カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

(・・・少々長文になりますがお許しください・・・)
 老舗ばかりだった松本市内でも、趣味が嵩じての脱サラなのか、近年次々と新しいお蕎麦屋さんが増えているような気がします(以前、車で軽井沢や白馬に出掛けた時に、街中や道路沿いのいたる所に蕎麦の看板や幟を見かけましたので、それに比べれば蕎麦処信州としては、松本はこれまで蕎麦屋さんが少なかったのかも・・・?)。それぞれ店毎の拘りがあり、(殆ど)どこも水準は平均以上。蕎麦好き(正しくは麺好きだと自認)にとっては有難いことです。
その中で、マイ・ソバならぬ、自分の好みに合った店を見つけて(それ以外の店に対して、ソバ通ぶって「あーだ、こーだ。あーしろ、こーしろ」などと文句を付けずに)、そこだけに惚れ込んで(因みに私メは断然『安曇野・翁』、家内は松本『野麦』だそうです)浮気せずに通い続ける・・・のが本来ということなのでしょうね・・・と反省(のポーズ)。

(・・・と言いながら、へそ曲り故、つい・・・)
ただ、最近は、いくら玄蕎麦等材料に拘るとは言え、「ざる」一人前(「せいろ」ではなく「ざる」そのもので一人前一枚という店が最近増えています)が中には千円超(しかも最近は量が少なめなので二枚食べないと足りない)というのは些かお高くはないでしょうか。(そこへいくと、夜の宴会もできる松本の本町「そば切り御代田」や岡田六助「月の蕎麦」は、双方昔ながらのせいろの段重ねでの一人前が(二枚で)700円前後で、蕎麦の味も平均点以上。誠に良心的です。特に「月の蕎麦」は、田舎と更科が選べ、並、中、大盛りとあり、中せいろが何と680円で、200gありますので追加無用。蕎麦の味もガイドブックに載るような有名店と遜色無し。地元客ばかりですが、これで儲かるのかと逆に心配してしまいます。御代田は製粉会社のアンテナショップだったのが数年前に経営が代わり、飲兵衛にとっては有難いことにツマミの種類が大幅に増えた一方で、行った日によって蕎麦の出来に多少バラツキが・・・一方の長野店は製粉会社直営のまま)
本来麺類は庶民の食べ物だった筈で、ラーメン一杯700円、「ざる」は一人前(二枚で)千円(どんなにいっても1500円まで)というのが、市井(庶民)の感覚ではないかと思います(注記)
しかも最近は売り切れゴメンで昼しか開けない(早朝からの蕎麦打ちの大変さはさておき、食べる側の客からすれば、従ってユウメシではなくランチ=ヒルメシ向けの営業である筈の)ソバ屋が多い(昼だけのラーメン屋って聞いたこと無し。そば屋って昼だけで生計が成り立つのかも?)だけに、故杉浦女史とソ連(“ソバ好き連”。第86話参照ください)的には『昼にソバ前(酒)まで含め2000円以内じゃないと(我々庶民が憩える)ソバ屋じゃない!』という感覚の筈。中にはウンチクが色々付いてソバだけ(二枚)で3000円(昨年行った東信の某有名店は「ざる」で言えば一枚分の三味ソバで2100円でした)という店も珍しくなく、今や蕎麦は高級料理になりつつあるのでしょうか。
また、繁盛店で(食べるためなら)並ぶのは至極当然としても、予約しか取らぬ店があるのと言うのも「ソバ屋」としては如何なものか?
いいじゃないですか、並んで、もし終わったら諦める。でないと、信州に観光に来られて街で誰かに評判を聞いて「じゃあ、行ってみよう!」と思い立っても食べられないということです。
されど蕎麦かもしれませんが、その前にたかがソバではないでしょうか?
「されど」の自負は黙っていても食べれば、またいい店かは、ただ座っていれば分かります。どんなに有名になっても「たかが」という謙虚さが大切なのではないでしょうか。

(昔、蕎麦は、「蕎麦しか育たぬ」痩せた土地で作られていたこともあって、貧しく下賎の食べ物とされていたのが)故杉浦女史によれば、ソバ切りが「発明」(木曽路への入口となる塩尻の中仙道32番目の本山宿がその発祥の地という説あり)され、気の短い江戸っ子に「粋」として歓迎され爆発的に広まったのだとか。また余談ながら、当時の上方(灘・伏見)からの清酒の(海上)輸送量から計算すると、江戸っ子は一人当たりかなりの量のお酒を飲んでいたことになり、その量から判断すると、夜だけではなく昼間から(「ソバ前」として)飲んでいた筈で、『火事とケンカは江戸の華』と言われるのは、「てやんでぇ」という江戸っ子の気性もさることながら、皆昼間から酔っ払っていたことがケンカの多かった要因ではないか、という興味深い推察がされていて成る程と感心した次第。いずれにしても、蕎麦は決して高貴な食べ物ではなく、江戸時代のせっかちな下町の江戸っ子にピッタリの、日本初?のファーストフードだったのです(然るに、ファーストカム・ファーストサーブが基本であるべきで、要予約のファーストフードって在り?ってシツコイか・・・?)。
きっと故杉浦女史も天国で嘆いているかもしれませんね(やっぱ、シツコイ!)

 いくら蕎麦は、戸隠や開田など高原の霧下蕎麦が良いとは言え、その内に会席料理でしか食べられない、庶民にとっては正に「高嶺の(ソバの)花」、なぁんてことにならないといいのですが・・・と、お後が宜しいようで・・・。

【注記】
個人的に非常に疑問なのは、スープ材料含め遥かに具材の多いラーメンよりも、何故シンプルなソバの方が値段が高いのか、本来ラーメンより安くて然るべきではないか・・・??と。
いくら小麦粉よりも国内産の玄蕎麦が高い(奈川で蕎麦を栽培する会社の同僚に拠れば、産地として定評ある奈川でキロ1000円が出荷価格だったそうです)とは言え、あとは「返し」と店によっては生山葵くらいの筈であり、薬味のネギに至っては(松本の十割蕎麦のシーキューブを除き)ラーメンの上に載ってる量の方が大抵多いし、人件費含めその原価計算がどうしても理解できません・・・。(まさか、ラーメン屋よりも大概立派な「店構え」の固定資産償却費?・・・)
ラーメンだって、最近は例えば魚介系では節や昆布などにアゴダシや利尻・羅臼昆布などの高級材料を使う店も増え、スープにかなり力を入れています。
従って、麺好き(双方+うどん、パスタやフォーも・・・)としては、蕎麦よりもラーメン(の営業努力)の方に個人的には敬意を表します(ラーメン万歳!)

ところで、東京ラーメン(例えば荻窪ラーメン)で、嘗ては「○長」とか「○信」という店名のラーメン屋さんが多かったのだそうですが、これは長野県出身の店主が多かったからなのだとか。
蕎麦処である信州人は、ラーメンでも頑張っていたんですね。


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