カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 観光目的では今回初めて訪ねた滋賀県でしたが、思いの外と言っては大変失礼ながら、予想以上でとても良かった旅でした。
とかくケンミンショー”的に“隣県同士の犬猿の仲”“で云うと、「お公家さんの京都に、上から目線でいつも馬鹿にされる田舎の滋賀県」という取り上げ方をされ、「だったら、琵琶湖の水止めんゾー!」と拗ねる滋賀県・・・というワンパターンの構図なのですが、嘗て“近江を制する者は天下を制す”と云われた通り、政治経済両面での要衝の地。しかも、琵琶湖から淀川水系一本で京都を経て大阪湾に至ることから、滋賀に留まらず“三方良し”の近江商人をそのルーツとする企業には、日本を代表する錚々たる大手企業が並びます。

 先ず、現地に行って分かったことは、比良山系や鈴鹿山脈などに囲まれた内陸県で、琵琶湖が県の面積の1/6を占めているというのに、平野部(平地)の広いこと。米どころであることが一目で分かります。
また、草津から野洲、彦根辺りまで、平日の朝に駅に向かうと、何だか学生や子供たちの多いことに驚かされます。長野県などは高齢化が進み、町内会によっては年寄りばかりで子供が居ない・・・という地区も決して少なくないのですが、滋賀県では、朝の通勤通学時間帯に、街中で集団登校する子供たちや、自転車通学をする中高生が何だかやたらと目に付くのです。もしかすると、私服の多い長野県の学校と、制服の学校が多そうな滋賀県という視覚的な印象の違いもあるのかもしれませんが、目に飛び込んで来る子供たちの数が圧倒的に多い気がしました。
また、例えば草津市は人口僅か14.5万人とのことですが、草津や草津南の駅周辺にはやたらと高層マンションが目立ちます。確かに草津は京阪への通勤通学の便も良いので、京都や大阪のベッドタウン化しているのかもしれません。また彦根にしても人口は僅か11万人だそうですし、近江八幡は8万人だそうですが、街が非常にコンパクトで住み易さを感じます。

 ひと山を挟むだけで、京都(といっても山科ですが)に近い大津が県庁所在地(確かにその昔都が置かれていたとはいえ、琵琶湖の棹の先で、北に偏った長野県同様、県庁所在地としてはちょっと南に偏り過ぎな気もしますが・・・)で、人口も一番多い34万人だそうですが、草津のイオンモールなど大津からも近いとはいえ、たかだか14万人の都市のショッピングモールとは思えぬ程の大きさで、逆に人口の数を聞いてビックリした程でした。また少し郊外に出れば、広大な琵琶湖と共にのどかな里の景観が拡がっているのも癒されてイイ・・・。
そういう意味で、滋賀県には京阪神に近いという意味でのポテンシャルの高さを感じます。何より、若者が多いというのが街に活気があってとても羨ましく思います。
そんなことも影響しているのか、昔の滋賀県は甲子園でも活躍したという記憶は殆どありませんでしたが、最近では今センバツで準優勝(しかも近畿地区の補欠校)した彦根の近江高校やサッカーの野洲高校など、スポーツでも活躍する滋賀県チームが増えてきた気がします。若者が増え、県全体に活気が出て来ているのかもしれません。
 人口的には8万人の近江八幡と11万人という彦根。
運河としての機能を失った堀を、住民自らの意志と努力で維持保存してきた結果、歴史的な街並みと共に、今では観光スポットとして多くの観光客を集めています。一方彦根は、目玉の彦根城を中心に、中心街が駅周辺に移り、地盤沈下した街の再活性化を目的に、行政の支援の下、江戸期の建物・風情を再現した町並みを再現し、結果としてお城からの観光客を街中へ人の流れを誘導することに成功しています。
同様に、以前「籠清」で蒲鉾を買うために立ち寄った小田原駅前も、「かまぼこ通り」という江戸時代の小田原宿の街並みを再現した街並みがありました。
同じ城下町でも、角館や萩津和野の街並みの様な歴史的価値は無くとも、ある統一性を持った街並みを再現することは大いに参考にすべきだと思います。
城下町である松本にも、結果として残った“蔵の街”中町や大正期の建物が点在する街並みの上土がありますが、大名町や本町などは各々勝手な建物が立ち並び統一性は全く感じられません。
もし、観光的に集客を目的とするならば(そうでなければどうでも良いのですが)、そうした統一性はとても重要だと思います。
松本市も、せっかく大手門跡の桝形や外堀復活を目的に市が土地買収をしたのですから、ちゃんとした計画をベースに彦根市の様に統一性を持った街づくりをして欲しいものだと思いました。
 滋賀県は、観光的には地元関西ではともかく、東日本的には京都奈良が近いだけに素通りされて盲点になっている気がします。大津など京阪電鉄一本で直ぐに京都三条に出られますので、便の悪い京都の外れに泊まるくらいだったら、却って大津や草津に泊まった方がコスパも良い筈です。またアクセスだけではなく、今回は行けなかった紫式部ゆかりの石山寺や三井寺、そして滋賀県からの比叡山、近江八幡や、長浜、琵琶湖の浮御堂や竹生島など、観光的にも魅力的なスポットがあります。
確かに京都は魅力的ですが、いずれあのインバウンドの人波が戻って来るかと思うと、行きたい時は京都にも行けて、そうでない時はノンビリ湖岸のカフェで焼きたてのバウムクーヘンを食べながら・・・。喧噪の無い静かな琵琶湖のほとりで、そんな過ごし方をしていた方が良いのかもしれません・・・。
初めての滋賀県でしたが、大いに感じ入った素敵な旅となりました。
【追記】
いつもより評価点が高いのは、もしかすると(京都も同様なのですが)今回の近江八幡と彦根への滋賀旅が車ではなく電車で移動・観光が出来たので、昼間からビールを楽しめたせいかもしれません。もしも主観が過ぎたとしても、何分飲兵衛故に悪しからずで何卒ご容赦願います・・・。

 彦根には朝早く着いたので、彦根城見学の前に朝食を取ってから行くことにしました。
事前にチェック済みの奥さまが選んだのは、彦根城の外堀沿いにある「ポム・ダムール」というベーカリーカフェ。朝9時オープンで、ちょうどその時間に到着しました。
外にフランス国旗があり、中はコンクリート打ちっ放しでオシャレな雰囲気です。モーニングメニューの中から、ドリンク付きのグランという焼き立てのパンとのセット(¥700)をチョイスしました。季節のサラダとベーコン、焼き立てのパンが三種類で、レンゲの様な三つの器に盛られたパンに付けるバターやブルーベリーのジャム、ハチミツがオシャレです(野菜の横に添えられていたカボチャのポテサラ風サラダが面白い!)
当然ですが、パンが美味しい!気に入られた奥さまは何種類かのパンも購入して(我々が朝一番故、まだ焼き上がったパンの種類は少なかったのですが)、いざ登城と相成りました。

 お城の見学が終わり、先ずは「ひこにゃん」のショーが11:30まであるというので、その会場へ向かいます。
江戸時代の城下町をイメージしたという、白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みの「夢京橋キャッスルロード」を通り、途中で「4番町スクエア」へ。この4番町スクエアは「大正ロマンあふれる街」をキャッチフレーズに街づくりがされたのだそうです。ひこにゃんのショーが終わり、ちょうどランチ時。
途中のキャッスルロードにも、土産物屋さんやお菓子屋さんなどと共に、色んなジャンルのレストランが軒を連ねていました。また、お城近くには「たねや」のお店もありましたし、この4番町スクエアにも色々なお店があります。
勿論、彦根にも“三大和牛”近江牛の食べられるお店や、更には彦根がご当地麺「近江ちゃんぽん」という和風だしのちゃんぽん発祥の地とかで、その「近江ちゃんぽん」が食べられる店も何軒もあったのですが、結局選んだのはここも奥さまの事前調査によるご希望で、4番町スクエア内にあった「ジルモーリオ ディ バンブ」というパスタと創作料理の店。店名の“Germoglio di Bambu”とはイタリア語で“タケノコ”という意味だそうで、お店のH/Pに依れば「母親のような暖かいお店にと、私の母の名をイメージした店名にしました」との由(勝手に想像するに、お母上は“竹子”さんなのでしょうか)。店名の由来からも推測される通り、こちらのオーナーシェフは女性。その創作性とテキパキした仕事ぶりが、何となく松本の「食蔵バサラ」とダブります。
平日木曜日のランチタイムでしたが、予約席を含め10数席あるテーブルは既に満席で、我々は厨房を臨む5席のカウンター席へ。人気店の様で、しかも殆どが(この日は全員!)女性客。私たちよりも早く、カウンター席で一人で食事をされていたお客さんは、お子さんたちが学校に行かれている昼間の外出ついでに食事をされたのか、食後のコーヒーを飲みながら静かに読書をされていて、その女性らしい優雅な雰囲気が店内の雰囲気にとてもマッチしていました。
スタッフも接客態度が感じの良い女性で、確かに老若問わず女性に人気が出るのもナルホドと納得出来ました。
しかも驚くべきはそのメニューです。客層のメインである女性向けのランチタイム故かもしれませんが、コスパ抜群!
選べるサラダセット1150円、スープセット1200円、サラダ&スープセット1500円、前菜セット1700円。しかも、ちっちゃい子連れの若いママ友さん方が喜ぶであろう、お子さまセット700円まで用意されていました。
我々は、私メが選べるサラダセットと生ビール、奥さまは前菜セットで、5種類のサラダの中から、私はゆで卵のシーザーサラダ風、家内はいろいろ野菜のサラダをチョイス。そして、二人共パスタで、この日用意されていた5種類のメニューの中から、私がナポリタン、家内はシラス高菜豆腐のペペロンチーノをそれぞれ選びました。
そして、そのボリュームにも驚き。サラダだけでも十分な量で、他店の一般的なサラダの倍はあるでしょうか。またパスタも、ナポリタンが普通のナポリタンに非ず。むしろトマトソースと言った方が適切。単純にケチャップソースだけで炒めたのではなく、自家製かどうか分かりませんが甘味が抑えられたトマトソースをふんだんに使っている様に感じました。メニューにはトマトソースのパスタもあったのですが、一体このナポリタンとどう違うのか興味が湧きました。
家内の頼んだシラス高菜と豆腐のペペロンチーノは、素材を考えれば納得ですが、パスタメニューの中に和風が無いと思ったら、このペペロンチーノが単純にニンニクと唐辛子の効いた一般的なペペロンチーノではなく、ほんのりと醤油をベースに効かせた和風味(最後の写真で、ナポリタンの横の小皿に盛られているのが家内の頼んだペペロンチーノのお裾分け)。
セットランチが「お好きなパスタorご飯もの」とあるのですが、その“ご飯もの”がリゾットの他に「豚のパリパリ丼」。何でもお店で使っているお米は、シェフのお父上が育てられている多賀産の近江米なのだそうです。他にもきっと地産地消に心掛けておられるのでしょう、料理が盛られた素敵な器も地元の信楽焼とのことでしたから。
イタリアンやトラットリアではなく、“パスタと創作料理の店”としていた意味が何となく分かった気がしました。
写真を撮り忘れましたが、最後の自家製のデザートもそのコスパはハンパ無しで、奥さまの「本日のデザート2種」もたっぷりの生クリームが添えられたシフォンケーキとジェラート。私メが、甘くないカラメルソースのプリンでした。そしてランチセットのドリンクとして、家内が紅茶、私メがコーヒー。
家内の前菜セットが1700円で私メのサラダセットが1150円です。いくらランチの奥様族相手とはいえ、コスパ良過ぎではないでしょうか。しかも、安かろうではなく、料理も手が込んでいて、接客も丁寧で、店内もオシャレで・・・。これなら女性人気も至極当然。彦根に限らず、どこでも人気店になれるでしょう。でも、ご実家産のお米もですが、出身地の近くの彦根だからこそ出来るのかもしれませんが。夜はお酒に合う様な一品メニューもある様で、飲み会にも良さそうでした。観光客相手ではない、こんな店が家の近くに在ったらイイでしょうね。
 この日、モーニングもランチも近江や彦根らしい郷土食を選んだ訳ではなく、或る意味どこにでもあるフランス風のベーカリーやイタリアンがメインの創作料理店だったのですが、そのどちらもがもし都会に打って出ても伍してやっていいけるような素敵なお店だったのです(個人的には、出来るだけ旅先ではその土地の“名物”を食べようと思うのですが、この辺が男性と女性の差か、はたまた単なる我々夫婦の個人差故か・・・?)。
彦根は軽井沢や鎌倉の様に都会から人が押し寄せる観光地ではなく、大変失礼ながら、たかだか11万人の地方都市です。それ故に、「それにしても、彦根はオシャレなお店が多い!」と夫婦共々感嘆しきりなのでした。もしかすると、新快速で50分足らずの京都から良い影響を受けているのでしょうか?
 「お城だけじゃなくて、松本、何だか負けてるよね!?」
イヤイヤ、決してそんなことは無いとは思いますが(但し、高校野球に関しては、春夏1回ずつ優勝している長野県に対し、まだ甲子園で一度も優勝経験の無い滋賀県ですが、片や過去の栄光にすがるこのところの長野県に対し、最近の戦績は滋賀県勢の方が圧倒的に良く、優勝も時間の問題か・・・)、街全体の一体感というか統一感というか、そんな雰囲気が彦根全体に感じられて、大いに街づくりの参考になると感じられた次第です。

 滋賀観光の初日に行った、奥さまの希望での「ラ コリーナ」。
事前チェックにより、そこでの奥さまの目的だったのが、「クラブハリエ」の2階にあるカフェで、焼きたてのバウムクーヘンでの朝食です。

週末などは長蛇の列で、売り切れで食べられないこともあるのだとか。我々は平日で、しかも9時のオープンから間もなかったこともあり、並ばずにすぐに食べることが出来て、念願叶った奥さまも幸せそう(・・・単純!)です。甘味が抑え目で甘過ぎず、4切れのバウムクーヘンは焼きたてで温かく、ふわふわと柔らかいので、これまでの一般的な固いバウムクーヘンのイメージとは全く違います。スポンジケーキの様に、添えられた生クリームを付けていただきます。焼きたてバウムクーヘンセットは、ドリンク付きで1000円。念願だった奥様へ二切れを進呈。全部平げられて、至極満足されたご様子でした・・・。
 八幡堀の屋形船でのお堀めぐりを終えてちょうど昼時になったので、近江八幡と云えば近江牛となのでしょうけれど、我々はまた日牟禮八幡宮に戻り、境内に隣接する「たねや日牟禮乃舎」に向かいました。
というのも、事前に色々ネットで調べた結果で、こちらも奥さまのご希望の店。しかも「ラ コリーナ」同様に「たねや」グループの店舗で、和菓子の喫茶室と和食の食事処を併設した風情あるお茶屋風の建物です。
「たねや」は、元々穀物類などの種子を商う「種屋」が創業で、明治になって和菓子店に商売替えをしたのだそうです。
「日牟禮乃舎」は甘味処と食事処に分かれ、一・二階があり、テーブル席を希望した我々は二階のテーブル席へ。
我々が選んだのは、家内が「野菜膳」¥2,000(税込)、私メが「たねや膳」¥3,000(税込)で、それぞれおこわと汁物に、野菜膳は季節の地物野菜、たねや膳は七種のおばんざい。最後に「和菓子」がデザートとしてそれぞれ付いています。因みに近江牛のステーキがプラスされた「たねや膳」(¥6000)もありました。
先ず、食前酒風にトマトジュレがイタリア製のオリーブオイルが入った小瓶と一緒に運ばれてきましたが、美味しい!(好みで、その後の料理にもオリーブオイルを掛けて食べても味が変わって楽しめるとの由。残ったオリーブオイルは持ち帰りOKで、店舗での購入も可能とのこと。奥さまが気に入ってトマトジュレを買えるか伺うと、店舗にもトマトゼリーがあったのですが、食事用のトマトジュレとは異なり、デザートでかなり甘いとのこと)
両方に共通で、近江名物という赤こんにゃくやキヌアなどを刻んで混ぜたおこわ、和菓子屋さんらしく珍しい小豆の佃煮、温泉卵、汁物が運ばれてきました。
そしてメイン料理として、すき焼き風の郷土料理という近江牛のじゅんじゅん、丁子麩の辛味噌和え、青葉のお浸しは双方に共通で、「野菜膳」がこれに季節の野菜の煮物としてタケノコとジャガイモ。
「たねや膳」は、プラスして赤こんにゃくの刺身(オリーブオイルを掛けて)、タケノコの煮物、豆の煮物、ブロッコリーの煮物。それと、特製のクラフトビールを追加。
おばんざい故、料理はそれぞれが小皿に盛られているのですが、おこわをしっかり噛んで食べるせいか、見た目以上にお腹一杯になりました。滋賀県は京都に近いせいか、全体に京風な感じがします。近江名物という赤こんにゃくは「はぁ左様か・・・」というだけで特段美味しくも無し。おばんざいの中では、お麩の辛子味噌が美味でした。最後のデザートは、元々の和菓子屋さんらしく、「日牟禮乃舎」限定という「日牟禮餅」。こし餡を蓮の粉生地で包んで、きな粉をまぶしたわらび餅の様なお菓子でした(こちらも奥さまへ)。
 食事をして、同じ神社の境内に隣接した漬物屋さん「山上」で、地元野菜という「日野菜」やチーズの味噌漬けなど幾つかお土産用に漬物を買ってから、近江八幡の街並みを散策しながら駅に向かう途中で、「マルタケ西川」というレストランも併設した精肉店があったので、こちらでこの日の夕食用に近江牛を購入して帰りました。2階のレストランも順番待ちの様で、一階の精肉店で買い物をされる地元の方々も含め、店内はとても混んでいました。
今回も泊まりはキッチン付きのドッグヴィラで、せっかくの滋賀県ですので、ここはやっぱり近江牛を買って、この日の夕食はしゃぶしゃぶを楽しむことにしました。
 それにしても、何だかどこに行っても「たねや」だらけの様な気がして、
  「凄いなぁ、大したもんだなぁ・・・」
と、素直に感心したのでありました。

 翌日は彦根城へ。現存する国宝5城の一つで、言わずと知れた、江戸幕府譜代大名筆頭である井伊家の居城です。
平城の松本城を除き、彦根城を含め他4城は平山城であり、この彦根城も標高50mの小山の高台にあり、幾つかの櫓や大名庭園を含め、小山全体を活かした壮大な城郭が遺構として残されています。
学生時代の帰省や社会人になっての出張時、関西方面へ新幹線で行く時は米原を過ぎると右側の窓越しに彦根城が見え、城好きとしてはいつか来ようと思っていたのが、念願が叶い今回やっと見学することが出来ました。

 この近江の地は琵琶湖を抱え、戦国時代には“近江を制する者は天下を制す”とまで云われた様に、政治経済の両面に置いて天下を治めるための要衝の地であり、ここ彦根は豊臣家滅亡後も豊臣ゆかりの西国大名を抑えるための鎮めとして、徳川四天王の一人井伊家が配された場所です。
前日の豊臣秀次の近江八幡を始め、信長の安土、そして長浜には浅井長政と羽柴時代の秀吉、光秀は坂本、三成が佐和山と、琵琶湖周辺には戦国乱世の名だたる有力武将たちの拠点があり、如何に重要な地であったかが分かります。

 彦根駅からお城の入り口まで、歩いても15分足らず。
我々は朝早かったので、先にお城の外堀沿いのイートインのあるベーカリーに立ち寄り、そこのモーニングセットで朝食です。
朝食後、いよいよお城へ。彦根城の写真では必ず出て来る、庭園越しの天守閣を見るために、先に井伊家の大名庭園である玄宮園から見学することにしました。
国名勝「玄宮楽々園」は、下屋敷の「槻(けやき)御殿」とそれに伴う大規模な池泉回遊式庭園「玄宮園」の総称で、庭には4つの中島が橋で結ばれ、復元された4つの茶屋が設けられていて、当時茶会が行われる大名の社交の場だったとか。
また槻御殿は4代当主井伊直興によって造営された下屋敷であり、隠居所としても使われたそうです。
園内の池と茶屋越しに天守閣を望む構図は、彦根城の写真として必ず登場する景観です。
日本三名園は別格としても、この玄宮園は、例えば高松藩の栗林公園に比べれば規模は小さくても、背後の山の上に建つ天守閣を借景として望むという独特の景観で、なかなか見応えがありました。
玄宮園から先に見たので、本来ルートとは逆になるのかもしれませんが、内堀を渡って、表門ではなく黒門から城郭内に入ります。
彦根城は彦根山(金亀山)を活かした平山城で、その標高は僅か50mとのことですが、なかなかどうして、登り石垣と呼ばれる石で段差を造った階段は結構な急登で、これを毎日歩きにくい袴で登場していた藩士たちはさぞや大変だったろうと思います。坂を上り切って、三重櫓沿いに西の丸から城内に入ります。
 本丸に建つ天守閣は他の天守閣の様な通し柱(例えば、松本城は各階合計で全222本の通し柱で5層6階の大天守を支えている)が無く、各階ごとに積み上げられたていて、3重3階地下1階の複合式望楼型の天守閣です。しかも、築城時に大津城や佐和山城から移築された部分が多く、とりわけ大津城天守の部材が多く使われたとされ、徳川家筆頭譜代大名として、4重5階だった大津城を5重5階の江戸城天守より低くするために、敢えて3重3階に縮小して移築したといわれているそうです。そのため、各階に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風といった異なる破風が見られますが、特に金箔を貼って曲線を描く唐破風が天守閣に独特な優美さを醸し出している気がします。
三階まで登ってみましたが、現存天守だけに各階への階段は確かに急ではあるのですが、松本城や現存12天守の一つである丸岡城の補助縄まであった急階段に比べれば、彦根城の階段は思った程急ではありませんでした。
しかしそうは言っても、高校生か修学旅行の一団も見学に来ていましたが、スカート姿の女子高生には可哀想なので、旅行会社や先生から事前の情報提供が無かったのだろうか?と勝手にこちらが憤慨していまいました。因みに、松本城に女性を案内する時は、必ずスカートはやめる様に事前にアドバイスしますから・・・。
彦根城は僅か3重3階の小さな天守ですが、50mとも思えぬ小山の上に建つために、天守閣からは竹生島まで見渡せる琵琶湖を始め眺望が良く、江戸時代も眼下の中山道、北国道といった主要街道に睨みを効かせていたことでしょう。
 天守閣を出て、太鼓門や特徴的な廊下橋を渡って天秤櫓を見学してから廊下橋をくぐり抜け、今度は登り石垣を下って表門から場外へ出ました。
それから、外堀に架かる京橋から延びる江戸時代の街並みを再現したという「夢京橋キャッスルロード」を散策しがてら四番町スクエアへ。
というのも、かの有名な“ひこにゃん”が、ちょうど4番町スクエアの広場で“出演中”だったからです(午後は城内でとのこと)。30分のステージ(?)の最後10分だけでしたが“実物”のひこにゃんに会うことが出来ました。
ここでも修学旅行の中学生諸君に交じって(今年は修学旅行が実施出来て何より。でもコロナ禍で中止だった去年の子供たちは本当に可哀想)、結構多くの中高年(さすがに女性が多かったですが)の観光客もひこにゃんに歓声を上げていました。見るまでは、さすがに自分たち年寄り夫婦が「いい年をして・・・」と思いましたが、これが意外と可愛い!のです。
さすがは“ゆるキャラグランプリ”で初代グランプリとなっただけのことはあります。良く知らぬ私メは、てっきり彦根市のご当地キャラクターとばかり思っていましたが、元々は2007年に「国宝彦根城築城400年祭」のイメージキャラクターとして選定された、彦根城のキャラクターなのだとか。しかし、或る意味、彦根全体の“町興し”に大いに貢献していると思いました(JRの旅行キャンペーンのキャラクターだったアルクマが、その人気によりJRの好意で長野県に譲渡され、長野県のマスコットキャラクターになっているのと何となく似ています)。
 彦根城見学を終えた或る高齢夫婦の会話・・・、
 「同じ国宝のお城でも、松本城は彦根城に完全に負けてるヨネ!?」
 「イヤイヤ、そんなこと無いでしょ!
そりゃ、城郭は平城より平山城の方が大きいけど、三重三階の彦根城より五層六階の松本城の方が遥かに立派でしょ!しかも日本最古で、天守が二つと付き櫓もある連結複合式天守だよ、松本城は!!」
 「でも、彦根城にはひこにゃんもいるじゃない!松本城は?」
 「・・・・・・」
(ムムム、オバサンまで一目で虜にしてしまうとは、ひこにゃん人気恐るべし・・・)

 全国同様、GWには松本にもたくさんの観光客の方々が見えられ、久し振りに松本城や“蔵の街”中町にも人出が戻った感じでした。
大型連休など関係ナシの年金生活者である我々は、あまり人が動かぬ平日に旅行をした方が楽なので、5月末に我々も恒例のワンコ連れ(でしか、且つ車でしか行けませんが)出掛けることにしました。
行った先は、九州・北海道と言いたいところですが、年寄りの我々が長時間の車移動は(ワンコたちも)無理故、そこは必然的にせいぜいMax 5時間ほどのドライブで移動可能な範囲です。今回は色々な意味でのお礼参りで伊勢神宮参拝も兼ねてとのこと故、その伊勢神宮へも行ける前提で選んだ先はドッグヴィラのあった滋賀県の草津。松本から草津へは、ずっと高速道の中央道から名神で凡そ4時間半。ACCのお陰で、昔に比べれば足も疲れず、ハンドルを握ったままでの楽チンなドライブでした。
また翌日の草津から伊勢神宮へは、新名神から亀山経由の伊勢自動車道で1時間半とのこと。実際には2時間掛かったのですが、外宮内宮共に無事お礼参りを済ませることが出来ました。

 さて、翌日から滋賀県の観光です。
京都での学生時代に京都や奈良のお寺さんは巡っても、嘗て都(大津京)も置かれ、また石山寺や三井寺などの古刹の在る滋賀県には何故か一度も来たことがありませんでした。滋賀県に来たのは、会社員時代に大津のホテルでの会議に参加した10年前。会議前日の到着後と当日早朝の空き時間に、せっかくなので多少の観目的で琵琶湖畔の散策と木曽義仲と松尾芭蕉のお墓の在る大津の義仲寺(ぎちゅうじ)を拝観したのみ(第529・530話)でした。

 今回は名神と新名神双方へのアクセスの良い草津に泊まりますので、草津からだと琵琶の棹の部分にあたる琵琶湖大橋を渡れば先述の大津を経由して湖西にも行けますが、我々夫婦の初めてのとなる今回の二日間の滋賀観光は、湖東の近江八幡と彦根へ行ってみることにしました。伊勢神宮へは車で往復しましたが、滋賀県内の行先へはむしろ電車の方が早くて便利(滋賀県の米原から兵庫県の明石までは京都・大坂・神戸への通勤エリアで乗り換え無しの直通運転の列車が頻繁に走っています)なので、ワンコたちにはヴィラでお留守番をしてもらって、電車で行くことにしました。

 最初は“三方良し”の近江商人発祥の地である近江八幡です。
ここは二代目関白豊臣秀次が城下町を築いた所で、その名残は彼が琵琶湖から水を引いて作った運河である八幡堀に今も残していて、この運河が水運を支えたことで、秀次失脚に伴い八幡山城が廃城となった後も、地場の商人たちが水路を利用して全国を行商して財を成し、その後の近江商人へ繋がったとされます。
草津からは、JR西日本の電車は速度が速い(区間により、特急並みの130㎞走行)ので、新快速だと30分ちょっとで近江八幡へ行くことが出来ます。
因みに「近江八幡」と市と駅名に近江が頭に付くのは、福岡県の旧八幡市(但し、「はちまん」ではなく「やわた」ですが)との混同を避けるためだったとか。その後八幡市は合併で北九州市になり市としては消滅しましたが(八幡駅は存続しています)、近江八幡は近江が付いたままで変更はしなかったそうです(逆に、その後京都府に八幡市が誕生しています)。

 到着後、先ずは奥様の希望の「ラ コリーナ」へバスで向かいました。
ラ コリーナ(La Collina)とは、イタリア語で「丘」という意味だそうです。ここは滋賀県(関西で?)ではバウムクーヘンなどで有名な(と言っても40年前京都での学生時代の私メは全く知りませんでしたが)「クラブハリエ」や和菓子店などを展開する「たねや」グループが運営する施設で、パンフレットの言葉を借りれば、
『ラ コリーナ近江八幡は、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。
八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、自社農園のキャンディーファーム、本社、飲食店、専門店、パンショップなど、ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、長い年月をかけて手がける壮大な構想(後略)』
とのこと。
 初めて来たのに何だか不思議な懐かしさを感じるナントモ不思議な印象のここの建物は、屋根全体が緑の草で覆われているのが特徴なのですが、現地に行って分かったのはそれもその筈で、この建物全体が建築史家、建築家で東大の名誉教授である藤森照信氏の設計だったのです。氏は長野県諏訪市の出身で、代々諏訪大社の大祝を務め原始ミシャクジ信仰を今に伝える守矢家(天皇家を除き、日本で最も古い出雲国造家の次に古い家系である)78代当主の“お姫様”守矢早苗女史と藤森氏が幼馴染みという縁で、茅野市役所が藤森に設計を依頼し、氏の処女作となった「神長官守矢史料館」の設計者で一躍有名になりました。氏の設計したどの建物も、その特徴は自然との一体感で、それが体現されている「ラ コリーナ」も、だからこそ感じた懐かしさなのでしょう。
しかし、それにしても「お菓子屋さんが良くぞ造った!」と圧倒され、唸らざるを得ない程に感心することしきり。
その意味で、そう言っては大変失礼なのですが、ここ「ラ コリーナ」は“たかが菓子屋”としてだけの施設なのに、間違いなく“一見の価値あり!”でした。
そこから、街の様子を体感するために、20分足らずというので歩いて街中へ。
最初に、近江商人の守り神として信仰を集めた平安時代創建という日牟禮八幡宮へ参拝です。境内の先には城跡ある八幡山へのロープウェイもあり、神社はその八幡山の麓に位置しています。近江商人にあやかって、娘たちの“商売繁盛”をお願いし、街のシンボルでもある八幡掘へ向かいます。
 安土城の落城後、僅か18歳だった豊臣秀次が叔父秀吉の命で八幡山城を築城し、新たな城下町に安土城下の人々を移住させる際に、城下町である市街地と琵琶湖を連結するために造られた人工の水路がこの八幡堀なのです。
謂わば戦国時代における城下町の都市計画として整備され、城を防御する堀としての軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する運河としての商業的役割をも兼ね備えており、この八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、僅か3年間での秀次失脚による廃城後も水運により町は栄え、江戸時代にはその近江商人たちにより、大阪と江戸を結ぶ重要な交易地として近江八幡は大いに発展しました。
戦後、運河としての機能が失われ、一時は行政により埋め立て計画もあったそうですが、水を汚さず水路を掃除するなどして町の人々が懸命に保存に努めた結果、今では江戸情緒を残した街並みと八幡堀が魅力的な観光資源として脚光を浴びています。
近江八幡は決して広い街ではありませんので、散策として歩くことも出来ますが、せっかくなので我々は船で八幡堀巡りをすることにしました。
手漕ぎ船は漕ぎ手の都度の休憩のため1時間に一回の運行だそうですが、8人乗りでエンジン付きの屋形船は、お客が集まれば都度運行するとのこと。どちらも30分で千円。我々が最後の乗客ですぐ出航。
幅15m、全長6㎞という八幡堀をゆっくりと進みます。街並みを歩くよりも、堀を進む屋形船から眺める方がむしろ町の様子が良く分かる気がしました。堀を囲む家々は、木曽の妻籠宿や奈良井宿の様に、今でも町の人たちの日々の生活が営まれているので、例えば太秦の映画村のセットとは違って生活感があり、町そのものが生きている感じがしました。今でも江戸情緒を残す堀端は時代劇のロケに良く使われているそうで、現代と江戸時代が混在しているかの様でした。また、途中、堀から見上げる271.9mの八幡山に築かれた八幡山城の出丸跡の石垣も見えましたが、今度来たら城址にも登ってみたいと思います。
          (船から見上げた八幡山城址。円で囲ったのが石垣)
舟を降りてから昼食を済ませ、2㎞位とのことなので、街並みを散策しながら駅まで歩いてみました。
八幡堀近くには、キリスト教伝道を目的に当初英語教師として近江八幡赴任してきたヴォリーズにより創立された「メンタム」で有名な「近江兄弟社」(一時倒産し、その際にロート製薬が「メンソレータム」事業を引き継いだとのこと。その後大幸薬品の後押しにより近江兄弟社が「メンターム」として復活)や、彼の設計した洋風建築、また創立者ゆかりと思われる中高一貫校のヴォリーズ学園もありました。
今回はワンコが待っているので、それらを見学している時間はありませんでしたが、決して大きくはない近江八幡ですが、他にもロープウェイで登る八幡山城址など幾つか観光で回れるスポットが他にもありそうで、また来たいと思わせてくれる魅力的な街でした。
因みに安土城址のある安土も近江八幡から一駅なので(それもその筈で隣町。今でも安土町かと思っていたら、平成の合併で近江八幡市になっていました)、家内は全く興味が無いそうですが、一度行って信長の描こうとした壮大な夢を追い、城址で彼を偲んでみたい気がします。
考えてみれば、政治的には“志半ば”で未完であったとしても、経済的には信長の行った楽市楽座が、秀次の八幡堀を経て、その後の近江商人誕生へと繋がっていくのですから、彼の経済政策の先見性と見ることも出来ましょう。
いずれにしても、近江八幡は今でも色々な歴史が息づいているかの様で、街もコンパクトで、とても魅力的な街でした。

 新居に引っ越して、まだ“僅か”半年ですが、その僅かな期間で、季節は晩秋から冬、そして春から初夏へと移り変わって来ました。
移り行く日々の中で、刻々ではなく、もう少し長いスパンで視た時にですが、後で日々に立ち返ってみると、少しずつ変化していることに或る日急に気付かさることがあります。
それは例えば、日の出日の入りの時刻やその昇り沈む太陽の位置であったり、また日差しの強弱や夜空の星座、風の温度、そして空気からどことなく感じられる匂い・・・etc

 私が、今までの生活の中では気が付き得なかったこと。しかし、新居に来て生まれて初めて味わっている、感じている、視ている・・・こと。
それは、北アルプスの峰々の変化・・・です。
勿論天候次第で、毎日その雄姿を眺められる訳ではありません。多分、(太平洋側の気候の影響を受ける松本平からは)一般的に云えば、空気の澄んでいる冬の方が見られる日が多く、夏の方が雲に覆われていることが多いのだろうと思います。
しかし、今まで松本に住んでいても、前の家があった沢村から下岡田のエリアは、城山々系に遮られて美ヶ原や鉢伏といった東山は毎日見えても北アルプスを見ることは出来ませんでしたので、週末とかに買い物で市街地に下って初めて常念を始めとする北アルプスを眺める・・・という生活でした。
会社勤めの頃は、毎日松本駅からの電車通勤でしたので、いつも決まった時間の朝7時過ぎの北アルプスは日々眺めていました。
勿論、松本生まれで松本に住んでいれば、半世紀の人生の中で、例えば亡き父と学生時代に行ったビヤガーデンから見た、バラ色に染まる夕映えの屏風を背にした黒々とした北アの峰々。また、当時車で島内事業所に出勤していた時に、宮渕から“常念街道”に入って見たモルゲンロートのピンクに染まる常念岳。そのどちらも、例え松本に暮らす住民であっても、人生50年の中で一度しか遭遇していない“我が人生の中でベスト”だった絶景なのです。

 そうした絶景は、例え毎日眺めていたとしてもそう易々と遭遇出来るものではありません。しかし、それが可能な場所(見ようと思えば)に居るか居ないかで、その偶然に遭遇出来るチャンス、可能性を飛躍的に高めてくれている筈なのです。

          (1月5&19日 雪の常念と乗鞍) 
そういう意味で、勿論一日中ずっと眺めている訳ではありませんが、朝起きて、また昼頃に何気なく、或いは夕方に・・・と、ふと窓越しに眺めた時に、
 「あぁ、今日は山がキレイに見えるよネ!」
という日だけ眺めていれば・・・。
          (1月8日 モルゲンロート)
そのたった半年間で気が付いた、或いは多分(必然的にその可能性が飛躍的に高まった結果の)偶然遭遇した、この僅か半年間の季節の移ろいの中で見つけた北アの峰々絶景の幾つかです。
          (5月5&17日 薄明光線 “angei's ladder” と夕映え)
そうした一瞬に撮った、新居のベランダからの写真ですが(スマホで上手く撮れていませんが)、冬から初夏にかけて時系列に並べてみました。
・・・雪の北アルプス、モルゲンロート、残雪、夕映えに染まる峰々・・・。
          (5月23&28日 残雪の山並み)
 「美ヶ原溶岩台地」や「田舎のモーツァルト」で知られる(第542話参照)“山の詩人”尾崎喜八が、「松本の春の朝」(注)と題した作品の中で“尖峰”と表した様に、槍ヶ岳や常念などの北アの3000m級の鋭角的な頂を連ねる峰々の中で、唯一なだらかな山容の乗鞍が、冬の真っ白な山肌が残雪の残る夏山に変化していくのが実に印象的。それにつれて、冬は青かった前山にあたる西山が初夏になって少しずつ新緑の濃さを増し、山裾の緑色がその濃さを次第に増していくのがこれまた実に印象的に感じます。
          (5月28日・6月8日 残絶の乗鞍と緑増す山々)
 これからも北アルプスの峰々を毎日眺めて暮らす日々の中で、“今までで一番!”と思える様な絶景の北アルプスにきっと何度も出会えるだろうと大いに期待している日々・・・なのです。
【注記】
『松本の春の朝』尾崎喜八作『高原詩抄』より第6編(昭和17年刊行)

    車庫の前にずらりならんだ朝のバス、
    だが入山辺行きの一番はまだ出ない。
    若い女車掌が車内を掃いたり、
    そうかと思えば運転手が、
    広場で新聞を立読みしながら、
    体操のような事をやってみたり。

    夜明けに一雨あったらしく、
    空気は気持ちよく湿っている。
    山にかこまれた静かな町と清らかな田園、
    岩燕が囀(さえず)り、れんげそうの咲く朝を、
    そこらじゅうから春まだ寒い雪の尖峰が顔を出す。
    日本のグリンデルヴァルト、信州松本。

    凛とした美しい女車掌が運転台の錫(すず)の筒へ、
    紫と珊瑚いろ、 
    きりたてのヒヤシンスを活けて去る。

因みに、グリンデルワルトは、スイスの、北壁で有名なアイガーの麓の街。元々は乗鞍岳の麓の村で、槍ヶ岳から上高地も抱える旧安曇村がグリンデンワルトの姉妹都市でしたが、平成の松本市との合併に伴い、尾崎喜八の先見の明か、彼が“日本のグリンデルヴァルト、信州松本”と表した通り、今では松本市が姉妹都市となっています。

 城山公園の東側に隣接しているのが、自家焙煎珈琲のギャラリー&カフェ「憩いの森」です。店の紹介に依れば、
『松本城山公園に隣接するギャラリー&カフェ。豊富な木々に囲まれた中で静かな時間が過ごせるテラス席が自慢。丁寧に深煎りされたコーヒーの味はまろやかで、リピーターも多い。陶器、ガラス工芸、染色などの多彩な作品を常時、展示販売。』
とのこと。

 前にウォーキングがてら一度来て、自家焙煎の珈琲が美味しかったので、長女の渡米前ですが、城山からアルプス公園往復のウォーキングの後、また寄ってみました。
長女と私メは深煎りコーヒー「憩いの森ブレンド」(550円)、家内はミルクコーヒー(600円)。ランチタイムには酵素玄米のカレーやドリアもあるようです。この時期はまだ少し寒い感じですが、城山公園を借景にしたテラス席はワンコ連れOKなので、季節が良くなればワンコたちを連れて、城山公園の散歩の後で立ち寄るのも良いかもしれません。
 信州は観光地という割には、昔からの別荘地であり、“ドッグ・フレンドリー”を標榜する軽井沢以外は、ワンコ連れにとってまだまだ合格点には程遠い環境で、残念ながらワンコと一緒に楽しめる店が少ないのが現状です(因みに軽井沢では、ワンコ連れOKのレストランのリストを用意してくれている宿泊施設もありました)。冬はともかく、猛暑の中で、ペット不可の店で、まさか車の中でワンコを待たせるわけにはいきません。かと言って、ペットOKだから、アジや雰囲気はどうでも良いというのも選ぶ気にはなりません。
人間にもペットにも優しい店が増えると良いと思います。
 閑話休題。
前回は中煎りの「城山ブレンド」を私は頼んだのですが、娘の頼んだ深煎りの方が味も香りも良かったので、今回は二人共深煎りにしました。ここでは、不思議なことに、ここでは毎回コーヒーカップではなくティーカップで珈琲もサーブされて来ます。ここではギャラリーとして地元作家の方々のカップなどの陶器も販売されていますので、その違いを知らないということはあり得ません。従って、家内は「絶対オカシイ!」との仰せ。
というのも、本来はコーヒーカップはコーヒーを冷めにくくするため、保温性を高めるために間口を狭くしているのに対して、ティーカップは逆に冷まし易くするために間口が広くなっています。 これは、コーヒーが沸騰したお湯ではなくて少し冷めたお湯で抽出をするのに対して、紅茶は沸騰したお湯で抽出するために違いがあるのがその理由です。従って、この店が自家焙煎したせっかくの珈琲を、なぜティーカップでサーブするのか?早く冷めても、むしろ香りを楽しむためなのか?しかし、カップの僅か数㎝の口径の違いが香りの認識にそれ程の違いがあるのか?・・・etc
個人的にはその訳、店主の拘り?に大いに興味をそそられるところではあります。
また、鳴ってはいませんでしたが、置かれていたオーレックスのアンプとサンスイの木製の格子カーバーのスピーカーが、嘗て70年代に群雄割拠していた今は亡き日本のオーディオブランド(最近またONKYOが倒産しましたが、一方でテクニクスが復活し頑張っています)の華やかなりし頃を思い出させてくれて、何となくレトロで落ち着いた雰囲気を醸し出していました。
 静かな平日にコーヒーを飲みながらゆったりと、或いは木漏れ日を浴びながらワンコとテラス席で・・・。そんな過ごし方が似合いそうな“カフェ”でした。

 今年のGWは久し振りのコロナに伴う行動制限なしということもあり、松本にも結構たくさんの観光客の方々が来られていました。

 或る意味“毎日が日曜日” の年金生活者の我々は、何も混雑するGWにわざわざ混雑する場所に行く必要も無いので、ただ頼まれたり、必要な食料品の買い出しであったりという時以外は、逆にどこも行かず、出来るだけ車で外出もせず・・・。
そんなGWですが、ウォーキングであれば渋滞や駐車場の心配をすることも無いので、行動範囲は限られるにしても、イライラすることもなく、また天気の良い日にだけ行動すれば良いので、精神的には一番健康的でもあります。

 そこで、5月3日。世間的には憲法記念日から三日連続となる連休初日。自宅のマンションのある渚から、先ず城山公園経由で、放光寺、下って途中で塩釜神社、そして開智学校から松本城を経由して四柱神社。更に中町から人形町を経て天神さんの深志神社という、いつものコースを朝のウォーキングで歩くことにしました。距離的には大体5㎞程のコースでしょうか。
すると、松本城公園はコロナ禍の今まで見たことが無かった程の大混雑で、観光客の人の波。しかも、城内に入場する大手門の中ではなく、入場前の堀端をぐるっと囲むように長蛇の列が出来ていました。「こちらが、最後尾」を知らせる係の方曰く、「入場まで2時間待ちです!」とのこと。

 本丸に入るのに二時間待ちですので、本丸に入ってからも天守閣までもっと長い行列の筈。コロナ禍故、密にならぬ様に天守閣へ入る人数も制限しつつの観覧でしょうから、一体何時間掛かることやら・・・と他人事ながら心配になります。
皆さん、コロナ禍でじっと我慢されていたのでしょう。日本全国の観光地はどこも3年振りの賑わい。気持ちは良く分かります。
信州も、昨年はコロナで延期されたため8年振りとなった御開帳と、7年振りの御柱(山出しは史上初めて人力以外のなってしまいましたが)と、久し振りに華やいでいることでしょう。

 いつものルートで松本城から四柱神社へ廻ると、あろうことか、初詣以来の参拝客の長い列・・・。占い芸人の方がパワースポットとして紹介してから、四柱神社が全国的な人気になったそうで、有難いことですが本殿での参拝には時間が掛かりそうだったので、我々は今回は鳥居の所からお参りして、観光課客の方々が散策エお楽しまれている中町を通って天神へ向かいました。
          (4月23日 “蔵の街”中町の早咲きの藤)
          (5月3日 城山公園の藤)
 この日のウォーキングで印象的だったのが、満開の藤の花です。
藤棚がちゃんと作られていた、城山公園、松本城、そして御幸通りから中町へのL字コーナー。中町は早咲きの花は終わり、御幸通りの藤棚へ花の季節が移っていました。
          (同 松本城公園の藤)
          (同 御幸通りの藤)
           (5月8日 旧開智学校の藤)
 翌日、次女から、冷凍ストックが無くなったので送ってくれるようにと頼まれていた「さかた」のお焼きを買うために穂高有明へ。
この日は「みどりの日」ですので、GW中は観光客で混むだろうとは予想できたのですが、GW明けは4連休とかで、奥さまが横浜へ次女のヘルプに行く日まではGW中に行くしかないとのこと。そこで、止む無くこの日行くことにしたものです。
念のため、開店前に着くように早めに出発し、10分前には店に到着したのですが、ナント既に40人近い長蛇の列。駐車場も満杯で、敷地外のアクセス道路にも路上駐車の列。9時に家を出て帰って来たのが12時・・・。発送予約は5月下旬以降とか。因みに、車は長野・諏訪も含めれば、殆ど地元(松本ナンバー)以外の県外車。途中の国営安曇野公園も駐車場は満車でしたが、それにしても信州からのお土産は「お焼き」くらいしか無いのかとガッカリしつつ、しかも20円も値上げされていて、「さかた」のお焼きは他に比べて薄皮で、小麦粉はそんなに使ってないのに・・・。
 余談ですが、GW中、こんな所も・・・と思う様な混雑だったのが、ゴミ焼却場の「リサイクルセンター」。私へ断捨離としての衣類を持ち込んだのですが、持ち込みの車が“数珠繋ぎ”で、普段の平日なら5台程度の順番待ちで10分も掛からないのが、この日は30台程の車が敷地内に収まらず、道路にまではみ出しての順番待ちでした。
GWで久し振りの遠出をする人も増えた中で、まだ躊躇する人もたくさんおられるのでしょう。我が家の断捨離同様に、せっかくの長期休暇を使って、日頃出来なかった大物の不要物の片付けをされているのでしょう。“毎日が日曜日”ではない方々にとって、これも大いに有意義なGW活用だと感心した次第。