カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 15年以上、奥さまが大切に育てている蘭のシンビジウム。
昨年は数年ぶりに全部の鉢が、しかもたくさんの花芽を付けて咲いてくれたのですが(第1830話参照)、株が増えすぎて鉢が狭くなってしまって、それに鉢が耐え切れずにひび割れが入って来ていたり、或いは枯れた株も出てきていたので、昨年花が咲き終わった後、一戸建ての頃に毎年庭のメンテナンスを年二回お願いしていた園芸店の同級生の経営するナカツタヤに頼んで、増えすぎた株と鉢の更新をお願いしました。
 株には寿命があり、花を何年か咲かせると、その株は寿命を終えて新しい株にバトンタッチして行きながら全体に成長していくそうなのですが、将来を見越して古い株を取って新しい株を残して、全体をダウンサイズしていただくことにしました。
その結果素人目には「やり過ぎでは?」と思えるほど大分スッキリしたので、来年は花は咲かないだろうと思っていました。特に毎年ではなく数年に一度花を付けるミルキーウェイと名付けられたシンビジウムは、昨年は5本も花芽が付いたので、新しい鉢に馴染んで成長するまで、今まで以上に当分は咲かないだろうと思っていました。

        (写真はたくさんの花が咲いた昨年のシンビジウムです)
 シンビジウムは例年だと12月前後に花芽が顔を出し、12月末から1月くらいに咲き始め、昨年は特に長くて6月近くまで咲いていました。
昨年もブログに書いた様に、東京で開催される「世界らん展」に毎年ブースを出展するという華道家の假屋崎省吾氏が、『一般的に蘭は高価というイメージがあるが、咲いている期間がとても長いので、その期間の日数で割れば、花が楽しめる一日当たりのコストで考えると、むしろ他の花よりも安くなる位コスパが良い!』と仰っておられたのですが、まさにその通りなのです。

(それぞれ、花芽が伸びて来た1月末の様子。そして開花した2月7日のミルキーウェイとほころびかけた2月19日のシンビジウム)
 さて、今年は花は咲かないだろうと半ば諦めていたシンビジウムでしたが、それぞれ僅か一本ではありましたが、二鉢から花芽が出て来たのです。
そして、3月になって花を立派に咲かせてくれました。しかもミルキーウェイはたった一輪ですが、しっかりと咲いてくれました。
     (開花した2月21日と満開になった3月18日のシンビジウム)
3鉢ともたくさん咲いてくれた昨年と比べると寂しい限りですが、今年の花は諦めていたので、例え一本、僅か一輪とはいえ本当に嬉しく感動モノでした。
【追記】
一輪だと思っていた「ミルキーウェイ」。それが、また別の花芽が伸びて来て、5月に二輪の蕾を付けてくれました。ガンバレ、ガンバレ!季節外れの花が咲くのを待って日々声を掛けて応援した結果、5月15日に二輪とも見事に咲いてくれました。因みに、最初の一輪はさすがに盛りは過ぎたものの、まだ枯れずに咲いています。
(遅れて出て来た5月6日のミルキーウェイの花芽と二輪とも開花した5月15日の様子)

 今年のゴールデンウィーク。会社によっては10連休での大型連休になるところもある中、海外旅行は為替差で高上りになることから、むしろ国内組の大型連休での“安近短”需要が中心で、一方円安効果での海外からのインバウンドも加わって、国内の観光地はどこも大混雑が予想されるとか・・・。
しかし、“毎日が日曜日”の年金生活者としては連休云々は関係無いので、むしろそんな混雑する中にわざわざ出掛ける必要もなく、またGW前半は家内が次女の所に手伝いに行っていて留守だったこともあって、GWはどこにも出掛けずに、まるで“世捨て人”の様に“じっと我慢の年寄り”でありました。

 因みにこのGW10日間の松本周辺観光地の込み具合は、地元紙の報道に依れば、松本城への来場者数は45000人で、ピークだった5月4日は天守閣見学の待ち時間が1時間50分だったそうです。但し、これでもコロナ禍前の数にはまだ戻っていないとか・・・。
また、安曇野市の「国営アルプスあづみの公園」堀金・穂高地区(別の大町・松川地区と二ヶ所に分かれています)の入園者数も、チューリップが満開だったことも手伝って54000人だったとのこと。
因みに、この「国営アルプスあづみの公園」は、地元出身だった塩島大氏(後に衆議院議員)が建設省公園緑地課長の時に考案したものです。建設省令では長野県は関東地方と合わせて国営公園は1つと定められており、同エリアでは先に茨木県の「国営ひたち海浜公園」の整備が進む中、大蔵省は計画に難色を示したのですが、当時の竹下登自民党幹事長により、国営公園の配置基準が緩やかになった1990年に安曇野地区の事業が開始され、塩島さんが急逝した後は地盤を引き継いだ村井仁衆議院議員(後に長野県知事)が事業を推し進めたという経緯経過もあって、春のネモフィラや秋のコキアで全国的に有名となった「国営ひたち海浜公園」には知名度では敵わないかもしれません。今ではそんな設立経過を知る人も少なくなっていると思いますが、地元にゆかりのそんな国営公園でもあります。
また上高地では、槍穂高への登山者ばかりでなく、インバウンドでの外国人観光客も目立ち、河童橋周辺は身動きも出来ぬほどの大混雑だったそうです。
その北アルプスや八ヶ岳などへの登山では、長野県内でのGW中の山の遭難は26件と多く、過去10年で最多だったとか。確かに中高年登山者の遭難が多かったのですが、中には蝶ヶ岳で無謀にもアイゼンやピッケルなど冬山装備を持たずに入山して行動不能となった大学生2名が救助されるなど、まるで山を舐めているとしか思えない様なケースもありました。そして、毎日の様にそうした遭難者を病院に運ぶ青い県警ヘリが上空を飛んでいました。

 さて、そんな今年のGW。前半の休日が27日(土)から29日(月)の「昭和の日」までと、後半が5月3日(金)の「憲法記念日」から6日(月)の「振替休日」まで。
幸いこのGWの間は良い天候に恵まれ、晴れの日が続いたことから、先述の松本城のみならず、日本全国の観光地への人出に繋がったのでしょう。
我が家では、前半は30日まで家内が横浜の次女の所に行っていて不在でしたので、唯一27日の父方の伯父の一周忌の法事に一人で茅野に出掛けただけでした。でも快晴の中、朝からマンションから見る、残雪の常念や乗鞍の北アルプスは本当に惚れ惚れする程美しく、眺めていても見飽きることがありません。観光地に行かずとも、自分の部屋から北アの絶景を眺められる幸せをしみじみと噛みしめていました。以前の一戸建てでは、北アの峰々は城山山系に遮られて全く見ることが出来なかったことも、ここに移って2年半ですが、毎日見ても未だ新鮮が消えず、全く見飽きることなど無い理由なのかもしれません。また、例えば真っ白な雪山が少しずつ山肌を現わしていく様子など、空や雲の様子も含めて日々刻刻変化し、一度として同じ風景ではないこともその理由なのかもしれません。
 しかし、そうは言っても世間ではGW・・・。そこで、家内が戻って来ていた後半の5月3日。昼前に、カートに載せてコユキも一緒に、せめてGWの“世間の風”を少しは感じられる様に、松本城まで散歩に行ってみました。
目的は、松本城公園の北西側の、埋の橋近くに在る満開を迎えた筈の藤棚を見ることでした。
松本城の外堀復元計画に基づき南の外堀跡沿いの拡幅工事が終わり、広くなった歩道を歩いて、南西の入り口から公園に入って藤棚へ。ここの藤は房が長く10m以上に拡がった藤棚が満開で見事でした。
内堀に沿って人ごみの中を本丸入口の黒門の方へ歩いて行きます。すると門の外へもずっと天守閣登城への長蛇の列で、「最後尾」の幟を持った係の方が立っておられ、待ち時間90分とのこと。さすがにGWで混雑していました。インバウンドの方も目立ちます。
我々はベンチで少し休憩し、コユキを少し公園内の散歩をさせてから、大名町のカフェ「小昼堂」に寄って、ワンコOKのテラスでコユキも一緒に一休み。カフェはさすがに観光客で混んでいました。因みにワンコOKのテラス席の在るお店は松本でも本当に少なく、“Dog Friendly”を町としても掲げている軽井沢とは雲泥の差です。とはいえ、松本に限らず、箱根も那須も伊豆も、そして県内の白馬や蓼科も、軽井沢と比べればどこも皆落第ですが・・・年寄りと愛犬家を掴まえるのが集客のカギだと個人的に思っているのですが、実に勿体無い。その後歩いて行くと、昨秋に移転オープンした「松本市立博物館」の入り口の軒下にちゃんとした4人掛けのテーブルが幾つもあって、こちらは市立の建物ですので、無料でワンコと休憩することも出来ました。因みに、館内のドリンクコーナー等展示室以外は無料で入館可能だそうで、ドリンクコーナーには駅前通りに在る自家焙煎の「High-Five COFFEE STAND」が出店していて、そのコーヒーを買って来て外のテーブルで飲むことも可能でしたので、松本にも“Dog Friendly”な市の公共施設がありました(と、松本の評価点がちょっぴりアップしました!)。
(右側の写真はGW中ではありませんが、来年閉店する「松本パルコ」の公園通り側前で。パルコで買い物中の家内をコユキと一緒に待って)
 そして大名町から途中四柱神社にお参りをして、中町を経由し、本町から伊勢町、公園通りを歩いて、東西のエレベーターで松本駅を抜けて戻ります。
大正時代からの洋食レストラン「おきな堂」も行列で40分待ちとか。松本で一番早く咲くその翁堂前の藤棚はもう終わっていました。そば処「野麦」にも観光客の方々(我々地元客は並んでまでは行きませんので)が20人以上の列。伊勢町でも、「そば切り みよ田」も信州味噌ラーメンの「麺匠 佐蔵」もこれまた行列です。そして、公園通りでは普段は行列など見たこともない蕎麦屋さんにも列が出来ていて、いやはやGWでレストランを探すのも大変だと実感した次第・・・。
【追記】
「例えば真っ白な雪山が少しずつ山肌を現わしていく様子など、空や雲の様子も含めて日々刻刻変化し」と上述した峰々の変化。この最後の写真は、冒頭に掲載したGW前半の4月28日の様子と比べても、常念や乗鞍の雪が次第に融けて黒い山肌が少しずつ大きくなってきている、昨日5月14日の様子です。

 先日、城山公園の「憩いの森カフェ」で休憩した時に、頼んだカフェラテのカップが素敵で気に入った家内が、マスターにお聞きすると茅野市在住の陶芸家の作品とか。こちらのカフェではギャラリーも兼ねているのですが、その方の作品は無かったので、ネットで調べてみると茅野市の八ヶ岳の麓に陶芸作品などのギャラリーを兼ねた古民家カフェがあり、紹介記事の写真の中に似た様な器が写っていたので、行ってみることにしました。
家内は、次女の横浜に行っていない時は、ほぼ毎週お義母さんの世話に茅野の実家には行っているのですが、その時だとなかなか時間が取れないからと、その八ヶ岳山麓の古民家カフェでのランチと併せて、街に下って諏訪の角上魚類にも寄って買い物をして来ることを条件に、茅野まで一緒に出掛けることにしました。

 その古民家カフェは茅野市湖東(「こひがし」と読みますが、諏訪湖畔ではなく八ヶ岳山麓に拡がるエリアで、国宝土偶“仮面のヴィーナス”が出土した「中ッ原遺跡」も同地区内)にある「陶仙房」という店名。
昭和初期の趣ある農家を改装し、陶器やガラス、漆器、木工など、地元作家の作品を展示しているギャラリーカフェです。陶芸教室なども併設されていて、県外からも訪れるという人気のカフェだそうですが、カフェは金土日しか営業していないとのこと。
初めてなので、ナビに住所をセットして行ったのですが、大体のイメージでは尖石考古館の上の方という認識で、ナビを頼りに車を進めます。
四駆の軽のナビが検索しにくいので家内にナビゲーターを任せ、その案内で走って行くと、何だかだんだん一年前に亡くなった父方の叔父の家の方に近付いて行きます(住所は確かに湖東なのですが)。
曲がるべき道を通り越して、少し走ってUターンして引き返してきたのですが、その途中に間違いなく叔父の家・・・。
 「おいおい、ここ叔父の家だってば!」
すると家内曰く、
 「そう云えば、この前叔母さんが家のすぐ近くカフェがあって、最近凄く人気みたいだから、一度来てみたら!って言ってた・・・」
そうと知った“After”は、まるで“何ということでしょう!?”でした。

集落の狭い道を少し上って行くと、看板があり到着。広い空き地の様な駐車場に車を停め、畑脇の木道の様なアプローチの小道を歩いて、古民家へ向かうと、「陶仙房」の看板が入口に在りました。
玄関を開けると、土間の様なスペースがギャラリーになっていて、陶器などが並べられていました。
店内は古材を活かしたウッディーな雰囲気。幾つか古いテーブルが置かれて、既に何組もお客さんがおられます。窓側の二人用の席に案内いただきました。
先に、お昼のランチメニューの中から「里山の四季のおにぎりプレート」と「陶仙房の石窯パンプレート」(各1100円)と飲み物(ランチと一緒だと、△50円引きとか)を注文して、待つ間、ギャラリーの展示品を見させていただきました。残念ながら、城山のカフェのカフェラテ用に使っていたカップはここに展示されている作品では無いようです。
 こちらのランチは、陶仙房の畑で採れた野菜や地元農家の安心安全な有機野菜、食材等が使われているそうで、両方試せばと思い頼んだ、家内のおにぎりプレートと私メのパンプレート。
サーブされた時に、スタッフの方が料理と食材の説明をしてくれました。
「陶仙房の石窯パンプレート 陶仙房の石窯パン2種とキッシュ、地野菜のプレート」は、石窯で焼いたという自家製パンと、そのパンに付けるのは何とほうずきジャム。そして野菜が入ったキッシュと蓼科千年豆腐という地元の豆腐の厚揚げに素揚げ野菜。汁物にポタージュスープ。そしてデザートにリンゴゼリーも付いています。
一方、「里山の四季のおにぎりプレート」は、地元産の米と黒米のおにぎりと季節の地野菜、千年豆腐の和のプレートで、梅漬けを混ぜた地元産のお米と古代米のおにぎり。玉子焼きにかぼちゃの煮物と小豆。千年豆腐の厚揚げと自家製の凍み大根の炊き合わせ。同じく素揚げ野菜、そして蕗、葉ワサビなど旬の野菜の煮物やおひたし。お味噌汁。同じくデザートにリンゴゼリー。
タマゴは使ってはいますが肉や魚類は一切使っておらず、ベジタリアン向けの料理とでも言えそうなヘルシーランチです。
家内から古代米のおにぎりを半分貰いましたが、上に載せられた蕗味噌が良いアクセントで美味しかったです。また、野菜のお浸しの中にあったのがカンゾウとのことで、最初に説明ただいた時に驚いて、思わず聞いてしまいました。
 「えっ、カンゾウって野山にあるヤブカンゾウですか?」
 「はい、庭のその辺りに出ています。新芽が食べられるんです。」
と、窓から見える庭や畑を指して教えてくれましたが、全く知りませんでした。ヤブカンゾウ(或いはノカンゾウ)は野山や畑や道路の脇など、それこそどこにでもある雑草で、夏頃、ユリに似たオレンジ色の花を咲かせます。お浸しは、何となく“匂いの無いニラ”とでも言えそうなシャキシャキした食感で、家内は美味しいと言っていました。それにしても、誰にも見向きもされないあの道端のヤブカンゾウとは・・・。一つ勉強になりました。
まぁ、ハーブが日本でブームになる前に、フランスで“春告げ草”として人気のハーブの種を取り寄せて植えたら、日本でもそこら中に生えている西洋タンポポだったという逸話を、ハーブ研究家の女性の方が書かれたエッセイで昔読んだことがありますが、うーん、そんなものかもしれませんね。
(「陶仙房」に向かうアプローチ脇のヤブカンゾウの群生。ここのを採ったのではないと思いますが、それこそそこら中に普通に生えています)
また、家内に寄れば、茅野市の凍み大根が以前TVで取り上げられていたそうですが、もしかしたらこの「陶仙房」だったのかもしれないとのこと。
昔はどこの農家でも厳冬期に春からの農作業での“お小昼”用に凍り餅を作っていましたが、この凍み大根は我が家では見たことがありませんでしたが、茅野では一般的だったようで、こちらも野菜が無い時の保存食なのでしょう。大根は凍らせることで細胞が破壊され、煮ると生よりも味が滲み易くなります。いずれも、茅野が全国的に知られる寒天の産地の様に、冬の寒さを活かして江戸の昔から伝えられてきた、云わば“フリーズドライ”食品です。凍み大根は、いずれも自家製というほうずきジャムなどと一緒に店内でも販売されていました。
「陶仙房」のランチプレートはどちらも見た目以上のボリュームで、結構お腹が一杯になりましたが、県外からの方々も含めどうやら「おにぎりプレート」の方が人気の様でした。
食後のドリンクに選んだのは、私が陶仙房石窯焙煎というオーガニック豆 の浅煎りコーヒー、家内がアッサムティー(ポット)で、暫しのんびりした時間を過ごすことが出来ました。

 それにしても、蓼科がいくら人気の別荘地とはいえ、街中からは結構離れたこんな田舎の集落の中に、県外からも訪れるという人気のカフェが在る、しかも叔父の家とは目と鼻の先だったなんて・・・大いに驚いた“発見”でした。
今度、叔父のお墓にお線香をあげがてら、また「陶仙房」に来ようと思います。

 車社会の到来に伴う郊外大型店の増加、更に近年の少子高齢化などにより、各地で市街地の空洞化やさびれた“シャッター通り”商店顔の増加、そして地方デパートの閉店などが問題になっていますが、遂に松本もヒトゴトではなくなりました。

 ある意味“商都松本”の顔でもあった、松本パルコが2025年2月末で閉店、イトーヨーカドー南松本店が同年1月で閉店。どちらも全国的な不採算店舗整理の中での一環なのですが、他にも明治初期からの呉服店がルーツで、地元の老舗デパートだった井上百貨店本店が店舗の老朽化などを理由に、来年3月末で営業を終了し、井上が運営する郊外の山形村に在るショッピングモール内のデパートエリアへ統合することになりました。
 井上は、私が子供の頃は西堀に在ったのですが、駅周辺が市街地の中心になって行くことに伴い、1979年に駅近の現在の場所に新築移転し、その後全国各地で地場の百貨店が大資本のデパートや総合スーパーの進出で相次いで閉店に追い込まれる中、長野県内でも長野市と諏訪市にあった丸光百貨店が、それぞれ2000年と2011年に経営や名称変更などの紆余曲折を経ながら無くなっている中(長野市ではまだ「ながの東急」が頑張っています)、井上は途中地銀の支援も受けながら頑張っては来たのですが、45年経ったビルの老朽化で配管などは部品も無く交換もままならないことから、自身の運営する郊外のショッピングモールへの統合移転をするとのこと。

 我が家も同様ですが、昔はお中元やお歳暮、また冠婚葬祭などでの“お使い物”の贈答品は必ず井上で頼むなど、松本市民にとって井上の包装紙がクオリティーの証であり、ある意味信頼のシンボルでもありました。
勿論、車社会に伴う郊外店の隆盛、大型資本の購買力や情報化社会でのオンラインショッピングの便利さといった時代の荒波には、いくら地方の一店舗が努力しても抗えない面もあったことは事実でしょう。しかし、果たしてそれだけなのでしょうか。自身の経営、体質に問題は無かったのでしょうか?その結果、ある意味今回の閉店は必然では無かったのでしょうか?

 過去、ブログに記載した内容ですが、これらは直接名指しをしていませんが全て「井上」に関するものでした。敢えて関係部分のみを抜粋して再掲します。
【その一】
『(前略)事前に見た地元のローカルデパートとは大違い・・・でした。但し、私が感じた一番の違いは、都会と田舎という規模からしての品揃えといったハードの差ではなく、むしろソフトの差・・・でした。
というのは、都会の老舗デパートの呉服売り場では、とっくに本来の定年を過ぎた様なベテランのスタッフの方を何人か揃えていて、お客さんにアドバイスをする、或いは客の質問にも昔と今の違いを踏まえてちゃんと答えられる・・・。まさに“亀の甲より年の劫”で、その豊富な知識の量が田舎のデパートとは全然違うのです。
しかし、昔は地方のデパートにだって絶対にそうした地元の特色ある“しきたり”や独特の慣習を良く知ったベテランスタッフがいた筈なのです。そしてそれこそが、品物の品質だけではない、老舗への信頼だった筈。
いくら市場としてのニーズとデマンドの差とはいえ、人件費削減か、高いベテランスタッフを切って安い若手に切り替える・・・。そうした有能な人材を簡単に切ってきたからこそ、いくら売り場を今でも確保していても真の客のニーズを捉え切れず、本来なら、そして昔なら、いとも簡単につかんでいただろう地元のニーズを逃がしてしまって、オンラインや首都圏のデパートに取られてしまっている・・・そんな身から出たサビの“いたちごっこ”の繰り返しなのではないでしょうか・・・。
もしそれがコストに見合って利益に繋がっているなら、別に何の後悔もする必要はないのですが、地元で購入するつもりで、「筥迫(はこせこ)」を探して聞いても「えっ?」と絶句したきり何も答えられなかった田舎の“老舗”デパートの若い店員さんと、「あっ、それは・・・」とすぐに答えてくれ、しかも最近のお宮参りと七五三の状況をふまえてアドバイスをしてくれた都会のデパートの“お婆ちゃん”スタッフとの差に、そんな感想を持った次第です。
 昔、本ブログに “町の電気屋さん”の生き残り策としての、大手家電量販への対抗策は、サザエさんに登場する“三河屋”の三平さんの御用聞き、それは例えば老夫婦世帯の切れた蛍光灯の交換作業とか、そういった町の小さなニーズを如何に取り込むかだと書いた記憶があるのですが、衰退する田舎の老舗デパートも、もしかするとそうした地元の町の小さなニーズを取りこぼして、全てを時代の“せい”にしてきたツケで、それは“身から出たサビ”、或る意味時代変化についていけなかった“自業自得”なのかもしれない・・・と新宿の老舗デパートで家内の買い物に付き合いながら感じた次第。』(第1863話より)
【その二】
『(前略)事前にローカルデパートのデパ地下へ。買い物はメインの付け合わせにするサラダだけなのですぐに済みますが、路上駐車はいけないだろうと、買い物をすれば指定駐車場は無料になるので、デパート横の駐車場へ停めてデパ地下へ。するとあろうことか、総菜コーナーのサラダは全て売り切れで全然無し・・・って、まだ夕食前の夕方5時ですよ!(都会なら、これから仕事帰りの若いお母さん方やOLの皆さんが来られて、色々今晩のお総菜を買って帰る時間でしょうが!!)
「えっ!?」と絶句して、止む無く何も買えずに戻ったのですが、今度は駐車場代が僅か5分足らずで300円・・・(これにも絶句)。
 「あぁ、こんなんじゃ自分で自分の首を絞めてる様なモンだよナァ~、田舎のデパートは・・・」
と、これまた絶句!(経営者は果たしてこういう実態を分かっているのでしょうか?)』(第1734話より)
以上が以前書いた内容の抜粋でした。

 昔(半世紀近くも前ですが・・・)、成人式の時、祖父母からのお祝いで初めてのスーツ(当時は背広って言ってました)を購入するため、松本に帰省した折に父に連れられて井上に行って、当時井上の部長さんだったお隣のオジサン(紳士服の担当では無かった筈ですが)に見立てをお願いしたことがありました。当時の主流は三つ揃い(スリーピース)でしたが、何着か選んでもらった中からアドバイスも踏まえて決定しました。その時に、オジサンがお祝いにとブレザーをプレゼントしてくれました。「これが絶対似合うから」とご自分で選んでくれたのは、個人的には正直「ちょっと地味過ぎないかなぁ?・・・」と思った、チェックの柄のこげ茶色のブレザーでした。
その後社会人になって、やがて三つ揃いスーツは流行遅れで着なくなりましたが(年中“夏バテ”気味だったシンガポールでの海外赴任から帰国後、お腹一杯食べられる様になって、結果少々ズボンのウェストがきつくなったこともありますが)、ブレザーはそれこそ冗談では無く、定年まで何の違和感もなく着ることが出来、40年も前のあの時のオジサンの見立てに感心し、また感謝した次第です。
こうしたノウハウを持った信頼出来るベテランのスタッフの方々が、井上にもたくさんおられたのだと思います。
建物の老朽化で代替が効かぬ部品が手配不能になるよりも先に、もしコストカットでベテランを排除するというなら、自らが持っていた本来替わりが効かなかった筈のベテランの、せめてそうしたノウハウをどうして若手に引き継げなかったのか!?

 「筥迫(はこせこ)」という言葉を即座に理解し、お宮参りから七五三までの最近の流行りや傾向まで教えて下さった新宿高島屋の呉服売り場の、恐らく定年をとうに過ぎたであろうベテランの契約スタッフと、問いに対し「えっ?!・・・」と言ったきりで何も言葉が返って来なかった井上の呉服売り場の若いスタッフ。客の出す答えがどちらを選ぶかは必然でしょう。
但し、新宿高島屋に全く在庫が無ければ、それは単なるアドバイスに終わってしまい、地方から上京した一見の客は、もし次に来る機会が無ければAmazonなどのオンラインショッピングに流れてしまうのですが、ちゃんとその時の高島屋には多少なりともストックがあって、その場での実際の売り上げに繋がったのです。
片や、その若手スタッフがもし自身で分からなかったことを反省して、自分で調べて次のノウハウに変えたり、或いは上申してその後の品揃えに反映する(或いは在庫を持たずともカタログを用意して、その場で客の要望を聞いてすぐ発注出来るようにする)などすればともかく、仮にもしその場で“のど元過ぎれば”で何も対応せずに終わっていたとしたら・・・。
そうした日々の売り上げにも記録されない小さなケースの(しかも負の)様な事象が長年積み重なった結果の、今回の「井上」本店の閉店では無かったのでしょうか。
例え物理的な背景に、車社会到来に伴う郊外への大型店進出や大資本の全国展開、そして最近の情報化という時代の荒波に抗えなかった面も勿論あるとしても、むしろそうしたハード面での外的要因以上に、直接的には目に見えないソフト面が内的要因として、自らの対応が招いた必然的結果ではなかったのでしょうか。

 松本は4月7日に開花宣言が出されました(気象庁の松本測候所が2007年に無人化されて以降、測候所内の標本木ではなく、松本城管理事務所の市の職員が代わって観察するお城の内堀のソメイヨシノが開花宣言の基準木として観察対象に変更され、それまでの高台にある沢村の測候所時代より開花日が数日早くなっています)。
春のお彼岸前後の冷え込みの影響で、当初3月30日だった松本城の開花予定が延びたのですが、開花から満開までが長かった東京などとは異なり、開花後の暖かさで松本ではあっという間に満開になってしまいました。
我々は8日から5日間箱根に行っていたのですが、松本城や街中の桜はその間に満開を迎えてしまいました。

 そこで、箱根から戻って、14日に城山公園から“城山トレイル”の遊歩道をアルプス公園まで、朝のウォーキングを兼ねて歩いてみることにしました。
途中、宮淵から始まる急坂の途中に在る丸ノ内中学の校庭の桜は満開で、中には既に散り始めた木もあります。
車道をショートカットする城山公園へ続く桜並木のトンネルを抜けて、城山公園へ。城山公園含め、市内の桜のスポットは桜まつりが開催中で、城山公園も園内は期間中一方通行で係員が誘導していましたが、既に満車。開花後の暖かさで一気に開花が進んだようで、500本という城山公園の桜は満開です。開花三日目の10日から松本城のお堀が17日までライトアップされていますが、この分ではお城の桜はもう散り始めているかもしれません。
城山公園内には屋台も出て、家族連れやグループが思い思いにお花見の場所取りをしています。人が不在でブルーシートが敷かれた場所は、お昼の宴会用なのでしょうか。
この城山公園は、解説によると『江戸時代の天保十四年(1843)に松本城主であった戸田光庸が、犬甘城址に桜や楓数千本を植え、領民に開放したことがきっかけとなり、明治六年(1873)の太政官布告に基づいて、明治八年(1875)に長野県(当時は筑摩県)で初めて公園に指定されました。』
城山公園は、江戸の昔から松本市民の憩いの場でもあります
 さて、我々は桜よりもウォーキングで、勝手に“城山トレイル”と名付けた城山からアルプス公園までの遊歩道を歩きます。
城山公園にある石碑に標高665.7米とあり、途中鳥居山(743m)を経てアルプス公園の最高地点は標高775mとのこと。
車の表示に依ると、渚の我が家のマンションの駐車場は575mでした(市街地は平坦で、お城の横の市役所の標高は592mです)が、渚から宮淵までは平か(奈良井川が流れ下るので)なだらかに多少下っているかで、そこが城山々系の先端部分で、宮淵から丸ノ内中学を経て、城山公園からアルプス公園手前の鳥居山(743m)を経てアルプス公園まで城山々系の尾根沿いの遊歩道はちょっとしたトレッキング気分を味わえます。この城山々系の最高地点が里山である芥子坊主山(標高891m)です。
マンションからは、城山公園までが距離2.5㎞で標高差90m、アルプス公園が3.5㎞で標高差200mということになります。
遊歩道は僅か片道1.1㎞と表示されていますが、トレイルランの練習をされている方や、我々同様ウォーキングをされている方々が結構おられます。

林の中を登って行く遊歩道の脇には、咲き始めた真っ赤なボケやタチツボスミレの群生が見られます。桜の様な華やかしさも、また桜の様に見とれてくれる人も少ないのかもしれませんが、それはそれで彼らも立派な春の風情です。
この城山トレイルの春の楽しみの主役は桜だとして、その後はナラの新緑から夏の林の緑陰、そして秋の紅葉と、途中残雪の北アルプスの峰々も眺めながら、気持ちの良い里山の遊歩道です。眼下に拡がる安曇野の田んぼに水が張られ、水鏡となって残雪の常念を映すのも、もう間も無くでしょうか。
 アルプス公園の手前、遊歩道の終点となる鳥居山に展望台となる東屋があり、そこで残雪の北アルプスを眺めながら小休憩の水分補給。そして車道に出てアルプス公園へ。
市中から車で僅か10分足らずで来られる都市公園でありながら、高台に在って標高も高いので信州の高原気分も味わえ、70haを優に超えるという広大なアルプス公園には昔の県の種畜場時代からの桜も含めて1300本の桜があり、以前は市街地とは1週間以上遅れて咲いたのですが、このところの暖かさで既に木によっては5分咲きから8分咲きでしょうか。東京などは今年の桜は長く楽しめたようですが、信州の桜は今年は短そうです。
広いアルプス公園には桜の他にも、真っ白な辛夷(コブシ)の花が咲き揃い、“北国の春”の訪れを桜よりも先に報せてくれていました。
遊歩道を城山公園まで戻り、公園脇の「憩いの森カフェ」に立ち寄り、気持ちの良いテラス席で、私メは自家焙煎の浅煎り珈琲(深煎りも選べます)、家内はたっぷりのカフェラテで暫し休憩して、また来た道を下って家に戻りました。
 同じ日、庄内のショッピングモールのホームセンターに買い物に行く用事があり、そこの駐車場から弘法山を撮影してみました。頂上に東日本最古の前方後方墳がある弘法山は、古墳発見後地元の方々が整備して山全体に植えた4000本もの桜で、お椀を伏せた様な小山全体が薄いピンク色に染まり、まるでふわっと浮き立つようです。遠目にも古墳の在る頂上にもたくさんの人が居るのが見えました。
 そして3日後の17日。この日が松本城の桜のライトアップの最終日なのですが、午前中コユキも一緒に松本城までウォーキングに行ってみました。コユキはそんなに歩いてくれないので、途中で疲れたらリュックに入ります。
お城には平日なのに、インバウンドの外国人始め、たくさんの観光客が来られていましたが、300本という肝心の松本城の桜は残念ながらもう葉桜でした。
皆さん桜にばかりで余り見向きもされないのですが、大株の紅白のボケの花が色鮮やかでした。

 松本の今年の桜はこれで終わりです。
『 世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 』(在原業平)
とは言うものの、また来年・・・。

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