カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 3.11から10年が経ちました。
あの日、東北地方を襲った津波。上空から確認していた自衛隊機だったかNHKのヘリだったか、パイロットが凄まじい津波の状況を報告しながら、何もかも飲み込んでまるでモンスターの様に仙台平野を駆け上って行く真っ黒な波に対して、
 「チクショウ、来るな!止まれ!」
と何も出来ず悔しそうに叫んでいた姿が昨日のことの様に瞼に浮かんで来ます。

 そして3.11とそれ以降に報道された中で、当時のブログ記事からピックアップした印象に残ったエピソードの数々・・・。

 亡くなった母親のために、三陸海岸で鎮魂のメロディー(ザードの「負けないで」)をトランペットで吹いていたジャージ姿の少女の写真(その後、記事を見た東フィルから招かれて演奏会で共演します)。
南三陸町で最後まで有線放送で住民へ避難を呼びかけ、自身は津波に飲み込まれて亡くなった町役場の女性職員。
 そして、“暴力装置”と時の政権から罵られたにも拘らず、懸命に復旧作業や不明者捜索を続けてきた自衛隊員を始め、警察官や消防隊員たち。
支援が安定した避難所から移動する彼らを、感謝を込めて覚えたての敬礼で姿が見えなくなるまで見送っていた女子学生。
「余り無理しないで」と復旧活動で疲労困ぱいの夫をメールで気遣う妻に、「自衛隊を舐めるなよ。今無理しないでいつ無理するんだ!」と気丈に返信したという自衛隊員。
 コロナ禍同様に、あの時も命がけで対応していた医療従事者の皆さん。
第一波の津波の後で、「もうこれ以上の犠牲者は出さない」と、万が一の時は自分たちの身許確認がされ易いようにと各自腕に名前をマジックで書いた上で、動けない入院患者を真っ暗な階段を使って一人ずつ屋上まで避難させ続けたという三陸海岸近くの病院の医師と看護師たち。
先遣隊で避難所の状況把握に派遣され、寝る間もなく孤軍奮闘する医師を見かねて、任務終了後自主的に避難所に残って医師のサポートを続けたという看護師。
 そして、 “自分は何が出来るのか、何をすべきなのか”・・・自主的に自分の守備範囲で懸命に活動した人々。
震災で物流が寸断された被災地で、連絡の取れない本社からの承認を待たず、自分たちの方が地理に詳しいからと、自衛隊に代わり救援物資の避難所への配送を自主的に申し出たという宅急便ヤマト運輸の被災地のドライバーたち(後で知った本社は、直ちに彼らの支援にトラックとガソリンを東北各地に送りました)。
地震で店舗がメチャクチャになり本部から商品も届かない中で、「ただの塩むすびでスイマセンが」と、奥さんが自分の家の米を炊き握った自前のオニギリを店の外で無くなるまで販売し続けたというコンビニ店主。

 津波後に報道された、三陸地方の様々な映像が思い出されます。
あれから、早10年、イヤまだ10年・・・。忘れることなど絶対にあり得ない地元の被災された方々ではなく、むしろ直接的な被害の無かった我々こそがこうした事実を決して忘れてはいけない・・・のです。

 先日、ゴールデンタイムに放送された『関ジャム完全燃SHOW』。
深夜に放送されるレギュラー番組も、音楽のプロたちの解説と即興的なセッションなどが興味深く、ナルホドと感心しながら時々視聴していました。
今回はその特別版「関ジャム J-POP20年史 2000~2020プロが選んだ最強の名曲ベスト30」として、過去20年間に発表された楽曲の中から、音楽のプロたちが選んだ30曲がランキング形式で放送されたのですが、そのベスト30の中の第6位にランクされたのが、サザンオールスターズの「TSUNAMI」でした。
あの3.11以来、被災地や被災者の方々に配慮して、サザンが歌わなくなってしまった名曲です。その経緯について、Wikipediaに拠れば、
『2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で、甚大な津波被害が発生したことで世情や被災者の感情に最大限配慮する必要があったため、一時期テレビ・ラジオ等による放送を当面自粛せざるをえない状況となっていた。
これについて、コラムニストで、サザンのファンでもある勝谷誠彦は「タイトルはTSUNAMIだが曲自体に罪はない」と前置きをし、震災から半年となるニッポン放送『勝谷誠彦のこれがニュースだ!』2011年9月12日放送分のオープニングで敢えてオンエアに踏み切った。なお、公式サイトによると番組に寄せられた意見のうち99%が「よくかけてくれた」「改めていい曲であることがわかった」といった肯定的な意見だったという。
ジャーナリストの上杉隆は、TOKYO FM『TIME LINE』2012年1月4日放送分において本作品を取り上げ、「どうしても伝えたい思い」として、「歌詞をじっくり聴きなおし、かけるべきだ」として「日本社会において、本作に触れることがいけないようなムードになっていた」と前置きし、「歌詞を見ると、これこそ3.11被災について最も必要な曲ではないか?」と考え、「犠牲になった、苦しんでいる方へのメッセージ、命を落とした人々からの2012年を迎えた私たちに対する、『忘れないでくれ』というメッセージがこもっているのではないか?」と彼なりの解釈を加え敢えてオンエアに踏み切った。
リスナー投稿において上杉の件を知らされた桑田は震災から1年が経過した2012年3月10日放送のラジオ番組『桑田佳祐のやさしい夜遊び』の中で、上杉に深い感謝の意を伝えると共に「空気を読んだわけではないが、被災された方や遺族の中にはファンもいたからこの曲を歌うモチベーションにはつながらなかった」「いつか(東日本大震災の)悲しみの記憶が薄れてこの曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っている」と述べている。』

 その久し振りのTSUNAMIのメロディーを聴いて、
 「あぁ、やっぱり名曲だなぁ・・・。TSUNAMIの曲自身に罪がある訳では無し、題名だけで歌わないのは勿体無いなぁ・・・。10年経ったのだから、もう“許して”あげてもイイんじゃないのかなぁ・・・」

 桑田さん自身も言っている様に、むしろ3.11を忘れないために、その記憶を語り継ぐためにも、そしてまだ完全に「復興した」とは言えませんが、いつか来たるべき時の「復興の象徴」として、このTSUNAMIを歌い続けていって欲しいと切に願います。

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