カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今年は、松本の開花宣言の時は箱根に行っていて不在でした。東京は花冷えで結構長く桜を楽しめた様ですが、松本は開花宣言直後から連日の夏日。そのため、松本に帰って来た翌日には既に家の近くの公民館の桜は散り始めていましたので、結局今年は松本城の桜を一度も見ずに終わってしまいました。

 松本城は標高が(隣接の市役所ですが)592mで、城山公園が700m程。そこから城山々系の尾根筋にある鳥居山(743m)を経てのアルプス公園が770m(因みに城山遊歩道の終点である芥子望主山が、多分城山々系の最高地点で891.5m)。
例年だと高台にあるために、平地の松本城に比べて一週間ほど遅れて咲くアルプス公園の桜も今年の開花は早かった様です。温暖化の影響もあるのか、昔メーデーの後に職場の皆と花見に来たことがあったなんて信じられません。
4月17日に渡米前に松本に戻って来た長女と皆で、「もう葉桜だよね?」と言いながらも、城山公園からアルプス公園まで“城山トレイル”で城山遊歩道(城山公園からアルプス公園まで1.1㎞)を歩いてみることにしました。
前々日までの雨が上がり、空気もキレイになったのか、春霞も無く白馬方面まで北アルプスの山並みはクッキリとキレイに見渡すことが出来ました。松本地方はずっと乾燥注意報も出ていたので恵みの雨でしたが、桜にとっては生憎の“花散らしの雨”だったようです。

 城山公園は予想通りの既に葉桜。この分だとアルプス公園の桜も難しいかもしれません。
遊歩道に入って急坂を登って行くと、雑木林のナラがちょうど芽吹きでシルバーグリーンの若葉が陽光に映えてキレイです。ソメイヨシノは終わっても、遅れて咲く山桜が葉と一緒に白い花を咲かせています。そして、そうした木々の間からは残雪の常念が望めます。
 今年はコロナ禍で中止となった鳥居火の鳥居山。その東屋の脇には、散り始めたソメイヨシノがまだ花を残していて、桜とそこから望む残雪の北アルプス。真っ白だった乗鞍も少しずつ山肌が現れ始めていて、段々と雪形が現れてきています。白馬岳の“代掻き馬”に代表される様に、雪形は田んぼの代掻きや田植の時期を知らせる印になっている雪形も多いのですが、4月も半ばを迎え、展望台の東屋から眼下に望む安曇平(注記)の所々に水が張られ、既に代掻きも終わった田んぼが青空や山並みを映していました。
“泉小太郎”が、土地が無く貧しい安曇の人々を救うべく、母の犀龍の背に乗って山清路の岩を突き破り、昔巨大な湖だった水を流したことで誕生したという広い安曇平に、間もなく田植えの時期を迎えると、あたかも昔の小太郎伝説の湖の様に一面の水面が現れ、残雪の峰々を水面に映すのです。
 アルプス公園に行くと、南側駐車場は満車。県外車も含め、たくさんの家族連れが、まだ少し残る“なごりの桜”を求めて思い思いに今シーズン最後の“お花見”を楽しんでいました。
我々も散り始めの“名残の桜”と残雪の北アルプスを眺め、今度は古い桜並木の旧道を下って、途中放光寺にお参りをして城山へ戻りました。

【注記】
旧制松本中学の同級生古田晁が創業した「筑摩書房」の経営を助けた、文芸評論家で作家でもあった臼井吉見が書いた小説「安曇野」により、安曇野という地名が広く一般で使われるようになりましたが、それ以前は県歌「信濃の国」でも歌われている通り、松本平、善光寺平と同様、安曇野は“安曇平”と呼ばれていました。