カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 新装なった松本駅のコンコースに展示窓が8つほどあり、以前はそこに松本の風俗をした「もろこしアート」の人形が飾られていました。この「もろこしアート」というのは、もろこしの皮を乾かして和紙のように使っているようなのですが、その風合や出来上がりも中々見事で、見とれるほどでした。
例えば、SKFの吹奏楽(パレード?)の合奏の様子などは、マエストロ・オザワの振り乱した髪が何とも「らしく」もろこしの皮で表現されていて唸るほどでした。


 最近地元美術会やお土産・物産などの展示に変わり、そのもろこしアートの展示が、写真の一つだけに限定されてしまい、とても残念なのですが、少しでもその雰囲気を感じて頂けたら幸いです。以前は作者名があったような気がしましたが、コーナーが減った今は残念ながら作者名は掲示されていませんでした。

 もし松本駅で降り立たれたら、改札を出てアルプス口方面(改札左)すぐです。

【追記】
「もろこしアート」は、安曇野市にお住まいの「曽根原令子」さんという方の作品だそうです。
9月中旬頃まで数週間に亘り、豊科・県立子供病院の近くの喫茶店で展示をされていたらしく、ちょうどその前を通る機会があったのですが、つゆ知らず・・・残念です。

 前回(第133話をご参照ください)ご紹介したクレソンですが、水に浸したプランターが予想以上に効果的でした。

容器の穴は底に一ヶ所あるだけなのですが、プランターの川砂の表面が、本当に川縁(べり)のように常時湿っています。乾かぬように毎日水を撒こうと思ったのですが、これなら不要。後は、野生化した(注記)クレソンは清流に育つと言いますから、二日おきくらいに定期的に液肥を基準通りに薄めて水を取り替えてあげれば良さそうです。

 久し振りの“お湿り”となった、雨で農作業が出来なかった9月12日の土曜日に移植してから一週間経った19日。既に青々と茂ってきました。一方、残った数本をそのまま活けた瓶のクレソンも、少しずつ成長しているようです。ただし、こちらは茎が伸びるだけで、プランターのように新芽は出て来ません。
 前回の水耕栽培で、青虫クンに食べられて全滅した中に、1cmにも満たないほどのクレソンの小さな芽が数本あったので、これもまとめてプランターに植えておいたら、やはり水より砂地が適するのかグングン成長してきました。頑張れ、頑張れ!
 その後、茎の下の方の葉が少し枯れてきました。恐らく、液肥が強過ぎた(濃すぎた)のではないかと思われます。もう少し薄め(ハーブ類は10リットル当たりキャップ半分の表示ですが、キャップ1/4くらい)にしてみたところ大分回復しました。

 また、地場のスーパーへの出荷用資材(果樹を入れる穴空きのビニール袋。これまでは家内が普通のビニール袋を手作業で一々穴を開けてくれていました)が市中には見当たらず、近隣では一番大きな豊科のホームセンター(場所柄か農業用資材が充実)まで週末探しに行った際に、応急措置として発泡スチロールで作った防虫ネットを固定する台座が、当然のことながらぐらぐらするので、替わりの木枠を自作しようと表面処理された細め(5cm角)の角材(180cmで198円也)一本を一緒に購入してきました(家内からは「高いクレソンね」とまたまた溜息ですが、聞こえなかった振りをして・・・)。
 木工は、自作スピーカー「スワン」(カット済み)を始め、薪ストーブ用の薪の一時的室内保管庫を兼ねたチェスト(自分で設計し、板材カットはホームセンターに依頼)や娘のオーディオラックなどもその昔DIYで自作しており、今回は紙やすりもニスも不用ですので、それに比べれば遥かに単純な工作です。

 そして移植から10日目の23日、秋分の日の様子です。茎にも新しい芽が出て葉も茂ってきました。また、1cmにも満たなかった水耕栽培の“遺児”達も一人前に成長してくれました。更に、水耕栽培時に比べ、砂地では小さな芽が根元から次々と顔を出しています。これは大成功・・・かも?

 肉料理の付け合せ程度なら既に収穫できますが、昔のアメリカン・クレスのようにたくさん収穫しサラダにしたいので、もう暫く我慢することに。

 そして、プランター移植から15日目の9月27日。もう大分伸びて茂ってきましたし、スーパーで買った時の茎ばかりでなく、次から次へと新しい芽が伸びてきています。また古い枝先にはそろそろ花芽も付き始めています。これ以上置くと硬くなって(信州弁で言う「こわくなる」)しまうので、漸くここで収穫です。
 20本ほど茎を採って、ルッコラと一緒にサラダとして夕飯の食卓へ。ピリリとしたクレソン特有の辛味があり、思った以上に柔らかでした。
「ああ、長かったなぁ・・・。」
「あ~あ、高かったなぁ・・・」とは奥様のコメント・・・確かに。
でも、これから元が取れるかも・・・ヨ??

【注記】
クレソンは、明治初期に在留外国人用の野菜として我国に導入され、上野精養軒から料理に使われた切れ端が排水と一緒に不忍池に流れ込み、自生したのが野生化の始まりとか(こんな所にまで登場するとは流石に精養軒)。
また、外国人宣教師が軽井沢など日本各地への伝道の際に持ち込んで、同様に各地の川や湖沼で野生化し、今や日本のあちこちで自生するクレソンが見られると言う。但し、野生のものは、その水質により寄生虫などに要注意とのこと。

 この五連休。まとまって時間が取れるので、11月下旬頃から始まるサンふじの発送準備を開始しました。

 先ず、連休前に昨年H/Pを作成していただいた制作会社さんと、今年のH/Pの変更内容の打ち合わせです。昨年のH/Pからご注文いただいた実績やアクセスいただいた内容を分析いただいて、色々アドバイスを頂きました。
また、今年は間に合いませんでしたが、来年に向けてブドウの巨峰もH/Pからも注文いただけるようにお願いし、早速連休中にも拘わらずブドウ園の写真撮影もしていただきました。

 10月中旬には、リンゴの中生種であるシナノスイート、陽光、紅玉の収穫を迎えますが、本数が少ないので、昨年ご注文をいただいたお得意様にDMでご案内したらどうか、というサジェストをいただきやってみることに。
 屋外作業は私で、屋内作業は家内の分担ゆえ、制作会社から果樹園のロゴマークや注文書を電子データで頂き、それを家内が封筒や挨拶状などPCで加工してプリンターで印刷し、お送りすることにしました。

 一方、屋外作業担当の私メは、先ずは贈答用資材の棚卸をして、昨年の発送数をふまえJA(農協)への注文です。同じ重さ(5kg、10kg)でも、リンゴを固定して守るモールドや箱もリンゴの大きさによって異なりますので、昨年はこちらの予想以上にご注文を頂き、慌ててJAに追加発注をしましたが、今年は在庫切れにならないようにしないといけません。

 さて、何とか発送準備は整いそうです。後はお天道様次第ですが、甘く色づくのを待つばかりです。
 近日中に、今年度のリンゴ(サンふじ)の注文用のH/Pが立ち上がる予定ですので、今年もどうぞ当園のサンふじを宜しくお願いいたします。

 皆さまからのご注文をお待ち申し上げます。

 毎朝チロルと散歩をしていると、日に日に秋の深まりを感じます。それは、時として温度であったり、風であったり、また音や匂い、そして色からも・・・。
      
 秋蕎麦の真っ白な花と黄色のコントラストは、刈入れを控えた黄金色の田んぼです。今年は梅雨以降の天候不順で作柄が心配されましたが、稲穂も頭を垂れてしっかり実っているようです。










 そして、田の畦道にはまさにお彼岸の日に相応しく彼岸花が咲いていました。どきっとするような赤が印象的です。別名曼珠沙華。仏教のサンスクリット語からとか。お墓に多く植えられているためか、日本ではあまり好かれる花ではないようですが、里山が秋に赤く染まる前に、田んぼの黄色の中に赤が映えています(注記)。







 連休前半は好天でしたので、アルプス公園近くのビューポイントからの安曇野越しに見た北アルプスの峰々。秋になって夏雲が取れ、この日は常念を中心に遠く白馬方面までくっきりと見渡すことが出来ました。麓の安曇平にはこれまた刈入れを待つ田んぼが黄色のペンキを塗ったように広がっています。

 季節の色のコントラスト。四季のある国に生まれた幸せです。





【注記】
Wikipediaに拠れば、田の畦に多く見られるのは、野ネズミやモグラが畦に穴を掘って田の水が漏れないように、彼岸花の有毒性の根(球根)を嫌って彼らが近寄らないためだとか。大昔からの先人の知恵だったんですね。


 秋の大型連休となった9月19日から23日までの5連休。5月のゴールデンウィークに対し、旅行業界が旅行需要喚起のため「シルバーウィーク」と命名したのだそうで、結構定着してきたようですね。この間には敬老の日もあるので、“シルバー”と呼ぶにはまさにピッタリ。因みに今度5連休となるのは6年後の2015年とか。

 この時期はちょうど巨峰の出荷と重なるため、自分はどこにも旅行には行けない代わりに、横浜に住む母方の叔母が従弟の運転で今年もお彼岸のお参りのため帰郷し母宅に滞在。入替わりに家内が次女の所に所用で上京。叔母達が二泊して帰る日の夕刻、今度は家内と仕事で帰れなくなったと言っていた長女が一緒に夕刻帰省。
 そして、私はその合間を見ながらご注文いただいた贈答用の巨峰の発送と、小振りの房は自宅用として、近くのスーパーの地場産品コーナーに毎日出荷と、何だか目が回るようです。

 叔母達は、やはり高速が渋滞し横浜から6時間掛かって到着。本当は、蕎麦好きの従弟を安曇野・翁にでも連れて行ってあげたかったのですが、出荷作業で昼間遠出が出来ず、夕刻皆で岡田「月の蕎麦」へ。ここは中せいろ(並盛)が680円と大変リーズナブルで、味も水準以上です。
翌日早朝、2匹の散歩とスーパーへの朝採り巨峰の出荷を済ませてから、毎年キノコ好きの叔母に食べさせるために行っている近くの山へ、一緒に行きたいという従弟を伴って初物のキノコ(リコボウ)採りへ。運が良ければこの時期リコボウが出始めるのですが、このところ雨が無く地面が乾いていて、今年は残念ながら未だキノコの気配すらありませんでした。そして叔母達は実家へのお墓参りへ。
叔母達が戻ってから、父の所にお見舞いにも行ってくれ、帰りに我家のお墓にも寄ってお参りをしてくれました。そして二日目の夜は、家内不在のため私の手料理で、準備に掛ける時間も無いことから申し訳なくも安直鍋(第16話をご参照ください)と信州らしく馬刺しと野沢菜漬けを用意。幸い安直鍋は大好評で、「今度、家でも作ってみるから」とレシピを紹介。
翌日は高速が混むからと朝には横浜へ戻って行きました。それから家内からの書置きに従い家の掃除等々をして、今年最後の芝刈りと庭の手入れをし、夕方には駅へ家内達を出迎えに。余裕を見て30分も前に出たのですが、県外車で松本城周辺は大混雑。朝など空いていれば5分の道のりも、脇道を選んでも40分近くかかりました。
家内達も元々は高速バスの予定が高速道路の渋滞で遅着の予告があり、急遽電車に変更したそうですが、特急あずさはガラガラだったとか。もしこれで高速が無料にでもなったらどうなっちゃうんでしょうか。

 さて、誰も居なくなった最終日のお彼岸。母と三人でお墓参り。そこは岡田区神沢の集落外れの高台にある十数軒の同姓だけのお墓(皆同姓なので屋号で呼び合います。例えば我家であれば「カネヤマのニイサン」とか)で、居合わせたお宅でも子供たちもちゃんとお参りに来ていて、「ナンマイダー」と小さな手を合わせていました。
本家・新宅のお墓にもお線香を手向け、我々も「ナムアミダブ」。

 手を合わせたら何だか漸く落ち着きました。
いやはや疲れたシルバーウィークでありました。



 総務省の家計調査で、全国の県庁所在地中、小麦粉の(家計調査ですので家庭での)消費量日本一は「讃岐うどん」の高松(別の調査で「うどん玉」消費量は確かに香川県が全国一位だそうです)やお好み焼きやたこ焼きの本場である関西でもなく、何と長野市なのだとか。そして、この傾向は県全体でも同様なのだと言います。
しかし、蕎麦処信州ですので麺類はうどんより蕎麦の筈。お好み焼きやたこ焼きなど「粉文化」の関西とも異なります。
 雨の少ない信州では昔(江戸時代)から米作が困難な地域では小麦の生産が盛んで、讃岐地方だけではなく、「水沢うどん」に代表される上州(群馬)のようにうどんが名物という地域も信州(上田などの東信地方など)にも無いではありませんが(因みに信州ではうどんのことを「オザンザ」と呼ぶ地域があり、それも地元産の「地粉」の手打ち。我家でも亡くなった祖母は「オザザ」と呼んでいました)、その傾向は勿論讃岐ほどではなくまた全県でもありません。ただ、地元では精進落としの締めには、基本的にソバではなくうどん(ヒヤムギに近い細麺で薄口の汁椀)が出されます。これは、仏教とうどんの伝来に何か関係(由来)があるのでしょうか?

 さて、長野県で小麦粉消費が多い理由、それはうどんではなく、何と「天婦羅」がその答え(としか考えられない)なのだとか(8月19日付日経長野版)。その証拠に、家計調査で小麦粉同様食用油も消費量全国一位(長野市)なのだそうです。
 そう言われると、母や叔母、家内の実家の両親も、蕎麦屋に行くと必ず「天ざる」を注文します。義母などは、家内が休みの取れた平日なら混んでいないからとわざわざ安曇野・翁へ連れて行ったのに、天婦羅が無いから(蕎麦も美味しくない)と、“あの”翁の蕎麦を残したのだとか・・・。いやはや「天婦羅恐るべし」です。

 信州では、お盆にも必ず天婦羅(サツマイモやかぼちゃ、地域によってはお饅頭!なども)をお供えします。また、信州での春の定番と言えば、タラの芽やコゴミなど山菜の天婦羅。また夏にはナスやかぼちゃ、ピーマン、はたまたアスパラガスなどの天婦羅も定番です。
 これは、古来山国信州は魚や肉類が乏しく、食事が野菜や山菜などばかりになりがちな中で、油分を補給するために素材はそのままで天婦羅にしたためなのだとか。今の若者は何でもありますが、戦前戦中派のお年寄りの信州人は、そうした食生活の中で天婦羅が「ごちそう」になっていったのでしょうか。この連休に帰省してきた横浜に住む叔母曰く、「天婦羅が一品あると、お蕎麦が豪華になるでしょ。」と当然の如くご注文!。やっぱり。

 うどんや粉モノではなく、天婦羅で小麦粉の消費量全国一位というのも、考えてみればスゴイことですね。まさに、信州の天婦羅恐るべし!


 毎朝、チロルの散歩コース。今年は休耕田が多く、夏に小麦の刈り取りが終わると、その後蕎麦が植えられました。

 地元の蕎麦の産地で、野麦峠の麓の奈川(現松本市。蕎麦のしゃぶしゃぶのような「とうじそば」が名物)に住まれる会社の先輩の方は、今年の夏は雨が多かったので、秋蕎麦を8月の第一週には蒔かないと霜害になるから(間に合わない)と心配していましたが、奈川よりは標高が低い松本(奈川は1000m、松本は600m)では、お盆頃に種蒔きがされ、今ちょうど真っ白な蕎麦の花が畑一面の満開を迎えています。



 10月中旬頃になって、蕎麦の実が真っ黒くなると収穫され、信州は新蕎麦の季節を迎えます。



 先週末から、巨峰の収穫をスタートしています。
 ブドウは、リンゴのように採り置きが出来ないので、その日の発送分はその日に収穫し発送します。従って、果物売り場の店頭に並ぶものと違い、木から採った翌日にはお手許に届くことになります。

 房の大きいものは500gにもなりますが、逆に小さなものは200g。
 味や糖度には変わりはありませんが、大きくてりっぱな房をご贈答用とし、小さなものはご自宅用としてお送りしています。
 北側と南側の巨峰では、日当たりと木の違いから熟す早さも多少ズレがありますので、お陰で時差で出荷することが可能ですが、そうは言っても巨峰の旬は長くは無く、せいぜい9月末くらいまででしょうか?

 先週末に第一弾で収穫したものは、糖度が既に18度から19度あり、中には20度どころか22度もある房もあるなど、JAの出荷基準16度を遥かに越え今年も当園の巨峰は甘み十分です。南側はほほ終わり、今週末から北側の巨峰を収穫します。

 もしご希望がありましたらお譲りいたします。ご贈答用とご自宅用も可能ですので、9月末日迄にFAXにてご連絡ください。折り返しご案内させていただきます。

  カネヤマ果樹園 宛  FAX(0263-33-5398)

 なお、木が二本ゆえ、余り房数がありませんので、完売の際は何卒ご容赦ください。

【追記】
昨年からお送りしているお得意様から嬉しいご連絡をいただきました。
お送りした日に、偶然ブドウの本場である他県からもブドウが届いたのだそうですが、比較されて当園の巨峰が『とても甘くて、雲泥の差でした。』とのことで、大変喜んでいただきました。誠にありがとうございます。
そう言えば、ワインコンクルールでも長野県産が最近は上位を占めることが多いとか。これが、もし温暖化の影響であれば、あまり素直に喜べない気がしますね。

 この週末9月12日の土曜日から、いよいよ巨峰の出荷です。

 我家のブドウ園は、父が最後母と二人で出来る広さにと5分の一程度(10アール弱)に減らし、樹齢30年(通常ブドウは30年で寿命と言われています)を越える巨峰の太い木が2本だけ。でも、知り合いの方からも「見事な巨峰だ」と誉められるほど、6m四方に枝を広げています。その方からは、父が倒れた時も「切るのは勿体無いから」と言われ、何とか頑張ってきました。
 リンゴ同様、お陰さまで地が良いせいか、通常JAの出荷基準では、糖度16以上となっていますが、我家の巨峰は甘いもので20度以上にまで糖度が上がります。
 (昨年ですと22度までありました)
 既に先週末から18度以上ありましてので、例年早く熟す南側の木から採り始めました。先ず親戚や毎年注文を頂く父の代からのお得意様に出荷開始です。北側の木の方が房は大きいのですが、例年2週間ほど遅れ完熟になります。
 今年は、梅雨以降8月上旬まで雨が多かったため、粒の伸びは例年以上の大粒の見事な房になりました。遅れ気味で心配された糖度も大丈夫そうですので、今年も良い巨峰がお届けできそうです。


 例年は、余れば近所のスーパーの地場産品コーナーへ出荷していたのですが、もしご希望がありましたらお譲りいたします。ご贈答用に最適です。

9月末日迄にFAXにてご連絡ください。折り返しご案内させていただきます。

  カネヤマ果樹園 宛  FAX(0263-33-5398)

なお、木が二本ゆえ、余り房数がありませんので、完売の際は何卒ご容赦ください。

 せっかく大事に育てていた水耕栽培のクレソン(第94話を参照ください)。もう少し伸びたら・・・と思い、飲み会続きで数日間放っておいた8月のある朝。クレソンの葉が全て無くなっていて茎ばかりに・・・。青虫に食べられて葉がきれいに無くなり丸坊主になっていました。そしてクレソンの枝には、丸々太った元気そうな青虫クンが6匹も・・・。確かに葉がつやつやしていて見るからに柔らかくて美味しそうでした。全く消毒もしていませんでしたが、まさかこれほどとは・・・。残念ながら、今年のクレソン水耕栽培は完全に失敗です。モンシロチョウの育成に貢献しただけで終わりました。トホホ。あ~あ(斯くなる上は)、みんな元気に蝶になるんだゾー!

 さて、今年は諦めるか?性懲りも無く、今度はプランターででも再チャレンジするか・・・?(ウ~ン、奥様の「氷の微笑」が目に浮かびます)

・・・ということで、9月上旬、ホームセンターでプランター容器と川砂を購入し、またまたスーパーでクレソンを一束買って、瓶に活けて発根を待つことにしました。「育てるより買った方が安いんじゃないの?・・・」という家内の溜息も無視して。確かにご尤も。これで3束目ですが、まだ一本も食べてない・・・。
 念のため、図書館でハーブ関係の書籍を何冊か見たのですが、クレソン(栽培方法)は殆ど記載されていませんでした。ならば「自己流でやるっきゃなかべ!」という次第(しかし、早く育てないと冬になっちゃいます)。
       
 今度は、前回失敗した水耕栽培ではなく、その発泡スチロールにすっぽり入るくらいの小振りのプランター容器に川砂を敷き詰めて発泡スチロールに入れ、発泡スチロールの中には液肥を混ぜた水を浸して、川辺と同じような状態?にしました。容器には、水が常時進入し逆に砂が流れ出ないように、中に目が細かい台が付いていて一ヶ所に穴が空いてるものを選びました。また、今度は虫に葉を食べられぬようにネット(防虫網)を被せるようにしました。
さあ、これで今度はどうだ!?しかし、これだけでしめて約900円也。うーん、クレソンが9束買えます・・・。ま、いいか・・・。ここまでくれば、もう意地だけ。
 しかし、10年以上前に栽培したアメリカン・クレスは、ただ水遣りをしただけで全く虫害もなく食卓を賑わせてくれましたが、しかし一体何が違ったんでしょうか?
       
 そして、ほぼ一週間が経った9月12日の土曜日。瓶に活けておいたクレソンから大分根が出てきました。しかも、買ってきた時は、きっとハウス栽培だったのでしょう。柔らかく浅緑だった葉が、日光で緑が濃くなり、茎も黒味を帯びてしっかりしてきました。ただ密集し過ぎていて、黄色く枯れた葉も散見されることから、ここで準備万端のプランターに移植することにしました。そして、念のため(乾かぬよう)に毎朝プランターに水を掛けて湿った状態を保つようにしようと思います。

さて、今度はしっかり成長してくれるのでしょうか?
クレソンさん、頼むよ!



【注記】
写真は移植したばかりのプランターと、ネット(防虫網)を被せた様子です。植え切れなかった残りは、瓶に挿してそのまま育ててみることにしました。



 昨年リタイアされた会社の大先輩の方からお誘いをいただき、上諏訪駅前にある(何回か取り上げた「岩魚の骨酒」のお店です。第26話を参照ください)小さな割烹「味宏」へ(「かき揚げ丼」が名物です)。

 その方は本社勤務時代に単身で諏訪に住んでらっしゃって、赴任中はこのお店で、飲む時だけでなく夕食も食べられるなどの常連さんで、メニューには無い「スペシャル」が出されるのだとか。また、(単身時代の)休日は店の女将さん(オバチャン)に連れられて山へ一緒に山菜やキノコを採りに行かれていたそうで、オバチャンが言わば信州での「山(の幸)」のお師匠さんです。

 その日も、久し振りに上諏訪に来られる大先輩のために、オバチャンは早朝4時起きして山へキノコ採りに行って来られたのだそうで、大先輩のために期待に違わぬ「スペシャル」メニューが用意されていて、私もそのご相伴に与からせていただきました。お二人に感謝であります。
 “山の達人”曰く、今年の(も?)キノコは豊作だとか。もう2000m以下まで“キノコ前線”が降りて来ているそうです(9月4日時点)。

 さて、その宵のスペシャル・メニューはと言うと、地元では定番のジコボウ(ヌメリイグチなどのイグチ系キノコの総称。松本ではリコボウと呼びます)のキノコオロシに始まり、天婦羅や4種類のキノコが入っているという「のっぺい汁」。そして、高級キノコ「ポルチーニ」(和名ヤマドリタケ)のバターソテー。他に、天然鮎の塩焼きなどなど。どれもこれも美味しくて、一足早く信州の秋の味覚を堪能させていただきました。
 とりわけビックリしたのが、生まれて初め食す「ウドの花の天婦羅」。ウドの花をかき揚げ風にしたものですが、まさか“役立たず”の代名詞であるウドの大木ならぬ花が食べられるとは・・・。ほんのり苦味のようなウドの香りがして美味しかったです(少なくとも春の「アカシヤの花の天婦羅」より遥かに珍味にして美味)。
また、最初の付け出しの一つが、何とミョウガの花!(しかも、生の花弁にただ醤油を掛けただけとかで、感じは山形の食用菊「もってのほか」に似ています)。これまたほのかにミョウガの味がして珍味でした。いやはや、料理は奥深い・・・参りました。

 途中、8時半にはこの夏最後となる打ち上げ花火の音が外で響いていました。翌5日の新作花火大会を以って、1箇月以上毎晩続いた今年の諏訪の花火シーズン(第121話を参照ください)も終了し、湖畔は足早に秋に衣替えです。

【注記】
参考までに、我家にあるウドの花の写真です。紹介のために撮影してみました。既に実が黒くなっていますが、花が咲いて熟す前の、実がまだ緑色の時に食材として使うのだそうです。たくさん食べるものではありませんが、ちょっぴり目先が変わって良いかもしれません。来年花が咲いたら我家でも試してみようと思います。
【注記2】
この“スペシャル”メニューは、この大先輩のみが対象で、我々がお願いしても無理なのです。悪しからずご了承ください。


2009/09/09

131.至言なり

 ここ一年くらいで「いいなぁ!」と思って書き留めた言葉・・・から

 『リーダーの仕事とは、人の心の価値観を創ること。』
 ―日産自動車「国産スーパーカー」GT-R水野和敏プロジェクトリーダー ―

 『反発係数+連鎖反応=チーム感情』
 ―神戸製鋼ラグビー部 平尾誠二GM―
 *「反発と連鎖がないとチームは強くならない。今の若い子達には意識してそれを起こすのがリーダーの仕事。」

 『道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である』
 ―二宮尊徳―
 *但し、尊徳の時代にはまだ「経済」という単語は日本語に無かったという指摘もある。同様の趣旨の発言が、その後近代風に言葉を変えたのでは?

 『アマは和して勝ち、プロは勝って和す』
 ―名将(西鉄ライオンズ監督) 三原脩―
 *WBC優勝後、前駐米大使で熱烈な野球ファンであるNPB加藤コミッショナーがこれを引用しつつ、今回の日本代表チームを「サムライ・ジャパンは、和を以って勝ち、勝つことで和を高めた。」と評した

 (会社にとって)『利益はウンチである』
 ―伊那食品工業 塚越寛会長―
 *「健康な人が自然と良いウンチが出るように、健康な企業からは良い利益がでるものだ。(良い)利益は企業の健康さの結果である。」
  「かんてんぱぱ」で知られる(リストラ、賃金カットもせず48期連続増収増益)

以下、野球の話題を三題。

 『監督がもっと使ってやってれば、ちゃんと結果を出せる子なんです!』
 ―東洋大学野球部 高橋監督―
 *監督暦何と38年。3年生の主力選手中心に、東都大学リーグ戦後初となる5連覇を決めた春のリーグ戦の試合で、決勝打を決めた4年生(代打でリーグ戦初ヒット)を称して。「だから何とか卒業後も野球を続けさせてやりたいが、(不況で)就職先がなかなか見つからないんです。」とも。親心に拍手!

 『さぁ、胸を張って笑顔で新潟に帰ろう!』
 ―日本文理高校野球部 大井監督―
 *夏の甲子園、新潟県勢初のベスト4.での準優勝。大量点差を9回二死から脅威の粘りで後一歩まで詰め寄るも敗退。表彰式後ナインに声を掛け・・・。
  まさにグッド・ルーザー(Good Loser)、美しき敗者たち・・・。

 『お疲れさん。いやぁ、涙が出たぞ!』
 ―野球解説者 山本浩二―
 *9月4日の巨人VS ヤクルト戦。延長11回裏、三人目キャッチャーの頭部死球で、延長12回表に急遽マスクをかぶって見事零封した“捕手”木村拓也選手。延長引き分けの試合終了後、TVの実況席からのヒーローインタビューで直接労って。
木村選手のカープ時代の監督。いいなぁ、この師弟愛。
キムタクは加藤への死球を見て、「俺しかいない」と即座に自分からブルペンへ捕球練習に向かったという。さすがプロ。

 最近はTVなどでも採りあげられることも多く、信州の「おやき」も長野地方区から全国区になりつつあるようです。

 さて、第51話で書いたように、昔懐かしい「灰ころがし」(ネットで見ると最近は「灰焼きおやき」と呼ぶようです)を探して色々調べてみたら、蒸すのではなく焼くタイプのものも幾つかありました。
例えば「村興し」の成功例としてもマスコミにも取り上げられる小川村の「(小川の庄)縄文おやき」(囲炉裏端の鉄板で焼く)や豊科の事業所近くにも「おやき」(ここは独自の石焼きとのこと)の小さなお店があったのですが、昔ながらの「灰ころがし」には中々行き着きません。検索してみると、旧八坂村(現大町市)や生坂村にはあるらしいのですが、(おやきだけのために行くには)チト松本からは遠いなぁ、と二の足を踏んでおります。
 斯くなる上は、冬(今では昔のように囲炉裏も掘り炬燵もありませんので)、薪ストーブの季節になったら、具材から作るのも大変なので、手抜きながら蒸したおやきを買ってきて、薪が燃え尽きた後の灰だけになったストーブの中に“くべて”(これは信州の方言で「火の中に入れること」の意)自家製の「灰ころがし」に挑戦してみようか?などとまで・・・。

 ところが、何の事はない。何時も行くすぐ近くに「灰ころがし」があると言うではありませんか!それは、第86話(池田町ハーブセンターと安曇野・翁)のハーブセンターの直ぐ近くに『安曇野おやき村』なる施設(と言うほど大きくなく、むしろ「小屋」に近いとのこと)があって、ここは言ってみれば“おやきのテーマパーク”?で、何軒か出店している中に「灰焼きおやき」を売っている店もあるのだとか。
 以前別の事業所で一緒だった同僚と、この前久し振りに一緒になり、彼は池田町在住であることから、「翁」の話から話題が広がり、「おやき村」が池田町にあり、「灰焼きおやき」もそこにあった筈と教えてくれました。
そう言えば、ハーブセンターに行った時に家内が「ここでおやきも買える筈なんだけど・・・?」と言われて、「道の駅」の施設内を探しても見当たらなかった(当日は雨で執着心が足りなかったのも敗因)のですが、そこから至近距離の所に、別の施設があるようなのです。
     
 またまた「翁」へ行く口実が見つかりました。さて今度は何時行こうかなぁ・・・?

【追記】
 9月上旬の土曜日。2本だけある早生リンゴの「さんさ」を出荷。農協に出荷するほどの量でもないので、小分けして(父の頃から生産者登録済みの)近くのスーパーの地場産品コーナーへ出荷し、この週末で完売御礼となりました。
 朝出荷した後、ナナを連れ久し振りに安曇野・翁へ。翁のすぐ近くに池田町の町営美術館などの施設と共に芝生の広場があり、ナナの散歩と、「安曇野おやき村」の「灰ころがし探し」が目的です。

 娘に「さんさ」と二十世紀梨、そしてまだ少し早いのですが試しに採ってみた巨峰の初物を宅配便で送るために業者の集荷所に持込んでから、いつもの国道19号ではなく、安曇野アートラインをドライブし、12時半に翁へ到着。週末のため順番待ちではありますが、思いのほか混んではいませんでした。(家内に任せての)順番待ちの間、ナナと隣接する広場へ。生憎雲が掛かり、絶景の北アルプスは望めません(夏は雲が掛かりやすいので、山容が見られるほうがむしろ稀です)。
 相変わらずの蕎麦を頂き店を出ると(その間ナナは車でお留守番)、店の外には行列が・・・。

 山を下り、大町方面へ数分。道の駅の対面ハーブ園の並びに確かに小屋のような建物(失礼)があり、「安曇野おやき村」の大きな看板も出ていました。
 いくつかのお店のおやきを扱っている中で、結果は「臥龍庵」のおやき(因みに松本の地場スーパーでも売られています)が焼いてはありましたが、小川庄のおやきと同じで、残念ながら“灰ころがし”ではありませんでした。
色々お聞きして申し訳ないので、2個ほど買って店を後にしました。

 う~ん、やっぱり冬になったら薪ストーブかなぁ・・・。


 軽井沢ついでに、昨年の9月の連休(最近では旅行業界の販促のために、シルバーウィークと呼ぶのだとか)に行った時の話題を一つ。
 
 昨年9月の三連休に、帰省してきた下の娘と(家内の指示で止むを得ず)母も連れて、チロルとナナを動物病院に預け、軽井沢へ二泊三日で出かけました。本当はお盆休みに行きたかった(らしい)のですが、(会社の健保が)会員のリゾートホテルが一杯で、9月になりました。ホテルは信濃追分にあり、軽井沢からは離れているのがやや難点(軽井沢駅との間に無料シャトルバス運行)ではありますが、会員価格と林間に点在する充実した施設を考えて・・・(ここからは晴れていると浅間山が正面に望めます)。
 二日間のアウトレットでの買い物三昧が目的の次女と家内とは別行動を命じられ、止むを得ず年寄り連れとなって軽井沢を「銀ブラ」することに。
初日は皆でアウトレット内のレストランでの昼食後、別れて徒歩で散策がてら並木道を抜け老舗万平ホテルの喫茶室を目的に。二日目は距離があるので、車で旧三笠ホテルと白糸の滝へ。昼食は三笠ホテルの先にあった茶屋にて。蕎麦そのものは今ひとつでしたが、裏庭の戸外の席は、すぐ横に谷川が流れていて、せせらぎの音を聞きながらの食事は、軽井沢らしく清涼感がいっぱいでした。
 9月三連休の軽井沢はどこもかしこも人の波。地元の方曰く、お盆並みの混雑とか。
 万平ホテルは、宿泊客よりむしろ観光客の方が多い感じで、玄関先でホテルスタッフが気軽に声がけして、皆記念写真をとってもらっています。玄関ホール横には、画廊があり、一千数百万円の値札が貼られた大観などの国内外の大作がずらり。何故こんな所にと思いましたが、別荘族が手放したりするのだとか。納得です。お目当ての喫茶室(テラス・カフェ)は順番待ちで、いつになるかも分からないので断念し、並木道を通り教会(ユニオン・チャーチ)を目指して軽井沢銀座方面へ。そこで、歩き疲れた母が愚痴るので、やむなく教会近くに喫茶店を見つけ入店。


 そこは、管球アンプとアルテックA5(の他にElectro-Voiceが一対)での音楽が静かに流れるこじんまりした喫茶店で、ご夫婦で経営されていて観光客というより地元の方々の「憩いの場」という感じでした。喫茶コーナーとは別に、A5に正対するソファに老婦人が一人でじっと音楽(リチャード・クレイダーマン)を聴かれていました。壁にはジョン・レノンの版画?が・・・。
 馴染みの方々が帰られると私たちだけに。奥様と母で何となく会話が始まりました。
曰く、今までそこに座って音楽を聴かれていれた方は、息子さんがショーン君と幼馴染。でもビートルズは嫌い。また、この夏、皇后様が軽井沢に久し振りに来られた時に、陛下と懐かしがってすぐそこのコートでテニスをされて・・・。皇后様のテニスの方が攻撃的、とか。喫茶店の庭にはテラス席もあり、夏は犬連れのお客さんで一杯になるとか(「アスファルトが熱いからワンちゃん達が可哀想で、いつもサービスで水をあげると、あっという間に飲み干しちゃう」のだそうです。飼主の一人としては心せねば)。そして、冬。それまでの喧騒が嘘のように消えると、庭先に鹿や猪(時にはウリ坊を連れて)が散歩にくるのだとか。
 そして、マスターが戻られての会話。
元々はメーカーの無線技術者で、以前はアマチュア無線の雑誌の「CQ」にも執筆していたそうで、引退後の今は、喫茶店経営の傍ら管球アンプの自作や修理を頼まれるとかで、暫しオーディオ談義。近くのブティックにも連れて行かれ、自作のアンプを聴かせてもらいました。
ご夫婦お揃いで「喫茶店のオヤジ・オバサンになるとは夢にも思わなかった。」と笑ってらっしゃったのが印象的でした。
 手作りのクッキーまでいただき、コーヒー一杯で結局1時間半も長居をしてしまいました。観光ではない、これが普段着の軽井沢なんだろうと納得し、今度またショッピングのお供をさせられた時は、好きなジャズのCDでも持参し(先ほどのご婦人同様、皆さんご自分の好きなディスクを持ち込んでじっくり聴いていかれるのだとか)、場合によったら(スピーカーは自作されないマスターもご存知で興味をもたれていた)スワンをいつか運んで来て管球アンプでドライブさせていただくことも約束しあい、お二人の人柄からの居心地の良さと、管球アンプの暖かで優しい音質とが相俟って、ほのぼのした気分で喫茶店(その名は“CAFÉ PICO” )を後にしました。



 先日、東京で勤めている長女が、プロジェクトが一段落して休みが取れたからと急なご帰還。仕事が終わって最終便に乗り深夜に着いて(予想通りとは言え、白河夜船の私ではなく家内が迎えに)、一日だけいて翌々日には早朝一緒に駅に行ってのご帰京。台風のようにあっという間に去って行きました。社会人となって2年目ですが、入社して2度目の年休とか。ま、自分で選んだ道ですから、親としては体を壊さぬよう願うのみです。
       
 さて、一日だけの実家での休日。「お蕎麦が食べたい」+「ドライブ」+「ナナも一緒で」(チロルは吼えるので可哀想ですがお留守番)というキーワードの組み合わせからの回答は(他の理由もあって)軽井沢(個人的には安曇野・翁を推薦するも却下!)と相成りました。

 早朝から仕事を片付け11時過ぎに松本を出発。ナナを乗せているので、スピードも控え目に途中東部湯の丸SAで休憩し、時間節約のためナビの佐久IC下車指令(コスト節約のためなら東部湯の丸で降り、浅間サンライン?を走った方が空いている筈です)を無視して、碓氷軽井沢IC経由で中軽まで2時間弱で到着。生憎インターの手前位から、霧雨が降りだしました。

 中軽には、昨年行った時には一杯で入れなかった「村民食堂」など星野リゾートが運営するエリア(星のや、ブレストンコートなど)が点在しています。娘が「あそこならペット同伴のレストランがある筈」とのことで、そのうちの一つ『ハルニレテラス』へ。

日経の地方版にも以前紹介されていましたが、星野リゾートが所有する楡の林の中に地元軽井沢の有名店がテナントとして点在する新しい商業施設。
その内の一つ、蕎麦の『川上庵』(旧軽にジャズが流れるお洒落な本店があります)のテラス席へ。軽井沢はどこへ行っても、別荘族の方々含め犬連れのお客さんの多いこと。皆(お犬様方は)お上品な格好をしていて、ご主人さま同様田舎モノのナナは少々気後れ気味?
でもナナは外面がいいのか(家では野生児ですが)、さすが元チャンピオン犬の子(孫?)。席に着いてもワンとも吼えず、ピクリともせずお座りの姿勢・・・。むしろ、こちらがビックリです。お隣のトイプードルを連れられた(初老の)お婆ちゃまがナナを誉めてくださいました。

 ハルニレテラスは、湯川の清流沿いの楡の林の中にあり、ウッドデッキでコテージ風の各テナントが繋がれ、所々に大きな楡の木が所々に残されていてとても雰囲気がありますが、もう少し広いのかと想像していました。
食事の後、これまた軽井沢の有名店『丸山珈琲』へ。自家焙煎の珈琲をいただき暫し歓談(写真は娘がオーダーしたカプチーノ。クリームで描かれた模様が見事です)。雨が少々強くなったのと女性陣がテラスは寒いというので、ナナは車でお留守番。同じ信州とはいえ、この日の軽井沢は気温17℃とかで、行き交う人達もすっかり秋の装い。半そでとバミューダパンツの私メは一人夏姿で、家内からヒンシュクを買っていました(都会とは10℃でも、同じ信州の松本とはせいぜい5℃くらいの差なのですが・・・)。



雨は止む気配もなく、これでアウトレット(プリンス・ショッピングプラザ)へ行っても濡れるだけ。止む無く諦めて道を挟むホテル・ブレストンコートへ。ここには、内村鑑三ゆかりの「軽井沢高原教会」やその記念館を兼ねる「石の教会」があり、林の中に佇む風情はそれぞれに趣がありました。石の教会ではちょうど式が行われていて、残念ながら(幻想的な内観という)教会の中に入ることは出来ませんでした。






 小雨が間断無く降っていて、しっとり濡れる軽井沢も風情があっていいものですが、残念ながら(元々アウトレット=プリンスSPは同系列のゴルフ場でしたので)広々とした芝生の上でナナが走り回ることができないため旧軽へ立ち寄るのは諦め、帰路も軽井沢ICから高速に乗り一路松本へ戻りました。

 途中、晴れていれば小諸付近で雄姿が望める筈の浅間山もすっぽり雲の中でしたが、何故か軽井沢周辺だけが雨模様。
ああ、やっぱりナナは「雨女」ならぬ“アメ犬”でした。


 我家の愛犬チロルは、よく吼えるため室内で飼っており(第17話を参照ください)、チロルが外の空気を吸えるのは散歩の時だけ。そのためかどうかは別として、散歩大好き犬です。

 平日は、夜は行けないので朝だけ。可哀想なので、休みの時は朝夕二回しっかり散歩に連れて行ってあげます。チロルもそれが分かっていて、時間になると催促されます。以前ケージを施錠していなかった時は、朝明るくなるとケージを出て2階まで音を立てぬように(家内から2階を出入り禁止にされており、気付かれると怒られるので)静かに上がってきて、ベッドの脇に来て吼えずに前足で引っかいて起こされました(と言うより私が目覚めるまでずっと無言で腕からやがて顔へと続けていたようです)。
      
 梅雨時や雨の日は、止むか小雨になるのを待って出掛けるのですが、チロルにとっては雨が降ろうが槍が降ろうがお構いなし。とにかく散歩に行きたくてしょうがない、という様子です。平日は出勤時間がありますので、ギリギリまで待って、結果降っていても意を決して出掛けてて行きます。
 ところが、不思議なことに(偶然とはいえ)、チロルの散歩になると雨が小降りになったり、止んだりすることが良くあります。

 以前も予報では未明からずっと傘マークなのに、チロルが散歩に出た時は雨が上がっています。そして平日は30分の散歩を終わり、我家が近くなると、ポツポツとまた降り出してきました。そして、家のベランダで、ブラッシングと足を拭いている間に、ザーっとまた雨脚が強くなってくるではありませんか。お陰で、こちらは通勤時に傘を差すことに・・・。

 まるで、お天道様がチロルの気持ちを汲んでくれているかのようで、とにかくチロルは「晴れ女」、いえ『ハレ犬』です。


*写真は、ある日の散歩帰りのベランダで満足げなチロルさまのご様子です。『余は満足じゃ!』てなお気持ちと拝察・・・。

 逆にナナは「雨女」、『アメ犬』です。止んでいたのが、ナナとの散歩途中にまた急に、それも結構降り出してきて、ナナを濡れぬように抱いて帰ってきたことも何度か。
ま、小止みの時間を順番でチロルに取られただけかも知れませんが・・・。その分、器量では“水も滴るいいシーズー”ということで、許してよネ、ナナ!