カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 10月中旬以降、ここ松本は最低気温が10℃を下回るようになりました。
 松本の市街地には、女鳥羽川や田川、薄川(松本駅周辺が合流点で川が集まっています)また郊外(島内地区)には奈良井川と梓川の合流点(ここから千曲川と合流する川中島までが犀川)もあり、幾つもの川が流れています。そのためか、この時期11月にかけての寒い朝には(局所的ですが)頻繁に霧が発生します。

 我家は、沢村から岡田にかけての高台にありますので、それほど大したことはありませんが、毎朝家を出て沢村から蟻ヶ崎を下っていくと、次第に霧が深くなり、深志高校辺りから坂の下に見える松本の市街地が霧にすっぽりと覆われていることが良くあります。
今朝(30日)も我家周辺は全く気配が無かったのに、駅周辺だけが霧に包まれていて、深志から見る霧に沈む街が何だか幻想的でした。
写真は朝6時50分、松本駅に向かう信号待ちの車の中から撮ったものですが、その雰囲気が多少なりとも伝わると良いのですが・・・?


 以前、島内の事業所に二年程勤務していた時は、新橋の交差点を過ぎ奈良井川を渡る辺りから、数十メートル先も見えないような濃い霧が出ていることが頻繁にありました。この島内地区はその名の通り、梓川と奈良井川に挟まれた大きな中州のようなエリアです。多分、この時に城山公園やアルプス公園などの城山々系からは、霧の海に浮かぶような北アルプスの峰々が望めることでしょう。

 盆地全体が霧で覆われることで有名な「霧の街」広島の三次盆地ほどではないにしても、同じく盆地である信州松本もこの時期は“霧の街”になります。


(・・・少々長文になりますがお許しください・・・)
 老舗ばかりだった松本市内でも、趣味が嵩じての脱サラなのか、近年次々と新しいお蕎麦屋さんが増えているような気がします(以前、車で軽井沢や白馬に出掛けた時に、街中や道路沿いのいたる所に蕎麦の看板や幟を見かけましたので、それに比べれば蕎麦処信州としては、松本はこれまで蕎麦屋さんが少なかったのかも・・・?)。それぞれ店毎の拘りがあり、(殆ど)どこも水準は平均以上。蕎麦好き(正しくは麺好きだと自認)にとっては有難いことです。
その中で、マイ・ソバならぬ、自分の好みに合った店を見つけて(それ以外の店に対して、ソバ通ぶって「あーだ、こーだ。あーしろ、こーしろ」などと文句を付けずに)、そこだけに惚れ込んで(因みに私メは断然『安曇野・翁』、家内は松本『野麦』だそうです)浮気せずに通い続ける・・・のが本来ということなのでしょうね・・・と反省(のポーズ)。

(・・・と言いながら、へそ曲り故、つい・・・)
ただ、最近は、いくら玄蕎麦等材料に拘るとは言え、「ざる」一人前(「せいろ」ではなく「ざる」そのもので一人前一枚という店が最近増えています)が中には千円超(しかも最近は量が少なめなので二枚食べないと足りない)というのは些かお高くはないでしょうか。(そこへいくと、夜の宴会もできる松本の本町「そば切り御代田」や岡田六助「月の蕎麦」は、双方昔ながらのせいろの段重ねでの一人前が(二枚で)700円前後で、蕎麦の味も平均点以上。誠に良心的です。特に「月の蕎麦」は、田舎と更科が選べ、並、中、大盛りとあり、中せいろが何と680円で、200gありますので追加無用。蕎麦の味もガイドブックに載るような有名店と遜色無し。地元客ばかりですが、これで儲かるのかと逆に心配してしまいます。御代田は製粉会社のアンテナショップだったのが数年前に経営が代わり、飲兵衛にとっては有難いことにツマミの種類が大幅に増えた一方で、行った日によって蕎麦の出来に多少バラツキが・・・一方の長野店は製粉会社直営のまま)
本来麺類は庶民の食べ物だった筈で、ラーメン一杯700円、「ざる」は一人前(二枚で)千円(どんなにいっても1500円まで)というのが、市井(庶民)の感覚ではないかと思います(注記)
しかも最近は売り切れゴメンで昼しか開けない(早朝からの蕎麦打ちの大変さはさておき、食べる側の客からすれば、従ってユウメシではなくランチ=ヒルメシ向けの営業である筈の)ソバ屋が多い(昼だけのラーメン屋って聞いたこと無し。そば屋って昼だけで生計が成り立つのかも?)だけに、故杉浦女史とソ連(“ソバ好き連”。第86話参照ください)的には『昼にソバ前(酒)まで含め2000円以内じゃないと(我々庶民が憩える)ソバ屋じゃない!』という感覚の筈。中にはウンチクが色々付いてソバだけ(二枚)で3000円(昨年行った東信の某有名店は「ざる」で言えば一枚分の三味ソバで2100円でした)という店も珍しくなく、今や蕎麦は高級料理になりつつあるのでしょうか。
また、繁盛店で(食べるためなら)並ぶのは至極当然としても、予約しか取らぬ店があるのと言うのも「ソバ屋」としては如何なものか?
いいじゃないですか、並んで、もし終わったら諦める。でないと、信州に観光に来られて街で誰かに評判を聞いて「じゃあ、行ってみよう!」と思い立っても食べられないということです。
されど蕎麦かもしれませんが、その前にたかがソバではないでしょうか?
「されど」の自負は黙っていても食べれば、またいい店かは、ただ座っていれば分かります。どんなに有名になっても「たかが」という謙虚さが大切なのではないでしょうか。

(昔、蕎麦は、「蕎麦しか育たぬ」痩せた土地で作られていたこともあって、貧しく下賎の食べ物とされていたのが)故杉浦女史によれば、ソバ切りが「発明」(木曽路への入口となる塩尻の中仙道32番目の本山宿がその発祥の地という説あり)され、気の短い江戸っ子に「粋」として歓迎され爆発的に広まったのだとか。また余談ながら、当時の上方(灘・伏見)からの清酒の(海上)輸送量から計算すると、江戸っ子は一人当たりかなりの量のお酒を飲んでいたことになり、その量から判断すると、夜だけではなく昼間から(「ソバ前」として)飲んでいた筈で、『火事とケンカは江戸の華』と言われるのは、「てやんでぇ」という江戸っ子の気性もさることながら、皆昼間から酔っ払っていたことがケンカの多かった要因ではないか、という興味深い推察がされていて成る程と感心した次第。いずれにしても、蕎麦は決して高貴な食べ物ではなく、江戸時代のせっかちな下町の江戸っ子にピッタリの、日本初?のファーストフードだったのです(然るに、ファーストカム・ファーストサーブが基本であるべきで、要予約のファーストフードって在り?ってシツコイか・・・?)。
きっと故杉浦女史も天国で嘆いているかもしれませんね(やっぱ、シツコイ!)

 いくら蕎麦は、戸隠や開田など高原の霧下蕎麦が良いとは言え、その内に会席料理でしか食べられない、庶民にとっては正に「高嶺の(ソバの)花」、なぁんてことにならないといいのですが・・・と、お後が宜しいようで・・・。

【注記】
個人的に非常に疑問なのは、スープ材料含め遥かに具材の多いラーメンよりも、何故シンプルなソバの方が値段が高いのか、本来ラーメンより安くて然るべきではないか・・・??と。
いくら小麦粉よりも国内産の玄蕎麦が高い(奈川で蕎麦を栽培する会社の同僚に拠れば、産地として定評ある奈川でキロ1000円が出荷価格だったそうです)とは言え、あとは「返し」と店によっては生山葵くらいの筈であり、薬味のネギに至っては(松本の十割蕎麦のシーキューブを除き)ラーメンの上に載ってる量の方が大抵多いし、人件費含めその原価計算がどうしても理解できません・・・。(まさか、ラーメン屋よりも大概立派な「店構え」の固定資産償却費?・・・)
ラーメンだって、最近は例えば魚介系では節や昆布などにアゴダシや利尻・羅臼昆布などの高級材料を使う店も増え、スープにかなり力を入れています。
従って、麺好き(双方+うどん、パスタやフォーも・・・)としては、蕎麦よりもラーメン(の営業努力)の方に個人的には敬意を表します(ラーメン万歳!)

ところで、東京ラーメン(例えば荻窪ラーメン)で、嘗ては「○長」とか「○信」という店名のラーメン屋さんが多かったのだそうですが、これは長野県出身の店主が多かったからなのだとか。
蕎麦処である信州人は、ラーメンでも頑張っていたんですね。


 10月も下旬となり、里山も大分色付いてきました。ここ松本では朝晩の最低気温も軽く10℃を下回っています。
 リンゴは糖度(第154話を参照ください)のところでも書いたように、光合成によって葉で作られた澱粉が実で糖分(ブドウ糖)として蓄えられ、10℃を下回って日光に当ると赤い色素(アントシアン)に変わることで色付いていくのだそうです。従って、甘味(糖分)の元は葉で作られますが、色付きはある温度条件(着色適温)の下(ふじは10℃以下)での太陽光の働きによります。
 ネット検索をすると、リンゴ農家の中には『葉取らずリンゴ』として宣伝しているところも見受けられますが、確かに葉で養分が作られますので、葉を取らない(=葉が多い)方が(赤く着色していなくても)糖度は上がることになります。しかし、一定の糖度になれば、やはり赤く色付いたリンゴの方が(青いリンゴより)美味しそうに見える訳で、栽培農家としてはジレンマを感じるところです。また無袋(袋をかけない)サンふじの方が袋を掛けたもの(有袋)より糖度は高い(注記)のですが、有袋の方が肌が直前まで保護されるため、見た目は綺麗になります。
一方で、袋掛けや葉を取ってリンゴ一つ一つに日当たりを良くする葉摘みも、農家にとっては重労働であることは間違いなく、特にリンゴ栽培に限らず高齢化と後継者不足が進む農家にとって、省力化も考えれば(それで売値が変わらないのであれば)どちらもやらないに越したことはありません。個人的には、恐らく無袋や葉取らずにも背景にはそうした要因もあるのだと思っています。ただ、葉摘みと言ってもリンゴの着色を妨げる葉を取るだけで丸裸にする訳ではなく、十分な葉が残っているのは言うまでもありません。
 また出荷時には(JA出荷基準)糖度と色付きの両方共(さらに大きさや傷の有無なども)センサー等でチェックされますので、葉摘みをするのとしないのと、どちらが良いのかは一概には言えずなかなか難しいところです。一言で言えば単純に「赤くて甘いリンゴ」がいいと言う他ありません。
ネットで検索すると、リンゴの本場である青森県の小学校の無袋・有袋・無袋葉取らずの3種類を比較した面白い実験(注記その2)が掲載されていました。子供の方が感性が鋭いので興味深く拝見しました。興味ある方は是非ご覧ください。
ただ、糖分は葉だけの問題ではなく、そのリンゴの生えている土壌や気候条件などに先ず左右されることは言うまでも無く、あくまで同じ条件下で且つ同じ木で見た時の比較でしかありえません。
       
 さて、当園でも平日は葉摘みを母がやってくれました。良く日の当る枝は不要ですが、木によって、また枝によって日が当りにくいリンゴは一枚一枚日陰を作っている葉を摘んで日当たりを良くしてあげます。
また中生種リンゴの発送も終わり、久し振りに家内が娘のところに上京して不在の週末には、一日かけて今シーズン最後のリンゴ園の草刈をしました。除草剤を使えば楽ですが、茶色に枯れたリンゴ園を見るのは忍びなく、大変な作業ですが、春から最低でも毎月1回は草刈をしたでしょうか。これで何とか来月のリンゴ採りの準備ができました。
残りの葉摘み作業中、葉に隠れてまだ青いリンゴでムクドリが啄ばんだものがあり、「へぇ~」と思い試しに採って糖度計で計ったところ既に15度ありましたので、今年も順調に甘くなってきているようです。
あと一ヶ月弱、11月20日頃には例年同様サンふじの収穫が迎えられそうです。
 今年は、娘達が海外出張やゼミ活動等で11月の三連休には帰れそうも無いとのこと(特に次女は家内よりも力もあり“働き者”なので痛手です)。少し人手不足が心配ではありますが、妹夫婦も例年同様また今年も手伝いに来てくれそうなので、皆で頑張って「太陽と土の恵み」を一つずつ大事に収穫したいと思います。
【注記】
ある糖分以上になると、糖分に変わらず透明な澱粉質となって蓄えられ、これが「蜜」と呼ばれます。従って、「蜜」そのものは甘くはありませんが、結果として蜜が載っていれば糖度が(十分なほどに)高いという間接的な証明になります。言わば甘いリンゴの必要条件ではなく十分条件です。
【注記その2】
「3つのりんごを比べよう」青森県弘前市立草薙小学校
http://www.hi-it.net/~kusanagi/kodomo/h14-5nen/5-3ringo/5-3ringo1.htm
(リンクの貼り方が分からず、お手数ながら上記URLもしくは「りんご糖度」を頼りに検索ください)


 10月26日付の『天声人語』で紹介されていた、記憶にも新しい(と言っても5年前でした)舞鶴での水害時に水没しかけたバスの屋根の上で皆(乗り合わせた平均年齢60代半ばの37人)で歌を歌って一昼夜励ましあったという出来事(朝日新聞から出版された生存者でる著者の手記紹介)の中で「思いやりが思いやりを生み」『自らをなげうって、無意識のうちに誰かのために行動できる人たちが、この世にはごく当たり前に存在する。』というくだりを読んで、「そう言えば・・・」と、同じく朝日の土曜版be の「フロントランナー』で以前(一年程前?)紹介された、米国でヒスパニック向けの送金サービスを行うMFIC(Micro Finance Int’l)を立ち上げた枋迫篤昌氏(とちさこ・あつまさ氏=元三菱東京銀行ワシントン事務所長)の記事を思い出しました。

 メキシコ留学時代に知り合った貧しい家庭に招待された時に、客人をもてなそうと特別な「肉入り」のスープが出され、そして辞去する際に、その家の子供達から「また来てください。貴方が来てくれるとお肉が食べれるから!」と言われ、「えっ、肉なんて・・・?」と考えて漸く思い至ったのが、そう言えば“干からびた”何かの断片が入っていたという事実。そして、何とかそうした中南米の貧困層の人たちに恩返しをしたいとずっと考えて辿り着いたビジネス・モデルなのだそうです(但し、決してボランティアなどではなく、きちんとした営利目的)。
 そして記事の中で特に印象的だったのは、世界中の資産家を回って趣旨を説明し、賛同(出資)してくれた多くが日本人だったとのこと。
『米国人に説明するとすぐ「リターンは?」と聞かれ、中南米出身者には「おれも苦労したのだから同じ苦労をするべきだ」と断られ、そうした中で賛同して小額でも出資してくれたのは日本人達でした。彼等はじっと説明を聞いた後で「貴方の夢に投資します」と老後資金の一部を出資に回してくれ、「同じ夢を見させてもらいます」と利回りのことなど聞こうともしなかった。世界中を回ったが、日本人ほど他人を思いやることができるという民族はいません。それが同じ日本人としての私の誇りです。』という趣旨(記憶ゆえ多少の誇張や創作があるかもしれませんが主旨は間違いなくこの通りでした)だったように記憶しています。

 それは、もしかしたら我々の欠点でもある「島国根性」や「同質性」の裏返しなのかもしれませんが、それだからこその連帯感であり、思いやりなのではないでしょうか。日本にいると忘れがちですが、外に出て、或いは外の人から教えられ改めて気付かされる。2004年ノーベル・平和賞受賞者マータイさんからその普遍的な素晴らしさを教えられた「勿体無い」(今や死語に近いのかも知れませんが、マータイさんのおかげでまだ間に合うかも?)も同じなのかもしれませんね。

 我家の庭の木々も秋の深まりと共に大分色付いてきました。特にハナミズキの紅葉が見頃を迎えています。ハナミズキは、春の白い花、夏の緑、秋の真っ赤な紅葉と一年に三度装いを変えて目を楽しませてくれます。そして実りの秋も過ぎて冬になると、何野山に何も無くなった鳥たちがハナミズキの赤い実を食べにやってきます。そして、枝を切ると、その水揚げが多いことから水木と名前が付いたと言います。

また我家のドウダンツツジや山モミジの紅葉はこれからですが、通路沿いのお隣のドウダンツツジが見事に深紅に色付いていましたので借用させていただきました。
仲秋から晩秋へと季節の移ろいの中で、紅葉の名所に行けずとも、身近な所でも時にはっとするような色付きを見つけることがありますね。

 さて、我家周辺の里山も少しずつ黄色が濃くなって来たように思います。そう言えば、大峰高原の大かえで(第152話を参照ください)が見頃を迎えたとか。残念ながらこの週末は行けそうもありません。
また、高原のカラマツももう黄金色に染まっている頃でしょうか?




『 からまつの林を過ぎて からまつをしみじみ見き  
  からまつは寂しかりけり  たびゆくは寂しかりけり 』

唐松と書くよりは、特に秋は白秋のように落葉松と記したい気がします。軽井沢で詠んだという北原白秋の「落葉松」から。

 「高嶺(たかね)ルビー」という「赤い蕎麦」の花(高嶺の花に非ず)が咲く品種があり、南信地方(伊那谷)の箕輪町では赤一面の蕎麦畑が広がっていると、地元紙だったか以前ニュースで読んだ記憶があります。その記憶が間違っていなければ、隣の南箕輪村にある信州大学農学部の先生が、中国の高地(チベット地方?)で栽培されている品種を持ち帰って、品種改良をして地元で広めたという記事ではなかったと??

 さて、先日茅野の市街地から奥蓼科に行ったおり、八ヶ岳の広大な山麓に、まるでレンゲ畑のようなピンクの絨毯が点在していました。この時期にレンゲが咲いている筈もなく、「もしかしたら」と道端に車を停め、その畑に近寄って見ると、間違いなく「赤い蕎麦」の花でした。休耕田?なのか、畑一面今が盛りと満開に咲いています。

10月中旬。世間では新蕎麦のシーズンとなるだけに、蕎麦にしては(しかも場所は高原地帯)遅いように感じます(今満開だと11月中旬頃が刈入れ?)が、中国の高地で栽培されていただけに寒さにもきっと強い品種なのでしょう。
 白い絨毯も素朴で素敵ですが、昔懐かしいレンゲ畑のような色鮮やかなピンクの絨毯に(蕎麦の花が赤いということが先ず素直に受け入れ難く、また春のレンゲ畑のイメージも消えず、何とも不思議な感覚で)目を奪われるような感じがしました。

 22日付の日経長野版に拠れば、品種名の記載はありませんでしたが、八ヶ岳山麓も赤い蕎麦を「紅そば」として栽培を奨励し、「紅そばの里」として売り出そうとしているのだとか。先日奥蓼科への途中で見たのは、その一環だったのでしょうね。

 先週末の10月18日。今シーズン最後の巨峰を家内の実家(因みに義母が、恐らく父の代からの当園の一番のファンにして最大のお得意様であり、最近では当園の“専属リンゴ評論家”。ありがたいことです)に届けた後で、せっかくなので少し足を延ばして、一度は行きたかった奥蓼科の横谷峡へ。
諏訪ICから37kmの表示。実家のある茅野からは、市街地を抜け国宝“縄文のビーナス”の尖石考古館近くを通って(蓼科経由のビーナスラインだと遠回りです)八ヶ岳に向かう30分足らずのドライブですが、道路もしっかり整備されています。
松本は午後北アルプスに雲が掛かってしまいましたが、幸い諏訪は快晴で八ヶ岳が眼前に雄大な裾野を広げています。

 地元出身ながら、家内も横谷峡は初めてとか。ここは、渋川沿いの谷間(たにあい)に幾つもの小さな滝があり、この時期は色付いた木々を愛でつつ、清流沿いにハイキングをしながらの滝巡りをすることができます。コースにして約4km。
午前中仕事を終わらせてからでしたので現地到着は午後3時半。
何のことは無い、昔会社の研修で何度か来た事があるホテル(以前のグリーンバレーから蓼科パークホテルへと名称が変わっていましたが)のすぐ近くが横谷峡への入口でした。奥に横谷峡温泉があるのですが宿泊客用の駐車場しかないようなので、横谷峡入口に二ヶ所設けられていた無料の駐車場に我々も車を停めて、谷間を歩いてみることにしました(案内板を見ていたら観光案内所の方が出て来られて、案内所への車の停車を怒られるかと思いきや、わざわざ駐車場の場所を教えて下さり、散策用の案内図までいただきました。こういうちょっとした「おもてなし」の心が観光客には嬉しいですね)。そんなに有名ではない(県内でも知らない人が意外と多い)と思っていましたが、観光バスも含め結構県外車が来ていて正直驚きました。


 モミジなどの山の木々も既に赤や黄色に紅葉が始まっていました。この様子だと10月下旬頃までが見頃でしょうか。
渋川の渓流沿い(この川は硫黄分だったかが含まれるために、魚が生息できないと昔聞いたことがあります)にウォーキングコースが設けられていて、清流と紅葉を楽しみながら、乙女滝、霧降の滝まで。1km足らずの距離なのですが、アップダウンがあり、写真を撮りながらゆっくり散策して時間も4時半近く。各滝には1cc当りのマイナスイオン量(因みに滝壷から見上げるような乙女滝は20000個/cc)が表示されていました。残念ながら、渋川温泉の王滝(さらに奥におしどり隠しの滝があり、そこまでは全長6㎞とのこと。案内図によれば王滝へは急坂を登るためトレッキングシューズ「以上」でないと無理だそうです)まで行くのは断念して帰ることにしました。帰りは横谷峡温泉横に道路があり、そちらを戻ってきましたが、あっという間に到着。1kmどころか、数百メートルでしょうか。歩くのが苦手な家内も、「えっ、こんなに近かったの?」。
駐車場近くのお店のテラスにてコーヒーで一休み。家内も(実家から30分足らずの近いところに)「こんな良い所があったなんて・・・」と些か感動のご様子。コースの残りは「またいつか子供達と(日帰り温泉も可能とのことですが、場合によっては温泉に宿泊し)来てもいいね!」と、その時までとって置くことにしました。

 帰路、道沿いに農産物の直営所(「自由農場」)があり、そこで地場特産のセロリ(漬けても可。柔らかければ葉もサラダに。更に細い茎はブーケガルニにも使われますが、セロリの茎や葉だけでもスープ材料に)を一株(298円也。大株でしたので市価の半値?)とブロッコリーやカリフラワーなど、採れたて野菜をお土産に購入して帰りました。


 この週末に中生種のリンゴをお送りしたお客様から、受領報告を兼ねて嬉しいメールをいただきましたので、最初にご紹介させていただきます。

『開けてすぐに林檎の葉が目に入りました。林檎葉は初めてでしたので嬉しくなり嗅いでみたりしました。葉の匂いは林檎とは違う芳香かしらと思っていましたが、何と林檎の香 りでした!』

正直、目からウロコでありました。素晴らしい感性に脱帽です。このお客様は都会にお住まいの方で、当園のリンゴを通じて、我々には当たり前になっている自然を感じてくださっているのかもしれないと、メールのやり取りをしている家内は申していました。栽培者も、自然の中でもっと五感を働かせないといけないと反省した次第。
そう言えば、黒姫在住のC・W・ニコルさんが「薪ストーブ用にはリンゴの木が最高で、火持ちの良さに加えて、燃える時の香りが良い。」と昔何かに書かれていましたが、もしかしたらこれも「リンゴの香り」なのかもしれません。

 産直は、JA(農協)への出荷と異なり、お客様とダイレクトに繋がっていますので、産地のリンゴ園のことを少しでも直接感じていただければと思い、発送した贈答用のリンゴ箱に葉を2枚摘んで入れたのですが、少なくともリンゴ農家である我が家でも、今まで祖父母や両親からも聞いたことがない情報でした。
考えてみれば、葉の光合成により作られた養分が実に蓄えられて子孫を増やしていくのですから、科学的には決して不思議ではないのかもしれませんが、これまで聞いたこともなく、また葉の匂いを(生産農家でありながら)嗅ごうなどとも思わず、リンゴ農家が消費者であるお客様にリンゴのことを教えて頂きました。ありがとうございました。

 通常の市場経由だと、農家の出荷から恐らく1週間近くかかって漸く店頭に並ぶのでしょうが、産直だと前日発送し早ければ翌朝9時(遠地は翌々日)にはお手許にお届けできることもあり、お入れしたリンゴの葉が鮮度を証明する手段であるのかもしれません。特に貯蔵の利かないブドウは、その日に収穫して直ぐ発送しますので尚更です。


 当園の主力のサンふじは、11月中旬以降の収穫・発送になりますが、梱包・発送は結構「力仕事」のため、母では無理で私の担当です。そのため平日のお届け日指定のお客様には、私が会社から戻っての夜の作業となるため、リンゴ園は真っ暗で、葉を摘んでお入れすることは出来ませんが、週末の発送であれば対応可能ですので頑張ってみようと思います。

 是非、リンゴの育った信州のリンゴ園を想い、葉の匂いを嗅いでみてください。

 10月18日の日曜日。今朝、松本平から仰ぎ見る北アルプスの峰々の頂上付近が、うっすらと冠雪していました。昨日の雨が、3000m級では雪だったようです。


 北アルプスの初冠雪は、同じく富士山が初冠雪を記録した10日?ほど前に、鹿島槍などの白馬方面で既に報道されていましたので初冠雪ではありませんが、松本平から見える常念岳などは今シーズン初めての雪。平地ではさほど気温は変わらなくても、頂きが白くなった山々を初めて見ると、何だか「いよいよ来たか!」ときちんと正座して背筋をピンと伸ばして構えるような、そんな厳粛な気持ちになるから不思議です。

 信州でも里の秋の深まりはまだまだこれからですが、山は早くも冬支度。
ただ、今朝の雪はまだ寝雪にはならず、すぐに融けてしまうでしょう。
きっとアルプスでは(近くでは乗鞍高原にでも行けば)今日明日くらいは三段紅葉が見られるかもしれませんね。

【追記】
今朝(19日)通勤途中に松本駅から見ると、常念はもう雪が消えていて、標高が高い後の大天井辺りの頂上にはまだ残っていました。
また奥の乗鞍は中腹辺りまで雪化粧していました。

 当園の糖度が非常に高いことは本文中にも記載していますが、特別肥料等何か他と違うことをしている訳ではありません。父も、ここは肥料をやると大きくなり過ぎてしまうと昔言っていましたので、ありがたいことに何もしなくても土壌がそれだけ肥えているということだと思います。
 勿論、年によって、天候によって、さらには木によって生育は異なります。
 ふじも当園では大体17度から18度くらいになります。一般的には13度程度から贈答用として出荷されていますし、ネット検索すると実際、サンふじで糖度13度保証(農協等大きなところでは光センサーで全数チェックをしています)という出荷団体や、高いものでは17~18度で『奇跡の(甘い)りんご』と謳っている果樹園もありました。
    
 果物は熟すにつれて実の中にブドウ糖が作られ、ある温度以下の気温になって、ブドウ糖に紫外線が当たると、赤い色素(アントシアニン)が形成されて赤く色づくのだそうです。そして、朝晩の気温が10度を下回ることが晩生種である「ふじ」が赤く色づく気候的条件(=着色適温。因みに早生種の「つがる」は17~15度程度)。一方、緑の色素(クロロフィル)は温度が低くならないと消失しないので、温暖化が進むと熟しても緑色が抜けない着色不良が発生するのだそうです。


 10月に入って松本も朝晩10度を下回る最低気温を記録するようになりました。幸い上旬に日本を襲った台風18号の被害も無く、10月中旬を迎え、最低気温が連日10℃を下回るようになり、当園の「ふじ」も順調に色づいてきました。
  このままいけば、今年もお陰さまで太陽と土の恵みにより11月下旬には収穫期を迎え、ここ信州松本より糖度の高い「蜜入りサンふじ」を皆さまに自信を持ってお届けできると思います。

 題名をご覧になって『取り立てて言うほどのことではない!』と、読者の方からお叱りを受けそうですが悪しからずご了承ください。

 海外赴任して、自分の大和民族の血を再認識し、(情け無くも)味噌汁だとか卵かけご飯だとか、とにかく日本的なモノが食べたくて、且つ懐かしく感じられるようになりました。
お酒で言えば、最初は日本では飲めないような高級ブランデーに狂喜乱舞していたのが、その内すっかり日本酒の虜になり、涙ながらに全巻読破した『夏子の酒』をバイブルに、日本酒の知識を吸収したのもこの頃でした。
自身は専ら冷酒党で、しかも晩酌とは言ってもお猪口一杯が適量(と誰かの視線を感じつつ、自分に言い聞かせるようにしています)。

 私の子供の頃の地元松本のオヤジサン(おじいさん?)達の晩酌銘柄と言えば「岩波」だったでしょうか?また、灘や伏見が甘口一辺倒だった学生時代は、当時少なかった辛口で定評の池田町の「大雪渓」をわざわざ京都まで担いでいったこともありました。

 社会人となり、日本酒党の上司から熱燗の注ぎ方(カチンと当ててピタっと止める)から全国地酒番付までを指導・伝授され、更に日本酒好きに磨きが掛かり、その後有名/評判には関係なく(「夏子の酒」の影響で、ナショナルブランドの大手銘柄には一切目もくれず)自分にとって本当に美味しい地酒を「あれでもない、これでもない」と探してきました。
個人的には、本来は品評会出品用の(且つ高価な)大吟醸とか言うよりも、むしろ純米酒の方が好みなのですが、今でも好きなのは地元松本の「大信州」。とても真面目なお酒です。
同じく池田町の大雪渓とは別の酒蔵である福源酒造(お隣の奥様のご実家)の「北アルプス」。特に(中々手に入らないのですが)無濾過純米は本当にイイお酒です。この二つがこれまでの私の定番でした。
その後、舞姫酒造の「翠露」を知り、何度か試して、またちょっと浮気した結果、やっぱり翠露の純米に戻りました。
それは、第75話でご紹介した『純米吟醸中取り生酒美山錦(15.3度)。精米歩合49%、日本酒度+2のお酒。4合瓶で1400円也。
通常精米歩合60%以下が吟醸、50%以下は大吟醸の分類となっていますので、基準では大吟醸と名乗ってもいい筈ですが、信州人らしく?“クソ真面目”なのか、或いは孤高の諏訪人のプライド?か、「純米吟醸」として販売しており、1400円(1.8リットル2800円)は破格と言ってもいいくらいです。そして日本酒度+2ですが決して甘口ではなく、上諏訪の某割烹ではむしろ「辛口」としてリストに記載されていましたが、スッキリしていて甘辛というより「旨口」と言っていいくらいに感じます。私がこの印象を受けたのは、その旨味の種類はそれぞれ異なりますが、これまで「万寿」と「岩魚の骨酒」だけでした。

 現在、舞姫酒造は再建途上。
以前の倒産報道に拠れば、経営難の原因は「原料にお金をかけ過ぎたため」だとか。確かに本当はもっと高く売っても良いくらいかも知れません。
決して同情などではなく、諏訪の蔵のそうした「心意気」を感じつつ、日本酒党としては、この「旨口」のお酒をこれからもずっと飲み続けられるように、せめて私にとっての晩酌銘柄の定番として応援できたらと思います。

 皆さんも一度お試しあれ!旨い酒です。


 体育の日の三連休で、中生種リンゴの発送を全部終わらせ、少し時間が出来た連休最終日の午後、奥様から「紅葉でも見に行きたいね!」とのご要望。2000m級の乗鞍高原や美ヶ原高原では既に紅葉の盛りだと思いますが、最後の発送を終えて家を出発出来たのが既に4時近くでしたので遠出は無理。そこで、色付き始めたという池田町は大峰高原の「大かえで」を見に行くことにしました。昨年も見に行きたかったのですが、時期を逃していました。松本市街からは約30kmの“ショート”ドライブです。
      
 いつもの安曇野・翁への進入路を横目に、池田町の市街地を過ぎる辺り(池田町5丁目交差点)に大峰高原への道路標示板が出ていますので、そこで県道274号線に右折してから道なりに約7kmの山道。
大峰高原(ファミリー)牧場は個人の方が所有されている私有地ですが、あまりに大かえでが有名になったため、駐車場スペースを整地されて簡易トイレまで設置し、所有者のご好意で見学できるようになっています。

 標高1000mの丘陵地帯の牧草地の中に目指す大かえでがありました。着いたのが4時半過ぎで、既に日が傾きかけていましたが、県外客の方も含め4台ほど車が停まっていました。


 案内板によると、昭和22年戦後の開拓での開墾で初めてその存在が発見され、当時あまりの大木で動かせなかったため根元を残して丸坊主にして周囲を切り開き、その後昭和43年に牧場が出来て、アクセス道路を作った際に見事に枝振りが復活した大かえでが再発見されたのだとか。
 近付いて見ると、赤と黄色に少し色付き始めていています。それにしても、確かに見事な巨木(山もみじとしては奇跡的な大きさだそうです)で、樹齢250年。牧草地で周囲に木々が無いため余計大きく、また神々しくさえ感じられます。

 ここはアマチュアカメラマンの“聖地”で、当日も県外からの方が三脚を構えて盛んにシャッターを切っていました。

 七色に紅葉すると言われる大かえでですが、その盛りは10月下旬から11月上旬でしょうか?その頃、七色の紅葉をもう一度見に来ようと思います。

 心配された台風被害も殆どなく、この三連休でご注文いただいた中生種のシナノスイート、陽光、紅玉の発送をほぼ終了することができました。後は、たくさんご注文を頂いて、一週間ずらして二回に分けて送って欲しいというお客様の分を残すだけ。

 いつも通り、お客様対応や事務作業などの室内作業担当の家内と、選別や箱詰めなど屋外作業担当の私メに分かれ作業分担。
時々、家内が書類片手に私が作業をしている倉庫に来ては腕組みをして、「う~ん・・・」と唸っています。「何してんの!?(はっきり言ってジャマ!)」と聞くと、「どれをどのお客様に送ったらいいのかなぁ・・・?」と思案中とか。独り住まいの方には、大玉で数が少ない方が、お子様がいらっしゃるご家庭には中玉や小玉でも数が多い方がいいのではとリンゴを眺めながら(手は動かず)考えているのだとか、「はぁ、さよか・・・?」。
「でも、早くしないと、集荷の人(宅配業者)が来ちゃうよ!」
「そうなんだけどネェ・・・でもなぁ」
       
 せっかちの自分としてはイラつきますが、ウサギとカメの凸凹コンビでバランスが取れているのかもしれません。所詮夫婦って、そんなもの・・・。

 そう言えば、サンふじも、今年は去年の反省でかなり摘果したつもりだったのですが、まだ木によってはならせ過ぎ。何でも捨ててしまう家内の方が、(勿体なくて捨てられない私より)摘果に向いているかも・・・。

 中生種の収穫・発送も終わり、リンゴ園は11月中旬頃からの、主力である晩生種ふじの収穫を待つのみ。昨年初めてH/Pでご案内してご注文いただいたお客様から、今年も何件も再注文が。ありがたいことです。
「昨年、H/Pを見て“恐る恐る”注文してみたら美味しかったので今年も楽しみにしています。」と本当に嬉しいコメント付きで、H/Pで注文受付開始前にお手紙を頂いたり。そうですよね、いくら通販社会とはいえ、見ず知らずのところに注文(しかも口に入るものを)するのって不安だったろうと拝察します。本当にありがとうございました。しかも、今年も注文いただけたのが何より嬉しく思います。

      
 夏場の雨のせいか、今年のふじは玉伸びも良く、あとはお日様の光を一杯浴びて甘く色づくのを待つばかりです。

 みんな、頑張れ頑張れ!お客さまが待ってるよ!

 先日、休みが取れた家内が実家にブドウを届けに行った帰りに会社へ寄ってもらい、折角だからと上諏訪で軽く夕食を取って行くことにしました。二人とも麺類好きゆえ、挙げたリストからの彼女の抽出は、上諏訪駅に近い蕎麦の「河内屋」。手打ち機械切りで腰のある極細麺。確か茹で時間が数秒(!?)とご主人が仰っていました。店内には来店された有名人の色紙が飾られています。また「上手い!」とでも一声発すると、「待ってました!」とばかり、オバチャンがその有名人ご来店時の写真のアルバムを持ってきて解説が始まり、オチオチ食べていられなくなるので、「上手い!」という感想は、言うにしても食後がベター。
以前、腱鞘炎で長期間休まれていて、その後再開されたのですが、昨夜はまた『暫く休みます』の張り紙があり、「えっ!」と絶句。がっかりです。事情は分かりませんが、是非一日も早い再開を心待ちにしています。

 そこで次に向かったのは、何度か名前は出させていただいたラーメンの『桜亭』。以前は、上諏訪駅の横(笠森小路)で営業されていて、飲んだ後と昼の外出時には必ず寄った店でした。その後、諏訪市島崎にある料理屋を買い取って移られたため行く機会が無くなり、今回数年振りの来訪です。現店名は『麺屋さくらや』。
 駐車場もあり4倍ほどに広がった店内は、家族連れ含めかなり混雑していて何よりでした。カウンターに座り、久し振りの「屋台ラーメン」の大盛りと家内は「摺りごまラーメン」を各々「味玉」・「もやし」のトッピングで、併せて餃子を注文。待つこと暫し。店内を観察していると「自家製麺室」のプレートがある小部屋がありました。移転され、大きくなった店で、麺から作られているようです。まだ若いご主人の拘りが嬉しくなりました。しかも、値段は屋台ラーメン590円、摺りごま690円、餃子320円、当日は大盛り(通常+100円)が平日サービスで無料!と誠に良心的な価格設定。店舗も移られ、新たな投資もされ償却費も発生しているでしょうに、以前と同価格でした。

 久し振りの「屋台ラーメン」は、自家製極細麺に、背油と大き目のとろとろチャーシューが相変わらず。スープは、以前はもっとあっさり系だったように(舌が)記憶していますが、トレンドに合わせてか、以前に比べれば少しこってり系に進化したように思います(未確認ですが)。家内のオーダーした「摺りごまラーメン」も同じく醤油ベース。普通盛でも量が多く、家内は完食ならず。斯く言う私も普通盛でも良かったか、と思うくらい。
美味しくて、餃子も含め、初めての家内も満足したようです。
家内共々もう少し固茹で麺が好きなのですが、自家製麺で、恐らくお客様のことを考えてカンスイを使っていないのか?少し柔らかめな気がしました。今度来たら、事前に固茹ででお願いしようかと思います。

 待つ間、ご主人に声をお掛けしたら、お互い名前も知らずとも、ちゃんと覚えていていただいたようで、5年振りとのことでした。繁盛何より。頑張っておられて、関係の無いこちらまで嬉しくなりました。流行のトンコツ系ではなく醤油派の我々としては「ああ、松本にも支店があればなぁ・・・。」

 満腹で心も温まって、諏訪を後にチロルの待つ我が家へ急ぎました。


2009/10/10

149.台風被害

 今回、長野県を直撃した台風18号は、(長野気象台に寄れば)3000m級の中央・南アルプスにぶつかって発生する気流の影響で、当初予想(南北縦断)とは進路を変えて、県の南部(飯田・伊那)から諏訪、上小地方(上田・小県地方)へと抜けていったために、幸い松本は殆どリンゴの落果などの被害(近くの農家の方の話だと、TV報道で同じ松本でも今井地区では少し落果被害があったとのことでしたが)はありませんでした。一方、台風進路と重なった伊那谷では、松川町などで落果被害(県全体の農業被害は速報値で約2億円とか)が出たそうです。夕方のローカルニュースで、強風で落ちた「ふじ」を片付ける農家の方々が報道されていましたが、「思ったほど(全滅も覚悟した割には)の被害ではなくてやれやれですわ。」とのコメントが流れていました。

 (そうは言っても実際には)冬、雪の中から始まった剪定、春の花摘み、摘果作業と一年近くも手塩に掛けてきた結果が、一瞬の台風での落果では、農家の方々は何とも遣り切れないと思います。

 10年近く前、やはり「ふじ」が色付く前に長野県を台風が直撃し、松本でも50mの瞬間風速を記録して、本町のビルの外壁か看板が落下したことがありました。その時はここ岡田地区でも「ふじ」がほぼ全滅し、(熟す前で)加工用にもならないため、休みの日に父を手伝って一緒に拾い集め、何十箱ものリンゴを山の畑に捨てに行った記憶があります。
 途中、リンゴ園で同じ作業をする神沢地区の「オジサン」や「オバサン」達とお互いに「笑顔で」挨拶を交わしつつ・・・。
『いやぁ、えらい(信州弁で「大変な」の意)もんせ。でも、お天道様とケンカしてもしょうがねぇわ。』
ある意味、皆、自分自身に言い聞かせていたのかもしれませんが、私には、悟りにも似て思え「百姓ってスゴイなぁ」と感心せざるを得ませんでした(反面「でも惨めだなぁ」とも感じました。どんなに努力しても自然の前では無力で、一瞬にして水疱に帰し、黙々と片付けをする祖父母や両親の姿を子供の頃から何度となく見てきたことが、「農業は継がない」と自身に決めさせた唯一の理由でもありました)。
農業は自然と共生し太陽の恵みをいただいている以上、人知が及ばぬことがあっても、それも含めての恵みなのだから、という達観なのでしょうか。

 恐らく、昨日の伊那谷の農家の方々も同じ気持ちなのでしょう。自分も父に代わって果樹栽培をするようになってからは、何となくそうしたお百姓さんたちの気持ちが少しは理解できるようになりました。悲しくともある意味逞しき百姓の性(さが)でしょうか。

 「そうせ、お天道様とケンカしてもしょうがねぇずら!また、お天道様のお陰でいいこともあるずらで。」(*以上、本日は信州弁にて失礼致しました)


 大型の台風18号の本土直撃が予想される中、久し振りの快晴となった10月4日。山(俗称「向山」)の各リンゴ園では、家族総出でシナノスイートを中心とした中生種リンゴの収穫に追われていました。我家のリンゴ園にも、中生種はシナノスイートを中心に陽光と紅玉がありますが、場所が平地にあるため、山の高台のリンゴ園と比べると少し色付きが遅いようです。
台風の進路に入っていることもあり、家内はやきもきしていましたが、そうは言っても、(それぞれ試しに採って実際に食べて糖度も計り家内にも納得してもらった上で)もう少し色付き(糖度)が増すまで待つことにして、収穫せずにおりました。

 現時点での予報では、本日8日の木曜日未明には中部地方も暴風域に掛かり、そのままだと直撃が予想されていますので、ひとつでも多く収穫しようと思い(何とか職場でスケジュール調整が出来そうな)最悪8日にお休みをいただきました(昨晩松本駅に着くと、「8日午前中の松本駅発着予定の列車は午前中全て運休」の張り紙があり、結局会社も安全等を考え長野県内の事業所は8日は一斉に臨時休業となりました)。

 一方、どのリンゴ園でも主力の晩生種サンふじは、11月中旬以降の収穫まで未だ1ヶ月以上もあり、いくら台風が来るとは言え採るのは無理。台風にもし直撃されれば落果は避けられないだけに、何とか進路から外れることを祈るばかりです。幸い岡田地区は北アルプスに加えて東西が東山々系と城山々系に挟まれていて、これまでは風を防いでくれることが多かったのですが、直撃も予想される中、今回はどうなるか・・・?いずれにしても、こればかりは運を天に任せるしかありません。

 さて、今8日朝4時です。外は昨晩から雨が降り続いており、風も次第に強まってきました。結局今日は会社も臨時休業にはなりましたが、職場メンバーからの心配と協力に感謝しつつ、台風が多少速度を速めたため、このままでは間もなく松本地方は暴風雨域に入ってしまいそうですが、明るくなったらリンゴ採りを始めようと思います。

 台風進路にあたる皆様も、どうぞ充分お気を付けください。

【追記】
今朝5時半ころからリンゴを採りました。風雨の中、家内も手伝ってくれたものですから、3時間ちょっとで無事収穫を終了することができました。7時過ぎからは風雨も強まり、体の芯まで冷えて手が悴んでしまいましたが、やれやれです。本当は、もう少し色づきと完熟を待ちたかったのですがやむをえません。
台風は11時現在、既に長野県を縦断し群馬県へ抜けましたが、幸い、我家は城山々系の際にあるためか、思ったほどの暴風ではありませんでした。
我家含めて周辺のリンゴ園は、お陰さまでそれほどの被害はありませんでした。 ありがとうございました。

 我家では朝日と日経を取っています。日経は仕事柄。朝日は、個人的には必ずしもその論調に与(くみ)するものではありませんが、「受験に引用されるから!」と半ば家内の命令で、(受験とは)関係無くなった今でもそのまま購読。でも、連載の「惜別」や「人脈記」、また日曜版の「be」など、とても気に入っている記事もあります。で、最近の「人脈記」は「お殿様の末裔」の方々の取材記事。

 その中で、10月3日の土曜日は、信州松代藩「真田家」(ご承知の通り、御家存続のため関ヶ原では信幸・幸村兄弟が東西に分かれ、結果信幸が上田藩からその後移封されて松代藩を統治し幕末まで存続)の紹介記事がありました。
       
 真田家重臣だった末裔の方が東京の某大学の教授で、ある年の新入生の名簿に「真田幸○」という名前を見つけて「やばいなぁ・・・」と思い、授業の後で恐る恐るその学生に尋ねたところ、「はい、真田家14代当主です。」それを聞いて、教授の口から思わず出た言葉・・・「すいません!」
「いやもう、ハハーって感じで、もし試験の出来が悪くても“殿”に悪い成績を付けるわけにも行かず、どうしようかと心配しましたが・・・」。

 その当主は非常に優秀で、現在はその大学で准教授をされているそうです。

 今年は、秋口に全く雨らしい雨が降らず、山にキノコが全然出ていないのだとか。横浜に住む叔母の9月連休の帰省時に、例年なら出始めのリコボウ(松本地方での呼び名。諏訪ではジコボウ)を食べさせてあげられるのに、今年は地面が乾いていてキノコの気配すらありませんでした。

 先週漸く雨が降りましたので、週末の早朝、近くのスーパーへの出荷を済ませてから、いつもの近くの里山に様子を見に行ってみました。

 食べるより採ることが大好きだった母方の叔父は、生前王ヶ鼻付近までキノコ採りに行っていたそうですが、私もどちらかと言うと母方系の遺伝子が疼くのか「採る楽しみ」派ですが、かと言ってそこまでの根性は無く、専ら車で5分足らずの里山一辺倒です。小学生の頃、お弁当持参で祖父にキノコ採りに連れて行ってもらった時の、子供心にも楽しかった“セピア色”の記憶が、40年以上経ってもキノコ採りに駆り立てるのかもしれません。
(但し、DNA覚醒はシンガポールからの帰国後。せいぜい10年ちょっとの素人同然で、誰でも分かるイグチ系のみ採取)

 さて、どうかなぁと思いつつ探してみると、松林の中に、ありました!リコボウ(ハナイグチ)が笠を開いて輝いて見えます。


 30分ほど探しましたが、結局小さなのを含めて僅か4本だけ。でも、今年の初物です。たくさん採れたら、今年も叔母の所に「信州の秋」を送ってあげようと思いましたが、4本では先送り。

 夕食には、母の大好物である天婦羅と、これまた秋の味覚である秋刀魚(近年豊漁か、安くて助かりますね。最近では信州でも刺身も含め鮮度の良いものが売られています)と共に定番の「キノコおろし」となってこの日の食卓を飾りました。

 秋だなぁ・・・。そんなに美味しいものではないかもしれませんが(実際、家内や娘達は見向きもしません)、間違いなく懐かしい田舎の秋の味です。

 昨年秋にリフォーム(第70話を参照ください)していただいた「フラワーガーデン」。春から夏を過ぎて秋への移ろいの中で、かなり開花期間の長い花を選んで植えていただいたようで、初夏からずっと咲き続けている花もあるほどです。また、家内の希望に沿って、あまり原色系の派手なものより、割と落ち着いた素朴な花と色を選んでいただいたようで、花一輪には派手さはありませんが、咲き揃うと野草にも似た趣があります。

本当はもっとスッキリ切り詰めた方がいいのでしょうが、せっかく咲いたものを切るのも何となく可哀想で、少々雑然としています。
母宅にも紅白の秋明菊がそれぞれありますが、そのピンクとも違う赤紫の秋明菊が今ひときわ鮮やかです。

 また、「芝生ガーデン」も、そろそろ終盤。円形脱毛症のように枯れてしまった個所も、芝が広がってその面積も大分小さくなりました。来春には生え揃いそうです。秋を迎え、芝生の伸びも落ち着いて緑色も淡くなってきたので、連休中に春の芽吹きのために今シーズン最後の芝刈りをしました。
 前回(第123話参照)は、伸びすぎたため半日近く掛かった芝刈りも、僅か1時間で終了です。この後、芝生も葉先が赤く色づいた(紅葉した?)後、枯れて春に備えます。
また春先には、今年効果的だった(第101話参照)害虫・雑草対策での芝焼きをまたお願いしようと思います。

 紅白2本のハナミズキは、夏にはもう既に春の花芽(注記:実際は花ではなく「総苞」という蕾を包む葉の変形)が着いていて、葉はこれから次第に紅葉の赤を増していきます。
 また、我家の庭のシンボルツリーであるプンゲンスホプシーも、これから冬に向け次第にシルバーブルーの色を増していきます。

 「雑木林風ガーデン」の山モミジやコナラはまだ緑一色ですが、次第に色付きを増していくことでしょう。

 先日の駅への通勤途上のFMで、山では2000mの下まで紅葉前線が下りて来ていて、今年は例年より一週間ほど早めに色付きが始まっているとのこと。

我家の庭も秋本番を迎えようとしています。

2009/10/04

144.蕎麦三昧

 最近、立て続けに手打ちの蕎麦をいただきました。
義弟と父方の叔母の手打ちです。二人ともそれぞれ蕎麦打ちを習っていて、その実験台兼ねてのお裾分け。こういう実験台ならいつでも大歓迎ですが、それにしても会社でもそうした人が何人もいますし、中には玄人はだし、免許皆伝クラスの方もいて、思っている以上に蕎麦打ちを趣味、あるいはリタイア後を見据えてか、習っている人が増えているようです(個人的には、果樹に追われ時間が取れませんが、もし修行するなら断固ラーメン!です)。
 特に、年越し蕎麦用に大晦日に毎年頂く、先ほどの叔母のお師匠さん?のそれは、その辺のお蕎麦屋さん顔負けの、そんじょそこ等に無いほどの美味しさ。

 そう言えば、松本城の中央公園で開かれる『信州松本そば祭り』もすっかり定着し、今年で6年目(第6回)とか。今年は10月の三連休、10日~12日まで(10:00~16:00)。有名店から素人のサークルまで、県外からの出店も含め30近い団体が店舗を構えます。また期間中は松本城本丸庭園も無料開放されるとのこと。三連休で松本にお遊びの際は是非行かれたら如何でしょうか。
ただし、かなりの人出を覚悟でお出かけください。電車で行った方が無難かもしれません(松本駅からお城まで、散策がてらゆっくり歩いても徒歩15分程度です)。

 先月末で、36年の会社生活を無事勤められ、仕事の良き手本でもあり、また飲み仲間でもあった先輩が定年を迎えられました。

 その一週間前、某レストランを貸切にして奥様もご招待して有志での激励会を開き、これまでへの感謝と共に、これからの第二の人生の門出をお祝いしました。

 もう20数年前になりますが、家内の実家に近いこともあり、家内と一緒にお宅にお邪魔させていたいだことがあります。
周りを雑木林風の植栽で囲まれたモダンな家で、また家庭も、姉御肌の気さくな奥様と大らかな旦那様と、ほのぼのとして本当に感じの良いご夫婦振りで、家内共々「あんな夫婦になりたいよね」と、その家の佇まいも含め我々の理想のご夫婦でもありました。
 当日も、奥さまが涙ぐみながら先輩のことを陰ながら本当に気遣われていたことを伺い、改めてその思いを強くしました。まさに(お互いが)ベターハーフ。

 もう息子さん達も立派に巣立ち、我家同様、ご夫婦お二人だけ。これからは、先輩は趣味の木工、奥様は絵付けをされていかれるとのこと。
 本当にご苦労さまでした、そしてありがとうございました。
 お二人のご多幸をお祈りいたします。