カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 今回の箱根滞在中での、我が家の箱根仙石原グルメの定番。
先ずは、「相原精肉店」のローストビーフと、自家製総菜のミートローフやメンチ、コロッケなどのお惣菜。いずれも美味。次女も気に入って、最終日に婿殿へのお土産にと買って帰りました。

 そしてランチに全員で食べに行ったのが、ルネ・ラリック美術館のカフェ・レストラン「 LYS 」。こちらは初めて箱根に来て、金時山登山の後で伺って以来、気に入って毎回来ています。他の美術館併設のレストランと異なり、ここは美術館に入らなくても、その旨伝えればレストランと「ル・トラン」というオリエント急行の客車を使ったティールーム(但し完全予約制)に入れます。
「 LYS 」は料理だけでなく、席から一面のガラス戸越しに広い中庭を眺められる開放的な雰囲気も気に入っている点です。
今回、家内はランチコース、私と次女が季節のパスタ、長女はクラブハウスサンドイッチとフレンチフライ。そして私メと長女は、一滴も飲まない家内と次女に「まだお昼だよ!」と蔑まれながら、それぞれグラスワインとクラフトビールを所望(チャイルドシート装着のために大人3人乗車で、溢れた私メはホテルから往復徒歩なので)。そして長女の頼んだフレンチフライを二人でお酒のつまみに・・・。
因みに、我々がランチを食べている間、初孫はベビーカーの中でずっと大人しくしていました。
 「おぉ、おぉ、ホンマに、えぇ子や、えぇ子や!」
と、ジジバカ全開・・・。
 他に仙石原でのお気に入りは、ティータイムで行った「ホテル 箱根リトリート före(フォーレ)」のカフェ。宿泊客優先ですが、空いていれば外からも入れてもらえますし、パンやケーキも購入可能です。
ここは木々に囲まれた森の中に佇む滞在型の高級リゾートホテル。薪ストーブのある客室もあり、長女は婿殿と箱根に来るなら富士屋ホテルが好みだそうですが、次女たち家族はこちらがお薦めでしょうか(因みに、ワンコ連れでの滞在は不可)。木々や四季の野草を眺めながら、いつもより時計の針の進みが遅く感じられるかの様で、ゆったりと時間が流れて行きます。
 番外編で、最終日に仕事で関西に向かう長女を先に送った後、先ず次女と「相原精肉店」でローストビーフ等を購入してホテルに戻り、チャイルドシートに孫を載せて、ワンコたちも一緒に次女を横浜へ送ります。途中、「籠清」で蒲鉾をお土産に購入するとのことで小田原駅前へ。駅伝の中継所で有名な「鈴廣」なら広い駐車場付きの店舗が幾つも在るのですが、湯河原出身の婿殿から、地元では「籠清」の方が味で評価は上と聞いていました。ただ「籠清」には駐車場が無いので、駅前駐車場に車を停めて、駅近くの支店に歩いて向かいました。
女性陣は品物を物色するので、孫は往復とも私メが初めて抱くことに。しかし、その重いこと、重いこと・・・(“されど、母は強し”ですね)。でも、行き帰り共、全然泣かずにジジに(嫌がらずに・・・!)ちゃんと抱っこされていて、 
 「おぉ、おぉ、ホンマに、えぇ子や、えぇ子や!」
と、ここでもジジバカ全開・・・。

 小田原から横浜に無事次女と孫を送り届けると、ちょうど病院から夜勤明けで帰って来た婿殿と玄関で偶然鉢合わせ。
「あらま、心が通い合ってますな~」と孫をチャイルドシートから降ろし、我々はワンコが一緒なので家には寄らずに、そのまま一路松本へ戻ることにしました。
 「ホンじゃあ、またね!ジージの顔、忘れちゃダメだからネ‼」

 箱根滞在での我々(“海無し県”の人間にとって)の一番の楽しみは、小田原漁港で新鮮な海鮮を食べることです。
“天下の嶮”の箱根は山の中というイメージもありますが、箱根(仙石原)から小田原までは僅か30分。小田原(早川)漁港は、伊豆半島を挟んで反対側の沼津漁港に比べれば規模は小さいものの、相模湾も駿河湾もどちらも日本三大深湾(残る一つは富山湾で、こちらもキトキト)で、生息する魚介類の種類が豊富。特に沼津は深海魚が有名(西伊豆などのタカアシガニも深海に生息)ですが、相模湾も、例えば伊豆稲取などのキンメダイは水深200~800mに生息する深海魚です。
最初2年前に初めて小田原漁港に行った時は、魚市場の2階にある市場食堂で食べた(第1563話)のですが、二度目の昨年は、水産物仲卸業者直営という漁港隣の「やまや」へ(第1653話)。ここで食べた地魚の海鮮丼(どど丼)が新鮮プリプリで絶品だったので、今回も漁港の無料駐車場に停めて「やまや」へ向かいました。
すると「本日臨時休業」の貼紙が・・・。他店では、「やまや」の入っているビル「小田原水産会館」の同じ一角にある鰺専門店「大原」(アジフライの評判店の由)は行列で、ナント一時間待ちとのことでこちらも諦め。
どうしようかと迷っていると、「やまや」の2軒隣に「港のごはんやさん」という食堂を発見。覗くと小上がりが空いていてOKとのことで、そこで食べることにしました。
 こちらはひっそりと目立たない地味な店構えだったのですが、お客さんは皆さん殆どが漁港に来られた地元の業者さん方の様子。どうやら観光客相手というより、むしろ漁港関係者の方々が早朝から食事をされる食堂の様で、それなら地元の方々に信頼されているという意味で、味に間違い無いでしょう。
お店はテーブル席と小上がりの座卓の席があり、厨房も接客も全てご婦人3名で対応されていて、接客をしながら常連さんの漁港関係者の方々と世間話をされていました。メニューは海鮮以外に、常連さん向けであろうカレーやトンカツ、生姜焼きやそうめんなどの普通の食堂メニューもありましたが、地元の方々はいくら新鮮でも毎日魚では飽きてしまうのか、却って普通の食堂のメニューの方が好まれるのかもしれません。しかし“海無し県”信州からの我々としては、その日のお薦めの中から私メと長女がシラス丼と鯵のセット(1800円だったかな)で、光物の苦手な奥さまは今回もミックスフライをチョイス。

シラス丼は結構大きな丼に釜揚げシラスがびっしり。その敷き詰められたシラスの絨毯の下に、でんぶの様な白身魚のそぼろに青のりとごまの混ざった塩味のふりかけがご飯の上に散らしてあって、ほんのりと塩味があるので醤油を掛けなくてもそのまま食べられます。むしろ醤油を掛けると、シラスの繊細な旨味が、醤油の強めの塩味に負けてしまうのかもしれません。
そのたっぷりのしらすはフッワフワ。そして、アジの刺身は新鮮で、弾力さえ感じる程にプッリプリ。三枚に卸して半身毎に揚げられたアジフライは些か小ぶりでしたが、こちらもフワフワでサックサク。アジとイカ、2尾のエビのミックスフライは、家内曰く、特にエビフライは今まで食べた中で一番の美味しさだったとか(エビは相模湾産ではないと思いますが・・・)。
たっぷりのシラス丼は、私メは当然完食ですが、娘は食べきれずにシラスは家内が手伝って食べましたが、結局ご飯は全部食べ切れませんでした。
個人的にはシラスより「やまや」の地魚の「どど丼」の方が好みなのですが、こちらの「港のごはんやさん」のアジの刺身もフライも絶品で、観光客相手の他店の様な行列も無く、地元の方々に愛される穴場の“食堂”でした。光物が苦手な家内は、むしろこちらのお店の方が気に入った様子。個人的には、あの名物どど丼を娘にも食べてもらいたかったところではありますが・・・。でも、さすが小田原で、どこで食べても新鮮で旨い!特にプリプリのアジの刺身は、残念ながら信州ではお目に掛ったことが無い程の新鮮さでした。
 「とても美味しかったです。ごちそうさまでした!」
満足、満腹でお店を出て、隣にある「小田原さかなセンター」に行って夜の食材を買って帰ることにしましたが、「まぐろや」の薦め上手なお兄さんに言われて女性陣が今回購入した鮪ガーリックたたきと本マグロの赤身、どちらも冷凍モノで値段は決して安くは無かったのですが、ナルホドどちらも旨かった!さすがは小田原漁港!と、こちらも納得した次第。

 4月末に婿殿の待つNYへ渡米するため3月末で退任する長女と、初孫も一緒に次女も来ての送別会を、首都圏から近い(且つ、毎度でワンコ連れOKの施設の在る)箱根に集まって、“家族水入らず”で行うべく、ワンコたちと一緒に4月上旬箱根に向かいました。ところがその日は終日雨予報の中、寒の戻りで富士吉田から先の高速道がナント降雪での冬タイヤ規制。
双葉PAに立ち寄って道路情報を確認しても、解除の目処は無し。他のルートとしては、昨年夏に開通した中部横断道で双葉から静岡(清水)へも行けるのですが、双葉JCTは双葉PAの手前(松本寄り)なので戻らなければいけませんし、ナビは最新版に昨年ディーラーで更新してもらっているのですが、まだ中部横断道の開通は反映されていませんでした。
そこで大月経由は諦め、遠回りですが八王子から圏央道で行くことにしました。これまでも横浜に住む次女の所に行くには、本来は圏央道から海老名JCTで東名に合流して向かうのが一番早いのですが、圏央道は良く渋滞するために相模原で降りて一般道を走らされたり、帰りも圏央道を避けて横浜から稲城までずっと一般道を行かされたりして漸く中央道に乗るなど、むしろ圏央道を走行することは稀。今回もナビの指示は、途中で圏央道が事故渋滞のため相模原ICで降りて一般道を走るように変わり、漸く小田原厚木道路で高速に乗って小田原経由でホテルの在る箱根仙石原に向かいました。早ければ本来は松本から3時間ちょっとの富士吉田経由での箱根行ですが、今回は小田原経由で4時間半掛かりました。

 その日の夕刻、バスで長女が到着。てっきり退職したと思ったら、役員は退任させてもらったが退職は遺留され、渡米後もそのまま雇用契約を継続するとのこと。そのため、箱根滞在中も担当業務に関してのオンライン会議が毎日あって、一緒に予定していた箱根観光をするどころではありません。
そこで止む無く、長くて半日或いは数時間、その日の開いている時間帯を使っての箱根観光と相成りました。ただ、幸か不幸か、彼女も我々も気に入っているポーラ美術館が、我々の箱根滞在中は展示入れ替えのために閉館中で、どっちみち見られなかったので諦めもつきましたが・・・。

そこで、先ずは定番の仙石原の長安寺へ。境内の五百羅漢と秋のモミジの紅葉が見事な曹洞宗のお寺さんです。ホテルからは往復4㎞弱のウォーキング。このお寺は(勿体ないことに、歴史的にはともかくとしても十分拝観する価値があるのに、檀家さんが多いのか)拝観料を取らないので、代わりにお賽銭をしっかりとお納めします。紅葉の時期の方が見応えはありますが、この時期は境内にはちょうどカタクリの群生が花を咲かせていました。シダレ桜も勿論ですが、木々の芽吹きとあちらこちらに花も咲いていて、春の訪れを感じさせてくれます。子安地蔵さんに初孫の成長をお祈りし、山の斜面を活かした境内のあちこちに置かれたユーモアある表情の五百羅漢さんも微笑ましくて実に癒されます。コロナ退散を願い、こちらにもお詣り。
 翌日はランチを兼ねて小田原漁港へ。帰りに宮ノ下を散策。改装なった富士屋ホテルと、ホテルのベーカリー「PICOT」。そして長女がお薦めという、足湯カフェ「NARAYA」。登山鉄道の宮ノ下駅に上る急坂の途中にあります。足湯に注文したドリンクを運んでいただいて足湯でホッコリ。私メは途中で飽きて、台風の傷も癒えた箱根登山鉄道の電車を宮ノ下駅に見に行っていましたが・・・。
 その日の夜、奥さまの希望で宮城野の桜のライトアップを見に行きました。宮ノ下から仙石原に続く国道138号線沿いを流れる早川の堤に沿った600mに120本のソメイヨシノと国道側に40本のシダレザクラが植えられていて、夜はライトアップもされる箱根唯一のお花見スポットの由。
臨時の無料駐車場があるのですが、駐車場探しに苦労する宮ノ下で先に夕食を食べるため今回はバスで行きました。
先に夕食を済ませてからバスで宮城野へ戻り、桜並木の早川堤へ。以前は屋台が並んで賑やかだったようですが、今はコロナ禍で屋台の出店は無く、人も疎ら。でも、そのお陰でゆったりとライトアップされた幽玄で満開の桜並木を散策することが出来ました。一方、シダレザクラは咲き始めでした(箱根を後にする頃には満開になっていました)。
 最後に、天気予報を見ながら、次女を迎えに行く日の早朝に金時山登山です。長女は登山が初めてなので、今回は昨年4月に開通したという「はこね金太郎ライン」の「金時見晴パーキング」まで車で行って、そこから矢倉沢峠を経て登るコースにしました。登山口の標高が金時神社コースより160mほど高く、最短で手軽に登ることが可能なルートです。コースガイドに依れば、標準コースタイムで登りが1時間05分 で下りは50分とのこと。
10時過ぎには宿に戻りたいので、7時過ぎに出発。仙石原からは金時神社を過ぎると標識があり、足柄市へ通ずる県道「はこね金太郎ライン」に入ります。見通しの悪いカーブは二車線になていますが、殆どは狭い一車線。10分ちょっとで、トンネルを抜けたとことにあるパーキングへ到着。もう10台近く車が停まっていて、中には既に下山されて来られた方も。
我々も7時半過ぎから登山開始。笹原を進み、5分も掛からぬ内に矢倉沢峠にある仙石原の長安寺横からの登山道との分岐へ合流。確かに早い。そこから1時間の登山です。
金時(公時)神社からのルートとの分岐に35分で到着し暫し休憩の後、そこから30分急登を登り切って8:40分にコースタイム通りで頂上へ到着です。以前、登山道の岩場には鎖場があったのですが、今回はしっかりと整備された階段に代わっていました。登る途中からガスが巻いてきたので危惧した通り、頂上からの富士山は残念ながら見えませんでした。早朝は見えていたそうなので、春先は朝早い時間の方が富士山の雄姿を拝めるのかもしれません。せっかくなので茶屋の前で休んでいると、ガス(雲?)が晴れ、一瞬ですが二度程(二瞬?)富士山が姿を現せてくれました。我々は三度目ですが、初めて登った長女へのご褒美でしょうか。
頂上には10分程度いただけで下山開始。この日は平日でしたが、さすが人気の山。登りはそうでもなかったのですが、下りではたくさんの方々が登って来られ、すれ違いのために待ち合わせ。そのため55分掛かって登山口のパーキングへ到着しました。初めての登山だった長女ですが、日頃ストレッチなどで鍛えているせいか、或いは松本での小中時代に美ヶ原と燕岳への学校登山を経験しているためか、全く“へっちゃら”だった由。ホンの一瞬ではあれ、富士山が見えて何よりでした。

 長女が渡米に向けて退職するためにワンルームマンションを引き払うべく、暫く生活するための必要最低限を残し、NYへ送る物と実家に送る物に分け、実家分を車で取りに行くことにしました。
彼女の借りていたワンルームマンションは虎ノ門にあり、ナント目の前には虎ノ門ヒルズ。私メも以前一度だけ日帰りで車で彼女を迎えに行ったことがあり、その時は目の前なので虎ノ門ヒルズに駐車したのですが、その自動化された近代的駐車システムに田舎モンのお上りさんは唖然とした記憶があります。今回は荷物のみを積んで、日帰りで戻って来ます。
事前に家内が手伝いに行って荷物は整理してあり、殆ど積むばかりにはなっているとのことですが、マンションには駐車スペースが無いため(目の前のヒルズの駐車場は、都度の荷物の積み下ろしでの出し入れは不可能なので)、出来るだけ路上駐車を避けるべく、付近(と言っても歩いて10分弱。一何近い駐車場は常に満杯で予約出来ずとのこと)のタイムズの駐車場を事前予約。そこに何度か往復して運べるものは運んだ上で、最後にマンション前に停めて重いモノを積み込んで帰って来る予定です。
 4月上旬の土曜日、首都高での多少の渋滞はありましたが土曜日故通勤ラッシュは無く、ほぼ予定通りに虎ノ門付近に到着し、予約した駐車場に車を停めて歩いて長女のマンションへ。家内が最後の整理や荷造りを手伝い、その間に私メが何度か駐車場との間を往復しながら、持てる範囲で荷物を車に運びます。何度も歩いて運んでいる内に、段々虎ノ門界隈の様子も分かって来ました(やっぱり車ではなく、自分の脚で歩かないと町の様子は分かりません)。
東京では桜の開花宣言から花冷えの日々もあったので、虎ノ門界隈にはまだ桜が残っていて、皆さん思い思いにヒルズに植えられた桜の写真を撮られていました。また虎ノ門ヒルズの前を予約した駐車場の方へ歩いて行くと「愛宕神社」という標識がありましたが、落語「愛宕山」の京都の愛宕神社の子社ということでしょうか。そして、彼女のマンションから歩いてすぐ、ヒルズのビジネスタワーの対面のコーナーにある一見ビル街に不似合いな古びた木造家屋が、「やぶ」、「更科」と共に江戸前蕎麦の御三家のひとつ「砂場」です。屋号は「大阪屋」で、その起源は秀吉の大阪城築城時の砂場に由来するという店。以前来た時は道路拡張に伴う移動(曳家方式)のための工事中で休業していましたが、それも終わって現在は営業中。昼時近くになってひっきりなしにお客さんが入店したり、写真を撮ったりしていました(斯く言う私メも)。信州から来て(写真だけで)蕎麦はイイかな・・・というのも、以前家内がパート勤めの時、東京出張の際に社長さんが「せっかくだから」と神田の「やぶそば」へ連れて行ってくれたそうですが、(蕎麦だけにはウルサイ?信州人にとっては)「全然美味しくなかった」由。

 とりあえず歩いての荷物運びが終わったので、「先にランチを食ベよう」とのこと。長女が、たまにしか来ない私のために前回来た時に全員に好評だった、ビジネスセンター地階のインド料理店(「エリックサウス」という南インド料理店でしたが)を予約しようとしたら、残念ながらこの日はお休みだったとのこと。「それじゃあ」と、以前娘が絶賛していた洋食「平五郎」をリクエストするも、こちらも土日は定休日の由。それに、2年前「孤独のグルメ」に登場して以降は以前にも増しての行列で、食べるのもなかなか難しいとのこと。彼女のマンションからすぐ近くで、コロナ禍で出社出来なかった頃に偶然“発見”して気に入って何度も食べに行ったらしく、「今日、何か撮影していたんだヨ!」と言っていたのが、その「孤独のグルメ」のTVロケだったのだそうです。その謂わば常連の彼女も、月一のカニクリームコロッケだけは何度もチェレンジするも既に品切れという時が続き、漸く一度だけ食べられたのだとか(だから、TVではいつでもある様な感じで井之頭五郎が注文するシチュエーションはヤラセなのだとか。しかしストーリーが、毎回「腹が減った!」と偶然見つけて飛び込みで入った店・・・という設定なので、そこは致し方ないですね)。
 ワンコたちが待っているため、東京にそう長居も出来ません。そこで虎ノ門ヒルズのビジネスタワーに在るたくさんのお店が集結した「虎ノ門横丁」に行って食べることして、エリアをぐるっと廻って、色んなジャンルの店が屋台風に軒を連ねている中で、選択権を委ねられた私メが選ばせてもらったのが「香港焼味酒家」という香港料理の店。現場香港のシェフが調理するその店看の板メニュー?の海老ワンタン麺が、何となく赴任していたシンガポールを思い出させてくれる様な感じで惹かれた次第。
海老ワンタンヌードル一杯が優に千円しますので、都心でも最上位クラスの虎ノ門という一等地の賃料を踏まえれば当然かもしれませんが、それにしてもちょっと高いかな。でも、単なるラーメンの中華麺とは異なる、東南アジア独特の細く縮れたコシのある麺。しかし現地からの直輸入ではなく、色々試した結果という日本国内での特注麺であれば、それも“むべ”なる哉・・・。
でも味そのものは、しっかりと香港や懐かしいシンガポールの味でした。出来れば千円超ではなく、また海老ワンタンや高級食材のシャークスフィンでもなく、ローカルフードで一般的だったフィッシュボール(要するにカマボコ風の魚のすり身団子)ヌードルやローストチキンのドライヌードルが食べたくなります。当時のホーカーセンターやチャンギ空港のフードコートで、せいぜい3~4S$でした。
お店はカウンター席も含め20席弱でしょうか。せっかくだからと、ヌードル以外にカイラン(ベビーブロッコリー)のガーリック炒めや、どうやって作るのか分かりませんが、まるできな粉のように粉末状に揚げたニンニクがたっぷりと上に盛られた豚肉の衣揚げなどの一品も頼んでくれました。どれもガーリックが良く効いていて、こういう時はコロナ対策のマスクを常にしているので助かりますね。

 食べ終わり、車をマンション前に停車して残りの荷物を後部座席とトランクに積み込んで、娘に見送られて虎ノ門ヒルズを後に、いざ信州へ。ワンコたちが待っているのでノンストップで帰りました。

 戦火に晒され何の罪も無い民間の人々が犠牲になっているウクライナの惨状を世界のマスコミ報道を通じて見聞きするにつけ、本当にM16でもCIAでもゴルゴ13でも、どこかにスーパースナイパーはいないのか!?と真剣に願う程の悲惨な状況です。

 ロシアの狂犬大統領の振りかざす“大儀”の、その行き過ぎた狂信性はともかく、今回の背景説明で私が一番納得できたのは、その背景にあるのはロシア正教とカソリックの「宗教戦争」だという説明でした。
そして人道的には当然とはいえ、今回悲惨を極めるウクライナの人々を超法規的に難民(避難民)として受け入れる各国の状況は、他国の侵略を受けて故国ポーランドについぞ戻れなかったショパンを持ち出すまでも無く、歴史的に過去何度も亡国を繰り返し、その度に国家を民族を蹂躙されて来た故に、決して他人ごとではない隣国ポーランドの頭が下がる様な国を挙げての人々の献身的な対応を見るにつけ、今まで難民認定が非常に難しかった日本での今回のウクライナからの避難民受け入れの迅速な対応は、白人でカソリック教徒であるウクライナの人々と、片や白人ではないアジア人、キリスト教徒ではないモスレムのアフガン難民やロヒンギャ難民へのこれまでの我が国の対応と、一体(その受け入れ態度の差は)何が違うのだろう・・・と思わざるを得ません。
雪が舞う中で暖房も食料も無い地下シェルター等での生活を余儀なくされたウクライナの人々を思えば、小麦やガソリンの値上げなど何のことは無い、遠く離れた平和な極東の島国に安穏としている我々も我慢して当然だと思うのですが、その一方でそんな割り切れなさを正直拭い去れずにいます。

 そこには、もしかすると明治維新以降、特に敗戦後我々ヤマト民族に染み付いた白人やキリスト教への畏怖や尊敬、翻せばアジア蔑視、日本人も同じアジア人なのに日本人以外の有色人種をどこか見下す気持ちは無いでしょうか?
ウクライナからの難民を人道的に受け入れることに何の疑義はありません。戦火から遠く離れた極東で、また軍事的に何の支援も出来ない日本という国が多少なりとも貢献できることとしてそれは当然のことだと思います。であるならば、否、であればこそ、例えば今までのアフガンやロヒンギャの人たちと今回のウクライナのひとたちと一体どこがどう違うのでしょうか?
斯く言う自分自身も、もしシンガポールに赴任していなければ同じ様にアジア蔑視のままだったと思います。多民族国家であるシンガポールに赴任して、そこでの中国、マレー、インドネシア、インドといった他民族の人たちとの触れ合いの中で、同じアジア人種としての共通性を知り、同じアジアとしての親近感を抱く様になりました。

 ウクライナ問題を受け、これを良い契機として、今後そうした世界からの難民受け入れについて(民族や宗教の違いとは関係なく)我が国はどうしていくべきなのか、政府のみならず我々国民も真剣に考えなくてはならないと思います。

 ロシアの非道なるウクライナ侵攻で、世界各国色々な処に影響が出て来ています。
例えば、小麦やエネルギーなどの値上げもそれに依るものです。しかしTVの報道を通じて知るウクライナの人たちの雪が舞う寒さの中で、避難先では暖房も無く、補給路を断たれたために十分な食料も水も無いという悲惨な状況を考えれば、平和ボケと言われかねない我々日本人などは多少なりとも我慢して当然という気がします。
しかし、そんな状況下でも我々日本人は(ただ我慢するだけではなく)もっと知恵を絞ることも必要ではないか・・・という気がしています。

 それは、多くを輸入に頼っている小麦・・・です。
戦火のウクライナと攻撃側のロシアが世界の小麦生産のトップ2で、とりわけ戦火のウクライナが一番目の小麦生産国としての世界の穀倉地帯なのです。
日本が戦後の食生活の変化(占領国アメリカとして、支配する敗戦国を、それまでのコメ食文化から欧米風のパン食文化に変えて日本の小麦消費量を増やし、その結果として近い将来の米国から日本への小麦輸出を拡大するための遠大な占領政策だった・・・という説があります)でパン食が増えてコメが余り、長年の減反政策や農家の高齢化による作り手不足等も更に加わって休耕田が増えています。
JA(旧農協)もそれなりに工夫しながら減反の持ち回りで、休耕田での蕎麦や麦の栽培などを奨励していますが、この際、日本各地に拡がる休耕田全てで一斉に小麦を栽培すれば良いと思うのです。
株の分結を促すための追肥や除草、消毒などが必要な稲作に比べれば、小麦栽培の方が(今では「麦踏み」などは死語で実際は実施しないでしょうから)遥かに楽な筈。農家の省力化にもつながると思うのです。

 例え戦争が短期戦で終わっても、少なくともロシアからの輸入等は世界的な経済制裁が継続されて当面は無理な筈。
さすれば、小麦不足は少なくとも今後もずっと続いていくという前提での対応として、先ずは国策で、少なくとも国内での小麦の栽培面積を増やすことを検討していくことが重要だと思うのですが・・・!!??
(余りそうした世論が高まらないのを、少なくとも国会で先ずは国内の重要瀬策の一として議論すべきなのにと些か疑問に感じています)

 11月中旬に量販店で注文し、その時点で2ヶ月待ちの納品は1月末と言われていたのがその後2月になり、更に場合によっては4月末との量販店からの連絡。「キャンセルするかどうか」とまでの確認があり、今更他を当たってもメーカー側の責任故同じでしょうし、予算枠での機能等幾つかの機種を色々比較検討して決めたモデルでもあったので、そのまま待つことにしていたのですが、それが突然量販店から連絡があり、3月上旬に届いたので一週間以内に取りに来るようにとのこと
なぜ4月末が最初の納品予定から一ヶ月遅れでの2月末に近い段階で急に届いたのかの説明も無く、11月の注文から3ヶ月間の今まで散々待たせておいて、商品の取り置きは僅か一週間以内という量販店の訳の分からぬ設定期限内である3月上旬に受け取りに行ってきました。
カウンターで理由を聞こうにも、オーディオ関係は無知であろうパートのオバサンでは聞いても無意味と何も聞かずに受け取って来ましたが、一体どうなっているのやら・・・?

 早速、楽しみながらゆっくりと数日間掛けてセッティングをしました。
先ずは、CDを視聴し、FMを受信し、そしてM‐CR612の最大の特徴であるネットワークオーディオ機能を活かして、Wi- Fiでインターネットに接続してインターネットラジオを受信、そして最後にフォノイコライザーを経由して10数年振りにLPレコードも視聴。そのレコードは、大好きだったスウィトナー指揮ドレスデン・シュターツカペレでモーツアルトの「リンツ」と昔良く聴いていたアール・クルーのアコースティック・ギター。
そして、このネットワークレシーバーはストリーミングも受信可能ですが、年金生活者にとって有料サービスは些か辛いので、ネットワークレシーバーとしてはインターネットラジオで無料サービスを楽しもうと思います。
 また、このレシーバーをプリメインアンプとして考えた時に、ハード的な今回の一番の期待は、通常接続したスピーカーを4チャンネル駆動出来る「パラレルBTL」という機能です。説明曰く、
『パラレルBTLドライブでは接続はシングルワイヤのまま、4組のアンプ全てを用いてスピーカーを駆動することが可能になりました。その結果、アンプのスピーカー駆動力の指標となるダンピングファクターは通常のBTLドライブに比べ約2倍に向上。中低域の量感と締まりを両立した低音再生を実現しました。』
とのこと。
M‐CR612はバイアンプという機能もあるのですが、我が家のメインスピーカーは、既にご紹介した通り、自作した長岡式スワンを泣く泣く手放し、KEFトールボーイはサブシステム用に使用するので、KENWOODの前身であるトリオのLS-202という40年以上も前の古い3Way バスレフのスピーカーです。従って最新式のバイアンプには対応出来ませんので、新しい“アンプ”としてのスペック的な期待がこのパラレルBLTでした。
最初にCDを通常(普通)のシングルワイヤ接続でスピーカーを鳴らします。それまでの所謂ミニコンのKENWOODのレシーバーとは値段は7倍近く違うのです(筈)が、私メの耳ではその金額差程の音の違いは感じられません。そして次に、マニュアルに沿ってパラレルBLT接続に変更します。すると・・・激変!!
音の輪郭がきりっと締まり、音が一つひとつ粒だって聞こえてきました。
 「あぁ、こんなに違うんだ!」
と感激。これなら金額差、イヤ、その価格差以上の音に納得で大いに満足出来ました。