵馬の掛所には溢れんばかりの願い事が書かれた絵馬と順番待ちの参拝客がおられました。そして、秀吉が築いた洛中洛外の境界線でもある土塁「御土居場」一部が残っていました。
 北野白梅町からのバスは京都駅に行った方が便利なので、明日帰郷するのに楽な様に、駅周辺で親戚や知人へのお土産を購入し、一旦ホテルへ置きに戻りました。
 「さて、この後どうしようか?」
すると奥さまから、以前我が家の総本山である知恩院に娘とお参り行った時に、隣にあった「青蓮院」というお寺に行って見たいとのこと。何でも、お庭がキレイらしいのですが、これまで行ったことはありませんでした。
 東山の粟田口にある天台宗の「青蓮院門跡」。その名の通り皇室縁のお寺で、江戸時代には内裏が火災にあった時に仮御所が設けられ、「粟田御所」とも呼ばれた由緒あるお寺さんでした。
因みに、京都の夜景の展望スポットである東山の山頂「将軍塚」は青蓮院の飛び地で、そこに2014年に奈良国立博物館に依託されていた国宝「青不動」を納める「青龍殿」が立てられて人気スポットになっている由。
青龍門跡は仮御所らしく、寝殿や小御所と呼ばれる建物があり、寝殿前には橘と桜が左右にも植えられています。こちらのお庭は、相阿弥作と伝わる池泉回遊式の庭園と山裾には霧島つつじの築山を中心とした小堀遠州作の庭があり、華頂殿と呼ばれる書院造りの気品ある室内からの庭の眺めも素敵ですが、外に出て一周しながら歩くことが出来ます。そして、寝殿前の苔むした庭の奥には京都市の天然記念物指定の大きな楠が何本かあり、隅の鐘楼は自由に鐘を撞いても良いのだとか。我々も願いを込めて撞かせていただき、市中に静かに染み入る様に鐘の音が響いて行きました。
 観光客の溢れる京都ですが、拝観する観光客も少なく、境内はひっそりと静まっていて落ち着いた雰囲気。
そういえば京都での学生時代、今でも一番好きな仏像なのですが、何かあると、永観堂の誰も居ない見返り阿弥陀の前で手を合わせてじっと物思いに耽っていましたっけ。今では観光客で溢れていてあり得ないと思いますが、そんな懐かしい学生の頃の落ち着いた京都を思い出す様な、とても素敵なお寺さんでした。

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