カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 翌日は彦根城へ。現存する国宝5城の一つで、言わずと知れた、江戸幕府譜代大名筆頭である井伊家の居城です。
平城の松本城を除き、彦根城を含め他4城は平山城であり、この彦根城も標高50mの小山の高台にあり、幾つかの櫓や大名庭園を含め、小山全体を活かした壮大な城郭が遺構として残されています。
学生時代の帰省や社会人になっての出張時、関西方面へ新幹線で行く時は米原を過ぎると右側の窓越しに彦根城が見え、城好きとしてはいつか来ようと思っていたのが、念願が叶い今回やっと見学することが出来ました。

 この近江の地は琵琶湖を抱え、戦国時代には“近江を制する者は天下を制す”とまで云われた様に、政治経済の両面に置いて天下を治めるための要衝の地であり、ここ彦根は豊臣家滅亡後も豊臣ゆかりの西国大名を抑えるための鎮めとして、徳川四天王の一人井伊家が配された場所です。
前日の豊臣秀次の近江八幡を始め、信長の安土、そして長浜には浅井長政と羽柴時代の秀吉、光秀は坂本、三成が佐和山と、琵琶湖周辺には戦国乱世の名だたる有力武将たちの拠点があり、如何に重要な地であったかが分かります。

 彦根駅からお城の入り口まで、歩いても15分足らず。
我々は朝早かったので、先にお城の外堀沿いのイートインのあるベーカリーに立ち寄り、そこのモーニングセットで朝食です。
朝食後、いよいよお城へ。彦根城の写真では必ず出て来る、庭園越しの天守閣を見るために、先に井伊家の大名庭園である玄宮園から見学することにしました。
国名勝「玄宮楽々園」は、下屋敷の「槻(けやき)御殿」とそれに伴う大規模な池泉回遊式庭園「玄宮園」の総称で、庭には4つの中島が橋で結ばれ、復元された4つの茶屋が設けられていて、当時茶会が行われる大名の社交の場だったとか。
また槻御殿は4代当主井伊直興によって造営された下屋敷であり、隠居所としても使われたそうです。
園内の池と茶屋越しに天守閣を望む構図は、彦根城の写真として必ず登場する景観です。
日本三名園は別格としても、この玄宮園は、例えば高松藩の栗林公園に比べれば規模は小さくても、背後の山の上に建つ天守閣を借景として望むという独特の景観で、なかなか見応えがありました。
玄宮園から先に見たので、本来ルートとは逆になるのかもしれませんが、内堀を渡って、表門ではなく黒門から城郭内に入ります。
彦根城は彦根山(金亀山)を活かした平山城で、その標高は僅か50mとのことですが、なかなかどうして、登り石垣と呼ばれる石で段差を造った階段は結構な急登で、これを毎日歩きにくい袴で登場していた藩士たちはさぞや大変だったろうと思います。坂を上り切って、三重櫓沿いに西の丸から城内に入ります。
 本丸に建つ天守閣は他の天守閣の様な通し柱(例えば、松本城は各階合計で全222本の通し柱で5層6階の大天守を支えている)が無く、各階ごとに積み上げられたていて、3重3階地下1階の複合式望楼型の天守閣です。しかも、築城時に大津城や佐和山城から移築された部分が多く、とりわけ大津城天守の部材が多く使われたとされ、徳川家筆頭譜代大名として、4重5階だった大津城を5重5階の江戸城天守より低くするために、敢えて3重3階に縮小して移築したといわれているそうです。そのため、各階に千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風といった異なる破風が見られますが、特に金箔を貼って曲線を描く唐破風が天守閣に独特な優美さを醸し出している気がします。
三階まで登ってみましたが、現存天守だけに各階への階段は確かに急ではあるのですが、松本城や現存12天守の一つである丸岡城の補助縄まであった急階段に比べれば、彦根城の階段は思った程急ではありませんでした。
しかしそうは言っても、高校生か修学旅行の一団も見学に来ていましたが、スカート姿の女子高生には可哀想なので、旅行会社や先生から事前の情報提供が無かったのだろうか?と勝手にこちらが憤慨していまいました。因みに、松本城に女性を案内する時は、必ずスカートはやめる様に事前にアドバイスしますから・・・。
彦根城は僅か3重3階の小さな天守ですが、50mとも思えぬ小山の上に建つために、天守閣からは竹生島まで見渡せる琵琶湖を始め眺望が良く、江戸時代も眼下の中山道、北国道といった主要街道に睨みを効かせていたことでしょう。
 天守閣を出て、太鼓門や特徴的な廊下橋を渡って天秤櫓を見学してから廊下橋をくぐり抜け、今度は登り石垣を下って表門から場外へ出ました。
それから、外堀に架かる京橋から延びる江戸時代の街並みを再現したという「夢京橋キャッスルロード」を散策しがてら四番町スクエアへ。
というのも、かの有名な“ひこにゃん”が、ちょうど4番町スクエアの広場で“出演中”だったからです(午後は城内でとのこと)。30分のステージ(?)の最後10分だけでしたが“実物”のひこにゃんに会うことが出来ました。
ここでも修学旅行の中学生諸君に交じって(今年は修学旅行が実施出来て何より。でもコロナ禍で中止だった去年の子供たちは本当に可哀想)、結構多くの中高年(さすがに女性が多かったですが)の観光客もひこにゃんに歓声を上げていました。見るまでは、さすがに自分たち年寄り夫婦が「いい年をして・・・」と思いましたが、これが意外と可愛い!のです。
さすがは“ゆるキャラグランプリ”で初代グランプリとなっただけのことはあります。良く知らぬ私メは、てっきり彦根市のご当地キャラクターとばかり思っていましたが、元々は2007年に「国宝彦根城築城400年祭」のイメージキャラクターとして選定された、彦根城のキャラクターなのだとか。しかし、或る意味、彦根全体の“町興し”に大いに貢献していると思いました(JRの旅行キャンペーンのキャラクターだったアルクマが、その人気によりJRの好意で長野県に譲渡され、長野県のマスコットキャラクターになっているのと何となく似ています)。
 彦根城見学を終えた或る高齢夫婦の会話・・・、
 「同じ国宝のお城でも、松本城は彦根城に完全に負けてるヨネ!?」
 「イヤイヤ、そんなこと無いでしょ!
そりゃ、城郭は平城より平山城の方が大きいけど、三重三階の彦根城より五層六階の松本城の方が遥かに立派でしょ!しかも日本最古で、天守が二つと付き櫓もある連結複合式天守だよ、松本城は!!」
 「でも、彦根城にはひこにゃんもいるじゃない!松本城は?」
 「・・・・・・」
(ムムム、オバサンまで一目で虜にしてしまうとは、ひこにゃん人気恐るべし・・・)