カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回久し振りに行った、京都観光の定番スポットである清水寺。
参道の清水坂は勿論、二年坂、産寧坂(三年坂)も観光客でごった返していました。インバウンドでも、欧米はカップルやファミリーでの個別行動なのに対して、昔の日本人もそうだった様にアジア系は団体が目立ちます。特に、中国や韓国のグループは、旗を目印に、大声で案内しながらなので周囲からも白い目で見られがちです。しかし、土産物屋さんなど観光客相手の店としては大事なお客さん。如何にもインバウンドの外国人観光客相手と思しき、一風変わった(“ジャポニズム”的な要素を誇張した)店も増えています。

また、京都市内を歩いていると、春はともかく、寒い冬でも(おそらく年中)、観光スポットや街中のどこに行っても着物を着た若い女性やカップルが目立ちます。これは殆どがレンタル着物の観光客で、しかも中国人の観光客が多い。着物を着る習慣が廃れた今、着物業界にとってはこの観光でのレンタル需要は大助かりなのでしょうが、値段相応にしても、柄とかも品が無くて安っぽいし、着慣れぬために歩き方が悪いのか着崩れしている子もいたりして、何となく目を背けてしまいます。これも最近云われる一種の“Over Tourism観光公害”なのでしょうか?・・・。昔の様な、如何にも京都といった雰囲気の、着物を召した品の良い初老のご婦人はめったに見掛けませんでした。
 最近の京都は、本来観光客の少ない筈の冬でも、河原町などを歩いていると昔に比べて何だか人の数が倍になった様な気がします。河原町や新京極も、昔はもっと人通りが少なくてゆったりと歩けた様な?・・・。しかも四条通など、昔に比べて(車線が減らされ、その分)歩道が倍くらいに拡張されているにも拘わらず・・・です。確かに、数年前の11月上旬の嵐山。会社の年金セミナーで行ったのですが、紅葉シーズンには未だ少し早いのに、歩道は歩くのにも難儀する程の大変な混雑でした。
では、100万都市である京都の人口が増えているのかと言うと・・・、調べてみると京都市の人口は146万人強。学生時代の1970年代も140万人台だったようなので、人口そのものはそれ程変わってはいません。従って、増えているのは我々の様な観光客。京都市への観光客は、ここ3年連続で5500万人とのこと。大変な数ですが、京都市長はこれをパリ並みの8千万人にするのが目標とのこと。
しかしそうなってくると、街中に人が溢れ、本来計画された都市機能のキャパとしてのインフラが機能不全を起こしてしまいます。
今回中くらいのスーツケースがあったので、ホテルへの移動に際し、市バスでは他のお客さんの邪魔だろうと地下鉄に乗ろうかと思ったのですが、地下鉄は東西と南北の二路線しか無く移動範囲が限定されてしまいます。調べると、行き先に寄っては、有名観光地向けが多い様ですが、Expressという停まるバス停が少ない系統もあり、これなら大きな荷物を持った観光客ばかりで、日頃利用している地元の人(特に年配者や通学の子供さん)が乗れずにバス停に取り残されるということもないかもしれません。またExpressは、通常の路線バスと違って、車内に観光客向けに荷物を置くスペースも設けられていました。市内観光では一般系統のバスにも乗車しましたが、中国からの観光客も含め、インバウンドの観光客も優先座席には座らずに立っている人が意外と多かったのです。昔に比べれば、そうした一般的なマナーも向上していることに、正直驚かされました。少しずつマナーも向上しているのかもしれません。「衣食足りて礼節を知る」。本来、特に儒教の国では、年配者を敬い、弱者を助ける筈。従って、大声やゴミ、飲食店のドタキャンなどの人迷惑な行為は、ルールの徹底や教育などと共に、その国の民度が上がることに依って改善・向上、して行く可能性もあると思います。
昔シンガポール赴任中、まだ乳幼児だった子供を連れた家内がバスに乗ると、地元の若者が率先して席を譲ってくれたり、子供の乗降時には手助けしてくれたりと、日本よりも余程親切だと感心していたのを思い出します。
また観光客の増加に伴って、既存のシステムや仕組みそのものの変更や工夫も必要でしょう。例えば、Expressを更に発展させて、地元の年配者や子供たちの迷惑にならぬよう、地元の市民向けと観光客向けにバスを分けてもイイかもしれません。

 確かに“公害”と云われる様な弊害もありますが、一方で観光客が落とすであろうお金も、経済効果としては莫大な金額になりましょう。かと言って、観光業に拘わらない地元市民はただ迷惑を被っているだけなのか?・・・。京都では昨年秋から宿泊税が徴収されていますので、その税収による市民への還元効果も、当然将来的には期待出来るでしょう。
インバウンドに依る経済効果を期待するのであれば、弊害を減らして行く工夫が、メリットを享受する側、一義的には行政や観光業などの団体の義務としての努力や工夫、そして二義的には副次的効果を享受しうる住民の理解と協力も不可欠だと思います。共存共栄を目指して・・・。
いずれにしても、京都に限らず、せっかく訪れる、尋ねるのであれば、そこで良い思い出を作り、そこを更に好きになってまたいつか再訪する。是非、そんな好循環が生まれます様に・・・。