カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 14日の未明には幾つもの流れ星が見られましたが、空気の澄んだこの時期の夜空は、星がまるで降るようで本当にキレイです。そして地上では、クリスマスのデコレーション一色でしょうか。

 この時期、日本では年末恒例の第九の演奏会(オケの年末の“餅代”稼ぎがその背景だったと聞いた記憶が・・・?)が目白押しです。コンサート情報誌月刊「ぶらあぼ」に拠れば、何と12月だけで174回の第九演奏会が全国津々浦々で開催されているのだとか。イヤハヤ凄いですね。最近では日本を真似て?欧米でも年末に演奏することがあるという記事を以前読んだことがありましたが、でも欧米ではこのクリスマスシーズンは、やっぱりヘンデルの“メサイア(救世主)”ではないでしょうか。しかもヘンデルが英国に帰化していたこともあり、クラシックの声楽曲では珍しく英語版がオリジナル。
ロンドンでの初演で、時の国王ジョージ2世が、第二部の終曲「Halleluyah」で感動の余り起立したため、その後ハレルヤコーラスでは聴衆が起立するのが慣習になったという逸話は余りにも有名です(形式化への批判もあり、最近は必ずしもそうでもないようですが)。

 このハレルヤは、高校の音楽部で定演の最後に室内楽の伴奏で合唱するのが慣わしでした。娘の時も同様でした。
 三部構成で、2時間半にも及ぶ大作でもあるヘンデルのオラトリオ“メサイア”。二部終曲の“ハレルヤコーラス”や、最終曲となる三部終曲の“アーメンコーラス”が有名ですが、それ以外にも、一部第4曲の“And the glory of the Lord…”や大好きな第12曲“For unto us a Child is born…”を始め、対位法で各パートが複雑に絡み合いながらも、ヘンデルらしい明るく親しみ易いメロディーの合唱曲がたくさん含まれています。また三部第4曲のバスのアリア“The trumpet shall sound…”では、その名の通り独奏トランペットの旋律が惚れ惚れするほどカッコイイ!(中学時代の「王宮の花火の音楽」を思い出させますが、この話はまた別の機会に)。
都会ではこの時期恒例の“芸大メサイア”など、全曲演奏会が幾つかあり羨ましい限りです(一昨日、軽井沢の大賀ホールでもコレギウム・ジャパンの全曲演奏会があった筈ですが、教会の多い冬の軽井沢にはお似合いですね)。

 ‘90前半のシンガポールの現地法人への赴任時代。地域貢献から、地元のシンガポール交響楽団(SSO)をスポンサードした2年目から、時期が年末だったこともあり、「赤道直下の“波乗りサンタ”の国に、少しでもクリスマスの雰囲気を!」との想いから、SSO事務局に提案し、時の音楽監督(確か、Choo Hoyさん)も大賛成してくれて、自ら指揮して始まったヘンデルのメサイアコンサート(英国植民地だったこともあって、キリスト教徒が多いシンガポールですので、ハレルヤではやはり殆どの皆さんが起立していました)。合唱を担当する附属のSSOコーラスに入れてもらって赴任中一度は自分も歌いたいと思いました(実際、赴任者やその奥様と思われる日本人団員の方も当時数名おられました)が、結局仕事が忙しくて叶いませんでした。帰任後も含め、少なくとも5年間は毎年演奏されていましたが、もうスポンサードは降りたでしょうし、どこかが引き継いで、今でも赤道直下のクリスマスでの恒例となってくれていれば“言いだしっぺ”としても嬉しいのですが、果たして・・・?
 今宵、南十字星の下のクリスマスを想い、冬のオリオンの下でメサイアを聴くとしますか・・・。
(写真は、横浜みなとみらいの「ゆず」プロデュースというXマスツリー。そして、シンガポール赴任中に購入したらしい手持ちのショルティ指揮CSOのメサイア全曲盤CD。もしかしたら合唱練習用に買ったのか、今となっては購入動機も不明。当時英語版での名盤は、多分リヒター&LSOだったと思うのですが、何故かショルティとバロック音楽というちょっと意外な組み合わせ。勿論その後主流となった古楽器オ-ケストラではありませんが、往年の名花キリ・テ・カナワなどを独唱陣に配し、フルオケながら合唱含めて清冽でキビキビとした演奏です)