カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 (前話に続いて・・・)
 次女が溜まった洗濯と部屋の掃除をすると言うので、その間2時間ほどですが、久し振りの映画を見るには時間が足りず、そこで家内と成田周辺の小旅行をすることにしました。

 さて、2時間でどこへ行けるか?ということで選んだ行き先は佐倉。
長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督の出身地ですが、江戸時代、佐倉は老中堀田氏11万石の城下町で、今もその名残が残ると言います。松本に生まれ育ったせいか、城下町には親近感を覚えます。
時間も余り無いので、今回は武家屋敷だけを見ることにして、徒歩範囲にあるJRで佐倉に向かいました。

 JR佐倉駅から歩いて10分程度。坂を少し上った高台に移築された武家屋敷が復元公開されています。土塁が築かれ、手入れの行き届いた生垣で囲まれた茅葺の武家屋敷が3棟並んでいます。
       
 佐倉は江戸時代藩主堀田公が蘭学を奨励し、「西の長崎、東の佐倉」とまで謳われたそうで、現在の順天堂大学は佐倉にあった医塾順天堂がそのルーツとか。
武家屋敷ではボランティアの方々か、ご老人が無料のガイド役を務められていて、当時の武士の生活の様子などを見学者に熱心に説明してくださいました。
 現代の住宅と比べても、今の方がよっぽど大きいと思えるほど、思いの外小さな屋敷でした。質素倹約を旨としたであろう当時の様子が伺えます。
藩士の屋敷は、各自の禄高で大きさ、部屋数等が決まっていて、持ち家ではなく藩からの借家なのだとか。
江戸時代は、幕府による藩替えで移封されるとも珍しくなかったため、持ち家はしなかったということでしょうか。
佐倉藩では、300石、100石で屋敷の広さも大中小と区別され、ここにはほぼ当時のそれぞれの武家屋敷3棟が移築されています。内2軒は中に上がることができます。

 他にも佐倉には、遺構が良く残り「日本100名城」に選ばれているという佐倉城址や、重文の藩主堀田公の旧邸宅などが残りますが、今回は残念ながら時間がなく、2時間の小旅行を終えて成田へ戻りました。

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