カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 10月26日付の『天声人語』で紹介されていた、記憶にも新しい(と言っても5年前でした)舞鶴での水害時に水没しかけたバスの屋根の上で皆(乗り合わせた平均年齢60代半ばの37人)で歌を歌って一昼夜励ましあったという出来事(朝日新聞から出版された生存者でる著者の手記紹介)の中で「思いやりが思いやりを生み」『自らをなげうって、無意識のうちに誰かのために行動できる人たちが、この世にはごく当たり前に存在する。』というくだりを読んで、「そう言えば・・・」と、同じく朝日の土曜版be の「フロントランナー』で以前(一年程前?)紹介された、米国でヒスパニック向けの送金サービスを行うMFIC(Micro Finance Int’l)を立ち上げた枋迫篤昌氏(とちさこ・あつまさ氏=元三菱東京銀行ワシントン事務所長)の記事を思い出しました。

 メキシコ留学時代に知り合った貧しい家庭に招待された時に、客人をもてなそうと特別な「肉入り」のスープが出され、そして辞去する際に、その家の子供達から「また来てください。貴方が来てくれるとお肉が食べれるから!」と言われ、「えっ、肉なんて・・・?」と考えて漸く思い至ったのが、そう言えば“干からびた”何かの断片が入っていたという事実。そして、何とかそうした中南米の貧困層の人たちに恩返しをしたいとずっと考えて辿り着いたビジネス・モデルなのだそうです(但し、決してボランティアなどではなく、きちんとした営利目的)。
 そして記事の中で特に印象的だったのは、世界中の資産家を回って趣旨を説明し、賛同(出資)してくれた多くが日本人だったとのこと。
『米国人に説明するとすぐ「リターンは?」と聞かれ、中南米出身者には「おれも苦労したのだから同じ苦労をするべきだ」と断られ、そうした中で賛同して小額でも出資してくれたのは日本人達でした。彼等はじっと説明を聞いた後で「貴方の夢に投資します」と老後資金の一部を出資に回してくれ、「同じ夢を見させてもらいます」と利回りのことなど聞こうともしなかった。世界中を回ったが、日本人ほど他人を思いやることができるという民族はいません。それが同じ日本人としての私の誇りです。』という趣旨(記憶ゆえ多少の誇張や創作があるかもしれませんが主旨は間違いなくこの通りでした)だったように記憶しています。

 それは、もしかしたら我々の欠点でもある「島国根性」や「同質性」の裏返しなのかもしれませんが、それだからこその連帯感であり、思いやりなのではないでしょうか。日本にいると忘れがちですが、外に出て、或いは外の人から教えられ改めて気付かされる。2004年ノーベル・平和賞受賞者マータイさんからその普遍的な素晴らしさを教えられた「勿体無い」(今や死語に近いのかも知れませんが、マータイさんのおかげでまだ間に合うかも?)も同じなのかもしれませんね。