カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 先週の三連休から『サンふじ』を採り始めました。他園では、JA(農協)への出荷上(早いほど価格が良い)、11月中旬から収穫が始まりましたが、当園は少しでも熟するよう待っての収穫です。
 当園ではプラスチックのリンゴ箱ではなく、昔ながらの木箱をいまだに使 っています。恐らく、40~50年は経っているでしょうか、父が大切に使ってきたものです。さすがに劣化もあり、木がボロボロになって毎年少しずつ廃棄するもののもありますが、父が大事に使ってきたおかげで、今でも150箱くらいが現役で活躍中。プラスチック箱も100箱近くあり、JAへの出荷はプラスチック箱しか受け付けてくれませんが、父と同じように選別用には木箱を使っています。何となく、木の方が呼吸もしていて、リンゴに優しい気がします(勿論プラスチック箱もちゃんと空気穴が開いています)。でも木箱を使っているところは、今や我が集落でも殆どなくなりました。

 さて、写真は作業場で玉別・等級別に木箱に詰めて80箱近く積み上げられたリンゴ箱。カネヤマの屋号が見えますでしょうか?段ボール箱に詰め替えられて日本各地への発送を待っています。

 昨日は11月22日で「いい夫婦の日」。我々の結婚記念日は本日の勤労感謝の日。22+1の「いい夫婦+子供」で11月23日・・・と(の願望で)勝手にこじつけております。

 さて、2年前が我々夫婦の銀婚式でした。帰省中の娘も含めてレストランでのお祝いの食事の際、「ちょっと寄る所があるから」と彼等を先に行かせて、花屋さんでバラをメインにした花束を買ってプレゼントしたら「結婚以来花束をもらったの初めて!」と我が奥様は涙ぐんでいました。
「いや、そんなことはないと思うけど・・・?」「いえ、ありますっ!」(また大袈裟な・・・)

 ふ~ん、女性ってそんなことで嬉しいんだ(世のご主人方、効果大であります!)・・・と、目からウロコでありました。ハハハ、単純だなぁ・・・(女性の皆さま、失礼!)

 その後、「大事な記念だから」とドライフラワーにして飾っていたのを、年末帰省中の娘が掃除をしていて誤って数本のバラを折ってしまったところ、怒ることといったら・・・(更に先日掃除をしていた私がやはり数本折ってしまいました・・・怒りを通り越してか、不気味な沈黙でありました。「ささ、早く掃除終わらせよー!っと・・・」)

 そう言えば、10月20日にサントリーの「ブルーローズ」(第89話参照)の発売発表がありました。まだ薄紫ではありますが、(自然界には存在しない)100%青い色素とか。更に改良していくそうですので、本当の「青い」バラ誕生に期待します。
その時は(今はまだ首都圏のみでの販売で一本2千円~3千円とかで、予約待ちだそうですが)20本くらいまとめて “お詫び”にプレゼントしようかな・・・。
(但し量増やしにカスミソウも入れてもらって・・・。うん?待てよ、誕生日ならいざ知らず、二人の記念日なのに・・・なして?と、多少の疑問も感じつつも「ま、いいか!?」)

 今日は11月22日、『いい夫婦の日』。
今まで出会った中での、もう一組(第143話を参照ください)の“いい夫婦”。それは、クラシック・ギターの荘村清志ご夫妻です(実名で誠に恐縮ながら有名税ということでご容赦ください)。

 シンガポールに赴任していた1991年だったでしょうか、赴任していた現地会社のメセナ活動としてシンガポール交響楽団(SSO)をスポンサードした際、荘村さんがソリストとして来演され、ロドリーゴの『ある貴紳のための協奏曲』(有名な「アランフェス」よりも個人的には好きな曲です)を演奏されたのですが、「演奏先に付いて来たのはこれが始めて!」という奥様もご一緒に来星されました。

 夜シンガポールに到着での三泊(リハーサル+演奏会)の滞在の間、右も左も分からぬお二人だけにはしておけず、会社が終わった後、個人的にお世話をさせていただきました。
夕食(庶民的な地元のレストランにお連れして)を私の家族もご一緒させていただいたのですが、お二人共とても気さくで本当に素敵なご夫婦でした。
奥様は「有名人の妻」という気取ったところが全く無く、気さくで優しい姉御肌。でも、しっかりと旦那様を立てられていて、という感じで、お互いが思いやり、まさにベターハーフという言葉がピッタリでした。

 シンガポール最後の夜。翌朝チャンギ空港までお見送りする予定だったのですが、奥様が(たった二日間ご一緒しただけなのに!)「空港まで来られたら、別れが悲しくなるので、ここで」と言われ、ホテルのロビーでご夫妻とはお別れしましたが、もうそこで涙ぐまれていたのが、今でも忘れられません。

 その後、松本への来演もなくお会いしていませんが、2年ほど前だったでしょうか、朝日新聞で「素敵な(著名人)カップル」の紹介が何回かに亘って連載されたその第一回目が荘村清志ご夫妻。まさに我が意を得たりでありました。

 一期一会ではありましたが、忘れ得ぬ我がイチオシの『いい夫婦』です。

 本日、21日より「サンふじ」の収穫を開始します。

 他園では、先週の土曜日が雨だっため、日曜日の15日から採りだしたところが多かった(当然のことながら、JAは早く出荷するほど値付けが良い)のですが、当園は少しでも樹上で甘くなる(完熟)ように、もう1週間待って今日からの採り入れとしました。三連休の方が集中して作業が出来るのと、妹家族(残念ながら子供たちはそれぞれ忙しく帰省できないのですが)の手助けなど、人手が多いという「背に腹」の事情もあります。

 傷つけぬよう木から一つずつ大切に採ったリンゴは、その後色付きや、玉の大きさ、傷の有無で、玉別に「贈答用」、「訳あり自家用」(としてお送りするもの)、贈答に向かないものをJA(農協)への出荷用として「レギュラー果」(通常の店頭に並ぶもの。当園は全数贈答用に回してしまいますが、他にJAでも「高食味」と呼ぶ高級リンゴの別口集荷もあります)、「青実果」(色付きが悪いもの)、「加工用」(ジュース・缶詰用)と選別して、それぞれ箱で分けていきます。当然のことながら、リンゴ採りは明るい間しか出来ませんので、先ずは全員で採ることを優先し、暗くなってからは私一人が倉庫で選別をしていきますが、この選別はリンゴを一つひとつ注意深く見ていかないといけないので結構大変な作業です。でも、少しでも良いリンゴをお送りするために、一番大切な作業でもあります。

 一月、雪の中での剪定に始まり、春の花摘み、摘果、真夏の草刈、初秋の葉摘みとほぼ一年近く続いた作業の総仕上げであり、気が引き締まります。今年もお陰さまで、太陽を一杯浴びた「サンふじ」をお届けできそうです。
 早い方は9月の中生種と一緒にご注文をいただいておりましたので、2ヶ月もお待ちいただいたことになり、誠に恐縮で、家内共々気に病んでおりました。今日から、順番に「夜なべ」をしてでも、一日も早くお手許にお届けさせていただきたいと思いますので、もう暫くお待ちくださいますよう。

 連休中のお天気だけが心配ではありますが、こればかりはお天道様次第。
もうじき夜が明けます。さぁてと、頑張るぞーっ!!

 冷たい雨が降った17日(諏訪はみぞれ混じり。茅野は雪だったそうですが、翌朝松本も1500m付近まで山が白くなっていました)夜、(家内が)我慢出来ずに遂に薪ストーブ、今シーズンの初登場と相成りました。薪は11月上旬に季節外れの氷点下の日もあったので、こんなこともあろうかと、昨年残った薪の束をベランダに運んでおいたので、ご命令を受け「アイ・アイ・サー!」(本来なら「アイ・マム!」でしょうか?)とすぐ点火。
 赤々と燃える炎を見ていると、癒し効果か?温度以上に暖かく感じるから不思議です。
今週は氷点下近くまで最低気温が下がり寒い日が続きそうでなので、いよいよ薪ストーブの活躍する季節になりました。
この三連休には、いつもお願いしている業者さんに、今シーズン用の楢材の薪を木曽から運んできてもらいます。

 そうは言っても、まだ真冬に比べれば暖かいので、厳冬期はストーブ横を占領するチロルも、この日は1メートルほど離れてゴロンと横になっていました。夜だけ連れて来ているナナは、まだ物珍しげで、炎が怖いのか遠くから眺めています。

 そのうち、大中小3つの物体(図体?)が、ストーブの回りに気持ち良さそうにゴロンと横になっていることでしょう・・・きっと。

 春から目を楽しませてくれた我家の庭も秋終盤を迎えています。
雑木林風ガーデンの山モミジも色付き、赤や黄色の落ち葉の絨毯が樹下や小道に錦絵のように広がっています。
「綺麗だなぁ・・・」
と感傷に浸る間もなく、家内からは落ち葉を片付けるようにというご命令。確かに風で舞って行ってはご近所迷惑になるので、止むを得ません。


 雑木林風ガーデンの下にグランドカバーとして植えていただいたポテンチュラも少し色付いていて、その中に家内のリクエストで植えていただいた20株ほどのクリスマスローズが、この時期赤や黄色との対比で緑鮮やかに映えています。
クリスマスではなく、春先に清楚な花を今年も咲かせてくれるでしょうか?
 片付けの前に、せっかくの自然が作った造形をパチリ。そして、そんな感傷もそこそこに落ち葉掃き。そうなると「もう誰!こんなに葉が落ちる木ばっかり選んだのは?」という家内の悲鳴ともつかぬ溜息も何となく理解できるような・・・。「だって、雑木林なんだから当然広葉樹でしょ・・・」。
ま、忙しない秋ではありますが、暫し雑木林(風)の中に佇みて、“秋の日の ヴォーロン(暴論)のためいきの身に染みて ひたぶるにうら悲し”(注記)・・・でしょうか?
【注記】
『 秋の日の ヴィオロンのためいきの身にしみて ひたぶるにうら悲し。       
  鐘のおとに胸ふたぎ 色かへて涙ぐむ 過ぎし日のおもひでや。         
  げにわれは うらぶれてここかしこ さだめなくとび散らふ落葉かな。 』     
言わずと知れた上田敏の詩集『海潮音』に納められたヴェルレーヌの『落葉』。海潮音は原作を超えた名訳と言われ、カール・ブッセ「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う・・・」で知られる『山のあなた』も収録。

 15日の日曜日に、松本市島内のザ・ハーモニーホール(松本市音楽文化会館。通称「音文」。因みにSKFが開かれる松本県民文化会館は「県文」)で、マチネーにてJ.S.バッハの『音楽の捧げもの』の演奏会があり、家内が知り合いの方からチケットを頂き、二人で久し振りのコンサートに出かけました。


 ここハーモニーホールは元紡績会社(確か鐘紡?)の工場跡地で、赤レンガ風の大小2つのホール周辺には大きなヒマラヤスギが聳え、公園のようで雰囲気が素敵です。またパイプオルガンが常設されている大ホールも800席足らずで天井高もあり、残響2秒。確か建設当時は宮城県のバッハホールと並び国内屈指の音響の良いホールとしてクラシックのCD録音でも度々使われたように思います(当時、音楽雑誌のクラシックCD紹介での録音会場として時々掲載されていました)。また座席数が少ないので、仮に最後列でも2000人を超える大ホールに比べれば前の方。ただ、県民文化会館や馬蹄形をした市民芸術館など、いくらサイトウ・キネン音楽祭が毎年開催されるとは言え、人口20万人足らずの地方都市にしては、箱モノは恵まれすぎている状況(更に岡谷市にはこれまた音響の良いカノラホールもあります)です。

 演奏は、フルートの前身の木管の古楽器、フラウト・トラヴェルソ奏者の我国の第一人者である「有田正広とその仲間達」。昭和音大の教授でもある氏の『音楽の捧げもの』の講演(解説)が第一部として1時間あり、それを聞いた後に演奏会という珍しい構成。専門的で玄人受けする内容(家内は専門用語のオンパレードに“ちんぷんかんぷん”だったとか。確かに「イドード」と言われてすぐに「移動ド」を思い浮かべられる人が何人いたか?私も後で漸く思い当った次第)ではありましょうが、一般の方、しかもこんな田舎でどれほど人が集まるのかと些か疑問でしたが、それも杞憂で(演奏が始まる前には)殆ど満席になりました(ヒトゴト乍ら一安心)。
       
 1747年、時のプロイセン国王であるフリードリヒ大王に謁見した際、自身音楽家でもあった王から主題を与えられ、その場で即興し絶賛を浴びたという逸話に彩られた「3声のリチェルカーレ(フーガ)」に始まり、有名な「王の主題によるトリオ・ソナタ」を含むその主題を使った全14曲が休憩無く連続して演奏されました。
修辞学(レトリック)の技法が取り入れられたという14曲が5つの分冊として献呈され、トリオ・ソナタ以外は楽器の指定もなく、演奏順や使用する楽器も演奏者が決めなければいけないなどという曲の背景や「謎」解きなども交えて事前にレクチャーを受けていたので、渋いプログラムですが、和やかな雰囲気で分かりやすく楽しむことが出来ました。余談ですが、小学校の音楽室などで見た有名なバッハの肖像画も1747年に描かれたものなのだそうで、その手に持つ楽譜がこの日のアンコール曲「6声のカノン」。そして、この曲が(演奏できるように)読み解かれたのは150年後のことだったのだそうです。

 プログラムに拠れば、有田氏の友人である市内のお医者様がハーモニーホール側の企画に協力されて、有田氏に依頼して実現された演奏会であるとのこと。教科書にも載っているようなポピュラーな管弦楽組曲やブランデンブルグ協奏曲などとは異なり(追記)、名の知れた曲とは言え、演奏会では余り取り上げられる機会の無い曲ですし、ましてや地方都市で聴けることなど稀有の筈。松本バッハ会なる愛好家の団体が協力者に名を連ねるなど、さすがに文化都市と言われるだけあって、この種のコンサートが満員になるとは正直驚き、また少なからぬ感動を覚えました。

コンサートの余韻に浸りながら、そんなことを思いつつ夕暮れの音文を後にしました。

【追記】
おそらく、年齢や一時の「のめり込み」に関係無く、これまで一番長く聴いてきたであろう我が愛聴版(その影響か、上の娘も高校時代に気に入ったらしく娘に取られたようで暫く行方不明になっていました)が、ミッシャ・マイスキー演奏のJ.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲』(生まれて初めてバッハの曲に触れたのは、プロコルハルムの「青い影」のバックに使われたカンタータ「目覚めよと呼ぶ声聞こえ」だったと思います。いずれにせよ、必ずしもバッハ好きではありませんが、この曲は精神が浄化されるような気がしますね。それと最近はジャズピアノ名曲集+徳永英明『VOCALIST』)。秋の夜長にパイプを燻らせグラス片手に(我家は屋内禁煙且つ私の場合は冷酒ですが、別に紫煙や琥珀色のグラスが無くとも)しみじみと・・・。泣けます。

 先週の10日火曜日。朝直行にて豊科にある事業所(最寄駅は篠ノ井線の田沢駅)へ外出をしました。朝松本(駅)からはくっきりと北アルプスが望めましたので、豊科ならさぞかし常念がきれいだろうと期待も膨らみます。
ところが、田沢駅に近付くに従って次第に霧が濃くなっていきます。駅で降りて犀川を渡っていくのですが、常念どころか全く山は見えず、太陽も霞んでいました。犀川から立ち上る川霧でした。後で聞くと、この時期川霧の発生する日が多いのだそうです。


 写真の田沢橋は、昔は車ですれ違うのもやっとの狭い橋でしたが、今は新しい橋が自動車専用に付け替えられ、昔の橋がそのまま歩行者(+自転車)専用に使われています。    

 幻想的な雰囲気に思わず橋の上から写真を撮りました。

 次女の大学の父兄会役員会で上京し7日土曜日の懇談会が終了した後、上の娘も会えそうということで東京に泊まることにしました。但し、娘は土曜日も休日出勤のため会えたのは夜9時頃。
久し振りの家族4人全員集合です。そこで、シンガポール時代を懐かしんで、汐留のシティセンター地下一階にある『海南鶏飯』で待ち合わせました。

 シンガポール赴任中は、オーチャード通りにあるマンダリンホテルのカフェテリア『チャター・ボックス』のチキンライス(ローカルフードでは他にホッケンミー=福建麺やチキンカリーも美味しくてお薦めでした)が家族全員大好きで良く食べに行ったのですが、帰国後はタイ料理はあっても、シンガポールのローカルフードのレストランは皆無で、どうしても食べたくて自家製にチャレンジしたこともありましたが、残念ながら(当然ですが)同じ味は出せませんでした。
チキンライスは、移民国家であるシンガポールで中国海南島からの移民が広めたことから、現地では英語名「ハイナニーズ・チキンライス」、漢字表記は「海南鶏飯」。最近、シンガポール料理というジャンルのレストランが東京では幾つか現われてきて、ありがたいことに日本に居ながらにして現地の味が楽しめるようになりました(第65話もご参照ください)。
二年ほど前でしょうか、インターネットで「チキンライス」と検索しても見つからず、ものは試しと「シンガポール料理」で検索したところ見つかったのが、水道橋にあるその名もずばり「海南鶏飯」というシンガポール料理店で、その後家内たちは二度ほど行ったようです。JR浜松町駅からほど近い「汐留シティセンター」にも支店があって、こちらも昨年に続き二度目になります。

 夜9時でしたが、週末とは言えほぼ満席。
オーダーは、季節の青野菜炒め、ペーパーチキン(注記)、揚げた海老の炒め物と、お目当てのチキンライス(一人前950円也)。スープは何故か味付けが現地と異なりますが、ソースは現地の味。グリーンチリ(青唐辛子の酢漬け)が付いていないのがチト寂しくも、ご飯も美味しいタイライスで、その懐かしい香りが溜まりません。そして(私だけ)現地定番のタイガービール(オール・モルトビールです)。彼等はデザートにマンゴープリン。
 どのお客さんも殆ど皆さんチキンライスをオーダーしており、日本(東京?)でも大分ポピュラーになっているようです。

 家族四人水入らずで、当時を懐かしむことが出来ました。日本でこの味であれば、充分納得+満足でした。

【注記】
現地ではPaper wrapped chicken。ローカルレストランである『ヒルマン』の名物料理。下味のタレに漬けたチキンのモモ肉をクッキングペーパー?で包んで揚げたもの。そのため肉汁が逃げずジューシーで柔らかく幾つでも食べられます。かのポール・ボキューズ氏も絶賛したとか。
赴任当時、会社の借りていた港湾倉庫近くに「マンヒル」という支店(姉妹店?)があり、四半期毎の棚卸に行った時の昼食に、ローカルスタッフが必ず連れて行ってくれました。お店そのものは(ヒルマンも同様に)オープンエアでエアコンも無く、お世辞にも綺麗とは言えませんでしたが、何を食べても絶品でした。今もあるといいのですが・・・?

 9月中旬から1ヶ月ほど、房を付け過ぎて余ってしまった巨峰を近所のスーパーの地場産品コーナーへ連日出荷していました。
ブドウは、リンゴと違い採り置きが出来ないため、朝採りした巨峰を一房ずつ包装して出荷します。休日はともかく、平日は出勤前に終わらせないといけないので、チロルの散歩は暗い内に終わらせて、明けるのと同時に収穫していました。地場産品コーナーのスペースの関係(野菜・果物など遠くからわざわざ出荷される方もいて競合も激しいので、余り一人で占有しないように)で、一日10房程度しか置けませんでしたが、ほぼ完売していました。

 そんな10月のある日、休日で昼過ぎには売り切れていたので途中補充していると、お年を召されたお婆ちゃまが「これちょうだい!」と言われ、一番値付けが高くて大きな房を買い物篭に入れられて曰く、「毎日お宅のブドウ買(こ)うてますねん。色々比べたけどお宅の巨峰食べたら甘くて、他のは“よう”食べられへん。」
こちらもつられて「はぁ、おおきに・・・。」
「今度、大阪に帰るんやけど、ご近所に配りたいので送ってくれへん?」(お話によると、結婚して松本にお住いの娘さんの所に数週間滞在されていたとのこと)
 残念ながら、もう巨峰のシーズンも終わりで熟し過ぎに近く、宅配便でお送りすると粒が房からもげる心配があるためお断りさせていただきました。すると、「そしたら、自分で持って行くさかい、持てるようにして家まで届けてくれへん?」・・・とのことで、お帰りになられるという朝、箱詰めして手にもてるよう取っ手を付けて、それまで毎日のように買っていただいたという御礼のご自宅用と併せて(朝早く出勤した私の代わりに家内が)お届けしました。

 所用で東京に行くために、たまたまお休みをいただいた11月6日の金曜日、朝8時頃だったでしょうか?チャイムが鳴り、チロルをケージに入れている間に家内が応対に出ると、かのお婆ちゃまが立っていらっしゃいました。
 巨峰は無事大阪まで持って行かれたとのことで安心しました。しかも、箱だけではなくご自宅用も一緒に無理して持って帰られたそうで、今回1ヶ月振りにまた松本の娘さんの所に「静養」(松本の美味しい空気と新鮮な野菜や果物、そして景色から元気を貰うのだとか)に来られて数週間滞在されるとのこと。そして、大阪からわざわざお土産を持ってきていただいたのでした。
「もう、ご近所に配ったら喜んでもろうて、もっと高(たこ)う売らなあきまへん。今度はリンゴも注文するさかい!」と。

 こちらはただ買っていただいただけですのに、ブドウやリンゴを通じて見ず知らずの人との繋がりが出来ていく。何だか不思議な気持ちです。生産者冥利に尽きるということなのでしょう。
「ほな、また!」と、お年には見えぬほど颯爽と帰られた“大阪のオバチャン”をお見送りしながら、大阪から一緒に運んで来ていただいた「ほんわか」した暖かな余韻に、暫く家内と二人で浸っていました。「・・・毎度おおきに!」

 昨年に引き続いてのご注文は元より、今年は特に検索頁への広告を打つ前から、H/Pを通じてのご注文をたくさん頂き、一旦ここで予定数終了となりました。中には、昨年ご注文いただいた方からの「お薦め」で、何人ものご友人の方からもご注文をいただきました。ありがたいことです。
皆様、誠にありがとうございました。ブログ紙面を借りて厚く御礼申し上げます。
 なおリンゴ収穫後贈答用リンゴを選別の上、もし数に余裕があれば改めて受付けを再開させていただきますので、何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。

 早い所は今週末の14日辺りから採り始めるところもあるかと思いますが、当園ではもう少し色付きや糖度が増すのを待って、今年も11月21日からの三連休から『サンふじ』の収穫を始めたいと思います。


 今年は、子供達がそれぞれ仕事や大学の関係で帰省出来ず、母と家内だけで少々手が足りませんが、楽しみに待っていただいているお客様方へ一日でも早くお届けできるように、頑張ってリンゴ採りをしたいと思います。

 実りの秋ももうすぐです。

 本日11月10日をもちまして、この『雑記帳』がちょうど一周年を迎えました。
この間、“徒然なるままに”書き連ねて今回で170話。1年間ですので、凡そ一日おきに更新してきたことになります。我ながら良くぞまぁ・・・と「自分を誉めてあげたい!」。(ぱちぱちぱち)

 別に商売(リンゴ販売)のためと言うより、生来の“信州人的”「理屈っぽくて言いたがり」が書かせているのです(・・・と思います)が、今年はリンゴの広告を打つ前からH/Pを通じてのご注文を頂き、H/P制作会社の担当者の方からも「一年間続けて来られたブログの成果ですよ!」との思いもよらぬお褒めのお言葉(必ずしも統計的分析結果ではないかもしれませんが)もあり、ちょっぴりほっとした次第。それまでは私の「小ずく」(「ずく」は信州弁で「やる気」に近いニュアンスでしょうか?例えば、応用形で「ずくなし」≒「面倒くさがり屋」)に半ば呆れていた家内も、例えばどこかへ出掛けたりすると「あっ、これ(ブログの)題材になるんじゃない?」とその評価を聞いてから急に協力的(≒支配的?)になりました。「はぁ、どうも・・・。」

 制作会社の分析によれば、個人ブログよりどうしてもビジネスブログは読まれにくくまたコメント記入も稀とのことですが、延べのアクセス数(2009年の1月~今日現在)で23,000を超えています。但し、娘が更新の都度自動チェックで(記載内容に問題ないかどうか)確認していたりしますので、身内のカウントもあり、また職場内や会社の同僚も時々読んでくれているようなので、多少割り引かなくてはいけませんが、それでも多くの見ず知らずの方がアクセスしていただいていると思うと、大変ありがたくまた励み(原動力)にもなります。

 これからも、気負わずに(毎日は無理ですが)ここ信州松本より季節を巡る話題を、駄文ながら皆さまにお届けできたらと思いますので、どうぞ宜しくお付き合いください。

 秋も深まり(先週突然に冬将軍の襲来がありましたが、二日間だけでまた秋に戻りました)ここで我家の渋柿も収穫期を迎え、我家でも干し柿(吊るし柿)用とし、余ったのは横浜の叔母へ送ったり、親戚へ配ったりします。
昨年は柿の「なり年」でしたので、その反動で今年の数は少なめです。

 昔は、甘柿を採って食べるのが子供心に楽しみでした。どこどこの家の柿はすごく甘いとか、あのウチのは渋柿だとか、子供たちは皆で情報収集をして、ちゃんと頭の中に集落の「柿マップ」がインプットされていたように思います。また大人たちもそんな子供たちを叱りもせず(昔は、ヨソの家の子であろうとなかろうと、地域の皆で子育てをするように「叱るべき」はしっかり叱られましたが)、黙って見守ってくれていたような気がします。
今ではスーパーなどに本場の富有柿がたくさん並んでいますので、地元の甘柿などは見向きもされなくなりました。

 さて、柿の葉の落葉をご覧になったことがありますか。

 まるで雨が降るかのように、次から次へと赤く色付いた柿の葉がそれこそ“サラサラ”と音を立てるように散っていきます。その様は“散る”というよりも、まさに“降る”と言った方が近い感じがします。特に風の無い日は、まるで不思議な光景を見るようで、幻想的ですらあります。
ただ、家に不在の平日だと気付かないことの方が多いのですが、前日とはうって変わって葉が落ちた柿の木の様子からは、恐らく一日の中の僅か数時間でその不思議な“現象”は終わってしまうように思います。我家のベランダから見える、お隣の柿木。それは初霜の影響もあったのか、4日の日に“起こった”ようでした。
朝、散歩と食事を終わらせたナナを母の所に届けた家内が、ちょうどそんな瞬間に遭遇したようで、今朝二匹の散歩途中で住宅街の柿の木を見ながら思い出したのか、「ねぇ、柿の葉の落ちる様子って知ってる?」と自慢そうに聞いてきました。(フンと鼻で笑って)「当ったり前じゃん!」と説明すると、「ナァンダ、知ってたんだ・・・」と残念そう。でも知らない(見たことが無い)人の方が断然多いと思います。

 斯く言う私も、何年も前に、早朝チロルの散歩を終えてベランダで一休みしている時に、その不思議な光景に遭遇したのですが、先ず生理的に理解できませんでした。風があれば、何となく経験則で「風のせいで」と納得してしまうのですが、無風なのにサラサラと落ちている葉を見ていると、結局万有引力の存在に思い至るしかありませんでした。そう思いながらも、呆然と柿の葉の“雨”を見つめていたように思います。

  『 柿落ち葉 紅いの雨の 降る如く 』(字余り)

 ビッグコミック・オリジナルに『こだわりの店』という、“とっておきの店”を紹介する名物?コラムがあります。場所については「不親切ガイド」として、あえて最寄駅だけで、地図は勿論のこと時として店名も無く、「是非ご自分で(お腹をすかせて)お探しください」というスタンス。
 今回は、恐縮ながらそれと同様に私の「とっておきの店」を紹介させていただくと・・・、
   
 松本に“奇跡の店” とでも言うべき、創作料理のレストランがあります。
和風、フレンチ、イタリアン、エスニック・・・と色んな要素を取り入れた店(例えば、コースの締めは通常は日替わりパスタが入っていますが、なぜか手打ちうどんも裏メニューにあり、これがまた絶品!)。しかも、シェフは奥様で旦那様が店を切り盛りされていて、何とも(お二人の醸し出される)雰囲気のいいお店です。そしてお酒は、地元産を含め厳選されたワインと、そして選りすぐりの地酒もちゃんとおいてあります。
以前は東京で開業されていて、数年前に松本に移って来られたとかで、今でも時折東京時代の常連さんがわざわざ信州まで食べに来られるというのも「むべなるかな」と納得のレストラン。こんな店がこの信州松本の地にあること自体が、むしろ『小さな奇跡』のような気さえしてしまいます。

 私達夫婦もある方のご紹介で伺って以来、すっかりファンになり、結婚記念日などの特別な日は勿論、機会あると(鮨や蕎麦という指定・目的の時以外は)結局この店に行ってしまいます(未だ常連にはほど遠いのですが)。因みに東京から帰省してくる娘達も、外食する時にどこへ行きたいかと聞くと、最近はこの店の名前しか出て来なくなりました(学生である下の娘はともかく、就職した上の娘は、例えば蕎麦ならいざ知らず、創作料理では東京での選択肢には敵わないような気がしますが、ここ以外なら行かない!と)。
 もっと高級なお店(例えば以前、松本で評判の古民家を改装したフレンチと創作和風料理のお店に行って1万円のコース料理=最低8千円から=を食す機会がありました)も勿論松本にもありますが、コスト・パフォーマンス(こちらのコース料理は最低4千円から)も含め、他に行って(仮に倍以上のお金をかけて)も、ここ以上のワクワク感と言うか感動をすることがなくなりました。
例えば、オーダーした料理(コースの他に日替わりの一品料理もあります)を暫し待つ間、日替わりのお通し(+500円)が必ず出され、これがまた楽しみで、これまで一度として同じモノが出されたことがありません。ある時は「鮪の押寿司」?が出て、寿司メシの中に何とタクアン漬けの微塵切りが混ぜられていて、コリコリした食感にびっくり!また、今までのコースに入っていた中では、「殻付きカキの香草焼き」や「千代幻豚の炙り焼き」、「天然平目のカルパッチョ」、「ホタテのピカタ」も美味しかったなぁ・・・。 加えて、毎回異なる締めのパスタ。
 厳選された素材の良さに加えて、意外性というか、まさに創作という意味での「驚きと工夫」が、料理への愛情というスパイスを効かせながら、優しくそして丁寧に込められている気がします。

 ここは、ワイガヤの飲み会ではなく、是非気の合う方とじっくりと「料理+雰囲気」を味わうべき、そんな“至福の空間”です。

 そのお店は蔵造りが目印で、松本パルコの近く。パルコを背にしてお探しください。
ファンとしては、常に一杯で予約が取れないのも、また逆にガラガラなのも心配です。末永く且つ変わらずに、ここ松本の地でずっと続いて欲しい店・・・ということで、今回は“ビッコミ風”にてご容赦ください。
   
【補足】
第62話の『リストランテ・トレマーニ』の紹介で「松本で2番目」と書いたものですから、それを見た何人かの方から「じゃあ、一番目はどこナンダ?」と聞かれ、本当は「とっておき」は人に教えたくない(正に大事に「とって置く」べき)もの。ずっと掲載を控えていたのですが、止む無くこんな形で紹介させていただくことにしました。悪しからずご了承ください。
なお、どうしても店名・場所等をお知りになりたい方には、(ブログ上には掲載せず)個別にご案内させていただきますのでご連絡ください。

・・・ということで、以下の追記は、ほぼ一年に及んだ我が“躊躇逡巡の軌跡”・・・です。

*以下、ご興味のある方はお付き合いください。
【追記】 *昨年12月記載
 もしデザートにリンゴが入っていたら・・・小玉で出荷できなかったのを、こちらにお願いして使っていただいた当園の「サンふじ」です。奥様の手にかかって嫁ぎ先でどんな風に変身しているか楽しみです。
【追記 その2】 *4月
 先日、久し振りに伺ってきました。帰省してきた(ここへ行くのが目的だけのような僅か2日間だけのご帰還)下の娘のご指名でした。
 生桜海老や、ハマグリ、旬の野菜などの食材を使った、すっかり春らしいメニューになっていて存分に堪能(今回は遅かったので、コースではなく一品料理をオーダー)して帰って来ました。締めの手打ちうどん(今回は、桜海老のかき揚に大根おろしのぶっかけうどん)も相変わらずの逸品。
 最後に、我家のリンゴを使っていただいたジャムやチャツネまでお土産にいただいて、恐縮してしまいました。当園のリンゴは甘味と酸味のバランスがとてもいいと誉めていただきました。今回は、料理に使っていただいたり、常連のお客様に配られたりして、最後に私達用にと、ずっととっておいてくださったのだそうで、秋にまたリンゴをお裾分けとしてお持ちすることを約束して、有難く頂戴してきました。
【追記 その3】 *5月
 我が町内の氏神様のお祭りはなぜか5月5日(通常田舎では豊作御礼の秋祭りの方が多いと思いますが)。そこで、お祭りの客呼びの料理に花を添えるべく(?と言うより主役でした)、無理をお願いしてオードブルを何品か創っていただいたところ大好評でした。ドレッシングまで自家製で作って瓶で持たせていただき、娘達曰く「こりゃ、ドレッシングだけでも売れるワ!」
 料理が多すぎて、家から事前に持ち込んだ大皿二枚(それを見てお皿に合う料理を考えますからと)には載せきれず、貸せていただいた食器をお返しがてら、(あまり長くお借りしている訳にもいかないからと、不在の娘達への言い訳も考えて)また伺ってしまいました(鼻が利くのか、下の娘から食事中に家内宛に「今どこ?」と別件での電話あり)。水曜日でしたがほぼ満席状態。繁盛で何よりです。
 この日のお通しは春巻き。そして、スズキの和風カルパッチョ、アスパラガスのソテーのウニソースがけ、つぼ焼きサザエのブルゴーニュ風(二人とも必ずしも好物ではないのに、これはスープまで綺麗に完食しました)などなど・・・(締めは珍しくパスタではなく蟹炒飯でした)。しかし、毎回良くこうメニューが変わるものだと感心します。そして、何よりもソースが絶妙。素材の調理そのものが仮にシンプルでも(当然のことながら)「このソースは真似できないよね!」と家内と二人で唸りぱなしでした。
今回も身も心も満腹にて「ご馳走さまでした!」。
そして、帰る道すがら二人の独り(?)言・・・「やっぱ、松本で一番だワ!」
【追記 その4】 *8月
 お盆に帰省してきた次女のリクエスト(今回も「ここしか行かない!」)に応えて伺いました。それまで、何度か行こうと思ったのですが、貸切や満席で入れず、ホント久し振りです。
この日は、仕事の関係で少し遅めのスタートとなったため、アラカルトメニューからのチョイスと相成りました(個人的には、コースの方が満足感を含めてお徳だと思いますが、家内がダイエット!と連呼していることもあって止む無く)。
お通しの子羊のテリーヌ(カレーパウダーの隠し味が効いています)に始まり、
 その日の日替わりメニューから選んだ、ホタテとズッキーニの湯葉包み焼きのバジルソース、揚げナスと海老シンジョのあんかけ、カニとアボガドの生春巻きのアボガドソースなどなど。締めに極細麺の冷製パスタと海鮮あんかけヤキソバ。
相変わらずさすがの美味しさでした。今回もソースが凝っていて、自家製パン(今回はソースが「決め手」なのか、いつもはパンのサーブはありません)を幾つも(私だけはお替わりで)頂いてパンに付け、ソースもキレイに頂いてしまいました。
皆、満足+満腹です。(ここは信州流に)「いただきました! 」
「あれ?ダイエットって、しっかり食べたじゃん!」
「だっからぁ、デザートは頼まなかったじゃない!」はぁ、ナルホド・・・?
【追記 その5】 *9月
 9月の5連休、その間、長女が急なご帰還。で、案の定彼女も「行きたい!」と相成りました。
しかも前日夕方、次女の所に上京していた家内と一緒に戻って来て、翌日夜には帰京という慌しさ。20時の最終のあずさで帰京するという彼女のために(ゆっくりコース料理を楽しめるようにと)30分も早くお店を開けていただきました(こういう気配りが味だけではなく1st Bestの理由なんです)。お礼に巨峰をお持ちしましたが、昨秋のサンふじ同様、奥様の手でどんなデザートに変身するか楽しみです。
 さて、この日のコースは、タコと三色豆のピリ辛サラダのお通しに始まり、海の幸とアボガドのテリーヌ、御馴染み千代幻豚のメンチカツ、秋らしく栗カボチャと秋鮭のグラタン、白馬(村のブランド豚?)雅(みやび)豚のプルーンソースのソテー、締めはバジルのリゾット。デザートにアカシヤのハチミツのアイスクリームとカットフルーツが載ったココナッツのプリン。
 今回は、やや欧風スタイルの料理が多く、女性陣には少々重たかったようです(でもしっかりデザートまで頂いて、翌日の朝食を抜くのだとか)。
 前日、家内達は電車に乗る前に、新宿駅近くのデパート内の某レストランで昼食を取ったようで、その時にも出されたというテリーヌと比較し「テリーヌはこうでなくっちゃね!」とどう反応していいか判らぬコメント。「はぁ、左様で・・・。」
メンチカツは肉汁が溢れ出すほどジューシー。個人的にはグラタンが美味しかったなぁ。確かに男性も満腹でした。
 このお店をご紹介していただいた、ここの常連でもある家内の知合いのご夫妻も偶然後から来られてご挨拶。本日も予約だけで満席とのことで、何組も残念そうに諦めて帰られました。
【追記 その6・・・些か長文になったのでこれにて終了します】 *10月
 10月中旬、中生種リンゴとブドウ(巨峰)の出荷・発送作業を全て終了したので、本当はその三連休の最終日に行こうと思ったのですが生憎お休みらしく、その後平日に慰労会として伺いました。
 この日は、初めて念願の(以前、私が家内に「常連になって、いつかカウンターに座るのが夢!」と言ったのが、ここを紹介いただいた、家内の知己の常連のご夫妻を通じて冗談交じりに伝わっていて、「どうぞ!」とのことで)カウンターに座らせていただきました。「やったネ!」(我ながら単純ですが)
アラカルトで、いつも通りの美味しい料理(この日は、定番の炙り千代幻豚サラダ、二種類のソースの牡蠣フライ、絶品の里芋と海老のクリーム煮ともう一品。締めに手打ちうどんとどちらにしようか悩んだ末に、魚介類とバジルのパスタと、更に家内はデザートにイチジクのパウンドケーキをご注文)をいただきながら、準備作業の合間にカウンター越しにお二人と談笑。
 お二人は、奥様が地元松本のご出身で、旦那様は北関東とか。東京で知り合い、奥様ご自身はそのまま東京でシェフを続けたかったそうですが、何度か奥様のご実家に来られて山に魅せられていた旦那様が「松本でやるんだったら手伝ってもいいよ!」と帰郷されたのだとか。
女性陣には呆れられながらも、男二人は信州松本からの山の素晴らしさに意気投合し、大いに盛り上がったのでありました。
 そんな旦那さまのお陰で、この“小さな奇跡”のようなレストランがこの街に存在していることに感謝し、この松本でいつまでも続いてくれることを願って、これからもずっと応援していきたいと思います。

 以前(第124話参照)激励会の席で、場の設定のお礼にと『骨酒用の岩魚の燻製を田舎で探して来る!』と宣言した先輩から、その後「骨酒用の岩魚の燻製」をお土産にいただきました!
 定年前に、岐阜のご実家(信州に負けぬ田舎とのこと)に戻られ、その際にお母様から聞いていた(「何だ、忘れただかやぁ。隣村の○○に昔からあるがぁ!」という感じでしょうか?)という「隣村」の製造元から当日のメンバーに激励会のお礼としてわざわざ買ってきてくれました(しっかりと覚えていていただいたようです。感謝感激)。その先輩も先月9月25日を以って無事定年を迎えられました。本当にお疲れさまでした。



 さて、いただいた骨酒用岩魚(製造元の異なる2匹)の説明書きに拠れば、双方弱火で炙るのは一緒。片や2~3合。一方は2合で繰り返し使用可とのこと。楽しみ、楽しみ・・・。どちらも岐阜県の加茂地方での製造でした。
       
 また、過日家内が仕事仲間の方のお宅のご葬儀参列のためお抱え運転手として高速利用をした折、帰路(上り線)「スタバでラテが飲みたい!」という家内のご要望で梓川SAに立ち寄り、「そう言えば」と売店を探したところ、ありました!穂高産の「岩魚の骨酒セット」が。ひとつ525円也。プラスチック?製か、容器もセットになっていて、一回200cc~400cc(一合から二合)で二度まで可能とのこと。岐阜まで行かずとも(しかも岐阜高山方面の道の駅では1000円近い値段だったそうですので、質の差は不明ながら、こちらは半値で)地元でも買えそうです。
 その後、同僚(以前岐阜までわざわざ買いに行った方です)の情報に拠れば、下り線の梓川SAには無かったそうです(いやはや飲兵衛の執念・・・みんな、何やってんだか!?)。

 一人で4合近くも飲む訳には行かない(それこそヒンシュクものです)ので、早く客呼びをして飲みたいものですが・・・。いつかなぁ?妹夫婦が手伝いに来てくれるサンふじのリンゴ採りの慰労会か、はたまた新年会まで待たされるか・・・? 

 季節外れの寒気が南下したという11月2日。帰宅する時には、みぞれ交じりの冷たい雨降っていました。
翌3日は文化の日ですが、私は会社へ。出勤前朝5時半から散歩に出ると、だんだん明るくなってきたところ「ぎぇーっ!!」。何と、周囲の里山も、標高1000m辺りまでが白く雪化粧をしているではありませんか。まだ里には紅葉が残り、11月も始まったばかりだというのに・・・、唖然でした。
 天気予報では、今朝の松本の予想最低気温はプラス1℃でしたが、車のフロントガラスは凍っています。どうやら場所によっては氷点下だったのかもしれません(実際の気温は今シーズン最低の-1℃でした)。

 朝、松本駅から見ると、上のほうは雲がかかっていましたが、西山(北アルプス)も麓付近までが白くなっているのが望めます。そこでアルプス口からガラス越しにパチリ。上手く確認できるといいのですが。


 それにしても、この時期の雪化粧は例年と比べて2~3週間早いのではないでしょうか?普段だと、11月下旬頃から冬型になって木枯らし(アルプス颪)が吹き、白馬方面などの長野県北部を中心に山に雪が降ると、里にも山からの風花が舞い降りてきて「そろそろ雪か?」と思うのですが。今年はジャブが無くていきなりストレートが飛んできたような・・・。

 最近困っているのが、シャープペンの芯詰まり。
昔は、付属の消しゴムに芯の太さと同じ針金が必ず付いていたので、詰まればそれをペン先から挿入して折れた芯を出すことが出来ましたが、最近のシャープペンには何故か付いていません。以前は、海外赴任時代に購入したパーカーを愛用(注記)していたのですが、時々芯が詰まってしまい、今では一本1000円程度の製図用のシャープペンを仕事で使っていますが、やはり芯が詰まってしまって、一年に1本は買い換えているでしょうか。
 今使っているものも最近調子が悪く、次の芯が出てくれば押し出されるのではと思って何度ノックしても上手く行きません(・・・どころかイライラして却ってストレスが溜まります)。私自身は、ボールペンではなくシャープペン派なので、会社でメモを取ったりする時など、シャープペンが使えないと困ってしまいます。
 そこで、「シャープペン、芯詰まり」とキーワードを入れて検索して見ると、いやはやありました。結構、困っている人がいるんだなと、妙な感心をした次第。中には、文具店主さんのアドバイスもありました(数百円の安いペンでも気にせず修理に持ってきてくださいという優しいアドバイス。また、替え芯はせいぜい2~3本で、5本以上入れると詰まりの原因とか。知りませんでした)。

 ただ、どうやら決定打は無いようで、唯一これはというのが、東急ハンズでピアノ線を売っており、0.4mmとかもあるそうなので、それをニッパーで切って(昔の消しゴムに付いていた針金のように)使えばいいというアドバイス。なるほど。
そこで、先週出張で上京した折に、早速新宿のハンズで購入してみました。探し物は6階のDIYのフロアーに。太さの異なる30㎝ほどのピアノ線の中から、0.4ミリを購入。一本、何と21円・・・。紛失せぬように透明なチューブのようなケースに入れてくれた(無料で)のですが、何だかケースのコスト(製造側負担にしても)を考えると申し訳ないような気がしました。

 さて、早速オフィスで、今までどうにもならなかった2本の製図用を試してみると・・・。出てきました!細かく砕けた芯が3~4本ずつ。大成功です!勿論2本共また書けるようになりました。何だか積年の辛みというか、喩が良くありませんが便秘が解消したようで、すっとしました。
フン詰まり(失礼!)で、いえ、芯詰まりでお困りの方、是非お試しください。

 あ~あ、都会って便利でいいなぁ。松本もパルコじゃなくて、ハンズがあればいいのに・・・なんて思うのはきっと私だけでしょうね。

【注記】
シンガポールで2本買って大事にしていたパーカーも使えなくなりました。ボールペンもモンブランやクロスなど何本も買ったのですが、日本では出番なし。海外では、仕事上は勿論(日本での印鑑代わり)、日常の銀行小切手での支払いやカード決済でも必ずサインが必要で(海外では当然ですが、何故か日本では裏面のサイン/署名を確認すらしない店も)、そのサインには太め(書き物には細字の方が好きですが)のボールペンが好適(太字の方が何となくサインが上手に見えます!)でした。


 母のところにいる2歳半になるシーズー犬、ナナ。最近、朝の散歩を母が億劫がるように。かと言って、チロルとナナの二匹の散歩は時間の無い平日は一人では無理。そこで、早起きの苦手な(=夜遅くまで発送準備などの事務作業をしてくれる)家内がやむなく一緒に散歩に出るようになりました。
 6時までには終わらせないと朝の出勤に間に合わぬため、遅くても5時半前には出掛けます。今、ちょうど(山に囲まれた松本では)朝5時頃から(空が明るくなるまでの)僅か20分程度ですが、東の空に「明けの明星」金星が明るく輝いていて、東雲街道と呼ぶ東山が次第に赤く染まっていきます。

 以前、休日は長幼の序で先にチロルを済ませてからナナの散歩に行っていたのですが、今では二匹一緒に行けるようになりました。


 二匹は先になったり、後になったり・・・(離れると、先に行った方が待っています)。先を行くナナを見ていると、原産地である中国の宮廷では、シーズーを「頭は獅子で、歩く姿は金魚」に例えたと言いますが、ふさふさした尻尾を振りながら歩く様は確かに金魚の泳ぐ様と言えなくもありませんが、むしろチョコチョコとお尻を振り振り、まるで小犬のモンローウォークのようで、微笑ましくて何とも愛嬌があります。いつまでも眺めていたくなって、いよっ、色っぽいよ、ナナ!(・・・振り向いて、首をかしげてました)。